16話 巨樹
動揺を悟られないように、利玖はごく自然に興味を失ったふりをして祠から離れた。
少し風向きが変わるだけで、花の香りはまるで万華鏡を回すように多彩に変化する。
利玖は上着の袖で鼻を押さえた。
おかしい。
最初に石段を上ってくる間も、拝殿の前にいる時も、ここまで歩いてくる間も、こんな匂いはまったく感じなかった。それなのに本殿の祠に近づいた途端、普段は使っていない体の器官が突然活性化されたかのように、強烈な花の香りをとらえたのだ。
鼻腔の奥にわずかに残っている、とろけそうに熟れた果実を思わせる甘ったるい匂いを嗅ぐだけで、実物を目にせずとも、蜜をたっぷりと身に抱いた花の姿が脳裏に浮かぶ。
「……ああ、本当だ。〈湯元もちづき〉の屋根もよく見えますね」
ふいに坂城清史の声が聞こえて、利玖は慌てて顔を上げて彼の姿を探した。
そうしないと、指のわずかな隙間から入り込んでくる花の香りに意識まで食い尽くされて、今にも気を失ってしまいそうだった。
清史は、祠の反対側、温泉街に向かって木立が途切れた斜面を見下ろす位置に立っている。一眼レフを構え、鶴真に指南を受けながら市街地に向けてシャッタを切っていた。
利玖も彼の視線をたどって〈湯元もちづき〉に目を向け──そして、がく然とした。
本館の屋上。
露天風呂に竹垣の囲いがされている、その中心。
もうもうと白い湯気が立ちのぼる中に、本館に覆いかぶさるように巨大な樹が
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