アンドロイド女子高生
西谷水
プロローグ
親友と過ごした温かい日々のこと。
そんな五年前のことも段々と思い出さなくなってきた。
だけれど、どうしてだろう。
時々、あの日々のことを思い出して嫌な気分になる。
小学生のとき、ある昼休み。その日は記念すべき日となるはずだった。
何たって、学校では初めて彼女と僕が会う日だったのだから。はやる心臓をおさえ、待ち合わせ場所の教室に足を踏み入れる。
入ってすぐに彼女を呼ぼうとしたけれど、この空間の異質さに気が付いてしまった。
「啓一くん。私……だよ」
机でうずくまっていた彼女がふと顔を上げて、小さな声で僕を呼んだ。
彼女の赤くなった目を見て僕は、声なんて聴こえなかったみたいに教室を出た。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
逃げるように来た道を戻る僕は、ぶつぶつとそんなことを呟き続けた。怖かったんだ、教室に足を踏み入れた瞬間、そして、孤立していた彼女が僕の名前を呼んだ瞬間、教室中の視線が一気に僕へと集まって、見えない壁が目の前にあるかのように前に進めなくなった。
裏切り。あの日の過ちが、いつまで経っても僕を苛み続けている。
「僕は、君を見捨てた」
二〇四三年、この五年で世の中は大きく変わってしまった。しかし、日本の未来を担う栄えある若者代表の僕としては、変わらないものだってきっとあるんだと声を大にして言いたいところだが、残念ながらこの教室の景色を前にして誰がそんなことを言えるのだろうか。
八時十二分、五月上旬の僅かに肌寒さを残した風に頬を撫でられ身震いした僕は、最後列の窓際の席から三十人ばかしの生徒たちが集められた教室を見渡す。ここから見える景色は、大抵が携帯電話、スマートフォンやタブレットに向かって表情豊かに話しかける生徒の姿だ。7G回線だか何だか機械音痴な僕には、よく分からないけれど、そいつが普及したせいで教室のそこかしこでビデオ通話やホログラム通話が行われている。
これは全員、最近社会問題になっているリンク依存症、常に誰かと繋がっていないと落ち着かないとかいう病気だな。ああ、恐ろしい恐ろしい、と。
なんて思った僕は、一度大きなあくびをして窓の外に視線をやった。
灰色の空と似たり寄ったりな白黒のビル群、その元に敷かれた道路では何台もの無人運転トラックが一定の速度と決められたルートを走り、歩道を歩くサラリーマンはまるでロボットのように人の流れに従って歩いている。教室の景色とは随分と異なる、さながらコントラストのような世界が広がっていた。そんな退屈でつまらない景色にも飽きて、僕は机に突っ伏して時間を潰す。昨日、悪い夢を見たせいか寝不足で何だか眠くなってきた。
「啓一、ちょっとこれ」
そんな僕の時間潰しを遮ったのは、一つ前の席に座る渉だ。彼は、ブレザーのネクタイをだらしなく緩め、カールのかかった髪の毛を茶色に染めた如何にも遊び人という風体で、何かと僕に声を掛けてくるクラスメイト、というか誰にでも声を掛けている僕とは正反対の人間だ。まあ僕は、誰に対しても友達という関係を強要するような、浅く広い繋がりを好む人間のことを苦手としている側なのだけれど、さすがにこう毎日話しかけられると、慣れてくるというか、彼との会話に関しては人並みに話せるようになってきた。「何?」
「田舎の方じゃ将来的に生徒数の少ない学校へ教師用アンドロイドを配備するってさ」
言って彼は、椅子に座りながら顔だけをこちらに向け、タブレット端末に映っているのだろう記事を読み上げてくれた。「はあ」しかし、僕が唯一無二の友達未満に対して見せた誠心誠意の反応が不満だったのか、彼は眉をひそめ椅子ごとこちらに向けて続ける。
