カクヨム運営に命を救われた話

 2023年の11月後半に入ってから私の身に何が起こったか、いずれ別の章で語ろうと思うので少し待っていて欲しい(心霊的な意味での怪談では微塵もないが、いつも通り、広義の怖い話には該当すると思う)。

 ただ、自分都合で文章を書いて全世界に向けて公開するという、不健全なようでいてひどく前向きな、創作性の高い行為に耽溺するだけの元気も余裕も一切なかった。後悔と、自己嫌悪と、憎悪でいっぱいだった。身も蓋もなく言えば、死にたいと思いながら過ごしていた。


 2023年12月1日。私が、今年も『カクヨムWeb小説コンテスト』(第9回)に作品を応募しようとしたことに、深い意味などなかった。昨年、アカウントを開設した時から、「応募要項を満たしている作品については、公式がやっている最大級のコンテストにとりあえず全部応募しよう」と決めており、第8回にも複数作品応募していたので、その延長だった。第8回では、全ての作品が箸にも棒にもかからず、ページビューも殆ど増えなかったが、実のところ、それ自体が私の留飲を下げるためにうってつけの展開でもあったので(『制作裏話(Eルート)』参照)、私には何の痛痒もなかった。今年も、リベンジというにはあまりにも歪んだ理由で、昨年応募したものについて何の改善を行うことなく、そのまま再応募した。ついでに、本作、『令和の実話系怪談(短編集)』についても、十万文字に到達していたという理由だけで応募することとした。正直、この時の私は、「自分の書いたフィクション作品の評価なんてどうでもよい」という境地に達していたので、本当に何も考えていなかった。


 その時には既に、「自己都合」を理由に、今年の分の有給休暇を全て消費して12月いっぱい休むことと決めていたので、仕事からは完全に解放されていた。仕事など出来る状況でなかったのは火を見るより明らかだが、ストレス源は仕事でなかったので、当然、心は晴れなかった。誰もいなくなった自宅で、呆けたようにテレビ番組を見て、あとは思い出したように掃除と片付けを行い、身の回りの荷物を徐々に減らしていった。身辺整理の真似事であり、緩慢な自殺だった。


 2023年12月13日。執筆時点の「今日」の話である。私は、久しぶりに某社のメールアドレスのチェックを行っていた。長らく私用で使ってきたそのアドレスに関しては、妻からの連絡があるわけでないし、今一番連絡してはいけない人物との窓口になっていたという曰くつきなので、どうしても確認が疎かになっていた。銀行や証券会社からのどうでもいいお知らせ、カード会社からの請求金額の案内、アニメ番組が無料である旨を知らせるスパムメールなど、未読メールは、以前からのものも含めて10万件を越えている。その全てをいっそ削除してしまおうと思っていたところ、『Web小説サイト「カクヨム」運営』を名乗る送り主から一通の新着メールが届いていることに気が付いた。最初、それすら悪質なスパムメールかと思った。

 カクヨム運営からのメールと言えば、ページビュー数が私の作品と3桁違うような、二つの意味で異世界の作品を純粋な善意で紹介してくる印象があって、後ろ向きな私に悪い意味でもう少し熱量があれば、妬みや嫉みで脳を焼かれていたかもしれず、またぞろ何か私を追い詰める代物であるという予感しかしなかったのだが、今回ばかりは全く当たっていなかった。

 ここで、運営からのメールの内容が、自身の投稿作品の書籍化のオファーだったりすれば格好もつくし伝説になるのであるが、それは成功者の特権であって、私には不相応に過ぎる。私に降りかかってきたのは、『「カクヨムコン9早期応募サポートキャンペーン」ご当選のお知らせ』であった。要するに、プレゼントの当選連絡である。どうやら、いち早くコンテストに応募していたことが功を奏し、厳正な抽選の結果、「カクヨムオリジナルスマホリング(トリ)」をもらえる50名様の内の1名として、この私が選ばれたらしい。正直、そんなキャンペーンを行っていたことすら覚知していなかったのだが、『物欲センサー』とはよく言ったものである。欲しい欲しいと思っている者には何も当たらず、無欲の者が勝利をおさめる。それを体現してしまった形だ。


 今にも死のうかと半ば自暴自棄になっている人間に、この当選連絡がどのような効用を示すのか?

 他の人間であれば、歯牙にもかけず、他のスパムメールとともにゴミ箱に捨ててしまうかもしれないが、私にとっては天啓にも似たものと感じられた。プレゼントに必要だという名目で本名や住所を入力させられるアンケートに、秒で返信した(自暴自棄なので、詐欺の可能性だとか個人情報の流出だとかのリスクを気にする必要は皆無だ)。


 私には、他人から見ればあまりにも大したことのない理由で自死を踏みとどまり、さらに本当にちょっとしたきっかけで運よく引き篭もりを脱して社会復帰したという過去がある(カクヨム上に、『だから僕は死ぬのを辞めた』『だから僕は引き篭もりを辞めた』というエッセイをあげている)。生きるための駆動力は、本当に些細な目先のことだけで十分だということを思い知っている。とりあえず、「いつ死んでも良い」という考えを「プレゼントが届くまでは死ねないな」くらいにまで引き上げておけ、と神様(あるいは私の世界の作者)が差配したのではないか、と本件をそのように受け取った。


 何より、昨年あまりに何の成果もなかったために、「本当に私の作品はコンテストに応募されていたのだろうか(自身の応募方法に瑕疵があるのではないか)」と疑っていたのだが、「応募が成立していた上で、正真正銘、箸にも棒にも掛かっていなかっただけだった」と明確な答えが出ただけでなく、「私という泡沫中の泡沫ユーザーも当選するなんて、どうやら、プレゼントキャンペーンの厳正な抽選というやつは本当に運否天賦で決まるらしい」ということまで明らかになった。

 自分の声はこの世界に届いていないわけでないし、運が尽きたわけでもないらしい。「まだ舞える」ということなのだろう。


 この話を公開することで、自死を先延ばしにさせるという人道的観点から、「いつまで経ってもプレゼントが届かない」という事態に陥ることを懸念しないでもないが、その時はその時である。そのまま天寿を全うできるなら、それに越したこともない。

 とりあえず今は粛々と、私の命を救った(かもしれない)「カクヨムオリジナルスマホリング(トリ)」の到着を、首を長くして待っている次第である。



(2024年1月16日追記:本日、カクヨムオリジナルスマホリング(トリ)が無事に自宅に届いた。しかし、妻の誕生日に届くとは一体何の皮肉なのか。これでもう思い残すことはなくなってしまった)

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