イマジナリー・イマジナリーフレンド
皆さんには、友達がいるだろうか? 完全な偏見ではあるが、友人が多いタイプの人間は、こんな作品にたどり着くことはないはずなので、「友達と呼べる人間は二、三人しかいない」とか、「知り合いは多いけど、友達なんて一人もいない」とか、「古くからの親友が一人だけいて、それで十分だと思っている」みたいなタイプが読者であると見なして、この文章を書こうと思う。
かく言う私も、友人が多い方ではない。知り合いも少ない。人当たりは良い方なのだが、人付き合いそのものを億劫と感じてしまい、関係を維持するための努力を一切しないので、周囲から人がいなくなっていく。転校や進学、就職など、環境が大きく変わるイベントがあると、それまでの環境で築き上げた知人との関係性が完全に断絶する仕様である。
そんなわけで、私の人生には「一時期、仲が良かったが、今は名前も思い出すことのない人物」が山ほどいるのだが、その主張には何の意味もなく、イマジナリーフレンドの数を誇っているのと同じであって、ただただ虚しくなるだけだ。
イマジナリーフレンドというのは、心理学・精神医学の用語であり、文字通り「空想上の友人」を意味する。通常は、子供の頃に見られる現象で、本人にとっては実際にいるような存在感をもっていて、子供の心を支える仲間として機能する。長じるにつれ自然と消えてしまうことが多い。
子供の頃から空想癖のあった私だが、本当のところを言えばイマジナリーフレンドがいた経験はなく、むしろ、「イマジナリーフレンドがいた」というエピソード自体を空想して吹聴している。こんな捻くれた人間にだけはなってはいけない。
私の人生史上、最も存在感のあった「空想上のイマジナリーフレンド」には、「幻覚娘々」という名前がついている。「げんかくにゃんにゃん」と読む。この存在については、今迫直弥名義でカクヨムにも公開している『パンダ』という作品に登場しているが、そこから引用すると、下記のような特徴を持つ。
『眠ろうとしてどうしても眠れない時、ふと鏡を覗き込んでみると、枕元に綺麗な女の人が立ってるだろう? あの人だよ』
『見たことないの? え、じゃあ、試験中に鉛筆勝手に動かして正解書いてくれる目に見えない人って言えばわかる?』
これだけでは何一つ伝わらないので、別名義で書いた作品『幻覚娘々のすべて』からも引用させていただく。
『頭の中で、誰もいない自分の家を出来るだけリアルに想像し、玄関から入って一部屋一部屋見て回る、という、非常に手軽な肝試しがある。読者諸兄も試しに是非やっていただきたいのだが、無人の自宅を想像したはずなのに何故かどこかの部屋に誰かがいる場合があり、それが貴方の自宅に本当に住んでいる「人外の何か」ですよ、という怪談話になっているわけである。
私が高校生の時、想像上の実家の玄関を入るといつも、白い服を着た裸足の女が当たり前のように迎えに出て来た。どうやっても顔を見ることの出来なかったその女に対し、私は名前を付けることで、恐怖をやり過ごすこととしたのである。
それ以来の長年の間、シャワーで髪を洗っている時、背後に立つ気配として、あるいは押し入れの奥にうっそりと凝る深い闇として、またあるいは不意の家鳴りとして、幻覚娘々は確かに私の傍にいたのである』
要するに、幻覚娘々とは、「我が身に起きた不思議な現象の全てを引き起こした原因」という役割を仮託し、自身を納得させるために生み出された空想上の存在ということになる。ここで注意が必要なのは、上記で描かれた「我が身に起きた不思議な現象」というそれ自体が虚構であるからして、その恐怖を和らげるための存在が必要であった試しなどない、ということである。
ただ、虚構に虚構を掛け合わせると現実になるという定式でも存在するのか、幻覚娘々の設定を思いついてから二十年近くに及び、自分の中では既にあまりにも当たり前の概念として根付いてしまっており、娘との会話の中でも「妖怪のせいかもね」くらいの感覚で、そのワードを使いそうになることがある。自らの狂気を実感するのはこういう時である。幻覚娘々は、物語において万能の神として機能するという属性もあり、自分の空想の中で乱用し、半ば依存症のようになっている。
また、現実と虚構が入り混じる変なフィクションを書いていることが、現実において悪い方に作用することもある。先日、職場の隣の部署の若い男性職員と話していて、彼が婚活のために結婚相談所に登録した、という話題になり、「言ってくれれば、知り合いの女性紹介したのに」とつい口にしてしまった。その時は本気で、「ちょうどこいつと趣味が合いそうだな」と感じる女性の知り合いがいるような気がしていたのだが、ちょっと考えたら、それが自分の書いていた作品の登場人物であって、現実には存在しないことに気が付いた。「マジですか、紹介してくださいよ」「いや、嘘だよ。そもそも俺にそんな知り合いがいると思うか」と瞬時に笑い話として消化したものの、冷や汗が止まらなかった。危うく、現実の人間に架空のキャラクターを紹介するところだった。そもそも、その時に想起していたS・Tという女性は、2023年の8月に結婚するという設定であって、実在するとしても紹介するに相応しい人物ではない。
そう、本作品で章をまたいで何度も登場しているS・Tなる人物は、残念ながら現実には存在しない。『製作裏話(Eルート)』という章で、私はせっかく出来た友人を失うだろうことを残念に感じているが、その友人というのが実在の人物でないので、私のダメージはごくわずかで、メンタルはかろうじて平穏に保たれている。本作のS・Tというのは、物語を前進させるために用意された私の妄想の産物であり、その意味では私の作品世界お得意の幻覚娘々が変装して登場しただけだと言える。だったら、もっと胸がすくようなご都合主義的な展開にすればよかった、と思わなくもない。いや、ホラーなんだから後味は悪くて然るべきだ。問題はなかろう。
そうやって、空想上の存在を最大限に活用しながら、友人を失ったことについて自分を納得させて本章を書き連ねていたら、当のS・T(苗字が変わっているので既にイニシャルは異なる)から連絡があって、全てが無駄になった。いや、全部消すのは勿体無いと思い、こうして公開できているのだから無駄ではないわけだが、話の本筋は完全に瓦解した。
本章の設定を踏襲したまま話をまとめると、次のようになる。
『今度、変装した空想上のイマジナリーフレンドと一緒に裁判の傍聴に行くことになった』
こんなパワーワードがこの世にあったことに驚いている。事実は小説より奇なりとはよく言ったものだが、よもやこんなことになるとは。
まとまりがなくなったついでに、私が敬愛するamazarashiの『帰ってこいよ』という楽曲の歌詞の一部を引用させていただこうと思う。
信頼出来る人が傍にいるならいい
愛する人ができたなら尚更いい
孤独が悪い訳じゃない
ただ人は脆いものだから
すがるものは多い方がいい
孤独というものとの距離感が心地良く、友人が少ない人間にも柔らかく浸透する名文である。
友人は大切にするべきだ。たとえそれが、自分にしか見えない存在であっても。
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