4話 つごもりさん

「そりゃ、つごもりさんじゃないかね」

 出汁だしに浸かって柔らかくなった梅干しを箸でほぐしながら、別海が言った。

 夕食の時間にはやや早いが、屋敷にいる全員が食卓についている。零時近くに振る舞われる年越し蕎麦が夕食代わりなのだが、それまで時間が空いてしまう為、茶漬けでも食べて小腹を満たさないかと真波が提案したのだ。

 茶漬けといっても、そこは料理に対して並々ならぬ熱意を持っている真波の事で、机に出されているのは市販品のふりかけではなく、彼女が一つ一つ手ずから味付けをした色とりどりの具材だった。個別の容器に分けられて、それぞれに専用の匙や菜箸がついているので、さながらビュッフェ・スタイルのように具材を選んで自分好みの茶漬けを作る事が出来る。

「つご……、え?」書庫で見た物の一部始終を話し終えて、ようやく食事にありつこうとしていた利玖は、薬味を盛りつける手を止めた。「すみません、なに森さんですか?」

「名字じゃないのよ」刻んだ漬け物を乗せただけの質素な茶漬けに出汁を回しかけながら、真波が答える。「漢字で大晦日おおみそかと書いた時、真ん中に来る漢字の読みが『つごもり』。だから、つごもりさん。わたし達が勝手にそうお呼びしているだけで、本当の名前は知らないわ」

 そこまで話して、隣に座っている匠の茶椀の中身が残り少なくなっている事に気づき、真波は傍らに置いた炊飯器を引き寄せながら片手を差し出した。

「お代わりは?」

「蕎麦が入る所がなくなります」匠はゆっくりと鮭茶漬けの出汁をすすった。「鮭が余ったら、明日の朝、いただきますよ」

「まあ……」真波は息子を軽く睨む。「明日になったら、残り物を食べてる暇なんてありませんよ。お節料理を出すんですからね」

 久しぶりに帰ってきた息子にたらふく手料理を食べさせたいという愛情が不完全燃焼を起こしている真波は、机の向かいに座っている史岐と柊牙に目を付けた。

「そちらのお二人はどう?」

 この所、早くも言葉の端々に加齢による体力気力その他諸々の衰えを滲ませるようになった匠はともかく、食べ盛り真っ只中の史岐と柊牙には、最初の一杯から有無を言わせぬ勢いで牛肉のしぐれ煮を山盛りにして出していた。

「僕は、だいぶお腹いっぱいになりました。ありがとうございます」二杯目を半分ほど食べ終えた史岐が言う。

「お言葉に甘えさせて頂きます」その横で、柊牙が米一粒残っていないぴかぴかの茶碗を差し出す。

「あら!」真波がぱっと明るい顔になった。「三杯目ね。うんうん、やっぱり男子学生さんといったらこうでなくっちゃ」

「お母さん」痺れを切らしたように、利玖が割って入った。「その、つごもりさんという方は、放って置いても大丈夫なのですか?」

「大丈夫ですよ」口に出して、よっこいしょ、と言いながら真波は五合炊きの炊飯器の蓋を持ち上げる。「集めた古本を蔵の前に出しておけば、いつの間にかやって来て、元旦の朝までに持っていってくださるわ。特にご挨拶もなし。こちらの屋敷にお見えになった事も、一度もないわ」

 柊牙に茶碗を戻すと、真波は、昼間、蔵の掃除をしていた匠に向き直った。

「何か、お渡しできそうな物はあった?」

「そうですね……、みかん箱で三つほどでしょうか。まだ、そこら中に適当に積んだままですが」

「じゃあ、後でまとめて紐で縛って、軒先に出しておきましょう」

「力が要るなら、僕と史岐でお手伝いしましょうか」しぐれ煮をたっぷり匙ですくいながら、柊牙が言った。「客といっても、所詮はただの大学生ですし。寝食の御恩にはしっかりと働いて報いてくるよう、あるじからも申しつけられております」

「そういえば、なんで柊牙さんがいるんですか?」寒天人間の怪からようやく意識が逸れた利玖が、いぶかしげに訊いた。

「柊牙君は、槻本つきもと家の使者として来ているよ」匠が簡潔に答える。

「槻本って……、え、美蕗さん?」思わぬ名前に、利玖は目を瞬かせながら兄と柊牙の顔を交互に見た。「一体、どういうご関係で?」

「ま、言うに言われぬご関係というやつですな」

 三杯目のしぐれ煮茶漬けの準備は完璧に整っている。柊牙は感無量と言った様子で、胸の前で両手を合わせると、再び箸を取ってかき込み始めた。

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