第二十三話 対決の時! 安部晴明 VS 小波令範
その男は嗤っていた。
口角をきゅっとあげ、既に勝者の側に立ったが如く、逃げ惑う王都の民を嗤っていた。
彼は今、どんな想いでそれを見ているのか。
一族の復讐のために、殺生石に手を出した小波令範。妖の力で事をなそうとした彼の目論見は、五十数年前に潰えた。
謀反を企てたと言われるかの一族は、果たして本当に無実か否か。もし無実なら、それを葬った者たちへの憤りは、わからぬわけではない。
人が己と異なるモノに脅威を抱くのは、昔も今も同じ。
異能の才を持っていたという小波一族が、やがてその
異能という能力をもっていたがために利用され、そして無慈悲に棄てられる。そうした者たちを憎いと思うのは、わからぬわけではない。
だが――。
晴明は、直衣の袖に隠した片方の手で刀印を結ぶと、小波令範を睥睨した。
令範が晴明の存在に気づいたのか、口を開いた。
「お前と直に会うのは、神泉苑以来だな? ――安倍晴明。まったく、次から次へと邪魔をしてくれたものよ」
「それが、陰陽師たる私の務めなのでな」
「人など救って何の得がある? 結局、お前も奴らに利用されているだろうに。そして棄てられるのだ。さんざん頼っておきながら、邪魔となれば棄てる。妖より、人間の方が醜く恐ろしい生き物よ。そう思わんか?」
小波令範は、朱雀門の上に立っていた。
片手には奪還した殺生石、彼の背後には禍々しい黒い闇が広がっている。
「一族の復讐を続けるつもりか?」
「復讐……?」
胡乱に目を眇める令範に、晴明はもはや彼に人であった記憶が残っていない事を知る。 妖の力を得るとは、そういうことだ。
人としての躯を差し出し鬼となった瞬間、人であった頃の記憶も薄れていく。もし少しでも人の心が残っていれば救いだが、人には触れる事ができなくなったあの殺生石を、何の苦もなく持っているということは、小波令範がもう人でなくなった事を意味している。
「殺生石は目覚めさせぬ!」
「無駄だ!この殺生石はもはや人には扱えぬ。たとえ――」
令範が錫杖の先を、晴明に向けて言葉を繋げる。
「希代の陰陽師と言われるお前だろうと!」
欠けていく月に、徐々に闇が深くなる。
月蝕と都を駆ける炎に、人々の絶望が晴明に伝わる。
「……っ」
「我の勝ちだ、安倍晴明。まもなく石は目覚める。それとも、奴らが丸焼けになるのが早いか? 人は救えぬ。破軍のかの姫もお前は救えぬのだ」
天を朱に焦がす炎に、令範の笑みは深くなる。
呵々と嗤う令範を睨む晴明の前に、神気が二つ降りた。
『いつまで言いたい放題にさせておくつもり?』
「まだ〝時〟ではないからだ」
十二天将のうち、勝ち気な太陰は怒りを滲ませていた。
隣では少年の成りをした玄武が、目を細めている。
『何をするか知らないけどさぁ、〝アレ〟は相当ヤバいと思うぞ?』
玄武にもわかる殺生石が放つ妖気は、おそらく目覚めの時を迎えているのだろう。
「お前たちには、王都の火消しを頼んだ筈だが?」
『それがさぁ……』
玄武が嘆息し、天を仰ぐ。
その天から、ぽつりと落ちてきた水粒。
――なるほど。
その姿を視界に捉えた晴明は、ふっと笑った。
広い漆黒の海原で、悠々と長い巨体を踊らす異形。
本性の姿で駆ける天将・青龍に、晴明の迷いの一つは消えた。
青龍なら一人で王都中の火を消せる。
案の定、降り始めた雨に火は、おとなしくならざるを得なかったようだ。
青龍は東の河川に住み太陽の昇る東方を守り、恵みの雨を地にもたらすことから五穀豊穣、成功、勝利をもたらす神だという。
晴明には、厳しい男だが。
「……これで、我に勝ったと思うな!安倍晴明」
王都を火の海にするという策を砕かれて、令範の憎悪が背後の闇を増幅させる。
そう、勝負はこれからなのだ。
火が鎮火すると同時に、青龍が人型となった晴明の横に降りた。
