第二夜 - 深紅の寸鉄

 せわしなく行き交う人の波。

 夕焼けに朱く染まる、角砂糖で出来たような白く四角い建築物。

 夕暮れの駅前。

 長夜柾人はぽつんと一人、煙草をふかせて突っ立っていた。

「…………」

 彼は今、人待ち中だ。

 もう20分近くここで立ちっぱなしであるが、学生のアンケートも、宗教の勧誘も話しかけて来ない。

 ぼさぼさで整えていない頭、無精髭、着崩したスーツに、くるぶしまである厚手の黒コート。これで長身で目つきが悪いというのだから、迂闊に近寄れない。特に季節はようやく夏が過ぎたといったあたりで、さすがにこのロングコートは周囲から浮いていた。

 しかしこれは彼の防具であり、これから仕事に臨もうという時に脱ぐわけにはいかない。

 とはいえ……

「くそあちい……」

 さすがに本人も辟易していた。

 そもそも本来こんな人目につく場所で人と落ち合う予定はなかった。

 原因は相手方にある。直前になって急に、自分の代わりをよこすからと言って、この場所を指定してきたのだ。

 仕事は一人を好む彼も、パトロンの意向であれば仕方ない。幸い見知った相手であったし、相手の実力・能力ともに熟知している。今回限りの協力者という事なら、と納得したのだったが……

(まあ……きちんと殺せる奴なら何でもいい)

 今さら文句を言っても始まらない。それに相手のやる事は簡単だ。ただ待ち構えて、出てきたやつを殺せばそれで仕事は終わり。その後になって捕まろうがどうなろうが知ったことじゃない。

 そう自分を納得させたところだった。

「すいません、長夜さんですか?」

「……あ?」

 いつの間にそこにいたのか、目の前で一人の少女がこちらを見上げていた。

 小柄な制服姿の少女だった。片目を隠すようなストレートのセミショートヘアーで、可憐と言って良い容姿だが、見上げる目と表情からは気だるげな雰囲気が漂っている。

「長夜さんですよね? そんな変態みたいな格好してる人、他にいませんよ」

「……………………」

 ひくっと長夜の顔が歪む。喉の奥から出かけたものを、なんとか飲み下す。

 少女は長夜の様子に頓着しないで言葉を続ける。

「尾梁綸区です。今日は師匠に代わってよろしくお願いします」

 綸区と名乗った少女は、何食わぬ顔でぺこりと会釈した。

「……師匠………おい、まさか浦斑のやつか……?」

「はい。師匠から聞いてません?」

「……ちょっと待ってろ」

 長夜は携帯を取り出し電話をかける。

 するとワンコールにも満たないうちに通話が繋がった。

『ハローハロー、やあ旦那、女子高生はどうっすか』

「おいクソ野郎。どういう事だ」

『どういうもこういうも、俺の弟子ですよ。愛弟子ですよ。愛してます、ハイ』

「誰がロリコンアピールしろと言った」

『あっはっはっ! いやーねぇ、ホントは俺が行くつもりだったんだけど……今ちょっとまずくってね。変な鎧に襲われてる』

「そうか、死ねよ」

『ちょっ、マジ死にそうなんだからやめて! 俺ノーマルだからアンタ達みたいな化け物とやり合いたくないんすけど!』

「大人しく地獄に落ちとけ。毛も生えてねえガキを"コッチ"に引き込みやがって」

『あ~……そりゃあまぁ、その……しょうがなかったというか』

「何がだ」

『才能の煌めきに抗えなかった』

「……………………」

『まーまー、彼女も嫌がってないし』

「お前、こういう事は……」

『分かってるって、その子だけですよ。旦那の前で悪いこたぁ出来ないからね』

「……………」

『仕事に関しては安心して。殺しは俺よりも上手いから』

「……分かった。切るぞ」

『あ、ちょっと待って最後に……』

「なんだ」

『ちゃんと毛は生えてます』

 プツッ。

 長夜は通話を切った。

 そして大きく空に向かって息を吐く。

「どうでした? やっぱり本人じゃないと駄目ですか?」

「いや………」

 どうしたものかと長夜は思案する。

 志我崎に連絡して、代わりの人員を手配させるか。だが今回の仕事で、浦斑建昇よりも適任者は居ない。

 困っているのは長夜だけでなく、綸区も同様だった。

「あのー……できれば任せて欲しいんですけど。その……私もこれでお金貰ってますし……」

「……………」

 綸区を見る長夜の目は複雑だ。

 決めあぐねる長夜に、綸区が仕方ないといった感じに提案する。

「じゃあ、これでどうですか?」

 長夜が聞き返そうとした時、その首に冷たい感触が当てられていた。

「――――っ」

 医療用のメスのような、小さな刃物だった。

 長夜は首筋に当てられるまで、全く反応できなかった。

 速くて見えなかったのではない。"見えていたのに気付けなかった"。

 つまり彼女がその気になれば、長夜自身に気付かれる事もなく殺せたという事だ。

「……なるほど、弟子だ」

「はい。不本意ですけど」

 綸区は何でもなかったような自然な動作で刃物を仕舞う。

「しょうがねえ。行くぞ」

「はい。……あれ、どうしてファミレスに入っていくんですか?」

「打ち合わせだ。こんなクソ暑い場所で話してられるか」

「……そんな変態的な格好」

「うるせえ黙って来い」

 長夜は綸区のツッコミを封じて、早足でファミレスに入っていった。




「ファミレスで人殺しの打ち合わせするなんて思いませんでした」

「駅前で光りモノ出してる奴が言うか」

「誰も気がつきませんから」

 とはいえ店内はお世辞にも賑わっているとは言えない様相だった。

 長夜はソファーに背をもたれかけて、コーヒーをすする。

「だいたい打ち合わせもする事がねえよ。俺が穴熊を狩り立てて、お前は待ち伏せて殺るだけだ」

「そういうもったいぶった言い方が格好いいと思ってるんですね」

「……てめえ……」

 長夜が睨みつける。

 すると綸区はビクッとして視線をそらす意外な反応を見せた。

「……すいません」

「何がしたいんだお前は」

「いや……長夜さんみたいな人と話すの初めてで。ちょっと、かなり怖いです」

「素人かよ……」

「そうですよ。少しは頭を使って話せませんか?」

「だからなんでテメーはわざわざ挑発するんだ!」

「わっ」

 たまらずカップでテーブルを叩く長夜。

 綸区は再び怖がり、背をのけぞらせている。

「そ、っ……それは師匠がそういうキャラでいこうと」

「あの野郎か……」

「"寸鉄殺人"って通り名にしようって。この四字熟語は言葉の通りに短い刃物で人を殺すというのと、もうひとつ意味があります。知ってます?」

「知らん」

「学がないんですね。中卒ですか?」

「うるせえクソ。中卒で悪いか」

「あ……すいません」

 綸区は申し訳なさそうに頭を下げる。

「謝ってんじゃねえよ……それで意味は何だって?」

「ええと、短い言葉で相手の急所を突いて傷つける事、です」

「最悪じゃねーか」

「私も気に入ったのでこれでいこうかと」

「それで自分がびびってどうすんだ」

「そこは慣れと……危なそうな人には触れないようにと。あ、師匠が長夜さんは優しいから大丈夫だって言ってました」

「……まあ……ほどほどにしとけ」

 長夜は諦めた様子でサンドイッチに手を伸ばす。

「そういえば師匠も、いつも毒を吐くよりここぞといった時に深く抉り込むのがいい、って言ってました。その方がいいんですか?」

「勝手にしろ……」

 激しく精神を摩耗した長夜は既にまともに受け答えする気力もなく、黙々と軽食を口に運ぶ作業に入った。

 綸区も運ばれてきたスパゲティーに手をつける。

 しばらく二人ともに無言で、カチャカチャと食器の音だけが響く。

 二人は会話がなければ間が持たないという発想がなく、無言の時間を自然に受け入れていた。

 やがて綸区がデザートのティラミスに取りかかった時、ふと思いついた長夜が言葉を投げかける。

「おい」

「はい?」

「太るぞ」

 綸区の手がピタッと止まる。

 数秒間停止した後、何事もなかったように動きを再開させる綸区。

「大丈夫です。太らない体質なので」

「ほー、確かに言われてみりゃあ貧相な体格だったな」

 再び綸区の動きが止まる。

「……女性にそんなこと言うなんて最低ですね。見た目だけでなく中身まで変態ですか」

「バーカ、出るトコも出ないガキが女のうちに入らねえよ」

「少し言われたくらいで言い返すなんて、思ったより子供なんですね」

「ん? 俺が大人かどうか見たいか? 大きく育ってるぞ、俺の息子は」

「最低……」

 綸区が長夜に軽蔑の眼差しを向ける。

 長夜は言い負かした事に気分を良くして、かっかっと笑って二杯目のコーヒーを口に運ぶ。

「ま、いっぱしに女を気取るなら、ちっとくらい色気をつけてから言ってみろってブフオァ!」

 突然、口に含んだコーヒーを吐き出す。

「てっ、てっ、てめぇっ……!」

 長夜は口元をおさえて綸区を睨みつけた。

 綸区の手にはタバスコが握られている。

「どうかしました? タバスコの神から天罰を受けたような顔してますよ」

「そんなもんがあるか……くそっ」

 長夜はコーヒーの飛び散ったテーブルを拭いて立ち上がる。

「入れ直しだ……おい、ついでに飲み物入れてきてやる。何がいい」

「お断りします。ドリンクバーのオールブレンドとか興味ないので」

「ちぃぃっ……」

 長夜は悔しそうに舌打ちしてコーヒーを入れ直してくる。

 二人とも食事は終わり、時おり飲み物に口をつけてまったりとしている。

 今度先に口を開いたのは綸区だった。

「長夜さんって……どうしてこの仕事してるんですか?」

「あ?」

「言いにくいことならいいんですけど」

「………………」

 長夜は窓の外を見て、少し考えるようにして……

「お前、悩んでんのか」

「え?」

 逆に問い返されて、綸区は大きく目を開く。

「"コッチ"にいる奴は、誰も人にそんなこと聞かねえ。そいつは明日には死んでるかもしれねえ。今夜には敵になってるかもしれねえ。そんな奴の背景なんぞ、知っておく事はない。むしろ知らない方がいい……いざって時に鈍るからな」

「………………」

 綸区は長夜の話を聞いて、その意味をしっかりと把握するように頭の中で反芻する。

 やがてぽつりと綸区が独白するように語り出す。

「師匠は『出来るから』って言ってました。自分が出来る事に気付いたから、それだけだって」

「あぁ……アイツはな……」

「私は特にないんです。そんなに楽しくないし、べつに嫌でもないし。世間一般的には悪い事だとは知ってるけど……そんなに悪い事なのか……いや、そもそも悪い事なんてあるのかな、って」

「…………………」

 長夜は無言で取り出した煙草に火をつける。

 吐き出した煙があたりに漂うと、綸区は少しだけ嫌そうな顔をした。

「……昔から、自分は少し変だったんです。うまく言えないけど……他の人の意識が今どこにあるのかっていうのが、なにか明るい場所が移っていくような感じに、なんとなく感じられて……なんでみんなこんなに無防備なんだろうって、不思議だったんですよ」

 長夜はじっと綸区の話を聞いている。

「そのうち自分がちょっと他の人と違うんだな、って分かってきて。でも何も困ったりしないし気にしてなかったんですけど、学校帰りにいきなり変な人に話しかけられて。まあ師匠なんですけど。それで才能がある! って言われて、なんとなく教わるような感じに」

 そのくだりに、長夜は若干呆れた様子を見せる。

「お前適当すぎんだろ……変な奴について行くなって習わなかったのかよ」

「いえ変な人だって分かったのは後の事だったので。パッと見、少しテンションの高いカッコイイお兄さんでしたし。夏でも黒コートの不審者と違って」

「ぐむっ……」

 気を抜いていたところに寸鉄が飛んで来て、長夜がうめく。

「いやでも本当、自分でも適当だとは思うんですよね。なんだか、その辺のおじさんおばさんと変わらない生き方するよりは、危険でもこっちの方がいいかなって、そんな感じで。死んじゃってもそれはそれでいいかな、って思うんですよね。……やっぱりこういうのって、いけないと思います?」

 綸区の問いに長夜は煙草の煙を長めに吸い込んで、吐き出して答える。

「自分で考えてるなら、俺はどうしろとは言わねえよ。お前の人生だ、好きなようにやれ。ただ忠告だけしておくと……」

 す、っと目を細めて綸区の目を見据えて、言う。

「お前が"コッチ"を甘く見てるのは間違いない。死にたくても死ねない事態になる可能性も、そう低い割合じゃなく在ることを覚えておけ」

「う……はい」

「それともうひとつ。俺は人を殺すのが悪いとは言わねえ。だが死んだ方がいい人間は存在する。お前がまだ少しでも生きていたいなら……死んでもいい側の人間にはなるな」

「それは……警察みたいな人がいる、っていう事ですか?」

「俺が殺す」

「へっ……?」

 綸区がきょとんとした顔で長夜を見つめる。

 長夜の瞳は、微塵も笑っていなかった。

「さっき聞いてたな、俺がなぜこの仕事をしてるかって。それは正義のためだ。俺は俺の信じる正義のために、悪党どもをこの手で殺している」

「……正義…………」

 きっと他の人から聞いたら、笑ってしまうような内容だったろう。

 しかしそれを語る長夜は、これ以上なく真面目で……真摯ですらあった。

「ま、俺から言えるのはこれだけだ。後は今日の仕事を終わらせてから考えるんだな」

「……はい。そうします」




 尾梁綸区は一人、シティホテルのロビーにいた。

 長夜柾人のバイクの後ろにまたがって、連れて来られたのがここだった。

 ホテルに着いた時点で柾人に一万円札を手渡され、それで割高なコーヒータイムを味わっている。

(ああいう気前の良さはかっこいいかなぁ……)

 綸区は父や学校の先生、そして殺しの師を除けば、今までこれといって年上の男性と話す機会はなかった。

 第一印象では不衛生でいかがわしい風体の中年男としか思わなかったが、少し接するうちに考えが変わってきた。

 当たり前のように二人分の会計を支払ったり、やたら大きなバイクを乗りこなしていたり……そういった所に「大人の男」を感じていた。

 財布を持っていないのはさすがにやりすぎじゃないかと綸区は思ったが、しかしながら皺のない万札をポケットから抜き出して渡された時は惹かれるものを感じた。

(……お金かぁ……)

 綸区は自分の現金さをしみじみと実感する。

 援助交際をしているクラスメイトの気持ちが、少し分かったような気がした。

(でもあの性格じゃなぁ……)

 人のスタイルを馬鹿にして子供扱いしたり、面と向かって下ネタを言うような相手だ。思い出しただけで、綸区の眉根に皺が寄る。

 それに見た目は大人でも、内面はまるで子供だった。

(……正義のため、って)

