第5話 安心
——グワァァァァァァァァァーーッッ‼︎
「……? ……なんだ、今の断末魔みてーなの……」
突如として響き渡った断末魔に、俺は少し身体をビクつかせる。
てか、マジでなんなんだ? 今の声……。
ミーシャという少女を見送ったと思ったら、突然今の断末魔が響き渡ったのだ。
全くの理解不能である。男の声だったが……なんだか得体が知れなくて気味が悪い。
心霊現象というには馬鹿らしい様な叫び声だったが……。
不安に駆られていたら、不意に扉のノブが動いた。
「うっ……⁉︎」
「お待たせー、スープとパン一人前お待ち! ……あれ、どうかしたの?」
「あ、なんだ、ミーシャか……」
ミーシャは、完全に「?」の顔つきである。
だけど、“幽霊が来たと思ってビビりました”なんて言えるわけがない。
なんとか誤魔化そうと話題を探すと、ミーシャの手に視線が吸い寄せられる。
「あれ? さっき“一人前お待ち”とかって言ってたけど、それは?」
「そう、わたしの用事はまさにこれ!」
待ってましたというか、聞かれなくても言ってましたと言わんばかりにその手に持っていたトレーを机の上に勢いよく乗せた。
あーあーあー、そんなに勢いよくしちゃ中身が溢れちゃうよ……。
トレーに乗せられていたものは、食べ物だった。
拳より少し大きそうなパンと、優しい色をしたスープ。
そして、突然現れた油と肉が多そうな野菜肉炒めがあった。
「これは……」
「ご飯だよ? あっ、このお肉はわたしのだからね。リーチの分は、こっち!」
と、ミーシャはパンとスープを指差した。
ああ、これを食えってことか。でも、食っても返せるものがないな。
「確かさっき、ここは宿屋って聞いたと思うんだけど……これを食っても俺には金がないから、お代を払えないんだが……」
「あ、お代は払わなくても大丈夫だよ」
そう言うと、ミーシャはフォークを使って肉を食べ始めた。
だが、それはつまり、俺が奢ってもらっていると言うことだろうか?
なんだか、それはなぁ……。
「いやいや、ミーシャ、さん? にお金を払わせるのは悪いし……」
「わたしが? ……いや、そうじゃないよ。この料理はおじさんのサービスで、無料で食べていいってくれたやつ。あと、さんはつけなくていいからね!」
無料で⁉︎
……なぜ、俺に無料でこれを食わしてくれるのだろう。
たしかに、このパンとスープはそれほど高価と思える物ではない。しかし、だからと言って「サービスサービス!」と無料提供はそう易々とできないだろう。
これは、何か裏が……。
「だからさ、それはおじさんの優しさみたいなものなの。受け取って損はないんだし、食べちゃえば?」
「……じゃあ、いただきます」
考えすぎだったかな、と思って俺は大人しくパンとスープを頂くことにした。
ただ、宿の経営者が優しいだけなのかもしれないしな。
せっかく頂いたものを「いらない」と言って捨てるのはたしかに勿体無いし。
なにより、今は腹が空いている。
考えない様にしていたが、このスープからは何かすごい良い匂いがするのだ。
まるで、食欲を刺激するためだけに生まれたかのような匂いだ。
もはや身体に染みついた手を合わせる仕草をしてから、俺はパンを手に取った。
そして少しちぎり、スープに浸す。
俺用に出してくれたと言うのなら、きっとこのスープとパンはこうして食えと言うことだろう。
日本でいう“おかゆ”の様な感じで、おそらく胃に優しい食べ物なのだ。
そして柔らかくなったパンを口元に運び……その美味さで、つい感動を言葉に出してしまった。
「美味っ!」
今度はもう少し大きくパンをちぎり、またスープに浸して口に入れる。
先ほどと同じく、口の中には“美味しい”が広がった。
この美味さは、おそらくスープに秘められている。
パンは手触りからしてそれほど良い出来ではないと言うか、焼けてから時間が経ってそうだが、それでもスープに浸した瞬間すごく美味くなるのだ。
気づくとパンはもうなくなっており、俺は迷わずスープの器を手に取る。
そして、一気に飲み干してしまった。
たった数秒だったが、たしかに口の中に訪れた旨味。
それを堪能して、もうなくなってしまったことを残念に思ってしまう。
「へぇ〜、あんまり食べない子だと思ってたけど、意外と食べるんだね?」
「えっ? ま、まぁ……」
ハッとして傍を見てみると、そこにはモクモクと肉を食べるミーシャの姿があった。
今の俺の動きを見られていたのか、という恥ずかしさで少し顔が赤くなった気がする。
「美味しかったでしょ?」
「……あぁ、美味かった」
「でしょでしょ? なんかここ、あんまり綺麗な建物じゃないけどおじさんはすごい料理が上手なんだよね!」
さっきから話に出てくる“おじさん”が気になるが、誰のことなのだろう?