「はあって何だよ、はあって。これ見てみろよ」
机の上に置かれた渉のタブレット、彼が「ホログラム展開」と呼びかけるとそれに応じて液晶画面からネット記事が空気中に映写される。それは学校から支給されたタブレット、その機能があったことは知っていたけれど、こうして利用したのは初めてだった。
「まあ、一人で端末いじる分には、ホログラムなんて使わないもんな」
「ほう……つまり、僕がぼっちだって言いたいのか?」
僕が言うと、渉は呆れた様子で溜息を吐いた。
「……お前ってほんと捻くれてるっつーかなんつーか、まあいいや」
言いながら彼が拡大してくれたホログラム、大々的な文字で「タケムラテクノロジー、新たなアンドロイド開発に挑戦」とニュースサイトのあらゆるところに書かれている。随分と騒がれているらしい。
「アンドロイドが教師ってことは、人間みたいに生徒を叱ったり褒めたりするってことだ。要するに心を持ってるってところ」
「ふうん、それっていつ完成するの?」
「分かんねえけど、そう遠くない未来だろ。心は高性能なAIで代用できそうだし。それにしても職場の次は、心まで。何でも奪われちまうな。そのうち人間がアンドロイドになってたりして」
職場の次は心まで奪うねえ、産業アンドロイド革命が起きて高機能AIを備えたアンドロイドが人間の仕事の七割を代替えするようになってからはやいこと五年が経つ。アンドロイドと言っても、それは人型から機械色の強い物まで様々で、昔は人型のロボットを指していたらしいが、今は少しだけ意味が曖昧になって高機能AIを備えていれば、どんなロボットのこともそう呼んでいる。
電車や車などの自動運転AI車両、今やデリバリーフードでさえ無人の宅配バイクが専用エレベーターを使い、マンションの玄関まで商品を届けてくれる時代。ホテルの従業員もコンビニ店員も書店員だって、あらゆるサービスが無人化の世の中だ。サービスだけじゃない、製造業だって人間よりも機械を採用している。当然、五年前と比べればそれはそれは便利で快適な世の中になっただろうさ、けれど、それは良いことばかりじゃない。「はあ」
僕の家が良い例だ、父親の務めていた工場が人間の契約社員を片っ端から解雇してくれちゃったお陰で一家は収入を失い、不仲になった両親があっという間に離婚。おまけに僕は、十一年も過ごした地元を離れて、東京に住んでいる母方の祖父母に引き取られるわで、大変だった。
「なに溜息ついてんだよ? 俺の言ってること、結構的を射てるかもしれないだろ? あ、ちなみにAIってのは、アーティフィシャルインテリジェンスの略な」
流暢にアンドロイド知識をひけらかす渉は、僕が機械音痴であることを良いことに得意になっているのだ。AIの正式名称がアーティフィシャルインテリジェンスであることくらいさすがの僕でも知っている。とは言え、一体どういう意味なんだろう。「それはだな」
渉は、僕の追求から逃れるように視線を泳がせる。どうやら詳しいことは知らないらしい、これから何かあれば嫌がらせに追及してやろう。
八時十五分。
「おっと、続きはまた後で」
そうこうしているうちにチャイムが鳴り、教室の窓がひとりでにスライドし始める。それを追うようにカーテンが閉じられていき、十秒もしないうちに街の景色が隠されてしまった。閉ざされた教室、壁を見る趣味でもない限り視線は、教室の黒板かタブレットへ向けるしかない。
渉が前に向き直り、僕が黒板へ小さくあくびをする頃、雑談に勤しんでいた他の生徒も自らの席へと戻っていった。
憂鬱だ、まもなく体育会系の担任が教室に入って来て、全員が大きな声を出すまで挨拶を繰り返しさせられるに違いない。廊下から足音が近づいてくる、僕の視線はゆっくりと黒板の中心から教室の出入り口へと逸れていった。「え?」そして思わず漏れた僕の声は、しかし他の生徒たちの動揺の中に溶けてしまう。