 あんな事を真顔で言ってのけるのは、今日び中学生でも見かけない。

 もちろん彼は力を持つ人間であり、中学生特有の症状とは訳が違う。

 だとしても……いや、だからこそ、綸区にとっては不可解であった。

 正義なんかのために危険を冒して戦って、それで彼は虚しくならないのだろうか。

 どれだけ彼に力があろうと、世界中の悪を根絶させる事は不可能だ。

 どうせどこかで「性格だから」「これが生き甲斐」などと自分に言い訳をして、当初の理想から妥協し、惰性のままに続けなければいけなくなる。

 それなら最初からお金のためと割り切ってしまえばいいのに……と。

「………はぁ」

 こういった事を考えると気分が沈んでしまう。

 自分がいかに空っぽであるかと、理解させられるから。

 綸区も、なにもお金が世の中で一番大事だとは思っていない。

 だが、だからといってお金よりも大事なものは何か? というと……自分には浮かぶものがないのだ。

 それはたとえば信念。

 あるいは情熱。

 または思想。

 そういった、人生の目標と成り得る"何か"が欠けていた。

 長夜柾人にとっては、それが"正義"なのだろう。

 別にそんなものなくても、つつがなく暮らしてゆけるという事は分かっていたけれど――それでも、その"何か"を持つ人に対して嫉妬じみた感情を抱いてしまう。

「はぁ~……」

 もう一度ため息。

 綸区はこれ以上暗くなるのはやめて、ぬるくなったコーヒーを飲み下した。

 家に帰ってからゆっくり考えよう。かなり嫌だが、師匠に相談してみてもいいだろう。

 綸区は視界の端にあるエレベーターに目を向けた。

 もうしばくすれば、ターゲットが出てくるはずだ。それを誰にも気付かれぬよう処理して終わり。

 徐々に人通りも多くなってきた。

 夕日はもう見えない。

 じきに夜の帳が降りるだろう。




 長夜柾人は非常階段を通って、ホテルの最上階フロアに足を踏み入れた。

 今回の標的は68歳の英国人男性、ロレント=チャールソン。錬金術師であると同時に資産家で、創薬研究を中心に様々な事業を展開している。

 彼は今、このホテルの最上階フロアを丸ごと貸し切って居住している。

 長夜がエレベーターではなく階段を使ったのは、待ち伏せや罠を警戒してのことだ。

 用心深く人の気配を窺う。ひとまず付近に人の気配はしない。

 不意打ちに警戒して慎重に進んでいく。が、身を隠すことはしない。

 なぜなら、このホテル自体がロレントの出資であり、建物内での怪しい動きはすべて見張られている。魔術師の根城に足を踏み入れるとは、そういう事だ。奇襲はまず通用しない。

 そしてロレント=チャールソンの専門は錬金術であり、戦闘は不得手だ。長夜が最上階に上がった時点で、既に標的は別ルートから下の階に逃れているだろう。

 故に長夜は囮。本命は綸区だ。

 とはいえ、何らかの罠が仕掛けられていないとは限らない。また、自身が囮だと勘付かれないようにしなければならない。

 そういったわけで、長夜は警戒しつつ最上階を探索していく。

「ん……?」

 ふと、かすかな物音が耳に入った。

 耳を澄ますとそれは、金属のこすれるような音に聞こえる。

 長夜は音のする部屋の扉に近付き――当然マスターキーなど持ち合わせていないので――コートの中から折り畳み式の槍を取り出し、カッと捻って組み立てると……一息に扉へ突き込む!

 魔力を乗せた突きは破壊力を増し、扉はひしゃげて部屋の中に転がる。

 長夜が中を覗くとそこには……長大で分厚い直剣を手にした、2メートル近いフルプレートメイルがこちらに正面を向けて立っていた。

 全身鎧は長夜の姿を認めると、大剣を片手で振りかぶり、猛然と突っかかってくる!

「降魔―――」

 と、言いかけて止める。代わりに素早く廊下に退避して攻撃をやり過ごす。

 鎧は制御が効かないのか、廊下に飛び出したまま、向かいの壁を突き破る。

 派手な轟音。そして震動が伝わってくる。

「おいおい……勢い余ってんな」

 長夜が空いた穴から覗き込むと、ガシャガシャ音を立てながら起き上がろうとしている。

 ロレントの手下か使い魔か。おそらくは足止めのために残されたのだろうが、長夜のやるべき事は敵を倒す事ではなく、時間を潰す事だ。

 降魔術は強力だが魔力の消耗が激しく、長期戦に適さない。

 降魔術に頼らずともあしらえそうな相手なのは幸いだった。

 起き上がった鎧を見て、長夜は最初に鎧が居た部屋に入る。適当にあしらうなら、廊下より広い方がいい。

 鎧は馬鹿正直に追ってくる。再び振りかぶり叩きつけてくる剣を、長夜は槍を使って受け流す。

 鎧の重量を考えれば尋常ではない速度だが、その動きはあまりに稚拙すぎた。ただ走り、力任せに剣を振り回す……そんな感じだ。

(人形か……だがこれは……)

 鎧から量のマナが発散されているのを感じる。考えるまでもなく、魔術で鎧を操っていると分かる。

 だが長夜は違和感を覚えた。ただ鎧を動かしているだけにしては、変に魔力が大きい。それに魔力の流れが、鎧の範囲を超えて覆っているように感じられる。普通こういった無駄は極力省かれるものだ。

(……ちっ、わかんねえ! どうでもいいだろ面倒くせえ)

 少し考えた結果、長夜はスッパリと追究を諦めた。

 元からマナの感知については、あまり得意ではないのだ。むしろ実践的なレベルに達している魔術は、ひとつしかない。それ以外は素人に近い、半端物の異端……それが長夜柾人だ。

 鎧の動き自体は滅茶苦茶だが、重量とパワーは相当なものだ。腕の一振りごとに机、椅子やベッドなど、ありとあらゆる部屋の備品が粉砕されていく。長夜は飛び散る破片に注意しながら、敵の攻撃を躱す。

 そのまま避け続けていると、向こうの動きが少し慎重になってくる。

「どうした、疲れたか?」

 とはいえ付き合わないわけにもいかない長夜は、隙を見て鎧の肩に槍を叩きつける!

 鎧は思った以上に頑強で、ほんの少し傷をつけただけだった。

 長夜は再び間合いを取ろうとする。が、不意にガクンと引き戻される。

「……あ?」

 いや、引き戻されたのではなかった。引いたはずの槍が、鎧に張り付いたように動かないのだ。

「ッ――!」

 長夜はとっさに槍を手放して後ろに跳んだ。

 重剣が鼻の先を通り過ぎる。

(何だ――?)

 と、鎧を見て長夜はぎょっとした。

 長夜の槍が鎧の周囲に浮いている。それだけでなく、床に落ちた花瓶や椅子などの破片も。

 長夜は考える前に走り出した。それに一歩遅れて、長夜がいた場所に槍とその他の破片が降り注ぐ!

「くそっ! 何だこりゃあ!」

 言っている間にも、相手は周囲にあるものを手当たり次第に飛ばしてくる。

 長夜は転がるように部屋を飛び出した。

 相手は――追って来ない。

『……ふ、こんなものか。殺し屋というのは』

 余裕のためか、ここにきて急に話しかけてきた。

 その声は、明らかに機械を通した合成音声だった。

 長夜は壁越しに向こうの様子を窺ったまま、冷静に相手の能力を分析する。

(……飛ばしてきたのは、自身の周囲にあったものだけ。一定範囲にあるものを動かす……か)

 見た感じでは、その範囲はかなり狭い。鎧の周囲30~50cmそこらといったところか。

 加えて、既に動いているものには作用しない、あるいは難しいものと思われる。長夜自身が何度もその範囲に入っているからだ。

 相手は得意げな感じに、言葉を続けてくる。

『仲間を失っても一人で来るとはな……その度胸は誉めてやろう』

「――なに?」

 その言葉に聞き返す。

『あの男は私が殺した』

 長夜の脳裡に、少し前に交わした会話が蘇る。

 ――今ちょっとまずくってね。変な鎧に襲われて――

 いつ命を狙われるか分からない稼業だが、偶然ではなかったという訳だ。

「……くそが」

 怒りを隠さず呟く。

 しかしその対象は、壁の向こうの相手ではない。

(くそ志我崎のくそ野郎がっ……!)

 つまり志我崎の所から情報が漏れていたという事に他ならない。

 とはいえ、現在の状況に関しては何も変わる事はなかった。「仲間を失っても一人で来るとは」ということは、尾梁綸区については知られていない。予定は変わらず、不幸な死体がどこかでひとつ増えただけだ。

『安心しろ、お前もすぐに仲間のもとへ送ってやる』

 長夜の呟きを勘違いしたのか、優越感に浸ったように言う。

 部屋の中からガシャリと音がする。話は終わりという事だろう、一歩ずつ近付いてくる。

(……そろそろいいか)

 時間的に、逃げた標的が下に着く頃合いだ。これ以上、相手に付き合う必要はない。

 意外な能力と予想外の情報があったが、何も問題はない。

 長夜はゆっくりと廊下から姿を現した。

『む……! 覚悟が出来たのか?』

 少し驚いた様子の全身鎧。

 長夜は答えず、人差し指を上にし、ちょいちょいと引いてみせた。

『いいだろう、死ね――!!』

 全身鎧はテーブルを粉砕し、大小様々な破片を長夜に向かって飛ばす!

 長夜は落ち着き払って呟いた。

「降魔―――クー・フーリン」

 その瞬間、相手には長夜の姿が膨張したように見えた。

 それは溢れ出た魔力が見せた錯覚に過ぎないが……人間離れした超高密度の魔力は、化け物じみていると言っても過言ではない。

 長夜は迫り来る破片を、腕の一振りで振り払う!

 そして跳ぶように駆けると、部屋の壁に突き刺さった槍を掴んで引き抜く。

「こいつがないときついんでな」

 悠然と槍を掲げ、波打つ髪を逆立てる長夜の姿に……全身鎧は言葉を失った。

 長夜が槍を振りかぶって、跳躍。

 全身鎧は迫り来る脅威に後ずさり、剣を盾にするように掲げる。

 斜めに振り抜かれた槍が、鋼鉄の剣を、白銀の鎧を、圧倒的な力でそぎ落とすように切り裂いた。

 ――暴風が巻き起こる。

 例えではなく、その一撃の余波で、部屋の中を荒れ狂う風が席巻した。

 風が治まった時、部屋の床にはすっぱりと斬り離されたフルプレートメイルの胸部と、半ばから叩き折られた剣が転がっていた。




 綸区の視界がロレント=チャールソンを捉えた。

 綸区は標的の名前や背景まで何ひとつ知らされていないが、写真で見せられた顔はすぐに分かった。

 三つ揃いのスーツに円筒型の帽子を両手で抱えた、上品な老紳士。いかにも人の良さそうな顔つきで、優しい笑顔を両脇にいる少女に向けて話している。

 紳士は二人の少女を連れていた。少女の方は日本人。おそらく双子だろう、そっくりな容姿とお揃いのフリルワンピース。小学生くらいの可愛らしい少女が、左右からロレントの両腕を掴んで取り付いている。

 子供を連れているとは考えていなかった綸区は少し戸惑うが、動きそのものは止まらず、席を立って歩き出す。

 男性と少女の関係は何なのか……男性の死を目にして少女達は何を思うのか……綸区の脳裡に後ろめたさが渦巻く。

 しかしその動きは微塵も淀みない。ポケットからメスのような刃物を取り出す。

 ――「才能がある」……彼女をこの世界に引き込んだ張本人はそう言った。

 まだこの時点では、綸区にはその真意は分からない。

 ただ言われたようにやるだけで。

 なぜか自分は出来ると感じている。

 ――標的と接触する。

 すれ違うように。両脇にいる少女も問題なく。行き交う人に紛れて。

 切る。

 力まず急がず、そうであるのが自然であるかのように。

 誰も気付かず、当の本人ですら何も疑問に思わず、歩き続ける。

 やがて綸区は背後でプシャッと水の噴き出る音と、続いてゴトッと人が床に倒れる音を背後に聞いた。

 ロビーから悲鳴があがる頃には、綸区はもう建物の外にいた。

 そのままホテルの敷地から出よう歩を進める。

 だが、その時だった。不意に背後から、制服の裾を掴まれる。

(え……っ!?)

 綸区の心臓がドクンと跳ね上がった。

 まさか、見咎められたのか――?

 そんな筈はないという思いと、ひょっとしたらという不安が胸の中で膨らんで鬩ぎ合う。

 胸中の黒くざわざわしたものを押さえ込んで振り向く。

 どこかいたずらっぽい、妖しい笑みで……少女が見上げていた。

 少女の小さな唇が囁く。

「見ちゃった」

「な―――」

 何を、と言いかけたところで、視界の端にあるものを見た。

 それは赤く爛々と煌めく、もう一人の少女の瞳。

 綸区の意識は、その瞳に吸い込まれるように……暗い海の底に沈んでいった。




「…………ああ?」

 胸から上をなくしたフルプレートメイルを覗き込んだ長夜が見たものは……恐怖に震えながら自分を見上げる少女の顔だった。

「――ひっ」

 長夜が近付こうとすると、少女が悲鳴をあげる。

 同時に、先ほどまでの合成音声も聞こえてきた。よく見れば少女の口元に集音マイクのようなものが見える。

「さて、こいつはどうしたもんか――っと……!」

 いきなり長夜の手にした槍が動き出し、穂先が持ち主の首元を狙う!

 長夜はそれを避け、槍から手を離して距離をとった。

「なんだ、まだやる気か?」

 少女は怯えながらも、槍を浮かせて長夜を睨みつけている。

「あ、あの子たちは私が守るんだから! 絶対に行かせないっ……!」

「あの子たち……?」

 長夜は怪訝な顔をする。

「ロレントじゃないのか?」

「知らない!」

「……あの子たちってのは何だ?」

「私の妹たち……あなた達なんかを近付けさせない!」

「………チッ、めんどくせえな……」

 長夜はだるそうに頭をかいてから……不意打ちで鎧の胴部を蹴り込んだ!

 重い金属音をたてて倒れ込む鎧。

 長夜はその隙に素早く槍を取り上げ……

「降魔―――クー・フーリン」

 再び降魔術を使用する。

 しかし槍は使わない。片手で軽々と倒れた鎧を掴み上げると、床に叩きつける!

