心の折れる音
貴方は、心の折れる音を聞いたことがあるだろうか?
折れるという動詞の方に引きずられたものと思われるが、文章上の擬態語としては「ぽきり」や「ぽきっ」という表現が用いられるケースが多い。当然、現実の世界では心が折れるのに伴って何らかの音が発生することはないので、正解も不正解もないという道理になるはずだが、音声学の分野では、その音の正体を追究するという嘘みたいな研究が進められていたことがある。
私は、音響音声学研究では日本でトップクラスの実績を誇る某研究室を訪れたことがある。その説明だけで、業界の人間には何処のことを指しているのか大体絞り込めてしまうので、詳細な説明は省くことにするが、教授に連れられて、まずはお定まりの見学コース(無響室で完全な無音という状況の違和感を味わったり、声道模型を通してただのブザー音が「あいうえお」の音声に変わるのを目の当たりにしたり、幾つかの音声サンプルを聴いて神経衰弱みたいに同じ人の声を当てさせられたりする)をこなすこととなった。その後、談話室でコーヒーを出してもらい、三十分間ほど教授と自由に会話する時間が与えられた。その訪問は、職場の研修の一環であり、レポート提出が義務付けられているような代物だったし、見学会をコーディネートした職場の先輩(その研究室と業務上の関わりがある)がお目付け役として傍にいたが、私は質問力も雑談力も皆無であったため、基本、黙って座っているしかなかった。一緒に来ていた五人の中で、最も社交性の高い同輩が、研究で苦労した点や「録音した自分の声を聴いた時に他人の声みたいに聞こえる理由」みたいなわかりやすいテーマで教授から話を引き出していた。
流れの中で、「短調の音楽を聴くと悲しい気分になり、長調の音楽では明るい気分になると言ったりするが、人間の心理を作為的に音で操るようなことはできるのか」という質問が出たのが発端だったと思う。教授は、音楽理論としての長調と短調について説明した後、音楽によってどのような感情が惹起されるのか、その理由については、生理学、心理学的なアプローチで研究が進められているが、まだまだわからないことが多い、と続けた。
「それに関連して、聴くと自殺したくなる、として世界的に有名な楽曲があるのですが、知っていますか?」
教授が突然、私の好きな分野の話を出してきたので、私は顔をあげて思わず口を挟んでいた。
「……『暗い日曜日』のことですか?」
続けざまに浴びせられた、教授や同行者からの「こいつ、急にどうしたんだ」みたいな目線を避けるため、私は好きでもないコーヒーを飲むふりをしなければならなくなった。
「……そうです。自殺の聖歌、とも呼ばれていて、聴いた人間が何百人も自殺したとされています。海外には、放送禁止の措置をとっている放送局もあるくらいです。音声学の研究者は、興味本位で、まず間違いなく一度は聴いてみたことがあると思いますよ」
「教授も聴いたことがあるのですか?」
「何百回も聴いています。というか、何年か前までうちにいたポスドクが、研究の対象にしていました。楽曲の『死にたくなる』要素を、音響学の構造的に解体できるのではないか、ということで」
「それって、音楽で感情を惹起する、の、なんて言うか、究極形じゃないですか」
「そうです。だから、まあ、当然、『特定の音階、リズム、テンポ、音の大きさで、ある歌詞を聴かせると相手が死にたくなります』みたいな明快な答えはないですね。そんなのはフィクションだけです」
私は、まさにそのようなアイデアがキーとなって出てくるSF作品のタイトルを口にしたくて仕方なかったが、空気を読んで黙っていた。
「ただ、本当にごくわずかですが、一つだけ、『死にたくなる』要因に迫った知見があります」
「本当ですか。凄いですね」
「『暗い日曜日』の楽曲構造の中に、『心の折れる音』が巧妙に配置されていたのです」
「……どういう意味ですか?」