「おはようございます」
聞こえてきたのは野太い担任の声ではなく、冷ややかな女性のものだった。白いヒールに黒のスラックス、皺だらけの黒いワイシャツが彼女の細身を際立たせている。見様によっては喪服みたいで特徴的な装いだが、それ以上に彼女の顔は印象的だ。後ろで一つに束ねられた黒い髪は遠めに見ても傷んでいるのかぼさぼさ、目の下にできた深いくまが白い肌にくっきりと浮かんでいる。目鼻立ちは、整っているものの肌の皺が目立つ。四十代後半だろうか。失礼かもしれないが、くまのせいで実年齢より老けて見えているのかもしれない。
それでも若い頃は綺麗な人だったのだろうなと、随分とやつれた表情の彼女には、そんな印象を持った。入学してから一カ月ほど経っているがまるで見覚えがない。学校関係者なのだろうか。
動揺、ざわつく教室、しかし彼女が黒板の前で立ち止まり生徒たちを見渡すと、最前列から波紋が広がるように静かになった。
切れ長の目、その飴色の瞳が放つ鋭い眼光に僕は、無意識に背筋を伸ばしてしまう。張りつめた空気、彼女は一体何者なのだろう。固く引き結ばれていた唇が動くと、彼女の口からは氷のように冷たい声が発せられた。
「初めましてみなさん。タケムラテクノロジーの創設者、武村千代子です」
タケムラテクノロジー、その創設者である彼女のことを世間は武村博士と呼んでいる。
五年前に高性能AIを開発し、あらゆる産業の機械化を促進させた企業だ。
アンドロイド産業革命、それは僕の両親が離婚する原因を作った最たる出来事であり、自然と僕は彼女の言葉に耳を傾ける。そんな僕のことなど露知らず武村博士は続けた。「突然ですが今日からみなさんには、アンドロイド開発に関わる実験に協力してもらうことになりました」
彼女は、生徒たちの反応など見えていないかのように淡々と続ける。
機械みたいな人だと思った。
「安心してください、難しいことを求めたりはしません。みなさんは一人の少女をクラスメイトとして迎えてくれるだけでいい」
ミオ、武村博士が廊下に向かって小さく呟いた。それを合図に教室の出入り口から制服を纏った少女が現れる。けれどそれは、決してただの少女なんかじゃなかった。
私立日野宮高校一年の青と白を基調とした上履き、細くすらりとした足の線を際立たせる黒タイツとスカートの間に見える乳白色の肌、ブレザーを着こなす引き締まった上半身を見て僕は、まるでファッションモデルのような、いや、神々しいとさえ思ってしまった。
思わず、見惚れてしまうほどに美しい。
僅かに揺れる艶やかな黒髪ロング、整えられた前髪のやや上には赤く輝くカチューシャ、整った目鼻立ちと飴色の瞳が綺麗な目、温かなミルクに紅椿を浮かべたような血色の良い頬、純粋無垢な清楚さと猫のような愛らしさを併せ持つ少女。
そのまま少女は、真っすぐとした背筋を保ち武村博士の隣で綺麗に立ち止まる。まるで軍隊みたいな整然とした左向け止まれだった。横並びになった二人、同じ黒髪と飴色の瞳、どちらも人間に見えるがそれだけじゃない。注意深く見ると博士と少女は、親子のように似ている。「これがアンドロイド……?」聞こえない程度の小さな声で僕は呟いた。そのはずだった。
「私は正真正銘、武村博士に作られたアンドロイドですよ」
教室の最前列と最後列、十数メートルもの距離があるにも関わらず少女は、はっきりと僕を見て言った。それから彼女は、微笑みを口元にたたえながらおもむろにスカートの裾をつまむ。何をするつもりなのだろうか、僕はその先を想像して肌と布の境界線に釘付けとなる。不可抗力だ。やましい気持ちも下心もなかったけれど、思わず生唾を呑んでしまった。