 手加減はしたものの、鎧は軽く床にめり込んだ。引き上げると、少女は鎧の中で気を失っている。

「……まあ死んじゃいねえよな」

 どのみち長夜にとっては敵対した以上、相手が誰であろうと殺すのは躊躇わない。

 ただ殺さなくていいものを、わざわざ殺す事もない……というだけだ。

 長夜は携帯電話を取り出し、電源を入れる。情報の流出について、志我崎に問わなくてはならない。

 すると電源を入れた途端に呼び出し音が鳴る。

 発信者は……綸区の携帯電話だ。

 長夜は通話ボタンを押して電話に出る。

「何だ」

『――あっ! 出た出た、やっと出たよお姉ちゃん!』

 綸区の声ではない。もっと小さい子供の声だ。

「……誰だ」

『あー、うん、あたしの名前? どうしようかな~、どうしよっか、お姉ちゃん。教えちゃう?』

 電話の向こうで、別の少女と話しているのが聞こえる。

「綸区はどうした」

『ん、この人ね。あのくそじじいを殺してくれたから、かわりに遊んであげようと思って連れてきちゃった』

「……クソジジイってのはロレントの事か?」

『そんな名前だったかな。どうでもいいよ、あんなの』

 どうも妙なことになっているようだ。

 長夜はひとまず状況を整理しようとする。

「ロレントは死んだのか」

『うん、首からぶしゅーって血を出して。ちょっと面白かったかも』

「綸区がやったのか」

『うん。あたしは分からなかったけど、お姉ちゃんは見えたんだって。すごいよね、全然わからなかった』

「お前はロレントの何だ?」

『……どうでもいいじゃん、そんなの。嫌なこと思い出させないで。それより、この人とはどういう関係なの? 恋人?』

 興味津々といった具合で、無邪気に尋ねてくる。

 長夜はうんざりしながらも、切るわけにもいかず受け答えする。

「仕事仲間だ。今回限りのな」

『ふ~ん……なんだ、つまんないの。まいっか、適当に遊んでから捨てれば』

「おい、お前」

『おじさんつまんない。じゃね』

 プツッと通話が切られる。

 かけ直しても繋がらない。電源が切られているようだ。

「……………糞ったれが」

 長夜は毒づきながら志我崎に電話をかけた。

『終わりましたか?』

「おいクソ野郎、情報が漏れてんぞ。浦斑がやられた」

『……何ですって?』

 長夜はここまでの経緯を簡単に説明する。

『ちょっと待ってください。その……尾梁綸区という娘が、浦斑の代理で来たという事ですか?』

「なんだ、知らねえのか?」

『浦斑からは聞いていません。彼の独断のようですね』

 考えられるのは、情報漏洩について浦斑が気付いていたという事。

 そして向こうは長夜一人で来たと勘違いしていたから、長夜と浦斑の会話は知られていない。

 つまり漏洩元は必然的に志我崎の所となる。

『……分かりました。この通話も危ないですね。ひとまず貴方は娘を連れて、その場を離れてください。ホテル側の処理はこちらでしておきます』

「ああ、切るぞ」

 長夜は携帯電話を懐に仕舞い込む。

 ぐったりしている少女を鎧の中から引きずり出すと、肩に担いで歩き出した。




『原因が分かりましたよ。頭に電極の刺さった鼠が出てきました。軍関係にもコネクションがあったとは……甘く見ていました』

「お前そういう所もな……」

『今回の件は完全に私の落ち度です。申し訳ありませんでした』

「まぁ不幸な馬鹿が一人死んだだけだ。それより、どういう事なんだこれは」

 元々の発端はこうだ。

 ロレント=チャールソンは魔術連盟に所属する錬金術師である。

 ロレントは連盟で「魔術処置を与えて後天的に特異能力の覚醒を促す研究」を行っていたが、研究には人体実験が大量に必要だった。

 連盟としては、あまり行方不明者を増やして国や教会を刺激するのもまずい。連盟はロレントに研究の中止を促した。……が、諦めきれないロレントは「連盟や教会の影響がない国で続ければ良いのではないか」と閃いた。

 そしてロレントは日本に訪れた。

 日本には魔術連盟の支部がない。代わりに〈護国総連〉が日本の魔術師その他を取り仕切っている。

 魔術連盟としてはロレントが一般に知られない場所で研究をしている以上、その研究に介入はしない。

 しかし護国総連にとっては、自分の庭を荒らされているに等しい行為だ。かといってロレントは未だ正式に魔術連盟に属している身だ。総連の実行力を用いて排除する事は、世界最大の魔術組織である連盟との関係悪化に繋がる。

 そうした状況で、最も具合が悪いのは護国総連魔術科の長である志我崎稔だ。

 日に日に総連内での魔術師に対する風当たりは強くなる一方。

 そこで志我崎が執った手段が、公でなく個人で抱えた殺し屋――長夜柾人と浦斑建昇――による暗殺だった。

『……おそらくロレントは研究の途中で、逆に研究対象の傀儡となってしまったのでしょう。錬金術師や召喚師にはよくある話です』

 因果応報といったところか。長夜は微塵も同情する気が起きなかった。

「それで、向こうの素性は分かったのか?」

 今、問題になるのはその研究対象についてだ。

 綸区を連れ去った少女が何者であるか。

『ホテルの監視カメラのデータを消していく中で、映っていましたよ。二ヶ月前に行方不明になった三つ子で間違いないでしょう。姓は鬼柳、名前は長女から利乃、未瑠、亞里沙の3人です』

「どこに行ったのか分かるか?」

『……少し時間がかかりますね。どうも精神に作用する能力を持つ者がいるようで、こちらでの追跡が難しくなっています』

「そうか、分かった」

 長夜は静かに通話を切って、振り向く。

「……という事で、お前に聞かなきゃならんようだ」

 そこには目隠しをされ、椅子に座った状態で両手を背の後ろに、両足を椅子の脚に縛りつけられた少女がいた。

 広さは六畳程度で、コンクリート打ちっ放しの一室。長夜が使っているセーフハウスのひとつだ。

「あ……あなたなんかに、何も言うことはないわ!」

 語意は強いのだが、相当怯えているようで、能力を使って暴れたりする様子はない。

「……………」

 長夜は無言で少女の背に近付くと、ナイフを抜いた。

 耳元で聞こえた金属のこすれる音に、少女は短い悲鳴を漏らす。

「な、なに? 何するの?」

「拷問だ。お前が喋りやすいようにな」

 言って、長夜は少女の手首にナイフを軽く当てた。……刃ではなく、背の方を。

 冷たい感触に、少女はビクリと肩を震わせる。

「自分の手首にナイフが当たってるのが分かるか? これを軽く横に引くだけで、血がどんどん流れて止まらなくなる」

「ひっ――ぅ……」

 触れているのが切れない背の部分であると分からない少女は、全身に力を入れて硬直する。

「手当をしないで放っておけば死ぬ。いいな?」

 少女は答えない。いや、答えられないのか。時おりカチカチと震えた歯が接触する音がする。

「まずは名前から聞こう。お前の名前は?」

「…………き……きりゅう……りの……」

 鬼柳利乃。三つ子の長女だ。

「ロレントと一緒にいたのはお前の妹か?」

「…………………」

「お前とロレントはどういう関係だ?」

「あ……あの人は下校中にいきなり出てきて……私たちを攫って……白い部屋で、なにか変な薬を飲ませたり、機械で電気を流されたり………」

「……お前の妹もか?」

「…………………」

「お前の妹達はどこにいる?」

「……………い、言わない。妹たちのことは言わない……妹たちは私が守る……」

 長夜は少女の様子に少し引っかかりを感じたが、ひとまず続ける事にする。

「言わないなら手首を切る」

「し……死んでも言わない……妹たちのことは絶対に言わない……!」

「そうか」

 長夜は淡泊に答えて、ナイフをすっと横にずらした。

 同時にナイフの上から、ペットボトルの水を流す。たちまち透明な水が少女の手首から先を通って、びちゃびちゃと音をたてて床に落ちていった。

「あ……いや……あぁぁぁぁ……!」

 切られたと錯覚した少女は、椅子の上でガクガクと身をゆする。

 長夜はそのまま水を流し続けながら、少女に問う。

「妹はどこだ?」

「ぃ……言わないっ……! 絶対に言わないぃっ……!」

 頑なに拒否する少女。

 完全に怯え、半狂乱に陥っているというのに、どういうわけか口を割ろうとしない。

「ひぅっ……やだぁ……死にたくないよぉ……たすけて……うぅ……うあぁぁぁぁっ……」

 少女の顔の下半分は、目隠しの下から溢れ出した涙でぐしょぐしょに濡れている。

「……………」

 長夜は水を流すのを止めると、適当な布で少女の手首を縛った。

「血は止まったぞ」

「あ………あ……は……はぁ……」

 少女はあまりの恐怖体験に、うまく息を吸い込めないようだった。

 あのまま続けていればショックで本当に死んでいたかもしれない。

(さて、どうする……)

 長夜は思案する。

 本格的な拷問を行うには道具がない。

 そもそも、この少女に拷問は無駄のような気がしてきている。自分の事は簡単に答えるのに、妹に関する事だけは異常に堅い。ひょっとすると自分の意思で「言わない」のではなく、「言えない」ようにされているのではないか。

 自白剤の手配にも時間がかかる。

 この場ですぐに出来る事というと……。

(一応やってみるか……)

 長夜は部屋の灯りを落として、時計の設定を変える。チッ、チッ、という規則正しい音が流れる。

 それから蝋燭に火をつけて皿に乗せると、少女の顔を拭いて綺麗にしてから、目隠しを取る。

 暗闇から解放された少女の瞳に映ったのは、薄暗い部屋の中で、ゆらゆらと揺れる赤い灯火。

 長夜の低い声が耳元で囁く。

「いいか、この火をよく見るんだ」

「――は、ぃ……」

 少女は喉の詰まった返事をして、言われるままに、ゆらめく炎をじっと凝視する。

「よし、じゃあそのままゆっくり息を………ん?」

 そこで長夜は異変に気付いた。

 少女の顔が寝起きのようにトロンとして、焦点の合わない瞳で蝋燭の火を眺めている。

「……なんだこりゃあ」

 催眠誘導を始めた途端、少女は一瞬にしてかかっていた。

 もちろん長夜の腕が良いとか、そういった事ではない。むしろ苦手なので出来ればやりたくないくらいだ。

 第一、いくらなんでもかかりやすいというレベルではない。明らかに異常だった。

「……自分の名前は言えるか?」

 長夜はまず軽いところから聞き始める。

「鬼柳利乃……」

 少女の呂律はある程度しっかりしている。

「年齢は?」

「13」

「妹の名前は?」

「……いえない」

「どうして言えない?」

「言っちゃダメだから。妹たちのことは誰にも話したらいけない」

「……誰にそう言われた?」

「………………」

 少女は答えない。

(自己暗示……でもないな。ん? これは……)

 ふと、長夜はそこで少女の頭部に強い魔力が留まっていることに気付いた。

 それは少女自身の魔力とよく似通ってはいるが……微妙に違うものだ。

 長夜には、それが何なのかは分からない。だが彼は経験から、呪術の縛りのような雰囲気を感じ取っていた。

 ここで長夜は質問の方向性を変えてみることにした。

「これからするのは独り言だ。ここには自分一人しかいないし、誰も聞いていない。だから何を言っても大丈夫だ。お前は何を言っても大丈夫。ただの独り言だから」

「だいじょうぶ……」

「でもお前は忘れっぽいから、思い出して確認しなきゃいけない。お前は口に出して、独り言をしながら確認する。――妹の名前は何だったろう?」

「……未瑠と亞里沙」

「ロレントが死んでしまった。未瑠と亞里沙の二人は、どこへ行くと思う?」

「……隠れ家」

「隠れ家には、どうやって行く?」

「タクシーで……」

「……タクシーで、どこに行ってもらえば隠れ家に行ける?」

「南区の……ケルスス脳科学研究所」

 これで所在の目処はついた。

 後は気になる点をいくつか聞いていく。

「自分はロレントの研究でどんな能力を得た?」

「周りのものを動かせる……サイコキネシスって言ってた」

「妹たちは?」

「未瑠は遠くのものとか、普通じゃ見えないものが見える……クレアボ……なんとか。亞里沙は目を見た人を操れる……ヒュプノシス」

 hypnosis――催眠。

 長夜は得心した。おそらくこの亞里沙という妹が、ロレントを洗脳し……さらに自らの姉に対しても、自分を守るように暗示をかけている。

 しかし厄介なのがどうも、ただの暗示ではなさそうな所だ。しかも利乃という少女に植え付けられた魔力を見るに、マナが拡散していく様子がない。通常、純粋な魔力というものは本人の体を離れると拡散して、時間の経過とともに力を失っていくものだが……人体実験で得た能力というのが関係しているのかもしれない。

 いずれにせよ長夜では解除する事は不可能だ。専門家でも、こういった特殊なケースは難しいかもしれない。およそ確実なのは、施術者本人に解除させる事くらいだ。

「よし……独り言は終わりだ。俺が3、2、1と数えたらお前は眠ってしまう。電気が消えるように、カチッと眠ってしまう。いいか……3……2……1」

 少女は電源が切れたように眠りに落ちた。




 パンッ!

「はい、もういいよ」

 手のひらを叩く音とその声で、綸区は目を覚ました。

「あ……え? ここは……」

 まず見覚えのない部屋にいることにうろたえた。

 隅々まで真っ白に塗られた小さな部屋だ。部屋の中には簡易ベッドがひとつあるだけで、病院の個室を思わせる。

 綸区はそのベッドに腰かけており、赤いフリルドレスを着た少女が正面から彼女の顔を見つめている。

「きみは、あの時の……」

 綸区はすぐに、目の前の少女がターゲットの老紳士と共にいた娘であることに気付く。

 最後にある記憶は、追ってきた少女の紅い瞳。そこで途切れている。

「ここはどこ?」

 綸区は目の前の少女に問う。

「あたしたちの隠れ家だよ」

 少女は綸区との受け答えを楽しんでいるようで、笑顔で返す。

「君が私を運んだの?」

「違うよ、あなたが自分で歩いてきたんだよ」

「……?」

 首をひねる綸区に、少女はにやにやと意地の悪い笑みを浮かべている。

 考えても分からないようなので、綸区は質問を変えた。

「君の名前は?」

「あたしは亞里沙。こっちのお姉ちゃんは未瑠」

 亞里沙と名乗った少女が手を向けた先を見ると、ベッドの隅にちょこんと座っている女の子がいた。亞里沙と同じドレスだが、こちらの色は黄色だ。彼女はあまり綸区たちに興味がなさそうで、何もない場所を見つめている。

「そう。私の名前は――」

「尾梁綸区、でしょ?」

 亞里沙はにこにこしている。

 名前の分かるものは携帯電話の他には持ってきていないはず……その携帯も個人情報はパスワードを通さなければ見られないはず。綸区は少し気味の悪さを感じた。

「君達は、あのおじいさんの家族……だったの?」

 自分で殺した相手の事だ。綸区は気まずかったが、一応尋ねてみることにした。

 すると亞里沙はにこにこ顔から一転して、不機嫌に顔を歪める。

「まさか。あたしの家族は未瑠お姉ちゃんだけよ。他にはいらない」

 そこへ未瑠が遠慮がちに口を開いた。

「亞里沙……利乃姉さんが……」

「聞きたくない。お姉ちゃんは黙ってて」

 亞里沙に睨まれて、未瑠はしゅんと肩を落とす。

 亞里沙はそこで何かを思いついたようで、含み笑いを浮かべながら綸区へと近付く。

 ベッドに腰かけている綸区の股の間に膝を置き、密着するように体を近付けて、至近距離から顔を覗き込んでくる。

「あいつは帰って来ないし、代わりにあたしたちのお姉さんにしてあげよっか」

 そう言った亞里沙の表情からは、幼さにそぐわぬ、見る者をぞくりとさせる妖しさがあった。

「そ――」

 聞き返そうとして開いた綸区の口を、亞里沙の唇が塞いだ。

「んっ!?」

 驚きに綸区の瞳が大きく開かれる。

 亞里沙は唇を重ねただけでなく、綸区の口内に舌を差し込んでくる。

「んっ、んむっ……んんんんーーっ……!」

 ぬるりとした舌が歯の裏を撫で上げ、蛇のような動きで綸区の舌を絡め取る。まるで意思を持った生き物のように、亞里沙の舌は喰らい尽くすように綸区の口内を蹂躙した。

 予想外の出来事と初めての経験に混乱し、綸区は抗うことすら忘れて固まっている。

「んん……ちゅ、はむ……」

 亞里沙の舌が歯茎を、上顎を這うたび、綸区の首筋に甘い痺れが広がる。

 じんじんと脳に響く刺激に、綸区の精神が蕩かされていく。

「ん……んふ……ぁ……はむ……んんんっ……」

 亞里沙は飽きることなく綸区の口内を犯し続け、隅々まで味わう。

「ちゅ、ちゅるるっ………ふう、ごちそうさま♪」

「あ……ふぁ……はぁっ……はぁ………」

 10分以上経ってようやく解放された綸区は、呆けたような顔をして、口の端の涎も拭わず熱い吐息を吐き出している。

「ふふふ……蕩けちゃって、そんなに気持ち良かった?」

「そっ……そんなこと……」

 綸区の否定の言葉には力が入らない。

 ファーストキスを奪われたショックよりも、年端もいかない少女に翻弄されたことへの気恥ずかしさと背徳感が、綸区の脳内をぐるぐると渦巻いている。

「恥ずかしい? でも……いつまでそんなこと考えてられるかな?」

 くすくすと笑いながら、亞里沙は右手で包むように綸区の胸に触れる。

「――っ!」

 びくっと胸に走った感覚に、綸区の体が跳ねる。

「あ、や、な……なんでっ……!」

 先ほどのキスで充分に暖められた綸区の体は、快感を受け入れる準備が出来上がっていた。

 自分で触った時の何倍もの快感に、綸区は驚き戸惑う。

「心臓すごいドクドクしてるよ、服の上からでもよくわかる」

「っ――く……ぅ……」

 自分が興奮しているのを知られてしまっている。恥ずかしさと悔しさに、綸区は唇を噛んだ。

 亞里沙は綸区の堪えている様子に気を良くしてか、両手を使い、徐々にその愛撫を強めていく。

 綸区の胸が小さいために、揉むというよりは押し込むような感じだ。だが揉み解されるのと、衣服の裏地がこすれる刺激が相まって、綸区の乳房にどんどん快感が蓄積していく。

「くっ……うん………んんぅっ……!」

 亞里沙の手が激しさを増していくにつれて、綸区の吐く息に切なさが混じりだす。

 じんじんした痺れが胸いっぱいに広がり、危機感を感じた綸区はようやく亞里沙の肩を掴んで引き剥がそうとする。

「っく……だ、駄目。もうやめて」

 ……が、綸区はうまく腕に力が入らず、亞里沙はやめるどころか更に手の動きを強くしてくる。

「え~? なんでだめなの?」

「制服……皺に、なるから、っ……」

 亞里沙は綸区の制服に皺がつくのも構わず、激しく捏ね回していく。

「っぅううっ……! やめ、やめなさいっ……もうっ、止めっ……離してっ……!」

 綸区は切羽詰まった声をあげ、少女の手から逃れようと腰を引く。

 しかし当然のように亞里沙の手は綸区の乳房を逃がさず、吸い付くように追いかけていく。

「逃げちゃだめよ。あなたが気持ちよくなっちゃうところ、見ててあげる」

 小悪魔の笑みを浮かべて、綸区を追い詰める亞里沙。

 綸区は限界がもうすぐそこまで来ていることを悟られ、精神的にも追い詰められた。綸区の口が喘ぐように開き、亞里沙の肩に置かれた両手が、ドレスの布地を握りしめる。

「ふふっ、必死に我慢しちゃって……無駄だけどね。これで――」

 そう言いながら、亞里沙の指先が制服越しに器用に乳首を探り当てた。

「あったあった。……えいっ♪」

 衣服の下で固く張り詰めたそれを、ぎゅっと乳房に埋め込むように押し潰す!

