第十三話 異形の僧都・法源再び

 急ぎ、大内裏の守備を固めよ――と命が下りたのは、卯月十五日目の事であった。

 何かあったのかと首をひねる同僚に、冬真は「さぁな」と答えて正殿の前に出た。

 冬真が晴明から聞いた話では、謎の男が大内裏を襲撃してくるらしい。謎の男とはだれだと聞くと「謎の男は謎の男だ」と意味不明な言葉で押し切られ、面白くなさげに眉を寄せたのは関白・藤原頼房であった。

 どうも今回の命令は、晴明の意見によって帝が判断したものらしい。

 冬真はその足で、七殿五舎・淑景舎しげいしやの主、きりつぼの更衣・あきを訪ねた。

 淑景舎は内裏の東北の隅にあり、庭に桐を植えてあったことから、桐壺とも呼ばれている殿舎である。

 桐壷の更衣は、冬真の従姉だが、冬真はこの従姉が苦手である。それが、話があるから来いという。

 大仰に嘆息し、淑景舎にて来訪の旨を女房の一人に伝えた。

 女房の案内で淑景舎の簀子を進み、冬真はひさしの下で笑顔を作った。

 本来ならば御簾越しの対面となるが、血縁とあって直接の対面となったのだが。

「ご無沙汰しております。従姉上あねうえ

「ほんとに。同じ大内裏にいるのに、顔も見せない薄情な従弟がいたこと」

 かばざくらかさねに唐衣、裳を付けた女房装束の章子は、開いた檜扇越しに冷ややかな視線を寄越してくる。艶やかな正装もよく似合い、器量も申し分ないのだが、章子は鬼姫という異称をもつ。男勝りで馬にも乗り、弓も使う。よく入内できたものだと冬真は今でも思った。

「薄情……って。警護やら忙しいんですよ。俺は」

わたしは、あなたは外ではよくお酒を飲んでいる――と聞きましたけど?」

 すうっと目を眇める章子に、冬真はたじろぎつつも、本題に入ろうと試みた。

「従姉上、俺のことなんかより――」

昭陽舎しようようしやの内侍が消えたこと――かしら? 冬真」

「ほんとうに、消えたんですか?」

 すると章子の柳眉が寄った。

「ええ。聡子さまに聞いたのですけど、その内侍は塗籠で書の整理をされていて、戻ってくる途中だったらしいわ。まさか、この七殿五舎で神隠しが起きるなんて……」

「それにしては、騒ぎになっていませんが?」

七殿五舎で騒ぎがあったと近衛府にも報せは来ており、さぞ大変な状況だろうと来てみたが、至って平穏である。

「中宮さまのご指示よ。おそらく主上の判断でしょう。でも冬真、あなたまで知らんぷりするつもりはないわよねぇ?」

 再び睨んで来る章子に、冬真は焦る。

「……怒ってませんか?」

「腹が立っているのは確かよ。二度も得体の知れないモノに入られたのよ? 今度来たらめった刺しにて丸焼きにしてやるわ!」

 本当にやりかねない従姉に、冬真はやんわりと制した。

「……それはやめたほうがいいかと思います。従姉上」

 女房装束で勇ましく立ち振る舞う彼女を帝が見たら、唖然とされるに違いない。

 それにしても――。

 四条荷葉をさらったのは、何者か。

 晴明曰く、敵は王都全ての人間を憎んでいるという。その理由はわからないらしいが、何の関係もない人間まで巻き込んでいいとはならない。

 晴明は、どうするのだろう。

 淑景舎の簀子で冬真は、雲が覆い始めたそらを見上げた。


☆☆☆


 その日の午の刻――自邸にて六壬式盤を睨んでいた晴明は、簀子を軽快に進んでくる足音に胡乱に眉を寄せた。

 門扉も叩かずに、ずかずかと入ってくる人間といえば冬真しかいないはずだが、へやの隅にいた雑鬼がそそくさと天井の梁に逃げていく。

 ばさっと派手な衣擦れがして、ひさしの方を振り向いた晴明は目をしばたたかせた。

「……法源どの?」

「またきたぞ。晴明」

 神泉苑での行幸があった際、龍神を鎮める加持祈祷を行ったあのそうである。

 普段は白頭巾に鬼の面を着けているが、この日は仮面はつけず、頭巾も被っていなかった。唖然とする晴明を余所に、法源はどかっと腰を下ろした。

「どうされたんですか? えいざんから追い出されでもしましたか?」

 晴明の言葉に、法源の目が据わった。

「お主なぁ……」

 古事記では比叡山は日枝山ひえのやまと表記され、大山咋神おおやまくいしんが近江国の日枝山に鎮座し、鳴鏑なりかぶらを神体とすると記されている。

 平安遷都後、最澄が天台宗を開いて以来、王都の鬼門を抑える国家鎮護の寺地となったという。その寺が延暦寺である。

法源は延暦寺の僧都だが、その姿は叡山僧徒でもかなり上の者しか知らないという。背に伸ばされる白銀の蓬髪、その髪の間から覗く二本の角――その異形ゆえに、素顔を秘めた男は異形の僧都といわれている。

