プーチン暗殺ファンド

水撫川 哲耶

憂鬱な朝に

■01憂鬱な朝に


窓の外はしとしと雨が降っている。ここ数日、どんより気分が続いていて何だか外には出たくなかった。

その日は講義が一コマだけだったので、それをサボって、もう一寝入りしてからネット動画でも観てアパートでダラダラと過ごそうと決めた。

床に入ってうとうとし始めた時に 、同じゼミのシンヤから通話が来た。

普段、彼自身が「通話じゃなくてメッセージにしろよ」と言っている。

正に、こういう事だ。通話は相手の都合を考えない。

眠入り鼻を妨げられて、不機嫌な調子でスマホの応答ボタンを押した。

「何だよ、寝ようと思っていたのに・・」

「STAND BYがバズってるの知ってるよな?」

「いんや、知らんケド・・」


『STAND BY』。聞きたくない名前だった。

そのクラウドファンディングサイトから、つい一昨日前、「あなたのプロジェクトは達成できませんでした」という通知を受け取ったばかりだった。

「いいから、すぐ見てみろって!」

興奮気味にまくし立てるそのシンヤこそが、数あるクラファンサイトの中から、「STAND BYが、お前の計画に一番あってる」と勧めてくれた張本人だった。

もちろん、他のサイトでトライしてもプロジェクトが成功していたとは限らない。

だから、シンヤを恨むのは筋違いの何物でもなかったが、それでも今は声を聞きたくない相手だった。

他のサイトで再トライする気力もないまま、大学の教室に顔を出すのも億劫なままに、ふて寝を決め込もうとしていた朝だった。

俺からの謂れのない恨みを微塵も感じていないシンヤは「見たらLINEしろよな!」と一方的に通話を打ち切った。

無視して眠っても良かったのだが、少し気になったので身を起こした。


『STAND BY』での『世界一周自転車旅行』のプロジェクトは達成額にはほど遠い結果だった。

「こんな、自分都合のプロジェクトはやっぱりマズいかな?」

「ダメで元々だろ。その自分都合プロジェクトを達成しているヤツも居る訳だし、とにかくやってみろよ」

その後も「目標額が高過ぎるだろ、お前は大名旅行でもするつもりなのか?」など、アドバイスなのか、横槍なのか、頼んでもいないのに口をはさんでくるシンヤに、それでも背中を押してくれた事、自分のやる事に興味を持ってくれた事には感謝していた。

「途中で金が尽きたらどうするんだよ?」

「現地でバイトすりゃあいいのさ」

周囲には、世界一周ではないにしても長期旅行者・バックパッカーの学生が何人かいた。

「仕事はいくらでも見つかるって。そりゃ就労ビザがないから違法だけどさ。現地警察もわざわざ取り締まったりしないって」


同世代の多くがそうであるように、ただ何となく大学に進学した。

来年からは就職活動に入らないといけない。自由な時間はあと10ヵ月位だ。

その就職活動中のある先輩から「会社訪問をセッティングしてくれるハズだったOBの人がリストラされた。その人はそのまま海外へ放浪の旅に出かけたってさ」という一言を聞いて、自分の中のくすぶってたモノに火がついた。

自分自身も、先々月、ファミレスの厨房係をクビになっている。

そのしばらく前から、店長に「シフトを減らしてくれない」と持ち掛けられていたので、予感はしていた。

ここ1ヵ月は、棚卸しカウントなどの単発バイトでなんとか凌いでいる。


もしかしたら、そのOBと自分が仕事を失ったのは同じ理由なのかもしれない。

ロシアのウクライナ侵攻。

ロシアへの経済制裁と、ウクライナからの穀物輸出が滞り、連鎖的に色々な食糧・原材料の、そしてエネルギーの価格が高騰した。

コロナウイルスが収束しかかって、ようやく景気が戻りつつある時に、この戦争だ。


教授が「アメリカがくしゃみをすると日本が風邪をひく」と言った時、生徒はみんな「何じゃ、そりゃ」と笑った。

でもググると確かにそんな表現が過去にあったのだった。


今じゃ世界全体がグローバル経済ってやつで、完全に繋がっている。

どこか一ヵ所にでも血栓ができれば、そこから先の器官や臓器がダメージを受ける。

血流の運ぶ酸素が不足したせいで、末端の細胞であるこの俺も、こうしてバイト先を失ったって訳だ。

それでも日本はまだ増しで、途上国での食料・エネルギー不足は深刻らしい。


1つ上の就職活動中の先輩たちにも、暗雲が立ち込め始めている。

社会の脆さを見せつけられるのと同時に、常々「社畜として働き詰めの人生も何だかなぁ・・」と思っていた所に、そのOBの話を聞いた。

虫がいいかもしれないけど、旅行中に生きがいと生業の両立できる何かを、例えば旅行ライターとかへの道筋が付けられたら、と、そんな考えも持っていた。

高校時代に図書館で見つけた開高健は、憧れだった。

「逃避に他ならないよな」

そう批判するヤツもいた。

自分がチャレンジする勇気がないから、嫉妬してそう言ってるのさ。

そのOBさんと違って自分には蓄えがない。

本来の血流とは違うルートで、酸素と旅費を調達できるクラウドファンディングに夢を託し、1年後に「ほら見ろ!俺はこんなに色々な体験をしてきたんだ!」と大腕を振って帰国し、揶揄した連中を見返す気でいた。

その夢が破れて気力を失っていた。そんな朝だった。


何だか焦ってサイトをチェックするのも癪だったので、インスタントコーヒーを淹れて、余裕のある振りで『STAND BY』のサイトを開いた。

『STAND BY』は海外資本だ。

ブラウザの【翻訳ボタン】のおかげで、多少、不自然な翻訳もあるが、どの言語のページでも、今では内容は十分に理解できる。

でもシンヤから送られてきたURLのページは、プロジェクト催行者は海外の人間であったものの、最初から日本語に翻訳されていた。

どうやら、最初から全て言語に翻訳され、それぞれの国の閲覧者・クラファン参加者に訴えるようになっているのだ。

確かに、そこには驚嘆すべきプロジェクトがあった。

カップを口につけながら、電話口でのシンヤの興奮ぶりを理解した。

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