「っっっ………ふぁぁぁああっ……!!」

 胸に溜まった快感が爆ぜ、体中に突き抜ける。

 綸区は頭の中を真っ白にして、乳房を押しつけるようにのけぞる。

 その間にも亞里沙はぎゅうっと胸を掴んで、快感を絞り出していく。

 綸区は今まで味わったことのない高みまで持ち上げられて、声も出せずに身を震わせる。縞模様のニーソックスに包まれた太股が、縋るように亞里沙の足を挟んで痙攣を伝える。

 しばらくそのままで、綸区は不規則な荒い息をつき、汗ばむ肌を桃色に染め、瞳に涙を溜めて快楽の余韻にひたる。

 やがて亞里沙が綸区の耳元で囁く。

「……いっちゃったね」

「っ……!」

 綸区は羞恥に奥歯を噛んで顔を伏せる。

 自分よりひとまわりは小さい子供に弄ばれて、為す術なく絶頂に導かれてしまったという事実。それも、あろうことか乳房への愛撫のみで、今まで眠れない夜の一人遊びで味わったもののどれよりも深く鮮烈な絶頂を。その上、お互いに衣服を着たままという異常性が、綸区の道徳観をくすぐる。

 亞里沙は力なく項垂れる綸区の制服に手をかけ、楽しそうにボタンを外していく。

「ちょっ、ちょっと何を……んむっ!」

 綸区の抗議は亞里沙のキスで塞がれ、巧みな舌の動きに抵抗する気力を削がれてしまう。

 その間に亞里沙は手際よく綸区の服を脱がせてしまう。

 白いレースのブラジャーを取ると、亞里沙は綸区から唇を離した。

 亞里沙は視線を下げて綸区の乳房を眺める。欲情と乱暴に服の裏地で擦った事とで、綸区の乳房は恥ずかしそうに朱く色づいていた。乳房のサイズはとても控えめで、かろうじてふくらみが確認できる程度しかない。中心でぽつんとピンク色の乳首が勃ち上がって自己主張している。

「おっぱい小さい方が感じるっていうのは、ホントみたいね。あたしより小さいんじゃないかな?」

「そんなわけ――」

 人を小馬鹿にしたセリフに反論しかけた綸区だったが、亞里沙がドレスの肩をはだけて胸元を露わにすると、言葉に詰まった。

 亞里沙の方もそれほど大きく育っているというわけでもないが、ゆるやかな山なりが見てとれ、明らかに綸区とはカップサイズに違いがあった。

「ぐ……」

 綸区は敗北感に打ちひしがれた。自分の胸が小さいのは自覚して、とうに諦めて達観していたつもりだったが、こうして年下の女の子にも劣っている現実を見せつけられると泣きたくなってくる。

 亞里沙はそんな綸区の様子を見てとり、ぐっと体を近付けるとお互いの乳房同士を重ね合わせた。

「んっ……!」

 ぴくん、と綸区が肩を震わす。

「ふふ、今度はおっぱいでキスしよ?」

 そう言って亞里沙は体を上下に揺すって、乳房をこすり合わせる。

 時おり乳首がぶつかって刺激され、綸区の口から短い声が漏れる。

「んっ……あ……あっ……はぁぁ……」

「んっしょ、と……どう? 気持ちいいでしょ、これ」

「ぅ……」

 綸区は恥ずかしさに俯いて答えられない。

 ふと、そこで亞里沙は思い出して、ベッドの隅っこに座る未瑠に声をかけた。

「お姉ちゃん、お姉ちゃんも一緒にやる?」

 ふっと二人の方に顔を向けた未瑠は、少し視線を泳がせつつ答える。

「……わたしはいい」

「あれ? お姉ちゃん好きじゃん、こうするの。いつもあたしがすると、もっとしてって……」

「そっ……そんなこと言わなくていいから!」

 未瑠は慌てて亞里沙の目から顔をそむける。

「ふ~ん……まいっか。今はこっちを……」

 と、亞里沙がもっと強く押しつけようと、ベッドについた膝を寄せ直した時だった。

「ふあぁっ!?」

 綸区が驚いた声をあげる。

 見ると亞里沙の膝が綸区の股間に押しつけられる格好になっていた。

「ん~?」

 亞里沙は綸区のスカートをめくり上げて中を覗き込む。

 露わになった白いショーツ。その中心にぽつんと染みが浮き出ていた。

「ふふ~ん?」

 亞里沙はにやりと笑って、変色した生地の上に人差し指を押し当てる。

 ――ぐにっ。

「ひぁ……あ……」

 ショーツごしの秘部の感触を楽しみながら、ゆっくりと撫で回す。

 やがて黒い染みがじわじわとその面積を増やしていく。

「すごいねー、パンツのシミがどんどん広がってるよ」

「な……そんな、嘘……」

「うそじゃないよ。ほら」

 亞里沙の指が股布の中に差し入れられて、綸区の腰がピクンと反応する。

 亞里沙はすぐに指をショーツから抜き、それを綸区の目線に掲げる。人差し指と中指を離して見せると、ぬちゃっと粘着質の液体が糸を引いた。

「うう……」

 自分の股間から出た恥ずかしい液体を見せられて、返す言葉のなくなる綸区。

 思わず膝を閉じようとするが、亞里沙の足が股の間に差し込まれているので閉じられない。

「閉じちゃだめだってば。もっとよく見せて?」

 亞里沙はおもむろにベッドについた足を床に戻して、床に直接膝をつけると、綸区の股間に顔をうずめた。

「なっ……だ、だめっ」

「ほらほら暴れない。ちゃんと腰あげてね」

 綸区のショーツがするりと両足から引き抜かれてしまう。ショーツを手にした亞里沙は、股布の変色した部分を広げて見せつける。

 亞里沙は絶句して動きを止めた綸区の脚の間に押し入り、スカートをまくって綸区の秘された場所を観察する。

「うわぁ……こっちはオトナだね。毛がいっぱい生えてる。あっ、割れ目からえっちな液がお尻の方に流れてるよ……いやらしいなぁ」

 綸区は羞恥に悶えて耳を塞いでしまいたくなる。

「こっちはどうかな……?」

 亞里沙が指を伸ばして秘裂の上を探る。

「お豆はちっちゃいんだね~。あは、皮からちょっとだけ顔出してる。つらそうだから剥いてあげるね♪」

「な、なに? やっ、ひやぁぁっ!」

 慣れた手つきでクリトリスを包皮から露出させる。充血して綺麗なピンク色をした小さな肉芽が、生まれて初めて外気に晒された。

「あれ? もしかして初めてだった? じゃあやさしくしてあげないとね……ちゅっ……」

 柔らかな少女の唇が敏感な突起に触れる。

 綸区はほとんど痛みに近い刺激に、腰が動かぬよう身を固くするのが精一杯だった。

「はむ……そうそう、動くと歯に当たっちゃうから大人しくしててね……ん」

 亞里沙は突起全体を口に含むようにして、舌先でちろちろとくすぐるように刺激を加えていく。

 次第にその感覚に慣れ、徐々に痛みから快感へと移り変わっていく。

「うっ……う、あっ……あ……あ、あ、あっ……!」

 綸区の呻き声が、だんだん高く、さえずるように変化する。

 綸区の様子が変化したのを感じ取った亞里沙は、舌の動きを大胆にしていく。

 窺うように触れるだけだった舌が、淫核を巻き取るようにこすりたてる。さらに口を大きく開いて秘裂全体に押しつけ、下と唇で嘗め回していく。

「なにこれっ……し、舌っ、すごいぃっ……!」

 強すぎる刺激に綸区の頭はショート寸前だ。自分の股下で何が起こっているのかもよく分からず、ひたすら刺激に耐えて腰を浮かさぬようにするだけ。

 スカートに隠れて少女の愛撫する様子が一切見えないことも、想像力を掻き立てられて余計に興奮する。

 綸区の秘唇からはとめどなく愛液が沸き出し、尻の谷間をつたってシーツにも染みを作っていく。

 火花の散るような視界が、白くぼやける。少女の舌に導かれて、自分が絶頂の階段を一気に駆け上がっていくのが分かった。

 相手の絶頂の予感を感じ取った亞里沙は、不意に舌の動きを止めて唇を離した。

「は――あ、え……?」

 唐突に消えた刺激に困惑する綸区。

 その心の隙間をあざ笑う小悪魔が……つやつやに濡れ光る肉芽を、かりっと噛んだ。

「っひ――!」

 綸区の目が大きく見開かれる。

 その痛みで、堰を切ったように快感が炸裂した。

「ィっ……くぅぅぅぅぅぅぅ……!!」

 綸区はスカートごしに亞里沙の頭を押さえ、子猫のように体を丸めて絶頂に震える。

 両脚は亞里沙を離さぬというように内股で強く挟み込む。

 ひくつく秘裂から、どくりと大量の愛液が流れ出すのが亞里沙の目に映った。

 亞里沙は真っ赤に腫れあがった真珠にふっと息を吹きかけて、スカートの下から顔を出す。離れ際の吐息で、綸区はまたピクッと震えた。

「っぁ……は、あ……ふぁ……ふぅ……はぁ……」

 綸区はぐったりと脱力して呆けている。

 快感のために目尻から溢れた涙が、頬に跡を残す。

「ふふふ……いい顔」

 亞里沙は綸区の頬にキスをしながら、下に手を伸ばしてスカートのファスナーを下げて脱がせる。

 これで綸区が身につけているものは、縞模様のオーバーニーソックスだけだ。

「でもね、まだまだこんなもんじゃないよ。あなたがお姉さんになりたいって言うなら、もっと気持ちよくしてあげる」

 そう言って、ぺろっと舌先を出して指先を舐める。妖しく濡れた指先が、銀色の糸を引いた。

 それに対する綸区の対応は……

「相手をイかせれば言いなりにできると思うなんて、知能の足りない子供らしい発想ね」

「………………………………」

 部屋の空気が凍り付いた。

 亞里沙が感情の見えない無表情で固まっている。

 隣では未瑠がひとり焦った様子で二人を交互に見ている。

 やがて亞里沙の肩がぶるぶると震えたと思うと、突然癇癪を起こしてがなり出す。

「も……もういいっ!! 優しくしてあげたのに、あんたなんか泣いて謝ったって姉にしてあげないから!!」

 亞里沙の両目が紅く輝く。

 ホテル前での出来事がフラッシュバックする。

 だが、あの時とは違って特に異常は感じられない。

「……?」

 怪訝に思う綸区だったが、異変は別の形で訪れた。

 綸区の体が、自分の意思とは無関係に動いている。綸区は片足だけベッドから下ろして床に膝をつき、ベッドの頭にあるパイプを両手で掴む。

「え? こ、この格好っ……」

 綸区が慌てふためくが、止めようとしても勝手に動く体を止められない。

 綸区はベッドの角に股間を押しつけた状態で……ゆっくりと体を前後に揺すりだす。

「ふうん……いつも自分でそうやってるんだ」

「なんでっ……はっ……こ、これっ、私っ……!」

 綸区は混乱しながら、肩越しに振り向いて亞里沙の方を見る。

 亞里沙は見下したような冷笑を浮かべている。

「驚いた? これがあたしの力……あたしの目を見た人は、みんなあたしが思った通りになるの。とりあえず、あなたがいつも自分でしてるのをやらせてみたけど……まさかこんなことしてたなんてね」

「い……いつもだなんて、べつにそんな……っく」

 綸区が夜遅くまで眠れない時、まれに欲望を発散するのがこの方法だった。

 きっかけは些細なことで、友達に自慰のやり方を聞いて指で弄ってみたものの、あまり気持ち良くなれず……そのまま悶々として寝付けなかったところ、寝返りをうってベッドから片足がずれ落ちてしまった時に気付いたのだ。

 思いついたまま腰をずらしてこすりつけてみると、パジャマとショーツの二重にこすれる摩擦に柔らかいベッドの感触が合わさり、その微妙な刺激が未熟な性感に心地良く、また自分から腰を振るという浅ましい行為が背徳感を煽り、余計に興奮した。

 それ以来、月に二、三度くらいの頻度でこのオナニーを続けている。

 しかし、このやり方ではなかなか絶頂に辿り着けず……途中で疲れて眠ってしまう方が多かった。

「……う……ふぅ、んっ………」

 しかし今はこれまでの責めで綸区の性感は普段よりも敏感になっており、しかもいつもと違ってベッドと擦れるそこを覆い隠す布がなく、より強い刺激を与えてくる。

 だんだんと綸区の呼吸が荒くなり、それに比例するようにこすりつける動きも激しくなる。

「はッ……はぁっ……ぁあ、ふぅッ……はあぁぁ……!」

 綸区が腰を揺するたび、ギッ、ギッ、と小さな簡易ベッドが悲鳴をあげる。

 玉のような汗が背筋を流れ、桃色に色づく小ぶりな尻に浮かぶ。

 股間をこすりつけているベッドの角は、流れ落ちた汗と、それ以上に溢れ出る愛液でしとどに濡れそぼり、部屋の中は荒い吐息に混ざる鼻についた嬌声と、ベッドを軋ませる音と、ぐちゃぐちゃと濡れた愛液の音とで、淫猥な雰囲気で満たされていた。

 普段なら疲れて止めてしまうくらいになっても、魔眼の暗示に縛られた綸区はやめることができない。

「大丈夫よ、いったら終わりだから。でもね……ふふ、もうひとつあるの。分かる?」

 問われても綸区には何のことだか分かりはしない。

「あなたはいっちゃったら、おしっこ漏らしちゃうの。我慢しようとしても無駄だからね、ふふふ……」

「な……っ!? そっ、そんなことっ……!」

 綸区は狼狽する。いくらなんでも、そんなところを人に見せるわけにはいかない。ただでさえ、こんな格好であそこをこすりつけて、一人で快楽を貪る情けなさに顔を覆いたくなるのに……その上、人前でおもらしなど恥ずかしすぎて耐えられない。