この宿屋の関係者だと思うが、全員をおじさんと呼んでいる気がしてならない。
従業員が一人なんてことはないだろうし、今のは料理担当のおじさんということだろうか。
「確かに、すごい美味いスープだったな。ミーシャさ……は、こういうところを見つけるのが得意なのか?」
「なんか、この建物の前を通ったとき、すごく良い匂いがしたんだよね。だから、もしかしてと思って入ってみたら予想通り! すごい料理が美味しかったの!」
そう語るミーシャは、とても楽しそうだった。
今日会ったばかりでもわかる……彼女は人生を謳歌していた。
「……もしかして、リーチは今まで食べることがあんまり好きじゃなかった?」
「へ? いや、そんなことは……」
突然の質問に驚いて、適当に答えてしまいそうになったが、“ない”とは言い切れないことに気がついた。
2年前までの俺は、食べることがそこそこ好きだった。
常に何かを食べていないと正気を保てないと言う訳ではなかったが、美味いものを食べるとその1日は機嫌が良くなるくらいには好きだった。
食欲は人間の3大欲求の一つに数えられるくらいだし、食べるのは誰だって好きだ。
そう考えたとき、“あれ?”と思った。
いや、そんなことはないぞと。
俺はここ一年ほど、ほとんど何も食っていなかったのを思い出したのだ。
確か、何もしていないのに何かを食べることが憂鬱に感じて、勝手に食べる量を減らしたりして人に隠れて食事をするようになっていたのだ。
そういう意味で考えると……。
「……あんまり、好きじゃなかったかも」
「あ、やっぱり?」
“やっぱり”、か。
まさかこの少女は、この数時間で俺の過去を見通したとでも言うのか?
……見通せたんだろうな。
変に気を使わせてしまうかも、と思ったが、どうやらそんな心配は必要なかった。
変に気を使うどころか彼女は、自信満々の態度をとっていた。
「なら、もう大丈夫だね! おじさんの料理は美味しいから、“これからも食べたい”って思えたでしょ?」
なるほど、そう言う意味か。
確かに美味かったし、何も考えずに食えた。
「ああ。ありがとう」
「……うん。なんか、面と向かってそう言われると少し気恥ずかしいね……」
ミーシャは少しそっぽを向いて、お皿に残っていた炒め物を一気に頬張った。
うむ、わかるぞその気持ち。
今俺は何も考えずにお礼を言ったんだけど、言われる側になったら途端に気恥ずかしくなるんだよな。
わかるぞ、と頷いていたら、恥ずかしさを誤魔化すためかミーシャはむりやり話題を切り替えた。
「と、ところで! ……これからリーチはどうするの? 突然現れたけど、どこか行く宛とかあったの?」
「あ……これから……?」
そう言われて、何も考えていなかったと気がつく。
たしかに、俺これからどうすりゃいいんだろ?
ここが日本ならどうとでもできそうだったが、生憎異世界。
今の俺が何をすべきか、全くわからなかった。
ふつう、異世界にきた奴らって何してんだろ?
やっぱり、なんだかんだ言って地球が恋しくなって帰る方法とか探してるのか?