「昔の映画の効果音の作り方で、ざるの上で小豆を転がすと波の音に聞こえる、というのがあるでしょう? あとは、太ったコメディアンが二人で濡らしたお腹をぶつけあって、一滴の雫が水面に落ちる音を表現したり。あれと一緒で、『単体では全然別の要素で作られているのに、殆どの人が、聴くと、心の折れる音に感じる』という音声構造が見つかっているのです」
「でも、波の音は『ざざー』、雫が水面に落ちる音は『ぽちゃん』とか、誰もが聴いたことがあるから成り立つのであって、『心の折れる音』なんて想像できないですよ」
「そう、だから不思議なんです。実際に聴いていただければ、たぶん、わかると思いますよ」
教授はそう言うと、談話室の隅にあった内線で誰かに連絡し、自室の卓上からノートPCを持ってくるように指示した。秘書みたいな立ち位置の女性が部屋に現れるまでの五分くらいの間、『心の折れる音』がどんな音なのか予想する話し合いが行われていたのだが、私も当たり障りない回答で参加し、何とか「興味を持っている態」を示すことができたと思う。
教授は、デスクトップにある見たことのないアイコンの、おそらく音声解析用のアプリケーションを開くと、階層構造になったフォルダの奥の方からお目当てのファイルを探し出した。素人には全く判読できないスペクトログラムが画面に表示され、教授は、シークバーをいじったり、慣れた仕草で幾つかの操作を加えた。各種のボタンに併記されたコマンド全てが見慣れない英単語だったこともあり、私は操作の意味を理解することを早々に諦めていたが、画面下部のチェックボックスを一つずつ外していた教授が、一際目立つ右向きの三角形のボタンを押下したことの意味だけはわかった。音声の再生、だ。
ノートPCの良質とはいえないスピーカーから、おそらく一秒にも満たない、短い音が流れてきた。弦楽器の音に聴こえた。
「『暗い日曜日』は、色々なバージョンが知られていますが、このカバーが、一番わかりやすいです。今のは、伴奏の一部を手動で切り出したものになります」
次に、並んだチェックボックスの一つをクリックして追加してからもう一度再生した。
先ほどの音に、女性のものと思われる暗い歌声が重なった。AとEの間くらいの発音に感じた。
「これが、ボーカル。次です。よく聞いてください」
教授が、少し離れたチェックボックスを埋めてから、勿体ぶったように再生ボタンを押した。
弦楽器の音も、女性の歌声も流れて来なかった。
心の折れる音が聴こえてきた。
まるで騙し絵みたいだった。これまでの、楽曲の一部を切り取ったものという印象が完全に消え失せ、心の折れる音としか表現できない音に変わって聴こえた。
教授はもう一度再生した後、
「心の折れる音に聴こえなかった人はいますか?」
と尋ねた。何を言っているのかと思ったら、お目付け役だった先輩と、同行者の一人が手を挙げたので、ぎょっとした。
「申し訳ないですが、何が心の折れる音なのかわかりませんでした。二番目に聴いた音と殆ど変わっていないように感じました」
「そうですね。実際のところ、ほとんど変わっていません。三番目に足したのは、元の音源を幾つかのパートに切り分けて手動で抽出しようとした際に、重畳のせいで上手く抽出しきれなかった、余りの部分です。単独では意味のあるものでありません」
「え?」
教授は、その音だけを再生したが、本当にただの濁ったノイズにしか聴こえなかった。
「また、心の折れる音に他の要素を足すと、聴こえづらくなることもわかっています」
確かに、先の三つに加えて、四つ目のチェックボックスを埋めた状態で流れてきたのは、イントロクイズの成れの果てみたいな、楽曲の切れ端に過ぎなかった。
「心の折れる音が聴こえない人も、何回か音源を流すうちに、いきなり聴こえるようになる場合があります。その逆もあるようです」
私は、喋りたくてウズウズしていたので、思わず口を挟んでしまった。
「……前に、テレビ番組で似たような現象を取り扱っているのを見たことがあります」
「よくご存知ですね。探偵ナイトスクープでしょう? 携帯電話のシャッター音が、『撮ったのかよ』に聴こえる人と『エーアイアイ』に聴こえる人がいる、という興味深い内容でしたね。これも、大体同じ原理だと考えてください」
