このままでいいわけ

清瀬 六朗

第1話 「このままでいいわけ?」

 その問いは、突然、やって来た。

 「信喜のぶき君は、このままでいいわけ?」

 暑い夏が過ぎ、二人とも半袖のポロシャツを着て、居間のガラス戸を開け放って、並んで座っていたときだった。

 目の前の庭をゆきが泥沼にしてからひと夏が過ぎている。泥沼にしたのは、水まきのために水を出してそのまま寝てしまったからだ。そのとき、倖は、この庭を池にすれば泥沼になる心配をしなくていいなどと言ったのだが。

 そんなことはどうでもよく。

 「このままでいいわけ?」

 その問いの、あまりの突然さに、ぼくは倖を振り返って、その顔を見る。

 まじまじと見た――のだろうと思う。

 ところが、そんな問いを発しておきながら、倖は緊張感なく笑って、ぼくを見ていた。

 「だから」

 倖の唇はけっして血色が悪くはないのだが、肌を黄金色とブロンズの中間に塗るのが好きらしく、そのせいで、その唇の色が目立たない。

 もっとも、その顔色でピンクのパステルカラーの口紅とかだと、倖が倖でなくなってしまうと思うけど。

 そんなふうに心を迷わせているぼくに、倖は、またあの力の抜けた声で言う。

 「ねえ。信喜君は、このままでいいわけ?」

 今度は、倖は、ぼくのほうに、さっきよりはっきりと顔を向けている。

 「いや……」

 このままでは、よくない。

 でも、そのことばが、声にならない。

 声になるはずの空気が、喉のところでつっかえている。

 ぼくは、動きができるだけゆっくりになるように心がけて倖から目を離すと、右手で倖の肩を抱いた。

 倖の肩の後ろの骨の感覚が柔らかくぼくの腕に伝わって来る。

 ごまかした。

 「答えなかった」と思ってくれてもいい。ことばではなく、肩を抱くことで答えた、と思ってくれてもいい。

 それとも、ごまかした、と、倖は怒るかな?

 怒らなかった。

 肩を抱いたのにこたえて、倖は頭を寄せてきた。ぼくのあごの斜め下に、倖の頭がはまる。

 そこで、倖は

「うくくくくっ」

とくすぐったい声を立てた。

 ぼくの目からは、倖の、中途半端に黄色く染めた髪しか見えない。

 そのかわり、その髪の香りがぼくの鼻をくすぐる。

 こうなったら、答えは一つしかない。

 しかし、ぼくの喉は締まったままで、ことばはやっぱり声になってくれなかった。

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