聞いてよ、最近、俺の彼女がさぁ

小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中)

第1話   なんで警察が来てんの?

 ……パジャマのまま二階から階段で下りると、台所とリビングが、めちゃくちゃに荒れていた。食器棚の中が全部床に落下し、リビングの本棚は、一冊もなくなって、背表紙を折り曲げられた哀れな書物たちが、フローリングの床を埋めていた。


「なんだよ、これ……またアーちゃんが暴れたの……」


 昨日は睡眠薬を飲んでぐっすり眠っていたから、一階で彼女が暴れていたことに全く気がつかなかった。交際して半年、最初の頃は互いに猫をかぶっていたから気がつかなかったけど、アーちゃんは情緒がジェットコースターだった。


 真面目で物静かで、ぱっと見は清楚系、顔も体も俺好み。だがある日、たまたま家で野球を見ていたときに、アーちゃんは相手チームのホームランに癇癪を起こして、灰皿を投げてテレビを壊してしまったのだ。


 その時は、仕事の疲れが溜まっていて、つい手が出たのだと言い訳をされたが、破壊したテレビへの謝罪はなかった。


 その日から、だんだんとアーちゃんの情緒が不安定になっていき、お気に入りの喫茶店が閉店になれば石を持って窓ガラスを割ったり、コンビニの長蛇の列がなかなか進まないことに腹を立てて、店員に大声で詰め寄ったりと、興奮状態の彼女を押さえつけて、その場から離れさせるのが、いつの間にか俺の役目になっていた。


 彼女と早く別れろ、と友人たちからは口を揃えてアドバイスされ、俺もだんだんと、彼女といるのが恥ずかしくなってきていた。


 今日こそ、別れを切り出そう、いや、明日は大事な会社の予定があるから、明後日にしよう……そんなことを繰り返していたら、いつの間にやら同棲一年目に突入しようとしていた。最近アーちゃんは、スマホで何やらネット配信を始めており、心ないコメントや、うまく編集ができなくて長時間画面と格闘していると、悔しがって部屋中をめちゃくちゃにする。不定期に暴れるアーちゃんに、こっちも大変迷惑していた。


「アーちゃん、いるー? どこにいるのー? 俺今日、会社休みだけど、片付け手伝わないからねー」


 あ、いた。エプロン姿のアーちゃんが、リビングのソファーで、うつ伏せになっていた。


 ……どうせ夜遅くまで、コメント欄でアンチ相手にムキになって、一晩中スマホガン見しながら言い返してたんだろう……睡眠薬を飲んでいなかったら、声がうるさくて眠れないところだった。


 ピンポーンと、インターホンが鳴った。壁のモニターに、なんだか警察官風の男性が五人くらい……なんだなんだ? この辺で事件でも起きたのかな。最近物騒なんだよな。奇声を上げる男が出るって、近所でも怖がられてるし。


「はーい」


 モニターの画面の下にあるマイク部分に向かって、返事をした。


「葛城さんですか? 警察です。ちょっと出てきてもらえませんか」


 え、画面越しに手帳とか見せられましても。


「はぁ、あの、葛城は俺の彼女の姓ですけど。何の用でしょうか」


「詳しいお話は、外に出てからにしましょう。葛城さんはいらっしゃいますよね」


 ええ? どういうことだ?


 俺はソファーで寝ているアーちゃんに近づいて、肩をゆすった。


「ねぇアーちゃん、なんか警察っぽい人が来てるんだけど、俺どうしたらいいの?」


 アーちゃんは熟睡しているのか、微動だにしない。仕方ないなぁ、俺が出るか……。ほんっと俺ってイイ彼氏だよな。


「はーい、今開けまーす」


 内鍵を開けて、ドアを細く開けた。ベテラン警官っぽいおっちゃんや、いかにも新米って感じのお兄さんまで、いろいろ立っている。


「あのぉ……何かあったんですか?」


「同棲されている彼女さん、いらっしゃいますね?」


「あ、はい、いますけど、今寝てるんで、俺が代わりに用事を聞きますよ。ってか、俺の彼女に何か用です?」


「会わせていただけませんか?」


「だから寝てるんだって」


「起きているはずですよ。我々はつい先ほど、通報を受けてきたんです」


 ええ? つい先ほど……? 俺が二階から下りてきたときに、返事がなかったから、今も爆睡してるはずだけど。


 俺と会話してた人が、いきなりドアをガチャガチャやりだした。


「このドアチェーン、外してもらえませんか」


「す、すみません、俺じゃ外し方がわからなくて。それ、彼女がつけたんです。なんか、俺の彼女、性格がちょっとアレで、敵が多くて」


「そうですか。では外し方を教えますので、指示通りに従ってください」


 ……なーんか、おかしくないか? 何の用事で来たかも言わないし、俺にドアチェーンまで外させようとしてるぞ?


 突き付けられた警察手帳も、俺は本物を見たことがないから、偽物なのかどうかも判断できない。


 迷った末、俺は……ドアをバタンと閉めた。そしてリビングで横になっているアーちゃんを本気で起こすことにした。


「アーちゃん! 外に警察の人が来て、君に会いたがってんだけど、何かしたの? まーた外で暴れたの?」


 アーちゃんはうつ伏せになったまま、動かない。顔はクッションに埋まっていて、スマホがソファーの下に落ちていた。


 え、なんで起きないの??? 夜遅くまで他人とスマホしてさ、いざ俺と話し合おうとすると寝たふりって、もうありえねーだろ!