『お前のような馬鹿にはつきあいきれぬ』
久しぶりに顔を合わせる主に対して、青龍の言葉は辛辣である。
なんだかんだと言いながら、結局は従ってくれるが、やはり青龍の霊気を背負うだけで、体力が消費する。
『青龍、いきなり出てきていう台詞がそれ?』
『この男――、月神さえ式神にした』
『は……?』
「青龍、私は月神を式神にした覚えはないぞ」
『頼んだであろう? 力を貸せと。そなた――、神をなんだと思っている?』
苛烈に光る青龍の目を、晴明は真っ向から受け止めた。
月神と十二天将の住む場所は異なるが、晴明の動きは逐一、青龍に見られていたらしい。 何せ月神に力を乞うために、晴明は滝に打たれに水に入った。
水を統べる青龍に、覗いてくれと言わんばかりの行動である。
「お前の説教はあとで聞く」
『ちょっと晴明……』
太陰が止めたが、晴明はその方法しか手はないと決めている。
ただ――、果たして月神が力を貸してくれるか否か。
そしてついに、月は完全に欠けた。
★★★
「――オン」
闇に包まれる王都で、晴明は真言を唱える。
天将たちの力によって、明かりは確保できた。
その策を実行する機会は、一度しかない。令範に策を読まれてしまえば殺生石は間違いなく目覚める。
「馬鹿なことを……」
朱雀門の上で、令範が嗤う。
「アミリトドハン、バウンパッタ、ソワカ」
令範の呪力が鎌鼬となって、真言を唱え続ける晴明を襲う。纏う直衣を裂き、皮膚を裂き、血がぱたぱたと血に落ちる。
『晴明っ、避けなさい!』
太陰が晴明の身を案じて叫ぶが、ここで引くわけには行かない。
「オン、サマンダバザラダン、センダマカロシャダソワタ、ヤウンタラカンマン」
「むっ……!」
令範が、何かに気づく。
彼は、大事な事を忘れていた。殺生石を目覚めさせるには、本体は完全な姿でなければならないことに。
残る殺生石の欠片は、晴明が手にしていたことを、令範は忘れていた。
不完全なままの覚醒と晴明の呪により、殺生石には恐らく亀裂が生じたのだろう。
「殺生石を砕くつもりか!? 無駄だ。もはやこれは覚醒する!!」
殺生石が碧く輝く。
そんな令範の背後で、白銀の光が差す。
月が再び姿を見せたのである。
「
「安倍晴明――!」
全てを察したらしい令範だが、彼は月を背後に背負ってしまった。
月の力でその場に縫い止められる形となった彼は、唇を噛んだ。
そう、この策は令範を月の前に立たせなければならなかった。
どう立たせるか問題だったが、彼はなんと朱雀門の上にいた。しかも月を背負う形で。
しかも高い位置にいたために、殺生石を砕いても地上には害はないときている。
『ギャァァァァ』
誰のモノとも云えぬ絶叫が、天から響く。
目覚めようとしていた殺生石は、月光に炙られる形になった。
そして――。
パリン――。
碧い閃光とともに、殺生石は砕け散った。
衝撃で令範は地に叩きつきられ、晴明も立っているのがやっとである。
「……おのれ……、安倍晴明っ」
お互い満身創痍の中、殺生石は令範の背後で蠢いていた闇を飲み込んで消滅したのである。
勝った――いや、まだ令範を倒していない。
だが十二天将三人も従えた上に呪力を使い、さらに月神の力を借り、失血もした。今から令範との勝負に使う余力は、晴明にはもうなかった。
『私たちが相手よ! 十二天将三人を相手に出来て?』
いつもはきゃんきゃんと吼える太陰が、晴明を庇うように前へ出る。
『本当に――、馬鹿な男だ』
誰かに支えられているようだが、小柄な玄武では晴明を支えるとは無理だ。とすると、青龍か。声音は珍しく和らいでいる。
「晴明!?」
もう一人、誰かが叫ぶ。
それを確認する間もなく、晴明は逞しい腕の中で意識を手放した。
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