1.呪われた皇子
ことの発端は一月前、現皇帝が病に伏したことだった。
半世紀あまりこの魏游国に君臨し続けた偉大なる王の命の灯火は残り僅かになっていた。
となれば必然的に次なる皇帝を決めなければならなくなる。
現皇帝の妃は十余名。皇子、皇女の数は二十七名にも及んだ。
「我の跡を継ぐ者は男も女も、生まれた順も関係なし。皇帝たる権威を我に見せつけた者を跡目とする」
皇帝の突拍子もない宣言に皇宮に激震が走った。
それは同時に猛烈な跡目争いのはじまりだったのである。
魁閻の体に青い刺青が浮かび上がったのは丁度その頃だ。
あれは確か、何者かに毒を盛られ三日三晩生死の境を彷徨った後のこと。
「魁閻……ああ、私の愛しい息子! よく黄泉の縁より帰ってきてくださいました!」
目覚めたとき涙ながらに母に抱きしめられた。
ふと右腕に痛みが走り見てみると、そこには蛇と刺青が刻まれていたのだ。
「――母上、これは一体」
「もう大丈夫ですよ。魁閻。もう、なにも恐れるものはありません。貴方は必ず母が守ります。例えこの命に代えても」
覚悟を決めたような母の眼差し。
気丈で優しい母が亡くなったのはそれから三日後のことだった。
それからだ。皇宮内でばたばと人が死にはじめた。
最初は優しかった第一皇子、その次は可愛がってくれた第五皇女。そして幼い頃から仕えてくれていた従者など――このひと月で魁閻の周りで五人も死んだ。
人が死ねば死ぬほどに、魁閻の刺青は色濃く、そして体全体に広がっていった。まるで呪いのように。
「あれは呪われている」
「次期皇帝になるためにそこまでやるか」
――恐ろしや。呪われた皇子め。
そう陰で囁かれ、まるで疫病神のように魁閻は皇宮の中で孤立していったのである。
「――それで、私に殺せというわけか」
「ああ。これ以上、俺の周りで人が死ぬのはみたくはない。跡目だって元からどうだっていい」
忌々しく魁閻が吐き捨てれば、紫苑はふむと興味深そうに刺青に顔を寄せる。
すると冷たい指先がそれをゆっくりとなぞった。
「しかし、私に頼む前に己で――」
といいかけたところで、紫苑は言葉を止めた。
「うん。これは無理だ」
ぱっと刺青から手を離した紫苑は男を見上げる。
「死の呪い……否、不死の呪いか。これは守護を通り超した、もはや呪詛だな」
「笑いごとじゃない。自分で自分を殺せるならば、お前を訪ねてなどいない」
からからと笑う紫苑を魁閻は睨みつけた。
「うむ。そうだな。これは他者でも己でも――そして私でも、お前様を殺せはしないだろう」
紫苑はくるりと背を向ける。
「――試してみようか」
なんの前触れもなしに紫苑は懐から小刀を抜き、その切っ先を魁閻に向けた。
彼は驚きながらも抵抗することなく成り行きを見守った。
「ほぉ――」
紫苑の口から恍惚の吐息が漏れる。
「これは、これはこれはこれは、なんと――」
刃は魁閻の懐目がけ突き出されたが、それは彼を傷つけることはなかった。
透明な壁があるように、それは魁閻に触れる寸でのところで止まっていた。それどころか、その刃はぐるぐると螺旋を描くようにねじ曲がり使い物にならなくなったではないか。
「素晴らしい! ここまで死に拒絶されているとは!!」
もはや鉄くずとかしたそれを指でつまみ上げた紫苑の瞳は生き生きと輝いていた。
「死神と呼ばれるお前でも俺を殺せはしないのか」
魁閻は落胆した。
そう。これまで彼は自らの命を絶とうとした。何度もだ。
首を括ろうとすれば縄は切れ、自身を傷つけようとすれば刃は折れる。毒を飲んでも効かないし、火をつけようとしても、高所から落ちようとしても見えない壁に阻まれる――つまり魁閻は死にたくても死ねない、不死の体になっていたのである。
「勝手に期待していたところ申し訳ないが、私は人を殺せはしない」
「人を殺せない? 死妃は死神のように死ぬ間際の人間の元に現れ、
「私を人殺しにするなど、無礼にもほどがあるぞ。そんなもの噂にすぎん」
「では一体、何故お前は死神などと呼ばれている」
「ふふ、私はただ――死を愛でているだけだよ」
頬に手を当てながら紫苑はうっとりと口元を綻ばせた。
「……つまりは無駄足だったというわけか。夜分遅くにすまなかったな」
無駄骨だったとさっと襟を整えながら部屋を後にしようとした魁閻を紫苑は引き留めた。
「なに、殺せぬといっただけで力を貸さぬとはいっておらんぞ」
「なに?」
「お前様に取り憑いた死は大変興味深い。お前様が死ねるよう協力してやろうぞ、魁閻」
なんて高圧的な妃。すると彼女は魁閻の襟元を寛がせる。
「何を――」
「まずは寝るとよい。話はそれからだ」
寝台に押し倒されたかと思えば、妖美な笑みを浮かべながら紫苑が上にのし掛かってきたではないか。
これが死ねない体となった魁閻と死を愛でる死妃との出会いであった。
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