そんな未来も悪くない

小湊セツ

素敵な未来が変わったら嫌だから

 二学年下に王太子アレクシウスが入学してから、サフィルスの日常は一変した。王太子は付き人が居るにもかかわらず、何かにつけてサフィルスを呼び出しては、あれこれとくだらない用事を言いつける。


 試験勉強に付き合えとか、一緒にパーティに参加しろとか、あの教室が狭いから増築しろだとか……そんなものはまだマシな方だ。

 昼休憩が長過ぎるから王宮から料理人を呼んで、中庭で屋外焼肉して全校生徒に振る舞おうと言い出した時には頭を抱えたし、近くの街を荒らす悪竜を二人で退治しに行こうと誘われた時は、流石のサフィルスも気を失いそうになった。


 王太子に悪気が無いのはわかっている。騎士養成を目的とした学院ゆえ、日常の運動量が多いため、男子生徒はいつでもだいたい腹を空かせている。肉料理なんて大歓迎だろう。悪竜退治だって、世のため人のためになることだ。褒めるべきところである。


 しかしながら、やり方がいちいち突拍子も無く破天荒過ぎるので、“予言者の瞳”という未来視の魔眼の力で、ある程度予想と覚悟ができるサフィルス以外に、彼について行ける人間が居ないのが現状だ。


 サフィルスにしてみれば面倒なことこの上無いが、慕われてはいるようなので、表立って文句は言えない。

 今年のサフィルスの誕生日には、青玉サフィルスの名にちなんで、大粒サファイアをあしらったどう見ても貴婦人向けのネックレスを贈られたりもした。

 軽く見積もっても、ちょっと大きめの城が買える値段がする贈り物に、『一体何があったんだ!?』と大公ちちから説明を求める手紙が来たが、理由はサフィルスにもわからない。訊かれても困る。


 本人にお礼を申し上げるついでに理由を問えば、『良い色だなぁ! サフィルスの眼にそっくりだなぁ! って思ってさ! ああ、心配すんな。俺が魔物退治して稼いだ金で買ったから』という答えが返って来た。悪気が無いというよりは、思いつきから実行までの間に、何も考えていないのかもしれない。


 次期国王の王太子が、学院に内緒で魔物退治して金を稼ぎ、財産を持っていることに驚いた。しかし、もはや突っ込むのにも疲れたサフィルスは、特にいいわけを足すことなくその旨、手紙にしたためて父に報告した。大公家では緊急会議が開かれたらしいが……なんとも頭の痛い話である。


 王太子の破天荒な話は枚挙に暇がない。付き合うのは大変ではあったが、サフィルスは王太子に振り回されるのは嫌いじゃなかった。魔眼の力で未来を垣間見るサフィルスにとって、予想外の事件を起こされるのは、運命に逆らっているようで少しだけ楽しい。


 しかし、学院に入ってから仲良くなった二人の友達と過ごす時間が減ってしまったことは、とても寂しく思っていた。ひとりになった時に、世界にたったひとり取り残されてしまったような寂寥感に苛まれるのだ。





 その日もまた、王太子の無理難題と格闘して、全てクリアした頃にはすっかり日が暮れていた。

 真っ暗な校舎内をひとり、とぼとぼと寮に向かって歩いていると、正面から男二人に女ひとりの三人組が横並びに話しながらやって来たので、サフィルスは咄嗟に壁際に寄ってやり過ごした。


 廊下を歩く時は広がって歩くな。話に夢中でも前を見て歩け! 道を開けてもらったらお礼ぐらい言え!

 やや苛つきながらサフィルスが振り返ると、そこには夜闇が濃く満ちて、物音ひとつ聞こえなかった。眼の奥が重くなるような感覚に、魔眼がのだと理解する。


 よくよく考えてみれば、この時間に校舎に向かう学生は、忘れ物を取りに来た私服の学生だろう。しかしサフィルスが見たのは、制服の学生だった。辺りは暗いのに、学年を表すネクタイの色もしっかり覚えている。

 真っ暗な廊下を歩いているのに、明かりを持っていなかったのもおかしいし、彼らは談笑していたのに何を話していたのか一切聞こえなかったのも妙だ。

 だが何よりも印象深かったのは、三人のうちのひとりの男が、自分にそっくりに見えたことだ。


「……ねぇ、まさか今視たのは、君の未来?」


 壁に額を着いて問いかけても、答えが返ってくるはずがない。でももし、誰か、或いは何かの未来の中にあの三人が居るのなら……。





「おう、おかえり! 今日は早かったね」


 寮の部屋の扉を開けると半裸の男が振り返る。ルームメイトで友人のエリオットだ。風呂から出たばかりなのか、濡れた黒髪から湯気が立っている。なんでもない、いつも通りのやり取りが愛おしい。


「ただいまー。もう、聞いてよエリオット! アレクってば、本っ当に馬鹿なんだよ!」

「あははっ! 殿下また何かやらかしたのー? まぁ待て待て。もう少ししたらレグルスも来るから、一緒に聞くよ。その間に風呂でも入って来たら?」

「寝ないで待っててよ!?」

「わかった、わかった」


 自分の机に荷物を置いて、着替えを持ってバスルームに入る直前、サフィルスはふと、エリオットに問いかけた。


「ねぇ、エリオットって、他の学年に妹か女の子の親戚が居たりする?」


 タオルで髪をガシガシと拭きながら、エリオットは不思議そうに「いや、居ないと思うよ」と答えた。


「俺はひとりっ子だし、親戚の話なんて聞いたことないな」

「……そっか。やっぱりそうなんだ」


 エリオットの答えに、サフィルスは嬉しそうに頷きながらバスルームに入っていった。


 ――その不思議な質問の真意をエリオットが知るのは、それから約三十年後のことになる。

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