14話 それで十分
手がかりが得られないまま、刻限が近づきつつあった。
史岐が「夜半までには戻る」と曖昧な言い回しをしてくれたおかげで、桑爪探しに使える時間自体はまだ残されている。しかし、大切なステージを控えている彼を、いつまでもこうして連れ回す訳にはいかない。
「ここで別れましょう」
沼の底のように暗い野球場の
「元はといえば、この件を呼び寄せたのはわたしです。一人で収められるように手を尽くしてみます。史岐さんはライブの準備に向かってください」
いつもなら、この手の厄介事に慣れているのは自分の方だから、などと言って譲らない史岐も、さすがに今日は唇を噛んで宙を睨むばかりだった。
「あれほど小さな物を、大学中くまなく駆けずり回って探せと言われたらとても無理でしょうが、巫女の目撃情報を追っていけば良いのであれば何とかなるでしょう」
利玖は、そこでいったん言葉を切ると、
「いざとなったら、兄に助力を乞います。やたらとバリエーションに富んだ
「無茶しないでよ」
「心配御無用です」
気丈に答えたものの、彼の顔を見ると、ぷつっと小さな罪悪感が胸をついて、利玖は「ごめんなさい」と呟いた。
「温泉同好会の部員を連れて行くという約束を、果たせないかもしれません。……あんなにたくさん、手伝って頂いたのに」
風音にかき消されそうなほど声をすぼませて、利玖が話し終えると、史岐は、とうに夕陽の残り火も消えた西の空をすいと見上げた。そして、そのまま、何事か思案するように黙り込んだ。
暗さのせいで、表情もよくわからなかったから、一体どんな言葉を浴びせられのるかと利玖は身構えたが、彼の口から発せられたのは拍子抜けするような問いだった。
「利玖ちゃんが、聞きたいと思ってくれたの?」
「……え?」
「お汁粉を買ってくれるからとか、ビラ配りを手伝ってもらったからとか、そういう事じゃなくて、利玖ちゃん自身が僕達のステージを見たいと思ってくれたのか、って事」
思いもよらない質問だった。
魅力があると思ったからこそ、自分のサークルの部員を連れて行くと言ったはずなのに、面と向かって本人にそれを伝えようとすると何と表していいかわからない。
大学の外でも史岐と会うようになってから、もう半年近くが経つ。
しかし、彼が思いを込めて歌っている姿を見たのは、たった一度だけだ。それも、眠り薬を盛られた後の事だったから、記憶が定かではない。
ただ、初めて聴いたはずなのに、遠い記憶に優しい茜がさすような懐かしさがあって、かすかに胸が切なくなったのを覚えている。
利玖は、ステージに立つ史岐の姿を思い浮かべた。
場所は空き講義室だが、照らす光が青白い蛍光灯ではあんまり味気ない。今日の為に用意された強力な照明器具が
どんな歌を選ぶのだろう。
沸き立つ観客に、どんな表情で応えるのだろう。
五十人も入ればすし詰めになってしまうような講義室の、これもまた狭い入り口から少しずつ机と椅子を運び出して、ようよう確保した空間に機材を持ち込み、観客が足を引っかけて転ばないように、それでいて、ライブの最中に機材との接続が切れてしまうような事がないように、細心の注意を払って複雑な配線を繋ぐ。
一方、講義室の外でも、年に一度の晴れ舞台をより熱気に満ちたものにする為の宣伝努力を怠らない。
そういった、部員達ひとりひとりの泥臭いともいえる努力によって作り上げられた一夜限りのステージでは、何よりも彼ら自身が、自分達には何かを表現出来るのだ、という喜びを噛みしめる為に研鑽を続けてきた集大成が奏でられる。
その中心に、史岐がいて、歌っている。
何かを思うより先に、利玖は、引き寄せられるように頷いていた。
それを見ると、史岐は
「……なら、それで十分」
史岐と別れた後も、温泉同好会の部室から借りた懐中電灯で草むらを照らして回ったり、巫女の目撃情報を集め続けたが、めぼしい成果は得られなかった。
ただでさえ人混みに精気を吸われるのに、上にも下にもありったけインナーを着込んだ浴衣という妙な格好をして、文字通り神様の落とし物を見つける使命を背負っているのだから、なおの事体力の消耗が激しい。
とっぷりと日が暮れて、辺りの景色はうすら寒い闇に染まってゆき、浴衣の裾から吹き込む風が芯まで体を硬く冷やした。
(……兄さんに、事情を話して)
助言を仰いだ後、いったんアパートに戻って、動きやすい服装に着替えてからもう一度、探しに戻って来よう。
かすむ目で、星のない空を仰ぎながらそう決めて、スマートフォンを取り出した瞬間、ボタンも押さないのにパッと画面が点いた。
驚いて身を引いたのと同時に、受話器のアイコンとともに「日比谷遥」の文字が画面に表示され、着信を知らせるバイブレーションが鳴動した。
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