13話 汐子達の接点
雨は夜になっても降り続き、バーベキューは宿舎の食堂に場所を移して行われた。
室内で炭火焼きなどしたら、スプリンクラーが作動して辺り一面水浸しになるのではないか、と利玖は心配したが、こうなる事を予想していたのか、汐子達は家庭用のホットプレートを用意していて、食堂に集まった面々はホットプレートの台数と同じ四つのテーブルに分かれて具材を焼き始めた。
利玖は匠と、史岐は遥と同じテーブルにつき、梶木智宏が音頭を取って乾杯をした。
「佐倉川さん……」
肉も野菜もあらかた食べ尽くされて、発泡酒の缶やビール瓶が出回り始めた頃、酔っ払った日比谷遥が匠の元にやって来た。
「佐倉川さんて、今、お一人なんですか」
「うん、同居者はいないね」
「そうやなくてえ……」
すると、隣のテーブルにいた東御汐子が立ち上がり、自分のグラスを持ったまま遥に近づいてきて肩を小突いた。
「だめよ、遥。佐倉川さんには、ちゃんとお相手がいらっしゃるんだから」
「え、そうなん? あ、それは……、すんませんでした」
遥は、語調とは真反対の淡泊さを披露して元の席に戻っていった。
匠は、目を瞬かせて、汐子を見る。
「えっと……、汐子さん。その事って、話していたかな」
汐子は首を振って、遥が使っていた椅子に腰を下ろした。
「覚えておられませんか? わたし、昔、佐倉川さんにお会いしているんです。確か、夏の日で……、佐倉川さんは学生服で、淺井先生の道場を訪ねて来られました」
「──ああ!」匠は一気に酔いが醒めた。「いや、これは驚いた。あの時、座敷に通してくれた学生さんか」
「はい」
汐子は、はにかんだ。
なるほど、見ても思い出せない訳である。研究室に籠もりっぱなしの生活だとつい忘れがちだが、この年頃の女性は、ほんの短い年月で見違えるような変貌を遂げるものだ。ただ、物怖じせずに相手を見つめる清閑な瞳は、八年前から変わっていなかった。
「そうか、汐子さんも経験者だったんだね。どうりで詳しいと思った」
思わぬ再会に気分が高揚して、匠はビール瓶に手を伸ばした。
「左足の重心の移動について部員にアドバイスをしていただろう? あれは、経験者じゃないと理解が難しい。……もう、剣道はやらないの?」
「はい。高校では一度、剣道部に入ったんですけど、試合でアキレス腱を切ってしまって、それで辞めました」
これまでにも幾度となく同じ質問をされてきたのだろう。汐子は名簿でも読み上げるような、平淡な口調で答えたが、匠は思わず顔をしかめた。
「それは……、辛かったね」
「いえ。まだ入ったばかりの頃でしたから、それほどでは」
一方、実はその時、匠のそばには利玖が座っていた。
自分で炙って皿に取っておいた野菜を
(史岐さんの所にでも行きますか)
と立ち上がったのだが、そこに、先ほどより明らかに顔の赤みが増した日比谷遥が転がり込んできた。
彼女は、自分がいかに東御汐子を心配しているか、この猛暑続きの中であんなに食が細くてはいつか絶対に倒れてしまう、何があったのかを梶木智宏に問いたださなければならない、しかし、彼が決して汐子が嫌がるような真似をする人物ではない事もよく知っている……、というような内容を、表現を変え、切り口を変え、三周ほど語った所で回り切ったカセットテープのようにどん、と机に突っ伏した。これは、温泉同好会の飲み会でもまま見かける光景であるので、利玖はいつものように肩を揺すって彼女を起こし、水を与える作業に徹さなければならなかった。
だから汐子も、一瞬、自分と匠以外には、ここに誰もいないような錯覚をしたのだろう。
「
汐子が、兄の婚約者の名を口にするのが聞こえたので、利玖は何の気なしにそちらに顔を向けた。
次の瞬間、目に飛び込んで来たのは、蒼白になって自分を見下ろしている兄の顔だった。
はっきりと感情が表れる事が少ない兄の目に、今は、見ているこちらの息が止まるような緊張が宿っている。
瑠璃の名を聞き、自分がどんな反応を示すのか、一つたりとも見逃すまいとする視線が、
──自分は以前にも、この目に見つめられた事がある。
そう気づいた瞬間、身が縮むような痛みと吐き気が腹の底からつき上げてきた。
利玖は立ち上がった。
すいません、と言ったつもりだったが、声に出ていたかどうか、わからなかった。
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