22話 ハリルロウ

「ハリ……」利玖がたどたどしく復唱しようとして、舌でも噛みかけたのか、顔をしかめた。「すみません、兄さん、何ですか?」

「ハリルロウ」匠が喋る速さを落としてくり返す。

「成虫は、透きとおった硝子のような翅を持つ事から、玻璃はりの名がついている。妖の一種だけど、生態は昆虫とよく似ていて、卵から生まれ、脱皮をくり返して大きくなる生きものだよ」話している間も、匠は、休むことなく顎を動かしているハリルロウの幼虫から目を離さなかった。「ただ、あれは本来、水生なんだ」

「水生でも、地上にいたっておかしくはないでしょう」すぐに利玖が言う。「トンボだって羽化する時には陸に上がります」

「いや、ハリルロウは、繁殖も食事も水中だけで完結している。生涯ただの一度も水の外には出ない。地下水脈の底を漂うようにして生きているモノだからね。

 それでも、洪水なんかが起きて、生息地ごと外に放り出された時の為に、しばらくは地上でも生きていける術を持っているけれど、それが僕らにとっては非常にまずい」

「まずいって、何が……」

 利玖が背伸びをして、男性陣の間からハリルロウの幼虫を覗き見ようとしたので、史岐は体をずらしてそれを阻止した。

「本来、水生だと言っただろう? 地上の環境は、ハリルロウにとっては有害なんだよ。

 幼虫期はある程度、耐性があるらしいけれど、成虫の体は脆くて、水の外に出ると特殊な妖気を放出して己の体を守ろうとする。その妖気は、大抵の動植物にとっては猛毒だ」

「え」利玖がかすかに唇を開けたまま固まった。「じゃあ、あんな所で羽化されたら──」

「実家の住所が変わるだけじゃ、ちょっと済まないだろうね」

 匠は眼鏡をずらして眉間を揉み、それから、よっこらせ、と億劫そうに背を伸ばした。

「蛹になってしまったら打つ手がないけれど、今ならまだ、説得して、水の中に戻せるかもしれない。話が通じる相手かどうかはわからないけれど、やってみよう」

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