「少し恥ずかしいですが」
言って彼女は、上質な絹を摘まむように繊細なタッチで裾をたくし上げる。それは蝶々結びを片方のヒモから解くようにじれったく、ゆっくりとした速度だった。光を受けて艶めかしく照る絶対領域の一端、露わとなった彼女の肌に男子生徒から控え目な歓喜の声が上がる。「おお!」見えそうだ、ついに見えてしまうのか、立ち入り禁止エリアが。
徐々に姿を現した股関節と内腿の若干丸みをもった形状は、だがしかしスカートの陰によって未だ輪郭をはっきりと確認できていない。けれど、それもあと数秒後の未来には、露わとなってしまうのだろう。アンドロイド女子高生、果たして彼女は下着を付けているのか否や。白か黒か水玉か、はたまた小さなリボンや上品な花の刺繍を施したお嬢様タイプなのか。いずれにせよ、極めて煽情的であることには違いない。
「……」
というか一体全体、僕は朝から何を描写しているんだ。若干の理性が働くも、僕の視線は彼女の太腿に固定されたまま動かすことができないでいる。これが最先端のアンドロイド技術だと言うのならばなんと恐ろしいことだろうか。
しかし次の瞬間、僕は唖然としてしまった。
衝撃的な光景、それは教室から音という音を全てさらってしまうほどに異質なものだった。「何だよ、あれ」思わず僕は、身を乗り出して言葉を漏らした。
露わとなったのは、僕が想像していた景色ではなく、人間とは似ても似つかない金属色に照る関節部。それは肌なんかじゃない、スカートに隠れていた太腿から股関節にかけて彼女の身体は機械部品がむき出しだった。
「納得いただけましたか?」
彼女はまっすぐ僕を見て、そう言った。
肉声のような音声、明るくて透明感のある声、決して不快ではない少女の話し方。眼前の光景とは明らかにミスマッチな人間らしさに困惑していると、前の席に座る渉に腕をつつかれた。「おい、啓一。まわり……」
言われて僕が教室を見渡すと、アンドロイドの少女に集まっていたはずの視線がこちらに向けられていた。恥ずかしい、これじゃあまるで、僕が彼女の絶対領域に興味津々だったみたいじゃないか。ばつが悪い思いで大人しく席に着くと少女が小さく笑った。「ふふっすみません!」
「何だか私、緊張すると笑ってしまう癖があって」
笑い混じりの言葉に教室の誰かが笑って、張りつめていた空気が解かれていく。その瞬間、僕は彼女のことをまるで人間だと、そう錯覚しかけていた。「改めまして」
「私の名前は、武村ミオ。世界初の心をもったアンドロイド女子高生です」
それからアンドロイドの少女は、趣味や得意なことを人間のように話し始め、最後に深々とお辞儀をしてみせる。
「見てもらった通りミオは、これまでのAIよりも、より人間らしい思考や価値観をもっています。実は、彼女には今回のテストにあたってある目的というか、目標を与えていまして、それは各学年に三十人以上の友達を作ることなのですが」
三十人以上、それは一クラス分の人数だけれど、そんな簡単に上手くいくのか。
この僕でさえ、一人も作れちゃいないのに。
「ですがまあ、皆さんは気にせず彼女のことを一人の存在、女子生徒として仲良くしてあげてください」
「女子生徒として……か」
僕が彼女をじっと見つめていると、またしても目が合ってしまった。すると彼女は、心なしか幼い、はじけるような笑顔を見せる。
どうしてだろう、胸の奥に僅かなざわつきを覚えた。
武村ミオ、その名前に聞き覚えはない。
「みなさん、よろしくお願いしますね!」
けれど僕は、どこかで彼女と会ったことがあるような気がした。
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