いいわけしないで!? 伊井分さん!

海星めりい

いいわけしないで!? 伊井分さん!


「この〝あり〟〝おり〟〝はべり〟〝いまそかり〟は――……」


 時間は午前九時のちょっと前。

 担任の山脇先生の古典の授業を受けながら、僕――見広みひろ 京谷きょうやは誰も座っていない隣の席をチラッと見る。


 すでに授業が始まって暫く立つというのに誰もいないこの席の主だが、休みというわけではない。


 多分、いつもの――。

 なんて、考えていると教室の後ろのドアがガラガラと音を立てて開かれた。


 入ってきたのは、切れ長の目に濡れ羽色の長髪をたなびかせ、制服を着た少女。

 僕の隣の席の住人である――伊井分いいわけさんだった。

 遅刻しているというのに焦った様子が一切ないまま、伊井分さんは頭を下げると、


「遅れました」


 透明感溢れる声でただ一言、そう言った。


「伊井分―、遅刻だぞー。理由はなんだー?」


 入ってきたのが誰か確認した山脇先生は一旦、黒板に書くのを止めて、出席帳を開くと伊井分さんに問いかける。

 すると、伊井分さんは自分の席に座って教科書とノートを取り出しながら口を開く。


「異世界に召喚されて、世界を救ってきました」

「そうかー」


 普通、こんなことを言えば『ふざけているのか!!』と怒られそうなものだけど、伊井分さんが遅刻の理由にこんな発言をするのは入学してからずっとだったりする。

 内容は少し違うが『異世界で魔王を倒してきました』や『裏世界を安定させていました』や『別の星に呼び出されました』なんてことを答えるので諦めたというのが正しいだろうか。


 こんなことが続いたせいでクラスメイトも先生もすっかり慣れきって、クスクス笑いすら起きない。

 そのため、伊井分さんはクラスではすっかり不思議ちゃん扱いされている。

 遅刻の理由以外におかしな所はなく、出た授業は真面目に受け、成績優秀というアンバランスさのせいも有るだろう。


 クール不思議系美少女とも呼ぶべき伊井分さんだけど、僕はこの遅刻のいいわけが実は本当ではないか? と疑っている。

 その理由は、前に登校途中に僕が伊井分さんを見かけたときのことにある。

 突風がもろに顔に当たって目を瞑っている間に伊井分さんが一瞬で消えてしまったのだ。別に曲がり角とかじゃないから、いなくなるはずがなかった。


 そしたら、また突風が吹いて目を瞑ると同じ場所に伊井分さんが現れていた。

 見間違いかと思っていたけど、ひょっとしてあれは異世界に召喚されて帰ってきたんじゃないかな? という、妄想を捨てきれていない。


 授業を受けながら、席に着いた伊井分さんをチラッと見てみる。

 伊井分さんはこっちを見たりせずに、ノートを写している最中だった。

 真面目な伊井分さんをいつまでも見ているわけにもいかない。変態みたいだし、なにより先生に見つかれば怒られる。


 そう思ったときだった、伊井分さんと僕の間くらいの床の上に幾何学模様の小さな円状の物が現れた。

 それは回転しながらちょっとずつ大きくなっているようにも見える。


(これ、魔方陣!?)


 所謂、クラス召喚的なことになるのだろうか?

 伊井分さんもこの魔方陣の存在に気付いたらしい。


「だめ!」


 伊井分さんは小さな声でそう言いながら、靴の裏に小さな魔方陣を出して床に広がりかけていた魔方陣を踏みつけて対消滅させていた。


「あの、伊井分さん?」


 その一部始終を見ていた僕が小声で呼びかけると、伊井分さんは人差し指を一本立てて、唇の目に持ってくると軽く微笑んで〝シー!〟というようなモーションをした。


(やっぱり伊井分さんって……)


 伊井分さんの名誉のためにも、皆に教えた方がいいんじゃないかとも思ったが、僕も変ないいわけを支持する嘘つきか不思議ちゃん扱いしかされないだろう。


 伊井分さんが黙っていて欲しいのなら、僕はそれに従う方が良い。

 それに皆が知らなくて、僕だけが知っている伊井分さんの秘密っていうのも少し優越感があって良いかもしれない。なんてね。


 そんなことを考えていたせいか――


「おーい、聞いているのかー。見広―。おーい!」


 僕は山脇先生に当てられていたことに全く気付いていなかったのだった。

 ちなみに、当てられた問題には全く答えられず、軽く怒られた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いいわけしないで!? 伊井分さん! 海星めりい @raiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