 しかしそんな綸区の思いも虚しく、肉体は着実に絶頂へと向かっていく。

「やっ、やだっ、止め、止めてっ……!」

「だーめ。いっちゃいなさい」

 亞里沙のその声が契機にするように、綸区の体がラストスパートをかける。

 髪を揺らし、ベッドが壊れそうなほどに速く、大きく体を揺らす。

「んあぁっ! うあっ、あっ、あっあっ……あぁぁああああーーーっ……!!」

 ひときわ大きな嬌声をあげて、綸区は強く股間をベッドの角に押しつけて動きを止める。

 パイプから両手を離して上体をベッドに倒れ伏す。

「ふぁ……は、はふ………」

 息も絶え絶えにアクメの余韻に浸る。

 その綸区の尻が唐突にきゅっと引き締まる。

「あ……あ、あ、やだ……でっ……で、る……ぅぅっ……!」

 シャアアーっと勢いよく股間の割れ目から液体が噴き出した。

 小水の大半は股間に押しつけたベッドが吸収して大きく染みを広げて、一部は足をつたい落ちて床に水溜まりを作る。

「うぁ……だめ、止まらないっ……ぁ……はぁあぁぁぁぁ……」

 必死に止めようとしても止まらず、綸区は絶頂に続く放尿の快感に身を震わせるだけだった。

 股間から下腹に広がっていく生温かい感触と、鼻をつくアンモニアの香りが、自分のしてしまったことを認識させる。

 綸区は信じられない現実に、ベッドに顔をうずめて歯噛みしている。

 その耳元へ亞里沙が屈辱感を煽る言葉を投げかける。

「高校生にもなっておもらしするなんて、どんな気分?」

「くっ……ぅ……うぅぅぅっ……」

 悔しさと恥ずかしさに、綸区の瞳からぽろぽろと涙が溢れる。

「あら、泣いちゃった? でも泣いたって許してあげないわ。そうねぇ、次は……」

 亞里沙はおもむろにベッドの下へ手を伸ばす。

 ごそごそと探って奥から小さな袋を引き出すと、そこからひとつの道具を取り出した。

 それはピンク色をした棒状の玩具――いわゆるバイブレーターだった。先端は亀頭を模した形状になっており、それ以外の部分は細かいイボイボに覆われている。

「あなた処女よね。それじゃあこれを自分のあそこに入れてもらおうかな」

 その言葉に綸区が愕然とする。

 亞里沙が見せたそれは一般的な男性器のサイズよりもだいぶ大きく、綸区の目には極悪な凶器に見えた。

「や、やだ……やめて……お願いだから、それは……」

「んふふふ、言ったでしょ? 泣いても謝っても許してあげないって。あなたがあたしに逆らったのが悪いんだから……」

 と、亞里沙の瞳が妖しく光りかけたその時、それまで静観していた未瑠が亞里沙の服を掴んだ。

「亞里沙……あんまりひどいことしちゃダメだって……」

 消極的ながらも亞里沙を止めようとする。

「なによお姉ちゃん、こんなやつどうでもいいじゃない」

「でも泣いてるし……許してあげよ? ね?」

 姉の訴えに、亞里沙はうーんと口に手をあてて考える。

「……しょうがないなぁ。お姉ちゃんの頼みだから、特別に許してあげる」

 未瑠と綸区が、ほっと胸をなで下ろす。

 そこへ亞里沙はいやらしい笑みを浮かべて言葉を重ねる。

「それじゃあお姉ちゃんも一緒にやろっか? ふたりいっしょに気持ちよくしてあげる♪」

「え……えええええっ!?」

 亞里沙が驚く未瑠の唇に吸い付いて押し倒す。

「んむっ……ちゅっ……ちゅっ、ちゅ……はむ……んんんむっ……」

 綸区を蕩かした濃厚なディープキスに未瑠も翻弄される。

 すぐにその目がトロンとしだして、未瑠も亞里沙を求めるように舌を絡め返す。

 そのままお互いの唇を押しつけ、舌を舐め合い、唾液を交換し続ける。

 しばらくしてどちらともなく唇を離して、亞里沙が未瑠のドレスを脱がせていく。

 可愛らしいフリルの下着姿になった未瑠。

「あはっ、なんだお姉ちゃん、こんなに濡らして期待してたんじゃん」

「あぅ………」

 下着の上に染み出した愛液を指摘されて、顔を赤くする未瑠。

 亞里沙がショーツに手をかけてずり下ろすと、露わになった秘唇とショーツの裏側に光る筋が走る。

 そうして亞里沙は自分の着ているものを脱ぎ捨てる。

「ほら、いつまでもそんなところに座ってないで」

 亞里沙は綸区が粗相をした場所から移動させて、シーツの汚れていないところに仰向けに寝転がすと、未瑠がその上に覆い被さるようにした。

「じゃあお姉ちゃん、好きなようにしていいよ」

「う……うん」

 未瑠が綸区を押し倒すような姿勢。綸区の乳首が待ち望むかのように、上を向いて尖っている。

「それじゃあ、その……いい?」

「え? あっ……うん」

 未瑠の控えめなセリフに、綸区は戸惑いながらも頷く。

 それを聞いて未瑠はためらいがちにゆっくりと体を被せ、乳房同士をこすり合わせた。

「ふ……は……ん………は、ぁ……これ……きもちい……」

 未瑠は眉根を寄せて胸の感触に集中している。

 綸区はなんだか小さな女の子に奉仕させているような気がして、胸がドキドキする。胸の他にも、太股やお腹に少女のすべすべした柔らかな肌が重なって気持ちいい。

 未瑠はよほど好きなのか、夢中で体を絡めさせてくる。

 綸区がじっと見ると未瑠もそれに気付き、恥ずかしそうに顔の向きを変えた。しかし体の動きは止めない。

 そこへ突然、二人の重なり合った股の間に先ほどのバイブが差し込まれた。

「あ、やっ!」

「ひゃっ……あ、亞里沙?」

 二人は驚きの声をあげる。

「んふふ……気にしないで続けて? だいじょうぶ、これ入れるのはお姉ちゃんの方だから」

「だ、だいじょうぶってそれ……ひゃんっ!?」

 亞里沙がバイブレーターのスイッチを入れる。

 二人の下腹を細かい震動が襲った。

「う……うぅ……」

「くっ……くっ、ううっ」

 亞里沙は抜き差しするように前後に動かして、二人の秘裂から出る液体を玩具全体に塗りたくる。

 そして充分に濡れたところで、バイブレーターのスイッチを切って未瑠の幼い割れ目に押し当てると……ずぶずぶと挿し込んでいく。

「あっ、大きっ……んぐっ、あ……んんんんぅっ……!」

 未瑠は多少苦しげな様子を見せるものの、その秘裂は意外なくらいスムーズに飲み込んでいった。

 やがて玩具の4分の1ほどを残したところで、コツっと膣の最奥に当たって止まる。

「は、ぁぁぁぁ………ふぅ……」

 未瑠が大きく息を吐いて深呼吸する。

(う、うわ……あんなの入っちゃったんだ……)

 綸区はその様子を感心するような気持ちで見入っていた。

 ぐったりして小さな体を預けてくる未瑠に、綸区は声をかける。

「あ、あの、ねえ……大丈夫?」

 未瑠はわずかに顔をあげて応える。

「ん……うん……」

 その淫蕩に緩んだ顔を見て、綸区はどきんとする。

 頬を上気させて瞳に涙を溜め、半ば朦朧とした少女の顔は……淫靡でいやらしく……そして可愛かった。

「そうやってひとの心配してられるのも今のうちよ」

 亞里沙の手が綸区の股下に伸びる。

 びっしょりと濡れたそこに手のひらを乗せて、恥丘全体をマッサージするように揉みしだく。

「んっ……ふ……うぅん……」

 シーツに強く擦りつけて痛んだそこが癒されて、解きほぐされた綸区の腰が脱力し、股が開いていく。

 綸区が充分にリラックスしたのを見計らって、亞里沙は中指を綸区の割れ目に押し込んでいく。

「あっ……!? あ、駄目……!」

「だいじょうぶ、膜は傷つけないから」

 まだ何者にも侵入されたことのない、ぴったりと閉じた裂け目に、少女の細くしなやかな指が沈み込む。

「うわ、きついなぁ……すっごいぎゅうぎゅう締めつけてくる」

 肉襞は侵入を拒んで押し戻そうと動く。亞里沙はもう片方の手で外側からさすり、秘豆を優しくいじって緊張を和らげながら、ゆっくりと中指を押し進めていく。

「あ、つっ……ん……」

 綸区は処女孔に指を入れられる不安に大人しくしている。

 慣れない刺激に少しだけ痛みを覚えるが、亞里沙は繊細な指使いで痛みを少なく快感を与えるよう技巧を凝らしている。

 綸区の中は慣らされるにつれて熱く熱を帯び始め、膣奥から新たに潤滑液が染み出てくる。

「ふ……ふゥ、ん……ぁあ……」

 綸区が鼻にかかった声を漏らす。

 亞里沙の歳不相応な熟練した責めに、綸区の未発達な性感が開発されていく。

 知らず知らずのうちに綸区の腰がいやらしくくねっていた。

「よしよし、ほぐれてきたわね。一本くらい増やしてもだいじょうぶかな」

 人差し指も一緒に中に入れる。

 亞里沙は二本の指を揃えて、膣内の愛液を掻き出していく。

「ひあっ……あっ、あ……ああぁっ!」

 しかし綸区の中を指が掻き出すたびに、絶えず新しく愛液が分泌してくる。

 充分に綸区の膣に指が馴染んだところで、亞里沙は膣の天井をさぐり始める。

「え~と、ここらへんに……ん……あ、これかな?」

 指を軽く折り曲げて、少しだけ感触の違う部分を見つける。

 指の腹でそこを刺激し続けると、徐々にその部分が固く張ってくる。

 亞里沙の指はその場所を執拗に責めたてていく。

「くぅ……うんぅぅ……う、うっ……!」

 綸区は別の場所とは若干毛色の違う感覚を感じる。

 強いて言うなら尿意に近いものが、こすり立てられるたびに溜まっていく。

「知ってた? ここをこすられると、おしっこしたくなっちゃうのよね。でも出した時はすっごい気持ちいいんだから」

「それって……んっ……あ、あれ……?」

 亞里沙は潮吹きと尿を混同しているようだったが、綸区も詳しい知識がないので指摘できなかった。

 どちらにしても綸区は高まってくる快感に、頭がうまく働いていない。

 そうこうしているうちに綸区の頭の奥に白い霞みが広がっていき、絶頂が近付いてくる。同時に尿意も耐えがたいほどに高まる。

「あ……あ、あっ、あっ、ああぁッ!」

 綸区の口から小刻みにうわずった嬌声があがる。

 天井を擦る指に押し上げられるように腰が浮く。

 切羽詰まった綸区に対して、亞里沙は強く天井に押しつけた指を小刻みに震動させて、一気に頂点へ追い立てる。

 綸区は押し寄せる快楽に抗えずに、視界を真っ白に染め上げた。

「いぁ……あ、ふぁぁぁぁああああっ……!!」

 綸区の膣が痙攣しながら亞里沙の指をきつく締め上げると同時に、指を差し込んだ裂け目から透明な液体が噴き出した!

 ――プシャアアアアアッ!

「あははっ、出た出た♪ すごいすごーい、どんどん出てくるよ!」

「っ……ひっ、ひ、ぅ……ぁぁぁぁ……」

 亞里沙の無邪気な言葉を受けながら、綸区は顎を揺らして快感を享受する。

 信じられない量の液体がぱしゃぱしゃとシーツに降りそそぐ。

 噴き出している間も亞里沙は刺激を続け、快感に押されるように綸区の下腹は液体を吐き出し続ける。

 やがて放出が終わった頃には、股間の下のシーツに水溜まりが作られていた。

「いっぱい出したね~。ね、気持ちよかったでしょ?」

「は……は……はぁっ………は……」

 綸区は息も絶え絶えで答えられない。

 今日味わった絶頂の中でも、一番深くて体中に響き渡る快感だった。

「……………」

 綸区の上に乗って間近でその表情を観察していた未瑠は、そっと手を伸ばして綸区の目尻から流れた涙を拭う。

「あ……」

 陶酔した二人の視線が合わさる。

 未瑠は熱に浮かされたように綸区の唇に顔を近付けていく。

「はい、そろそろお姉ちゃんもね」

 遮るように亞里沙が未瑠の股間に埋まるバイブレーターの電源を入れた。

 ――ヴィィィイイイイッ!

