続・カフェ巡り5(後日談)
この後日談の内容の方向性について、私とS・Tとの間でやりとりされたメールの文字数をカウントしたら、一万文字に達していた。顔を突き合わせていたら険悪な関係になっていたかもしれないが、文字情報によって鋭さが緩和されていたため、どうにか「有意義なディスカッション」のレベルで済んだ。どんな形であれ、この話を公開したいという私が、S・Tを説得するためにありとあらゆる改変要望や大幅な削除要求を飲みながら、最後まで譲れなかった骨子が、意味内容をかろうじて留めたまま無様に並んでいる、といった体である。むしろ、閉幕の場面にはふさわしい。
S・Tとの面会は金曜日であったが、忘れないうちに土日を使って会話内容を文字に起こしておくような人間ではないので、私は週末を無為に過ごした。あの日、S・Tと別れて電車に乗るまではあんなに執筆意欲に満ち満ちていたのに、家に帰るだけで自堕落ないつもの自分に成り下がることが、不思議でもあり、残酷でもあり、ただただ現実でもあった。
週明けの月曜になって、例の後輩にS・Tと面会した旨を報告し、紹介してくれたことに対して改めて礼を言った。面会の言い訳にしていたS・TとNとの関係性についても「中高一貫校で世話になっていた先輩だった」という一言で説明が可能であり、「Nの昔話で盛り上がり、会話には困らなかった」という簡単な伝達で、『カフェ巡り』や事件の詳細に関して全く言及することなく話題を終えることができた。「そういえば、S・Tさん、今度結婚するらしいよ」と伝えたら、「そうか、彼氏さんも卒業した頃ですもんね。ようやくですか」と返ってきて、私より断然S・Tのプライベート情報を握っているらしかった。S・Tの結婚相手の話でひとしきり盛り上がり(盛り上がるに足る面白情報があったのだが、当然のように検閲者から公開NGを食らった)、今度同期で相談して結婚祝い送ろうかな、みたいな出来る人間の鑑みたいな後輩の言葉を潮に、話は仕事の内容にシフトしていった。
遅ればせながら、私用のアドレスからS・Tに、面会の礼と、『カフェ巡り』続編の執筆に全く着手しておらず、しばらく待ってほしい旨を伝えた。返信の中で、続編の公開の条件として、S・Tから提示された質問に対して嘘偽りなく回答し、それをインターネットで公開するという罰ゲームみたいな話を飲まされることになり、回答してほしいという質問が列挙されていた。特にネックになりそうな内容がないことを確認し、カクヨムでなくても構わないというその回答の公開を、私はカクヨム上で行うことに決めた。『カフェ巡り』続編の本編と並行して、『続・カフェ巡り(予告編2)』と題した回答の準備を進めていき、2023年7月7日に最初の投稿を行った。
そして、問題の2023年7月12日を迎える。
夕方のニュース番組を見ていたら、とある芸能人が死亡した旨を伝える速報が流れてきて、私は頭を殴られたような衝撃に見舞われた。真っ先に考えたことは、S・Tに連絡することだったが、どんな文面で何を伝えればよいか全くわからなかったので自重した。執筆中だった『カフェ巡り』続編の中で、この件にどこまで触れるべきなのか、頭を巡らせた。
S・Tに許された範囲で最低限の情報だけ書く。本編でも少し触れたが、彼女はSNSの書き込みから犯罪者予備軍を探す分類器の他、『自殺直前の書き込み』を探す分類器もつくっていた。6月30日の面会時に、S・Tは『自殺直前の書き込み』をしている自殺リスクの高い人間のアカウントが100以上あると説明しており、その中には有名人も含まれているとして、一人の人物の名前を挙げていた。
それが、7月12日に死亡が伝えられたR氏だった。
今となっては本当に失礼な話だが、当時の私は「いやいや、確かにR氏にはアンチが多いけど、彼自身は全然屈せず好きなことやってるし、絶対死なないでしょ。AIの見る目なさすぎでは」と、一笑に付すという言葉の具現化みたいな態度でそれを茶化していた。当時の話の流れがシリアス過ぎて、何とか冗談の中に紛れ込ませたいという思いがあったことは否めないが、本音に近かった。
R氏の訃報を受けて、私は、まるで自分自身の言葉が生前の当人に届いていたかのような、言いようのない罪悪感を覚えた。そして、事前に彼の死のリスクを覚知していながら何もできずまた無力感に苛まれているであろうS・Tのことを考えて、頭がおかしくなりそうになった。