「おい、起きろよ! なんかお前のせいで困ったことになってんだって!」


 肩をゆすっても、体がぐらぐらと揺れるだけで、一向に起き上がる気配がない。


 夜中まで何してたんだよ、本当にもう。俺は足元に落ちてたスマホを拾った。スマホのロック画面に、パスワードの入力欄が。俺は即座に数字を打ち込んで、ロックを解除した。アーちゃんが直前までいじっていた画面が表示される。


 ……警察に通報していたのは、アーちゃんだった。何度も掛けていて、最後の日時は、俺が二階から下りてくる二十分前。警察から二回も、掛け直されている。


 そうか、アーちゃんが電話に出ないから、警察が急いで朝っぱらから来ちゃったんだな。


 ん? なんだ? 玄関とは別の方角から、ガチャガチャとうるさい金属音が。


 ……ハハ、なんの冗談だよ。大勢で、ぞろぞろと。アーちゃんが裏口を閉め忘れてたのかな。


「あんたら、なに勝手に人んちに入ってんの?」


「尋常じゃない怒鳴り声が聞こえましたので、明美さんの身の安全を優先して、裏口の扉を壊して突入しました」


「は!? え、扉壊したの!? なにしてくれんだよ、新築なんだぞ!? もう意味わかんねーよ、ちょ、勝手にずかずかと部屋に入ってくんなって!」


「ソファーに寝ているのは、彼女さんですか? この騒ぎでも起きる気配が、ないご様子ですが」


 警察の一人が、無遠慮にソファーへ向かってくるから、俺は通したくなくて、立ちふさがった。揉みあいになって、押しのけたら、向こうが大げさにズデーンと倒れた。


「イッタ! なんて力だ!」


「俺の彼女は夜更かしして、疲れて寝てるんだよ! さっきだって揺すっても起きなかったし!」


 ベテラン風の警察官が、もう一人の若い警察官に指示して、なんと二人がかりで俺を羽交い絞めにした。後ろ手にカチャリと、手錠がかかる音と感触が。


「はい、公務執行妨害。8時49分、容疑者確保」


「容疑者……? 俺が!??」


「なにとぼけてやがる。こんだけ暴れりゃそうなるだろ」


 ベテランふうの男が、俺に顔を近づけてほっぺたを指さした。たるんだほっぺたに、ひっかき傷や痣ができている。いつの間に、そんなことに……。


「連行しろ」


 ベテランの鶴の一声で、俺はぐいぐい引っ張られていく。このまま歩かされてなるものかと、裸足でフローリングに踏ん張った。


「やめろ! 押すな! 触んな!」


 大勢に背中を押されながら、無理やり歩かされてゆく俺の視界の端で、新米どもがアーちゃんを囲んでいた。


「葛城明美さん、大丈夫ですか、返事してください」


「脈がないぞ。瞳孔も開いてる。救急隊に連絡だ」


「おい、人の彼女にベタベタ触ってんじゃねーよ! なんなんだよ、あんたら!」


 新米どもは俺の声が聞こえていないのか、仲間の一人が救急隊とやらに連絡している間、マイペースな感じで周囲を観察し始めた。


「うわぁ、すごい荒れようだな~……ん? ここ、新築か? 借金のせいで、DV男と別れられなかったってところか」


「うーわ、髪の毛を引っ張られると頭皮がかさぶただらけになるのって、マジなんすね」


「彼氏が野球の結果に腹立てて、彼女さんの髪の毛を引っ張ったんだってな。んで、彼女さんが抵抗して、思わず灰皿を取って投げたと」


「通報時に話してた内容と、合致しますね。この割れたテレビと、テーブルの上のでかい灰皿」


 テレビ? それを破壊したのはアーちゃんだ。俺は悪くない、それなのに、なんだってアーちゃんの面倒を見てきた俺が、こんな目に遭ってるの。


「彼女さんが少しでも出かけると、怒って連れ戻してたそうですね。本当の話なのか、近所の人たちから事情を聴いて確認しないと。お店の防犯カメラもチェックですね」


「最近の、奇声を上げる男と容姿の特徴も似てるしな。混雑してるコンビニで騒いで、彼女さんが代わりに店員さんに謝ったんだって?」


「うわぁ、この女の人の腕、カビが生えたお餅みたいになってら。防御したときに着いたのかな。DV彼氏にとっちゃ、彼女の正当防衛すらキレる原因になりそう」


「やっぱ、やらかす人間って、自己正当化が激しいっつーか、記憶とかも瞬時に改ざんできるんでしょうね、都合良く」


「いいな~、俺も都合悪い記憶は全部消してぇよ、昨日の飲み会でゲロったときとかさ~」


 人の彼女を前にして、好き勝手べちゃくちゃしゃべる新米たちに、ベテランからの喝が飛んだ。


 俺は家の外まで歩かされて、道脇に停まっていたパトカーに押し込められた。


 俺、まだ朝ご飯食べてねーよ。アーちゃん、作ってくれてたかな、キッチンのテーブルの上、しっかり見てなかったや。


                              おわり

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聞いてよ、最近、俺の彼女がさぁ 小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中) @kohana-sugar

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