9話 梓葉の配慮

 話は少しさかのぼって、ロビーで四人が柚子茶を飲んでいた時の事。

 坂城清史が『例えばだけど』と前置きをして、

『もしも、廣岡君がそうしたいと思ったら、単なる滞在記だけにとどまらず、この旅館を舞台にした小説を書いても問題はないのかな?』

と梓葉に訊ねた。

 彼女は、腕組みをして少し考えてから、

『全面的に禁止される、という事はないと思うわ』

と答えた。

『むしろ、歓迎する従業員がほとんどだと思う。はっきりと旅館の名前を書くというのなら、権利にも関わるから色々と手続きが必要でしょうけれど、今の段階ではまだ具体的な構想をお持ちではないのでしょう?』

 梓葉に問いかけられて、廣岡充は湯呑みを置いた。

『はい。それに、作中に登場させるとしても、せいぜい樺鉢温泉村という地名くらいだと思います。僕としては、そういった小説を書いて発表する事で、旅館の方が望まないイメージがついてしまうのではないか、という事の方が心配です』

『そうね……。何にせよ、最後は、能見さんや支配人がどう捉えるか、という問題に行き着くわね。彼らはここで働いていて、真っ先に影響を受ける立場にあるわけだから』

 梓葉はすらりと伸びた顎のラインに指を添えて、とん、とんと動かしながら目をつむっていたが、やがて『うん』と言って目をひらいた。

『では、その点についてはわたしから支配人に確認します。夕方の館内見学が始まるまでには回答を用意しておくわ』

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