ほら、本当に死んだでしょう、とS・Tは口が裂けても言わないだろうが、この時点で彼女に出来るのはそうやって私に対してマウントをとることだけなのだ。こんなひどい話があってよいのか。
自殺リスクの高い書き込みを見つけ次第、関係各所に連絡することで何とか出来るのでないか、とS・Tに提案してみたところ、既にいくつかの支援団体と話してみたことがあり、実際にダイレクトメッセージを送ってもらったことさえあるとの返事だった。でもダメなんです。救われよう、救われたいと思って支援団体に連絡してくれる人ならまだ何とかなるのかもしれませんし、具体的な手助けの方法がありそうな身近な誰かが寄り添ってくれれば、効果もあるでしょう。いきなり知らない団体から連絡が来たら、どれだけ心に寄り添った適切な文面であっても、さすがに警戒感・不信感が先に立ちますよね。場合によっては、そのメッセージが来たことで自分が精神的に追い詰められていることに自覚的になることだってあるかもしれません。アカウント自体を削除されたこともあります。SNS で誰かを攻撃することは本当に容易いですが、誰かを救いたいとなった時、思ったように手が届かないんです。……どうやっても助けられないんです。
この期に及んで、それでも何かをするべきだ、他に出来ることを探すべきだ、と彼女に言える人間はいるだろうか?
他の作品(『だから僕は○○を辞めた』)の中で少し語ったことがあるが、私自身、死にたいと強く思っていた時期があり、自分の命日(2005年8月3日)を明確に定めて自死を決意したが、ちょっとした偶然で死にそびれ、今日までずるずると生を繋いできた人間である。他の誰かの自死を何とかして止めたいと考えている一方、本当に死にたい人間には誰の言葉も届かないのではないか、という絶望的な確信もある。一時の私自身がそうであったように。
それでも、私は無責任に、考え続けることを辞められない。死にたいと思っている人間をどうにかして助けたい、と。そのために出来ることは何でもやる、とまでの強いことは言えないが、出来る範囲で誰かを助けたい。そうは言い条、出来る範囲というのを広げる気概すらなく、誰にも届かない場所で、こうして無為な発信を続けている。
自戒の意味も込めて、今でも妻とよく話すエピソードがある。
十年以上前に、貧乏アイドルとしてTVに出ていたM・Uという女性がおり、深夜番組における料理企画で、レストランの新メニューを考案して作るよう課された彼女は、つみれだか肉団子だかを作るためのミンチの中に大量の小麦粉を混ぜ始めた。審査員であるタレント料理人が、「それは一体何のためですか? 食感のため?」と尋ねたところ、彼女は「かさ増しのためです」と平然と返し、「商売とはいえ、客のことを一番に考えるべき料理で、これは本当に許せない」と審査員を激怒させてしまった、という一幕があった。当時、(まだ結婚していなかったが)妻と一緒にそれを見ていた私は、あまりの衝撃に口が塞がらず、「これが、貧すれば鈍する、ということの具現化だ。どれだけ貧しくても、心だけは貧しくなってはいけない。貧乏な家庭で育ったという背景があるのかもしれないが、さすがにこれはダメだ」と、彼女を痛烈に批判した。
数か月もしない内に、そのM・Uが自殺したという報せを受けた時、私は、「自分の言葉が彼女を刺し殺した」ような錯覚を覚えた。妻も、最初に大体似たような感想を覚えたという。M・Uの死の要因については、書き置きが残されていたこともあり、今でいう誹謗中傷被害とは全くもって関係のないところにあると報じられている。それでも、私は未だに、「多数いる加害者の一人」みたいな気持ちを拭うことが出来ない。
自分の手の届きそうなところで、容赦なく誰かが死んだり殺されたりする現実が、結局一番怖い。
自身の心の平穏を保つことが一番重要であるから、私は、Nのことや『カフェ巡り』のこと、さらには今日も日本のどこかで誰かが別の誰かを殺すこと、誰かが自ら命を絶つこと、それらの現実に軽く蓋をしたまま、目の前のタスクを淡々とこなすだけの生活に戻るだろう。どうでも良いことで笑ったり泣いたりし、『普通の』生活を送るだろう。運悪く、この文章に目を通す羽目になった貴方も、是非そうして欲しい。
ただ、目の前に助けが必要な誰かが現れた時は、出来る範囲でいいから、どうか手を差し伸べてあげて欲しい。無責任な私から言えるのは、結局それだけだ。
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