「きゃんっ!? ひゃ、くっ、ひあぁぁあんっ!」

 未瑠の小さな体が激しく跳ねる。

 狭い膣内を蹂躙する強すぎる刺激から逃れるように、掲げた尻を振る。端から見ると、まるで卑猥なダンスを踊っているようだ。

 未瑠の突然の反応に驚く綸区。だが下腹を襲う刺激に、すぐにそんな余裕は吹き飛んだ。

「んんんっ! やだ、少し待っ……!」

 亞里沙が膣内に入れたままの指先の動きを再開していた。

 亞里沙は綸区の訴えを無視して、絶頂の余韻が冷めやらぬ体を激しく責めたてる。

「休ませないよ。何度でもいかせてあげるから、覚悟しててね」

 つぷり、と三本目の指を追加する。

 さらに親指で淫核を押さえて、くりくりとこねくり回す。

「っぅぅううううっ……ひ、あひっ……だめ……だめぇ……!」

 高みに登ったまま降りられないような感覚に、綸区は我を忘れて身悶える。

 その上では同じように未瑠が、機械の震動で幾度となく絶頂に押し上げられている。

「ふわぁぁぁ……っひぃ……はぅ、くぅぅぅんっ」

 未瑠の股間から垂れ落ちた愛液が、ぼたぼたと綸区の下腹に降りそそいでいる。

 二人ぶんの愛液が混ざり合って、綸区の下半身をびしょびしょに濡らす。

 あられもなく喘いで未成熟な裸体を重ね合う二人。

 綸区はもはや、完全に蕩かされて忘我の境地にいる。

「……ふふん♪」

 悪魔のような精妙な指先で綸区の体を支配している亞里沙。

 彼女は空いた左手を二人の混ざり合った愛液で濡らすと……その白い中指を、愛液でてらてらに濡れ光る綸区の肛門にあてがった。

「あ、えっ!? そっ……そっちはっ……!」

 予想だにしていなかった箇所に触れられて、焦燥する綸区。

 亞里沙は何食わぬ顔で菊座の周辺を、中指で円を描いてマッサージしていく。

 綸区はくすぐったいような妙な感覚を覚えた。

 亞里沙がじっくりと続けていると、徐々に綸区の緊張が和らいでくる。

 しかし亞里沙はそのまま穴の周りを撫で続けるだけで、なかなか指を入れようとしない。

「……くっ………くっ、うん……」

 既に理性を飛ばされている綸区は、排泄器官をまさぐられる不快感よりも、不浄な場所を責められる背徳感と、未知の快感に対する期待で頭の中がいっぱいになっていた。

 亞里沙の指が穴の中心に触れるたびに、言いようのない疼きが広がっていく。

 焦らされている、ということすら考えられず、ただこの疼きを指先で埋めて欲しいということしか頭に浮かばない。

「く、く……ふぅ、ン………あ、あの……その、指……」

 綸区は顔をずらして股の間にいる亞里沙を見つめる。

「ん? どうかした?」

 亞里沙は膣とクリトリスを責める手を止めて、菊座はそのまま撫で続けて応える。

 綸区は何と言ったらいいか言葉に詰まる。

 しかし他の責めが止まったことで撫で続けられる尻穴に意識が集中してしまい、頭の中が掻き乱される。

 亞里沙は何も言わず、綸区に顔を向けたまま単調に指を動かし続ける。

 ついに綸区は尻穴の疼きを堪えられなくなった。

「ゆ……指、入れて……」

 蚊の鳴くように、小さく震える声で囁く。

「指を? どこに?」

 亞里沙はにんまりとしている。

 綸区は一瞬ためらったものの、ここまできて抑えきれずに声をあげた。

「お……お尻っ……お尻の穴に……入れて……!」

 綸区は自分の言った台詞に赤面し、両腕で顔を覆い隠す。

「う……うぅぅぅぅ………」

 そのまま恥ずかしさに呻き声を漏らした。

「ふふ……よく言えました♪」

 亞里沙は満面の笑みを浮かべて、すぼまりの中心に突き立てた中指を沈ませる。

 さんざん焦らされ溶かされた綸区の肛門は、ほとんど抵抗なく亞里沙の指を受け入れた。

「んっ……ふぅぅぅうぅうううぅぅ……っ」

 細い指が直腸を抉る感じに、心の渇きが癒される。

 中指が根元まで挿し込まれると……綸区の前と後ろの括約筋がきゅっと指を引き締めた。

「……あれ? ひょっとして……今ので軽くいっちゃった?」

 亞里沙が顔を覗き込むと、綸区は両腕で顔を隠したまま、ふるふると首を横に振る。綸区の顔は耳の先まで真っ赤だった。









「ふふ~ん……こっちがいいんだ。ヘンタイだね」

「っ……ああああぁぁっ!」

 綸区が否定の声をあげるよりも先に、亞里沙は尻穴への抽挿を開始した。

 腸内を引き摺られる排泄に似た感触に、綸区の脳が焼かれる。

「っぁぁあああっ……んんんんっ……ふぅぅぅぅっ……!」

 こんなところが感じるなど有り得ないはずなのに、細い指を出し入れされるたびに、膣内以上の快感が突き抜ける。

 倒錯の悦楽に、綸区の官能が今まで以上に燃え上がっていく。

 そして亞里沙はもう片方の手の動きも再開する。

 想像を絶する快感が弾けた。ガクガクと動く腰の動きを抑えきれず、ピュッビュッと間断なく愛液を噴き出す。

「うあああぁぁぁっ……いくっ、またいくっ……ひうぅんんんんんんっ……!!」

 綸区は泣きじゃくるような喘ぎ声をあげて、快感に打ち震える。

 絶頂が来ても、またすぐに絶頂が訪れ、もはやいつ達しているのか分からない状態だ。

「ひぅ……ひぅぅ……またイってる……ぁぁぁあああ……」

 朦朧としならが絶頂を繰り返す綸区に、同じくイかされ続けて陶然としている未瑠が体を擦りつけた。

 だらしなく口の端から涎を垂らす綸区の唇に、小さな口を重ねる。

「んっ……? ん、んは……んんむ……」

 同時に未瑠は二人の重なった胸の間に手を挟み込み、綸区の胸を掴んで揉みしだく。

 ヴァギナ、クリトリス、アナルに加えて乳房と口内のすべてを同時に愛撫された綸区は、かつてない快楽の高みに登りつめる。

「ん……んんっ……ん、んっ……んんんんんんんんんーーーーーーーーっ……!!!」

 綸区は幼い少女たちに囲まれて、終わりの見えない快楽の渦に飲み込まれていった……。



 ――1時間後。

 疲れ切った三人は息も絶え絶えにベッドの上で身を投げ出していた。

 シーツはもはや汚れていない場所を探す方が難しいという有り様だ。

 そんな中で不意に未瑠が身を起こす。

「……誰か入ってきた」

 未瑠はそう言うが、部屋の中には三人の他には誰もいない。

 これは未瑠がロレントの能力開発により手に入れた異能の力――千里眼(クレアボヤンス)と呼ばれる超能力の一種だ。未瑠はこの隠れ家の敷地程度の範囲なら、あらゆる場所をあらゆる角度から知覚することができる。

「亞里沙、起きて亞里沙」

「起きてるわよ……なに、だれ?」

「見たことない男の人が一人だけ」

「ふ~ん。ま、誰でもいっか。ここまで来たら、新しい遊び相手が増えるかな?」

「よく分からないし逃げた方が……」

「あはは、お姉ちゃんは怖がりだなぁ。そんなに心配なら、この人にも行かせればいいよ」

 亞里沙は未だベッドの上で朦朧としている綸区に近付いて、その目を自分に向けさせる。

 亞里沙の瞳が紅く輝いた。

「こうすれば、誰もあたしに逆らえないんだもの」




「ケルスス脳科学研究所……ここか」

 長夜はバイクを止めて、目の前の建物を見上げる。

 塀に囲まれた広い敷地にそびえ立つ、四階建ての病院のような白い建造物。

 既に時刻は深夜。外から見る限り研究所に灯りは点っておらず、暗く不気味に静まり返っている。

 よく見ると研究所は左右の二棟で構成されていた。

「チッ……めんどくせえな」

 あまり探索に時間をかけると逃げられてしまうかもしれない。

 確実を期すなら出入口を包囲して臨むのが良いのだろうが……相手の能力が能力だ。人員を増やすのは危険でもある。

 目を見た者を操る催眠暗示の魔眼、そしてクレアボヤンス――遠隔視・透視能力。

 下手に半端物を投入して同士討ちにでもなったら目も当てられない。

「……ま、なんとかなるだろ」

 情報が足りない以上、可能性を考え出せばきりがない。

 二輪を降りた長夜は塀を跳び越え、研究所の敷地に足を踏み入れた。


「……廃墟じゃねえか」

 適当に近い棟に入った長夜は、中の様子を見てそう呟いた。

 言うほど荒れ果てたというわけでもないが、散在している紙袋やペットボトル、ろくに掃除していないことが分かる埃だらけの床や机。どうもこの研究所は廃棄されて久しいようだ。

 深夜だが、月明かりのおかげで中はだいぶ見通せる。コツ、コツと足音を鳴らしてリノリウムの床を進んでいく。

 ……一階は何事もなく探索が終了した。

 一部屋ずつ扉を開けて見て回ったが、これといったものはなかった。パソコンの並んだオフィスや書類が棚に積まれた個人の研究室があるだけだ。

 長夜は二階に上がる。

 そこで長夜は、周囲に人のマナを感じとった。

 ただ長夜では「近くに誰かいる」という漠然とした感じしか掴めない。長夜は銃のトリガーに指をかけ、聴覚に神経を集中して、足音を抑えて慎重に進む。

 やがて左手奥の部屋から、かすかな物音が耳に届く。

 長夜は部屋に近付くと、扉についた窓から部屋の中を覗き込む。

 そこでは真っ暗な部屋でガリガリに痩せ細った少年が、一心不乱にコンビニ弁当をかき込んでいた。

 瞬く間に消えていく弁当。……が、彼が弁当を食べ終わったと思った瞬間、なぜか中身の詰まった弁当が彼の手の中にあった。

 長夜は一瞬、自分の目を疑った。

 少年は何事もなかったように、再びものすごい勢いで弁当を食べ始める。

「なんだこいつは」

 少年は見られていることに気付く様子もなく、弁当を食べて、なぜか元通りになった弁当を再び食べてを飽きることなく繰り返している。

「んぐっ……ちくしょう……ちくしょう……」

 少年は箸を進めながら、苦しそうに恨み言を呟いている。

 長夜はどうしたものかと悩んだあげく、周囲に誰もいないのを確認して、接触してみることにした。

 扉を開けて中に声をかける。

「おい、何してるんだ」

 長夜に気付いた少年は二、三秒ほど箸を止めたが、すぐに食事を再開して食べながら長夜に応対する。

「なにって……んぐっ……見てわかんないのかよ……はぐっ、食ってるんだよ、ちくしょうっ……!」

 近くで見ると、尋常じゃない少年の痩せ方がよくわかる。

 頬骨がくっきりと浮かび、骸骨そのものに顔の骨が浮かんでいる。肉の削げた腕も骨と皮しかなく、まるで枯れ木だ。

「腹に入ったのがすぐに消えちまう……あのオヤジがこんな体にしやがった……くそっ、くそっ!」

 長夜はだいたい理解した。

 この少年もロレント=チャールソンの実験の犠牲者なのだろう。

 覚醒した能力はおそらく物体時間移動。だが彼は自分の意思で能力を制御できず、胃に入ったものだけが勝手に巻き戻されてしまっているのだ。

 少年はそれが分かっていても……飢えを満たすためには食べるしかない。

 少年の事情を把握した長夜は顔をしかめるが、すぐに表情を戻す。

「お前、水は飲めるんだろう」

 人は餓死する際は体中の脂肪を使い尽くして死ぬが、水分を摂らなかった場合、それよりかなり早い段階で脱水症状で死ぬ。ここまでひどい痩せ方はしないはずだ。

「諦めて水だけ飲んでろ。それと病院行け。今の時代、口からもの食わなくたって生きていける」

 当たり前のような正論を吐く長夜。

 聞く者が聞けば、この台詞が魔術師としては異質なことが分かる。

 魔術の関わる症例は、すべて魔術師によって処理し、公的機関に接触させてはならない。それが出来ない場合は見殺しに……いや、積極的に処分することが求められる。

 しかし長夜柾人にとって、そんな魔術師たちが自己保身のために立てた規律など知ったことではない。

「…………」

 少年は答えない。答えたくないのか、それとも答えられないのか。

「……まあいい。それはそうと、双子の娘がどこにいるか知ってるか?」

 探索の途中で無駄な時間をとられるわけにもいかない。すぐに解決できることでもないので、ここは自分の探しものを優先する。

「双子……はぐ、んくっ……ひょっとして三つ子の……むぐ、鬼柳さんか?」

「ああ、そんな名前だったな」

 長夜が答えると、少年は唐突に奇声をあげて飛びかかってきた!

「がああああああああ!!!」

 しかし遅い。長夜は悠々と避けて、少年は開いた扉から廊下に転がり出た。

「が……か……かふッ……ゴホッ、ガホッ!」

 少年はガクガクと痙攣して、口から赤い血を吐き出している。

 しかしそんな状態であるにもかかわらず、少年はブルブル震えながら立ち上がろうとしている。

「ア……お、おれは……あ…さを……マモ…ないと……あ、ありさをサガしにキた…つは……ミんな……ロさない……と……」

 虚ろな視線でそんなことを呟いている。

 戦うどころか立ち上がれもしないのに、ずるずると体を引きずって長夜のもとに這い寄ってくる。

 見れば足が変な方向に折れ曲がっていた。

「……チッ」

 長夜は部屋から廊下に出て、少年の横を通り過ぎる。

 届かない手を伸ばす少年に背を向け、廊下の奥へ歩いていく。

「終わるまでそこで大人しくしてろ」

 そうして何事もなかったように二階の探索を再開した。


 ――長夜は二階の探索を終えて、三階に上がる。

 階段を上がりきったところで、廊下の先から長夜目がけて人間大の物体が一直線に飛んでくる!

「お、っと……」

 警戒していた長夜は身を引いて躱す。

 飛んできた物体は壁に激しく激突して床に落ちた。

 その人間大の物体は……人間だった。

「いっ……づ、ぁ……!」

 小柄な少女が、心底痛そうに頭を押さえている。

 少女は頭を押さえて痛みに背を丸くしながら……ふわ、とその格好のまま50cmほど浮かび上がった。

 そして頭を長夜の方に向けると、弾丸のようにすっ飛んでくる!

「うおっ」


 長夜は間一髪で身をひねって避けた。

 少女は再び壁に激突。頭をかばった両手から血が流れ出している。

 ……シュールな光景だった。だが当の本人にとっては冗談ではない。痛みに呻き、涙しながらも、少女は行動を止めることができない。

 再び少女の体が浮き上がる。

「くそ……」

 長夜が身構えたその時だった。

 背後のドアを開け放って現れた小太りの少年が、長夜の右腕を掴んだ。

「っ――!」

「ひぃぃぃあああああああああっ!!!」

 少年は耳をつんざくような悲鳴をあげたと思うと、その両腕が勢いよく燃え上がった!

 暗い廊下が炎によって照らされる。

 灼熱の炎が長夜の右腕に燃え広がっていく。

「ぐぉ、っぁ――!」

 赤い炎を白い輝きが一閃した。

 長夜の槍が少年の両腕を斬り落とす。床に落ちた腕は、すぐに鎮火する。肉の焼けた匂いだけが辺りに広がった。

 そしてこの隙に空飛ぶ少女が長夜に突撃した。

 長夜は避けきれずに腹部に直撃を受け、押しつけられるように廊下の壁に叩きつけられる!

「ぬぐっ……く」

 長夜は体をくの字に折ってよろめく。

 そこへ今度は、腕を失った少年が全身を炎に包んで突進してきた!

 ――長夜の手が動いた。

 乾いた音が2発。眼球と額を撃ち抜かれた少年は頭から地面に倒れた。

「ひ……」

 銃声に怯えて悲鳴を漏らしつつも再び浮かび上がる少女。

 ゆっくりと頭を向ける少女へ、長夜はまっすぐに駆け込んですくい上げるように頭部を蹴り上げた!

 少女の体が空中でぐるっと半回転して、仰向けに倒れる。少女はそれで動かなくなった。

 周りに動くものがなくなったところで、長夜は焼けた右腕を見る。

 袖が焼けて腕が剥き出しになっているが、コートのおかげで大した火傷ではない。

「……くそっ、なにやってんだ」

 長夜は自分を叱責する。

 らしくない。思考が甘すぎる。

 ここはもう敵地だ。障害は最速で排除して進まねばならない。

 相手の姿に惑わされて余計な傷を負うなど、まるで素人だ。この世界ではわずかな油断、小さな傷が命取りになりかねないと、自分はよく知っているのに。

 長夜は深呼吸して気持ちを切り替える。

 血と硝煙と焼けた肉の匂いを吸い込む。

 肉体を戦場の空気で満たす。

 最後に大きく息を吐き出して、長夜は歩き出した。


 長夜は三階奥の大部屋に足を踏み入れる。

 すると突然、背後の壁が軋みをあげて、長夜を目がけて倒れ込んでくる!