「ただ、あの説明しづらい音を、どうして直感的に『心の折れる音』だと思ってしまうんですか? 現実で聞いたことないのに」
「それは本当によくわかりません。この認識は、人種と性別に依存しないことまで突き止められています。年齢は少し関係していて、五歳以下の子供には何の音か認識できないようです。また、この音が潜在していることが、『暗い日曜日』の希死念慮の惹起という噂に関係しているのではないか、と考察していますが、残念ながら想像の域を出ません」
「『暗い日曜日』は、様々な人が演奏しているはずですが、心の折れる音は、全ての音源に含まれているのですか?」
「理論上、ほとんどの音源で見つけ出すことが出来ると考えています。大前提として主旋律が必要で、あとは伴奏部分から何をどこまで抜き出すか、という選択の話になります。今回お示しした、抽出で余った部分を使うというのはかなり例外的です。単なる偶然の産物で、意図して選んで来られる構造でもありません」
「すごく興味深い知見のように思うのですが、この研究成果は、公表されているのですか?」
「国際学会で何回か発表しているという意味では公表していますが、論文化は出来ていません。研究の主担当者がいなくなってしまったので」
「あ、先程おっしゃられてましたね。ポスドクの方が何年か前に研究室を離れられてしまったと」
「まあ、そんなところです」
教授はその後、どうしても心の折れる音に聴こえないという二人のために、五回くらい連続で再生してくれた。どんな音なのか説明してくれ、と言われたが、まるで心が折られているような音、というトートロジーに終始し、二人は最後までその音を聴くことが出来なかった。
私は、二回目くらいから正直もう聴きたくないと思っていたが、耳を塞ぐほど不快というわけでもなく、その場が解散になるまで結局何度も聴くこととなってしまった。
不謹慎ながら、その音を十回聴くと死ぬ、みたいなわかりやすい設定なら話は早かったのに、と思っている。
研究室への訪問の後日談として、直接的な怖い話は殆どない。例の音がどうしても心の折れる音に聴こえない、と話していた二人が、何の因果か後に結婚することとなり、待望の一人目の子供を流産してしまうという不幸に見舞われたのだが、さすがに本件との関連性を叫ぶのは躊躇われる。同行者の一人は自死しているが、研究室訪問からだいぶ時が経ってからのことだし、やはり、本件との関係性は認められないだろう。同行者のあとの二人は、職場を離れてしまったため、今どうしているのかわからないが、亡くなったという話は流石に聞いていない。人はそう易々と死なない。
今回、この作品を書くにあたり、『暗い日曜日』の研究を担当していたポスドクの名前を突き止めた。簡単だった。研究室のホームページに過去の業績が全て記載されており、国際学会の発表についても網羅されていたからだ。当該人物は、ある年を境に、学界やインターネット世界から完全に姿を消してしまっていた。残念ながら、心の折れる音についての研究があれから進展した、という様子は見受けられない。
実のところ、ここまで、年号をあえて隠して書いていたものの、上記の出来事は全て平成時代の話であったので、『令和の実話系怪談』に当てはまらない。
そういった意味で、ここからが話の本題になるのかもしれないが、今期(令和五年)の日曜の朝、某子供向け番組の変身シーンで、心の折れる音としか聴こえない音が流れてきて、私は思わず自分の耳を疑ってしまった。演出上の理由が何もないタイミングなので、おそらく偶発的に生じているのだと思っている。SNSで誰かが既に話題にしていたとしたら恐縮だが、本当に心の折れる音にしか聴こえないので、興味のある方は是非聴いてみていただきたい。
なお、私は心療内科で視聴をやめるよう強く勧められたが、懲りずに未だに視聴を続けている。
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