だが、俺はそんなのお断りだ。
一度はあんな夢のない世界でも生きる決意をしたが、別の選択肢があるのならあんな世界こちらから願い下げである。
まだ異世界という、俺にとっての夢がある世界を選びたい。
しかし、何をすれば良いのかはわからない。
何もしなかったら死ぬのはわかるが、何から始めれば良いのかサッパリだ。
というか、まずこの世界のことを知らないと何も始まらないだろう。
けどそれをミーシャに聞くのは不自然だし……。
……ヌアアァァー! 考えるのが面倒すぎる‼︎
というか、せっかく異世界にきたんだから何も考えずに楽しまさせろっての!
まったく、俺をこの世界に運んだ神様はとんだ無能のようである。
「行くあてとかないの? 旅の目的とか」
「……残念ながら……」
「じゃあ、どこから来たの?」
「……東の……国から……?」
「なんであやふやなの……」
とうとうミーシャに呆れられてしまった様である。
でもなあ、大体誤魔化すしかない。
歯切れの悪い受け答えになってしまうのは許してほしいものだ。
でも、突然この国に現れたってのも不自然だよな。……いっそのこと、記憶が抜け落ちてる設定で行くか?
いや、いつかボロが出る気がするしそんな演技をし続けるのも大変だ。
それに、そんな演技をしたところで結局俺に行く宛なんてない。
確かここは宿と言っていたから、この子も本来はもっと遠くに住んでいる筈だ。
結局、俺は一人になってしまうのである。
生きるためには金がいるだろうし……ここの宿屋の主人さんに無理を言って働かせてもらうか?
などといろいろ思考を巡らせていたとき、ミーシャからポロッと驚く言葉がこぼれ出た。
「じゃ、わたしのとこ来る?」
「……え?」
……今この子は、俺を自宅に泊める、と言ったのだろうか。
いやいや、まさかそんな……異世界とは言え、今日会ったばかりの他人に近い男を家に泊めるなど、まさかそんなことが……。
「ここからちょっと距離はあるけど、もし行く宛がないんだったらわたしの家に泊まる?」
まさかそんなことがあったらしい。
「いいのか? 俺としてはありがたいけど……ほら、親御さんの許可とか……。お金もないから、家賃とかも払えないけど……」
今すぐにでも受け入れてついていきたいところだが、流石にまたあの生活に戻るのは嫌だ。
昨日までの……何もできず、ただ人に生かされるだけの生きた屍になど。
もしそうなるくらいなら……死んだ方がマシ。……とは、思わないな。
俺は最後“生きる”決意をした。
生きた状態で、人として生きることを決意しているのだ。もし結局ダメだったとしても……。
が、そんな心配は必要なかった。
「ああ、わたしには親はいないみたいだから大丈夫。親に近い人はたくさんいるけど、家では一人で寝てるから一人暮らしみたいなものなんだ」
親はいない?
死んでしまったり、捨てられたりしたのだろうか。
もしそうなら、悪いことを聞いてしまったな……。
俺はそう考えたのだが、ミーシャは気にするそぶりも見せなかった。
とうの昔に立ち直っていたのか?
「それと、お金もまぁ……あったら嬉しかったけど、ないんだったら仕事を手伝ってくれるとかでも構わないよ。それを手伝ってくれたなら、お金を稼いでるのと一緒だしね」
「……なるほど」
だったら、俺の選択肢は一つしかないな。
完全に、ミーシャの優しさに甘える形となってしまったが……ま、これから恩を返せば問題はあるまい。
「じゃあ……そうさせてもらっても良いかな?」
「うん、オッケー! 一応村に帰るのは明日の朝だから、今のうちに身体休めといてね?」
そう言い残すと、ミーシャは食器を持って部屋を出て行ってしまった。
何から何まで、全部世話になってしまったな。いや、それはこれからの仕事を手伝って返せば良いことだ!
俺は頬を叩いて、気合いを入れ直す。
それだけで少し眩暈がしたが、それも含めての気合い直しだ。
そこまで考えて、ふと、「……村か」と口に漏らす。
さっき、ミーシャは“村”と言ったよな。
村でする仕事とはなんだろう? そういう知識はあんまりないんだよな。
考えていると、不意に眠気が襲ってきた。
……たしか身体を休めていてと言っていたし、明日は長旅になりそうか。
俺は眠気に抗わず、そのまま眠りに落ちる。
気絶ではない、久しぶりのちゃんとした睡眠だった。
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