 年は晴明や冬真とさして変わらず、精悍な面立ちをしているものの、僧籍にあって僧らしくない男は晴明の半生において出会ったのは、彼が最初であった。

「私が叡山やまを降りてきたのは、例の件よ」

 神泉苑で帝を弑いしようとした黒幕が、法師だと識った法源は、いてもいられなくなったらしい。

「法源どの、あなたが怒ってどうするんです」

「妖を操り、人を襲わせるとは、坊主の風上におけぬ奴よ」

「だからと叡山をそう降りてきてもいいんですか?」

「お主、この間は私をその叡山から引っ張り出したではないか。ま、退屈していたから良かったが。で、その姫とやらはお主のこれか?」

 小指を立てる法源に、晴明は渋面を作った。

「法源どの……叡山でいったいどのような修行を……?」

「気に致すな、晴明。私は至って普通だ。妖とつるむクソ坊主とは違ってな」

 どこが普通なのか。

 しかし今の晴明には、法源につっこみを入れている余裕はない。

 法源も異能をもつ。叡山から降りなくても、王都で何が起きているか知り得ることが可能だ。彼が既に子細を知っている事からみても、それは間違いないだろう。

 晴明は式盤を脇に寄せ、式に酒を持ってこさせた。

「して――、どうするのだ?」

 法源が、胡乱に眉を寄せる。

「あの男は、大内裏にやってくるでしょう」

「また、帝を襲いにか?」

「いえ……」

 晴明の脳裏にあったのは、陰陽寮・塗籠にある殺生石本体である。

 これまでの経緯から、大内裏の警護はいっそう厳重になっている。朱雀門を突破するだけで延慶一人では無理だろう。

 問題はそれに、荷葉がどう関わるかだ。

「晴明、その勝負、私もまぜてもらうぞ」

「叡山はどうするんですか?」

「なぁに、これも修行よ。座主(※天台座主)も許してくれよう」

 法源はそういって、口の端を吊り上げた。

 


  この日の夜は、突然雷鳴が轟き、大雨になった。

 黒雲に躍る『ソレ』に、十二天将・玄武は半眼になった。

(まだ怒っているのか? 執念深いな……)

 玄武の前には、龍がいた。

 雷神を招き、雨を降らせているのはおそらくかれだ。

 しかし十二天将は、人界に干渉せず――という決まりがある。彼らが力を駆使できるのは、主とした安倍晴明による指示のみ。

 だがこれでは、下が水浸しになってしまう。

 大仰に髪を掻き上げた玄武は、龍の近くに降り立った。

『もうその辺にしておけよ。青龍』

 龍の巨体が、ぴくっと反応した。

『あの男の指示か?』

『いやぁ……、晴明はお前を止めるどころじゃないだろう。怒っているのは、彼も同じさ』

 青龍はふんっと鼻を鳴らすと、人型になった。

『あの法師のねぐら、見つけたんだが……』

 二人の眼下には、倒壊した廃寺がある。青龍がやったにしても、それは決まりに反する。

『青龍……壊したら駄目だろう。人間には……』

『中にいたのは人間ではない。またも、逃げられたが』

『え……』

『奴め……、とんでもないモノまで目覚めさせている』

 青龍は何を見たのか。

 

 

 青龍の攻撃をかわした延慶は、次なる塒を決めていた。

 香が焚かれ、御簾を下ろしたその奥から衣擦れが聞こえてくる。

「ご気分は如何か?」

「まだようない……」

御簾の中から聞こえてきたのは、壮年の女の声だ。

「いずれ慣れましょう。母上」

「だが、いつまで保つかわからぬのであろう? 妾がこうしていられるのは」

 延慶の母は、既に冥府へ向かっている。

 反魂香を焚き、呪により呼び寄せたが。

「殺生石があれば、誰も我らの邪魔はできますまい」

「ほほほ、頼もしいこと。ことが成就の暁には、殿もさぞお喜びになる。期待していますよ? 令範りようはん

 懐かしい名で呼ばれ、延慶は御簾に向かって頭を垂れた。

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