 長夜は壁が崩れる前にコートを翻して跳んだ。

 だが予想されたような壁が倒れる衝撃がない。見ると壁の一部がおじぎするかのように、半ばから直角に折れ曲がっている。周囲のコンクリートが引きずられてガラガラと崩れ、白い埃が辺りに広がっていく。

「う……ううぐ……ぎっ……」

 部屋の隅からする呻き声に、長夜は目を向けた。

 そこには一人の女がうずくまっていた。やはり少女と言っていい歳だったが、かなり細長い体型で、一見すると大人と見紛う。

 女は片腕が折れ曲がっている。

 その痛みに呻いているようだが、さらに女は自分の足に手をかけ、体重をかけて折り曲げようとし出す。

 長夜の背後の壁から、ミシッ……ミシッ……と軋む音が聞こえる。

 ――発砲。

 銃口から漏れるマズルフラッシュが一瞬だけ室内を明るく照らす。

 女は動きを止め……壁の軋みも止まった。

「……………」

 長夜は四階に向かう。


 小部屋に少年がいた。

 長夜の姿を認めると……いや、彼が入る前から話しかけてきていた。

「ありがとうございます! ああ、やっと楽になれる……あっ、ちゃんと言わないと。すいません。そうだ。あれ、僕、未来が見えるんです。はい、すいません。ありがとうございます。いえ、でもどれがいつの未来なのか、今がいつなのか、頭が、それで、ああ、ようやく終わった……」

 少年の話す文脈は支離滅裂だった。その目はうまく長夜を捉えていない。

「…………」

 長夜が銃口を持ち上げる。

「お前は死にたいのか?」

「はい! お願いします。何もない……安らかな気分だ。ようやく……ああ、そうだ言わないと。死にたいです。お願いします。はい。…………あっ、そうですね。すいません」

 長夜は引き金を引いた。

 倒れた死体に背を向けて、部屋を出る。

「……自殺なら自分でやれ」


 ……こちらの棟の探索は終わった。

 姉妹も綸区もいない。ハズレだ。

 まだ残っているか分からないが……長夜はもう一方の棟へ向かう。


 別棟に入ってすぐに、長夜は血臭を感じて足を止めた。

 匂いを辿って注意深く進んでいくと、倒れている人影を見つけた。

 遠目にもおびただしい量の液体の上に倒れ伏していることが分かる。

 近付いてみると案の定それは、血だまりに倒れた少年の遺体だった。まだそう時間は経っていない。ぱっくりと開いた口のように切り裂かれた喉が生々しい。衣服に乱れはなく、不意討ちか騙し討ちか、どちらにせよ抵抗する間もなくやられたのには違いない。

 まだなんとも言いがたいが、どうやら彼の他にもこの研究所に用がある者が来ているらしい。

 長夜は血を避け、まだ見ぬ侵入者に警戒しつつ進んでいく。

 一階は他に何もなく、二階に上がる。

 二階では廊下に点々と死体が転がっていた。

 いずれも死因は喉に刃物の一撃。切り裂かれたものもあれば、突き刺された跡もある。

「…………」

 この一連の殺し方に、長夜は心当たりがあった。

 長夜は無言で足を速めて次の階へと向かう。

 三階も同様だった。長夜は転がっている死体が探している人物でないことだけを確認して、先に進んでいく。

 そして四階。

 他と違って死体は見つからない。ただ代わりに情事の行われた形跡のある、簡素な小部屋を見つけた。むせ返るような汗と尿と女の薫り。ぐしょぐしょに濡れた簡易ベッドを一瞥して、長夜は扉を閉めて廊下に戻った。

 そうして最奥に向かう曲がり角で、長夜は向かう先に人の気配を察した。

 多節槍を棒状に展開して、ゆっくりと進む。

 一歩ずつ。

 角の向こうに――見えた。見覚えのある少女の制服姿。

 それを視界に入れた瞬間、長夜は何も考えず脚力に任せて後ろに跳躍した。

 目の前を何かがヒュッと横切った気がするが、気にしない。着地と同時に、叫ぶ。

「降魔―――カルティケーヤ!」

 長夜はバネ仕掛けのように、床を蹴って前方へ疾駆した。

 ただし、先ほどの数倍のスピードで。

「―――!」

 一瞬。普通の人間に反応できる速度ではない。

 反応できない速度、そして手の内にある刃物が届かぬ間合いから。

 長夜は呼吸も駆け引きも一切合切を無視した一撃を打ち放った。

「は―――ぐ……っ」

 少女の無防備な腹部に深々と突き込まれた槍。

 ……ただし穂先ではなく平らな柄頭。制服の少女――綸区は体をくの字に折って崩れ落ちた。

 綸区が意識を失っているのを確認して、長夜は降魔術を解除して息をつく。

「はぁ……無駄に手間かけさせやがって」

 そこで長夜は振り向いて、

「おい、てめえに言ってんだぞ。聞いてんのか」

「お? さっすが旦那、気付いてたのね」

 背後に潜んでいた男に言った。

 男の名は浦斑建昇――本来ならば今回の仕事で長夜と組んでいたはずの人物で……綸区の暗殺術の師だ。

 浦斑は長夜と全く印象の違う、カジュアルな格好をした二十代の若者だった。見た目からして爽やかで、非常に親しみやすい雰囲気をしている。

 ただしその人懐っこそうな口元に浮かべた笑みからは……微かに長夜と共通する、ニヒリスティックな影も垣間見える。

 三つ子の長女、鬼柳利乃の話では既に死んでいるはずの浦斑だが……

「いやー、悪かったね旦那。ここまで来たのは良かったんだけどさ、こんな状態で綸区とやり合ったら、どっちかが死ぬしかないからね」

 言って浦斑は脇腹に手を置く。よく見れば動作のひとつひとつがぎこちない。おそらくは重傷を負った浦斑を、致命傷と利乃が早合点したのだろう。

「しかしまぁ死ぬかと思ったね、まじで。タネが割れてない魔法使いとかまじ無理。ま、おかげでお宝が手に入ったけどさ」

 そんなことを言いながら浦斑はポケットから、べとべとした液体に濡れ光る縞々模様のソックスを取り出してみせた。

 長夜が下を見ると、綸区は穿いていたはずの靴下をつけていなかった。

「お前……」

「まさかこんなこともあるかと思ってつけてた盗聴器が役に立つとは思わなかったしね! いやー、今日は興奮した。ケガした甲斐もありましたよ旦那!」

「…………」

 長夜には思うところはあったが、他人の嗜好や倫理観に口出しはしない。

 何も言わずに浦斑に背を向けて歩き出す。

「女の子二人はそこの奥だけど……旦那、コレは解けない?」

 足下の綸区を指さす浦斑。

「無理だ。本人に解かせる」

「んじゃ俺も行こっかな。他のはどうでもいいから綸区だけでも解かせないとね」

 ふと長夜が足を止めて振り返る。

「随分と入れ込んでるな。その娘に」

「ああ。彼女はね、本物の天才だよ。まさに人を殺すために産まれてきたような人間だ。この才能を守るためなら、俺はどんなことでもするね」

「……そうか」

 才能。

 長夜柾人には縁が無く、それ故にかつて渇望したこともあった。

 ……今は遠い、過去の事だ。

 長夜は感傷を振り払って歩き出す。

「ついて来るのはいいが、目を閉じてろよ」

「あいさ了解」

「さて……」

 最後の扉の前。長夜は手をかける前に、穂先が上に来るように槍を縦にして持つ。

「降魔―――フィン・マックール」


 長夜が薄い深緑のオーラを纏う。

「よし、行くか」

 そのまま無造作にドアノブを捻って、扉を開け放った。




 二人を出迎えたのは爛々と輝く紅い瞳。

 自身の目を見た者の脳裡へ、一瞬で暗示を植え付ける催眠暗示の魔眼――ヒュプノシス。

 彼女らを捕まえ、人体実験を行っていた錬金術師ロレント=チャールソンを洗脳し、傀儡に仕立て上げた驚異の異能。

 だが………

「……え? あれ?」

 亞里沙は混乱した。

 目を閉じて入ってきた浦斑はともかく、確実にこちらを見ている長夜が暗示を無視してこちらに歩いてきているのだ。

「な、なんで!? なんでこっち来るの? ちゃんと殺し合いなさいよ!」

 未瑠の千里眼によって、二人がここに入ってくるのは分かっていた。

 だからその二人に同士討ちするよう暗示をかけたのだ。

「お前には分からんだろうがな」

 長夜の声に混じって、掠れた振動音がかすかに聞こえている。

「超能力も魔術の一形態ってのが魔術師達の常識だ。一定の条件下で特定の魔術が発動するよう特異な構造を持って生まれた人間。どの魔術体系にも属さないが、オドを用いてマナを動かして世界に干渉するのは、他の魔術となんら変わらない。故に魔術師ならば防ぐ手段はいくらでもあるわけだ」

 掠れた音の出所は、長夜が穂先を額に当てている槍だ。

 よく聞けば蜂の羽音にも似ている。

 これがフィン・マックール降魔の効果のうちのひとつ。槍の穂先を額に当てると体内の魔力が活性化し、精神に作用するあらゆる魔術を消し去ってしまう。

 こうして魔眼以外に戦う術のない少女二人は、狭い室内に逃げ場もなく、たやすく長夜の手に捕らえられる事となった。


「やだっ! 痛い! やめてよばか!」

 長夜は二人の少女を後ろ手で椅子に縛りつける。

 縛られている間、未瑠の方は大人しくしているが、亞里沙はじたばたと抵抗する。そうして亞里沙の目には厚い布できつく目隠しをした。

「おい、もう目ぇ開けてもいいぞ」

「う~ん……幼女に罵られるのも悪くないね。そう思わない? 旦那」

「うるせえ馬鹿」

 長夜は降魔術を解き、浦斑は長夜の隣に立つ。

 亞里沙は暴れるのこそやめたが、今度は恨み言を言い始める。

「うぅ……あいつはどこに行ったのよ……妹は自分が守るなんて言って……いつも口ばっかりの役立たず……!」

「ふん、都合のいいように使っておいてよく言えたもんだ。大方、ロレントを洗脳して自由になった後は、片っ端から洗脳して好き勝手していたんだろう」

「な……なによ、いいじゃないそれくらい! あんなヘンタイオヤジに閉じ込められて、ずっと気持ち悪いことされてたんだから! このくらいのことはしていいでしょ!」

 開き直る亞里沙。

 確かに彼女の境遇は同情に値するものだ。それについて長夜も異論を唱えるつもりはない。が、それとこれとは別問題だ。

「この敷地にいる連中がみんな、お前に危害を加えたのか? お前の姉も、そこの廊下にいる娘も? 甘えてんじゃねえぞ。関係のない奴らを巻き込んだ時点で、お前はとっくに被害者から加害者の側になってんだよ」

「な、なによ……あたしをどうするっていうのよ……」

「俺はどうもしねえよ。ただ、お前がかけた暗示だけは解いて貰う。とりあえずはこの敷地で生き残ってる連中と……それからお前ら二人の姉もな」

「えっ……?」

 驚きの声を漏らしたのは、ずっと大人しくしていた未瑠だった。

「あ、亞里沙……あなた利乃姉さんにも……?」

「あっ……そ、それは……」

 亞里沙が焦っている。どうやら未瑠は、亞里沙が利乃を暗示で操っていたことを知らなかったらしい。

「……もしかしてわたしも……」

「ち、違う! お姉ちゃんにはしてない!」

 亞里沙は咄嗟に否定するが、疑心暗鬼に苛まれた未瑠は、亞里沙を恐れるような眼差しで見つめている。

「本当だから……他のやつらはいらないけど、お姉ちゃんだけはあたしのお姉ちゃんだもん……信じてよぉ……っぅ……ぐすっ……」

「亞里沙……」

 未瑠の瞳が揺れる。妹の言うことを信じてあげたい、しかしそう簡単に心から信じることはできない……そんな感じだ。

 未瑠が何も言わないことで、二人の間に微妙な空気が流れる。

 肩を震わせてしゃくり上げる亞里沙だったが、突然大声を張り上げる。

「うぅぅ……なによ! なんなのよ! もう! どうして信じてくれないのよお姉ちゃん! もうやだ、みんな出てってよぉ!」

「いやー、俺はいいんだけど、綸区だけは暗示を解いてもらわないとねぇ」

 飄々とした浦斑。

 癇癪を起こした亞里沙は、噛みつくようにわめき散らす。

「うるさい! あんたたちが来なければ……みんなあんたたちのせいよ! 催眠なんて絶対解いてやらない!」

 浦斑が肩をすくめる。

「子供に言う事を聞かせる方法なんて幾らでもあるけどね……旦那、どうするかい?」

「めんどくせえな……ちょっと待ってろ」

 長夜は携帯電話を取り出して、志我崎にかける。

『終わりましたか?』

「」


『分かりました。では二人を連れてこちらへ来てください。三つ子の長女がいる、あの部屋ですよ。術式についても調べ終わりました』

「何か分かったのか?」

『ええ、非常に厄介なものだということが分かりました。見たことのない独自の型ですから、うちにいる術師では解除は難しいでしょう』

「ふん……結局は本人にやらせるしかないって訳だ」

『一応、すぐに解く方法もありますけどね。術者から魔力が転送されて暗示をかけ続けている仕組みになっていますから、元を断てば終わります』

「元を断つってのは……」

『まあ、殺してしまえば。しかし私としても……』

 志我崎の言葉の途中、長夜の携帯が手のひらを滑り落ちる。

「おい! 浦ぶ――」

 気付くのは絶望的に遅かった。

 浦斑建昇が気付かれないように動いたのだが。

 ――パッ、と華が散った。

 続いて蛇口をひねったみたいに真っ赤な鮮血が飛び出していく。

「か―――? ヒ―――ヒュ――――………」

 きっと亞里沙は、最期まで何が起きたのか分からなかっただろう。

 目隠しされた目は、切り開かれた自分の喉から噴き出る血液を見えはしない。

 ただ大量に飛び出した水圧に顎を大きくのけ反らせて、ばしゃばしゃとドレスの膝にかかる熱い液体を感じたまま――少女は動きを止めた。

 床に落ちた携帯電話。

 首を裂かれた少女。

 返り血を浴びた浦斑。

 紅い雫を落とすナイフ。

 永遠のように長い数秒の後……

「あ、亞里沙……? あ……あ、ああああああ……いやあああああああああああっ!!! 亞里沙あああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 静寂を、少女の悲鳴が切り裂いた。

