第四話 薫衣の君
――あれから
晴明にすれば、迷惑この上ない。
晴明はこれまで人に避けられることがあっても、ここまでずかずかと寄ってくる人間には会ったことがない。しかも相手は、藤原一門に連なる右大臣家の
来るなら
「入るぞ」
見れば冬真が
「私は忙しい。それに、邸に入る許可はした覚えはないが?」
晴明は筆を走らせる手を止めて
「断りは入れたぞ」
「門の外で、と言ったのだ! 室の前ではないっ」
妙な頭痛を覚えた晴明は、こめかみに浮きできた青筋を
冬真を見ると、人の話を聞いているかいないのか、何かに釘付けである。何かと思えば、
余計なことを――と晴明は思ったが、それよりも、雑鬼が見える冬真に驚いた。
「こいつらも、お前の言う〝
「いや……」
雑鬼たちはどういう風の吹き回しなのか、冬真に
「じゃあ、なんだ?」
「雑鬼という
冬真の手にしていた土器が滑り落ちて、
その顔は
『こいつ、驚いているぞ』
『晴明、酒の中にもっとたっぷりと塩でも入れておけばよかったかな?』
どうやら雑鬼たちは、冬真に塩入りの酒を呑ませたらしい。
「お前ら、私にも塩を持ったのか?」
晴明は自分の手にした土器を見つめ、半眼で雑鬼たちを見据えた。
「晴明のほうには入ってない」
「……消えろ。しばらく出てくるな」
嘆息して雑鬼を追い返すと、冬真に感心した。
――雑鬼が視えるとは。
「安倍晴明は妖と暮らしていると言われたが、本当だったのか……?」
「正確には居着いている。だがあんなもの、人の家からそこらじゅうにいる。普通は視えないモノだが、お前には
「見鬼の才……?」
「鬼や妖が視える能力だ。そういう人間は妖を招きやすい」
「お前、たいしたことがないように言うが、それはつまりこれからもずっと、鬼や妖と出会うとことだろう?」
見鬼の才がいつまで続くのか、晴明にはわからない。ある日突然視えなく事があるかも知れないし、一生かも知れない。ただ、他に何の能力を持たぬ人間にとって、異界の存在が視えるということは、相当怖いだろう。
「怖いのか? だったら今回の件は私に任せ手を引くことだ」
「ふんっ。妖が怖くて近衛府なんぞにいるものか」
冬真はどうやら手を引かないようだ。
やれやれ。
晴明は
「そういえば地に沈んだあの妖、石を
「石……?」
二条大路にて、帰路に就こうとしていた牛車を襲った妖――。
冬真と晴明がいなければ、中に乗っている人間は間違いなく喰われていただろう。
「俺にはさっぱりだが――、俺が驚いたのは、お前が
妖に襲われた牛車に乗っていたのは、四条家当主とその姫・
冬真曰く――四条家の姫・荷葉は、薫衣の君と呼ばれるとともに美姫としても有名らしい。姫の名となった荷葉は
(なるほど……、それで薫衣の君か)
あのあと、二人を四条家まで送り届けたが、相当怖い思いをしただろう。
だがこれで、人が消えるという事件が繋がりそうである。
神隠しはあの妖の仕業だろう。それは間違いない。
だが、石を寄越せとはいったいどういうことか。四条家の姫が、それにどう関わっているのか。
冬真が帰ると、晴明は
四条家を訪ねるに、吉となる日取りを占うためだ。それから文を
水干姿の少年に変じた〝式〟は、晴明が認めた文を携えて邸を出て行った。
◆
「何故、あの男を呼んだのです?」
責めるような口調に、
そこには
「助けて貰った礼はすべきかと……、母上」
「礼ならば
「母上」
媼の名は
既に
「お前は
娘が背負ったさだめ――、惟道はなんども鹿子から聞かされてはいたが、安倍晴明なら娘を救えるかも知れないと思った。しかし母・鹿子は、そうは思わなかったようだ。
かえって、危険が増したと言うのだ。
「母上、荷葉は我が娘。あなた以上に愛しております」
「ならば――」
「私は、さだめから逃げるような娘に育てたつもりはありません。ああ見えて、強い子です。荷葉は」
鹿子はまだなにか言いたげであったが、当主は惟道である。
唇を噛んで、袿の裾を
☆☆☆
貴族の
帝や
そんな神泉苑の池は、どんな日照りの年にも
晴明が目指す四条家は、神泉苑を更に進んだ先、
幾つかの
内裏で見た姫の女房装束は、
「お待ち申し上げておりました、晴明さま。
「大事なく何よりにございました」
「しかもご
「いえ……、私は一介の陰陽師。さように
緊張が解けたのか、荷葉が微笑む。
「私に相談があるとのことでしたが……?」
荷葉が晴明の座す板敷きの床に、
「開けてみても?」
荷葉の
「晴明さま、やはり危険なものなのでしょうか?」
「これを何処で?」
「以前飼っていた猫が
その猫はそのあと、突然死んでしまったという。
荷葉の言葉に晴明は、冬真が聞いたという妖の言葉を思い出した。
――石を渡せ。
晴明は、手元の小箱に再び視線を落とした。
碧い光を放つ何かの欠片。
なるほどと、晴明は思った。
荷葉が乗る牛車が襲われたのは、この欠片を所有していたためだ。そしてこの欠片は
師・賀茂忠行曰く、殺生石は陰陽寮内で封印される時には既に欠けていたという。その欠片がこの王都に幾つか散ったとするならば、荷葉が持っていたソレはその一つかも知れない。
「荷葉どの、これは私に預けて頂けませんか?」
「ええ」
「ですが、なにゆえ私だったのでしょうか? 陰陽師ならば他にも大内裏はおります。それに――私が怖くありませんか?」
「何故ですの?」
荷葉は
「私は妖の血を引いているのです」
視線を戻した晴明が見たのは、荷葉の横にちょこんと座る雑鬼だった。
「晴明さま、それをどうしようか悩んでいたとき〝彼〟が晴明さまに相談してみてはと言ってくれたのです」
「……鬼が視える……?」
「私には〝彼〟も、晴明さまも怖いとは思いません」
いたずら好きの雑鬼だが、棲んでいる邸によっては違うらしい。まさか雑鬼から頼りにされているとは意外だったが。
翌――出仕した晴明は、賀茂忠行に殺生石を見せて欲しいと頼んだ。本体はまだ、陰陽寮にあるのだ。
元は、楕円状の球体だったのだろう。碧い光を放っているが上部は欠けている。
荷葉から預かった欠片はやはり殺生石のものだったが、合わせてみるものの元の形にはならない。忠行が唸った。
「どうやら、欠片はまだ他にあるようじゃのぅ。晴明」
陰陽寮に持ち込まれる以前に、砕けたといういくつかの欠片。
妖は高い妖力を取り込むと、さらに力を増すという。
「師匠――」
謎の妖も殺生石を探している。
そしてそれは、本体を奪いに大内裏もやってくるだろう。高い力を得るために。
晴明の戦いが、始まろうとしていた。
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