 未瑠は発狂したように――事実、その通りか――あらん限りの声をあげて絶叫する。

 叫びながら駆け寄ろうとしたのか、縛られた椅子をガタガタ揺らし、勢い余って椅子ごと床に倒れた。

「ぐうっ――! う……ああ……うああああぁぁああ……亞里沙……嫌ぁ……なんでこんな……ああああああああぁぁぁぁぁ……!」

 少女の目からこぼれた雫が床に溜まっていく。

 やがて叫び疲れた少女の声が、しゃくり声に変わった頃……浦斑建昇はゆったりと振り返って、長夜に顔を向けた。片側の頬が、べったりと返り血に濡れている。

「そんな怖い顔してどうしたのさ、旦那……俺はなにか悪い事をしたかい?」

「……浦斑」

「それ、仕舞ってくれよ。やり合う気はないんだからさ」

「……………」

 長夜は半ば無意識に手をかけていた拳銃を、内ポケットにしまった。

「じゃ、俺は綸区を連れて帰るから、後は任せたよ。……お疲れ」

 最後まで飄々としたまま、浦斑は部屋を後にした。

 部屋の中には暗闇に佇む男と、倒れ伏したまま嗚咽を続ける少女……そして少女の亡骸が残される。


 夜は終わった。

 全てが解決し、朝を迎えても……胸の澱が晴れることはない。

 男の長い夜は続いていく。




 ――数日後。

 長夜は夜の歓楽街を歩いていた。

 派手な電飾が瞬く看板の間を進んでいく。

 何度か客引きに話しかけられるも気分が乗らず、どこか落ち着いたバーにでも入ろうかと考えていた時……

「ねえねえ、おじさん休憩していかない?」

 背後から声をかけられて振り向く。

 相手は街並みに似つかわしくない制服姿の少女。

「……何やってんだお前」

 尾梁綸区だった。

 綸区はしれっとした顔で、長夜の隣に並んで歩き出す。

「なにって、あなたを探してたんですよ。でなきゃこんなところ来ませんよ」

「だろうな。つうか制服はやめとけ。補導されるぞ」

「目立たないのは得意ですから」

 長夜はそういう問題なのか……と言いかけたが、ひょっとしたらこの娘にとってはそんなレベルなのかもしれない、とも思った。

「よく見つけられたな」

 ひとまず歓楽街から離れる方向に向かいながら、長夜は綸区と話す。

「今日で3日目ですけどね。このあたりに出没することが多いって、師匠に聞いて」

「なんで知ってんだあの野郎……」

「さあ? 本人に聞いてください」

 長夜はがりがりと頭をかいて大きく息を吐く。

「……で、俺に何の用だ」

「んー……ちょっと落ち着ける場所で話しませんか?」

「ホテルには入らんぞ」

「私だってお断りです」


 結局、二人はしばらく歩いて目に入ったファミリーレストランに入った。

 24時間営業とあるが、さすがにこの深夜に人は少なく店内はガラガラだ。

 二人は揃って以前と同じものを注文する。

「それで何だって?」

 ズズ……とコーヒーをすすって長夜が言う。

「せっかちですね。あんまりモテませんよね」

「ところがどっこい、そういうわけでもねえ。ま、ガキにゃ分からんだろうけどな」

「いやまぁ、ちょっとは分かりますけど、認められないこともありますよね」

「かっかっ、遠慮すんな。俺を誉めろ誉めろ」

「はぁ………」

 綸区は大きくため息をついてから言った。

「……今回の事は、師匠から全部聞きました」

「あいつまだお前に隠してる事あるぞ」

「盗聴器は取り除きましたよ?」

「靴下はどうした?」

「………………………」

 言われて綸区は目を泳がせて……テーブルに顔が触れそうなほど俯き、ダン、と軽く拳をテーブルに落とした。拳が若干震えている。

 長夜は自分で振っておいてあまり興味がないようで、カップを置いてサンドイッチを頬張った。

 綸区は水を一口飲んで気を取り直す。

「私は……師匠は間違ってはいないと思います」

「…………」

 長夜は肯定も否定もしない。

「そういえば長夜さん、前に正義のためって言ってましたよね」

「……ああ」

「本当に不幸な人を助けられない正義なんて意味あるんですか?」

 ざ……、っと冷たい風に肌を撫でられたように綸区は感じた。まるでその周囲だけ気温が一気に下がったようで、全身に鳥肌が浮き出る。

 ――わずかに殺気立った長夜の視線が、綸区を射貫いている。

 だがそれは一瞬だけの出来事で、すぐに元に戻る。

「……す、すいません……」

「学習しろよお前は……」

 長夜はぐいっとカップの中身を飲み干して、二杯目を取りに行く。

 戻ってきた時、綸区はハンカチで額や首筋の汗を拭いていた。長夜はカップを置いて座ると、だらしなく足を投げ出した。

 同時に運ばれてきたスパゲティーに綸区は手をつける。

「お前それ好きなのか」

「ホワイトソースですか? 好きですけど」

「俺のホワイトソース――づぉあっ!」

 長夜の手の甲に爪楊枝が突き刺さっていた。

「てっ、てめっ……言ってる途中で……!」

「……なにか言いました?」

「何でもねえよ……くそっ」

「私は真面目な話をしに来たんですけど」

「おい、俺が悪いみたいに言うんじゃねえよ」

「……じゃあ私が悪いってことでいいです」

「大人ぶりやがって……」

 長夜がつまらなそうに足を組んでコーヒーを口に運ぶ。

「どうするのがいいんですか、あなたは」

「んなもんどうでもいいから早く言え」

 強引に混線を断ち切って本題に入る。

 綸区は長夜の目を見据えて尋ねた。

「あなたの言う"正義"って何ですか?」

 その問いかけに長夜は少し驚いた。

「そんなのが聞きたいのか?」

「そんなのって……あなたにとっては大事なことなんじゃないんですか?」

「そりゃあ俺にとったらそうだが。……ま、いいか。俺にとっての正義ってのはな、より多くの人間の命を助ける事――だと、昔は考えてた」

「それじゃあ今は?」

 長夜がカップを置く。

 綸区の目を見て、言った。

「死んだ方がいい奴を殺す」

「それって……どういった定義で?」

「他人の不幸を食い物にして腹を満たしてる奴らだ」

 綸区は少し目を上に向けて考える。

「それって……暴力団の人たちがそうですよね」

「そう思うか?」

「違うんですか?」

 少しだけ相好を崩し、残ったサンドイッチに手を伸ばしながら長夜は言う。

「まあ違っちゃいねえけどな。だがな、たとえばお前、さっきまでいた盛り場があるだろ」

「ええと……風俗店とかの?」

「そうだ。あそこらへんの店はみんな、すぐそこの組が管轄してる。直轄店じゃなくても毎月上納がある。別にただ搾り取ってるって訳じゃねえ。それで非合法な商売をする上での安全を買ってるのさ」

「…………」

 綸区はあまり納得していないような、難しい顔をしている。

「それと、あそこで暮らしてる奴らはな……別にどいつもこいつも事情を抱えてる連中ばかりってわけでもねえ。好き好んで、アンダーグラウンドに住み着きたい奴もいるのさ」

「……少しは分かりますけど」

「ヤクザってのは清く正しく生きてる連中にとっちゃ爪弾き者だが、社会の役割として必要とされているところもある。……確かにゴミクズみてえな奴も多いがな。俺が言ってるのは、こういったのとは違う」

 長夜は声の調子を落として真顔になる。

「確実に死ぬべき人間ってやつが、世の中には居る。研究のため――楽しみのため――金のため――てめえ勝手な都合を押しつけて、その他大勢を不幸にする奴らが」

「ロレント=チャールソン……でしたっけ」

「そうだ。ああいった奴らを、速やかに息の根を止める。それが俺の正義だ」

 長夜の言は非常に分かりやすくはあった。

 しかし同時に疑問も湧いてくる。

「あの……やっぱり基準がよくわからないんですけど。誰かに必要とされてるとか、どうやって判断するんですか?」

 極端な話、ロレントの研究も進めていれば誰かのためになったのではないか?

 人体実験そのものが許されないのか? もし本人が望んでいたら? 仮に許される場合があるとしたら、許される場合と、許されない場合の境界はどこにあるのか?

 そういったデリケートな問題をどうするのか――

「俺が判断する」

「――へ?」

 長夜が何を言っているのか、綸区はうまく把握できなかった。しかし冗談を言うような話でもないので、なんとか頭をひねって答えを導き出す。

「………ええと、その。基準は無いって事、ですか?」

「ああ。強いて言うなら、その時の気分だな」

「…………………」

 これっぽっちも悪びれずに言う長夜に、綸区は呆気にとられた。

 一瞬、馬鹿にされているのかと思ったが、そうでもない様子だ。

 逆に馬鹿にしてやろうかとも思った。しかしこれは、この世界で自分より遥かに長く人間の生と死を見続け、自分の何十倍――あるいは何百倍も人を殺してきた、長夜柾人の辿り着いた結論なのだ。

 長夜の言う通りに生きたとして……どうなるかを綸区は考える。

「……それって、後悔しませんか?」

 たとえば曖昧な場当たり的な判断で、結果的に標的を取り逃がし、余計に犠牲者を増やしてしまったとする。

 その際に葛藤はないのだろうか?

 あらかじめ自分の行動を規定してさえいれば、「間違ってなかった」と自分を納得させることができるはずだ。

「綸区」

「えっ? は――はい」

「後悔しない人生があると思うか?」

「っ……それは……」

 綸区は答えに詰まる。

「先決めしようとしまいと、結果は結果だ。誤魔化したところで、後悔してるのには変わりない。それなら俺は……俺の思うようにやる」

「…………」

 綸区はなんとなく感じた。

 この長夜柾人という男は、強い人だ。

 何が強いって、自分の弱さを受け入れているのが。

「論理的じゃないんですね。感情的……っていうのも、なにか……」

 あまりしっくり来ない。口ではこう言っているものの、どうにも綸区にはこの男が、人の生き死に関する判断を感情に任せてするようには思えなかった。

 悩んでいると不意に閃く。

「あ…………倫理的?」

 一般的な倫理観とはかけ離れているが、彼なりの倫理観に基づいているのではないか。

 視線を上げて長夜を見た。

 長夜はどうとも答えずに余所を向いている。

「……んで、なんだ。それが聞きたくて来たのか」

「あ、ええ。ありがとうございました。……そうだ、未瑠ちゃんのこと聞きました?」

 長夜の表情が苦々しく翳る。

 あの後、ひどく神経を衰弱していた未瑠は病院に運ばれ、急性ストレス障害と診断されて即時入院となった。

 現在は精神状態は落ち着いているものの、未だ不安で病室から一人で出ることができないでいる。また、軽度の鬱と失声症の症状も認められている。

「結局、未瑠ちゃんには暗示をかけてなかったんですよね……」

 亞里沙という少女にとって、彼女だけが唯一の家族だったのだろう。

 暗示が解かれた長女の利乃に聞くところによると、元々は仲の良い三つ子の三姉妹だったという。

 彼女らが三人連れ立って下校していたところ、突然ロレントがが現れ、彼女らを連れ去って研究所に監禁。研究所には彼女らと歳の近い少年少女たちが囚われており、投薬を中心に通電や外科手術のようないかがわしい実験を行っていた。

 そんな中で利乃は妹たちを守るため、自分が妹たちのぶんまで実験台になると言ってロレントを説得したが、結局のところロレントの魔の手を止めることはできなかった。

 利乃が妹たちを安心させるために言った、自分が絶対に守るという言葉を信じていた亞里沙は、裏切られたと思い込むことで、繰り返される実験によるストレスのはけ口を利乃に向けるようになった。

 その後の顛末は長夜が亞里沙に指摘した通りだ。実験によりヒュプノシスを得た亞里沙はロレントを洗脳し、利乃や他の被験者らにも手当たり次第に暗示をかけて自分を守るようにした。

 長夜たちに全てを話し終えた利乃は、自分を操った亞里沙に対して思うところはあるものの、最後まで妹に自分の思いが伝わらなかった事と、その機会が永遠に失われてしまった事に涙した。

「未瑠ちゃんは、彼女が死んだのは自分のせいだと思ってるみたいです。自分が亞里沙を信じていたら、あんな自棄になることはなかったかもしれない……って」

「………ふん……」

 長夜は煙草に火をつけ、とても不味そうに吸い込む

 客観的に見れば未瑠に非はないのは明らかだが、他人が言ったところでどうなるものでもないのだろう。

「しかしなんだお前、わざわざ見に行ってんのか」

「ええ、暇な時に。放課後いつも暇なんですけどね」

「勉強しろ学生」

「中卒の人が言うと含蓄がありますね」

「うるせえぞ馬鹿」

 長夜がふーっと煙草の煙を吹きかける。

「うわっ、それちょっと、最悪ですよ。やめてください。今度やったら爪の間に入れますよ」

 涙目で爪楊枝を手に取る綸区。

 長夜は全く反省した様子なく、鼻歌なぞを歌っている。

「はぁ………まあ、でも最近はちょっとだけ笑うようになりましたよ。ここに来る前も行ってきたんですけど」

「……そうか」

 長夜はまだ半分ほど残っている煙草を、灰皿に押しつけて潰した。

「そろそろ出るか」


 店を出た綸区は長夜に頭を下げる。

「今日はありがとうございました」

「一人で帰れんのか?」

「終電まだですし、大丈夫ですよ」

 綸区は機嫌良さげに、くるっとステップするように体を回した。

 長夜は新しい煙草を取り出す。

「……で、答えは出たのか?」

 綸区がぴたっと止まって振り返る。

「そういえば長夜さん」

「あ?」

「今回もそうでしたけど……そのやり方だと、自分で助ける人より、自分が殺した人が多くなりますよね」

 救われない人を助けるのではなく、救われない者を作る原因を消去する。

 長夜に助けられるのは、顔のない、誰かも分からない未来の被害者でしかない。

「……そうだな」

「あなたはいいんですか? それで」

「それが俺の正義だ」

 即答する長夜。

 あくまでもぶれない男。

 その答えを予測していた綸区は軽く笑った。

「私はぶっちゃけよく分かりません。でも前よりもっと興味が湧いてきました。自分なりの答えを見つけるために、この業界でやっていこうかと思ってます」

「そうかよ。ったく……」

 長夜は諦めたようにため息をついた。

「もう帰りますね。それじゃあ……」

「おう」

 軽く会釈をしてから長夜に背を向けて、尾梁綸区は夜の街に消えていった。




 綸区と別れた後、愛車の二輪に乗った長夜は夜の道路を走らせて、とある古風な和風邸宅の前に来ていた。

 閑静な住宅街の少し離れたところにあり、この深夜にあっては人通りが全くない。

 非常に広い敷地は木製の塀に囲まれ、その中を木々が生い茂っているため塀の外から中の様子を窺うのは難しい。

 長夜は塀の傍に二輪を置いて、塀に沿って邸宅の裏側へと歩き出す。

 しばらく歩いてからある地点に辿り着くと、おもむろに塀を乗り越え木々の中を分け入っていく。

 音が立つのには無頓着だが、妙に足場には気をつけて歩いている。

 やがて木々のない広い裏庭に出る。

 そこへ唐突に横合いから声が飛んできた。

「止まりなさい!」

「あ?」

 長夜が怪訝な目つきで顔を向ける、そこには中学生くらいの女の子がこちらに指をさして仁王立ちしていた。

「誰だ?」

「それはこっちの台詞です! 他人の屋敷に無断で立ち入った以上、先に名を名乗るのが礼儀でしょう。それとも裏庭から忍び込む賊には、そのような常識は通用しませんか」

 少女は歳に似合わぬ泰然とした態度で応対してくる。

 よほど教育がいいのか……長夜には判別がしがたかったが。

「………ふむ」

 既に目の前の少女が誰であるか長夜には見当がついていたが、同時になんとなくこのまま事情を伝えるのも面白くないと思い立った。

 長夜は少し思案して、コートから槍を引き出して一本に組み立てる。

 そうしてにやりと不敵に笑みを浮かべると、槍を突き出して構えをとった。

「口先だけは威勢がいいが……賊だとして、どうする? 尻尾巻いて逃げ帰って助けを呼んでくるか?」

 小馬鹿にするような長夜の挑発に、少女はむっとして言い返す。

「馬鹿にしないで! こう見えても私は志我崎の跡取り! 子供相手に刃物をちらつかせる卑怯者に、背を向けることなど有り得ません!」

「そうかそうか。で、どうすんだ? ん?」

 長夜はあくまで子供相手の口調で、相手の神経を逆なでる。

 その態度に少女は怒りを爆発させた。

「ぐ――こ、この……よっぽど痛い目を見たいようね……! なら身の程を教えてあげるわ……そのかわり無事には帰れないわよ!」

 言って、少女はポケットから二つの小石を取り出した。

「連結!〈突風〉〈散弾〉―――」

 少女の言葉を受けて、小石の表面に刻まれた紋様が淡い光を帯びる。

 少女はその小石を長夜に向けて投じた。

「点――」

 その言葉を告げる途中。

 少女が小石を投げた瞬間、長夜は鋭く踏み込み、槍の穂先で中空の小石を弾いた。

 小石の片方があらぬ方向へと飛んでいく。

「――火」

 魔術の発動を告げる声。

 しかし小石はポフッと気の抜けた音を出して、長夜の足下に転がった。紋様の光は消えている。

 同じことが遠くに弾かれた小石でも起こっており、魔術の不発を告げていた。

「っ……!」

 少女が驚愕に顔を引きつらせる。

 だがそこで硬直してしまうことなく、後ろに後退しつつ再びポケットから小石を取り出す。

「〈突風〉―――点火っ!」

 今度は小石がひとつ。投げる間も惜しんで、手のひらを前に突き出して魔術を発動させる。

 駆け寄ろうとする長夜だが、相手の魔術が発動するまでに接近が間に合わない。

 そこで長夜がとった行動は、少女の予想を遥かに超えたものだった。

 長夜は走りながら槍を前の地面に突き立て、それを支柱にして棒高跳びのごとく飛び上がった!

「な――っ!?」

 少女の突き出した掌から、文字通りの突風が突き抜けていく。

 しかしその先にあるのは地面に突き立った槍のみ。唸りをあげる豪風に槍は軽々と吹き飛ばされて、遠くの樹木に突き刺さった。

 そうして少女のもとに、頭上から長夜が降ってきた。

「よっ――と!」

 長夜はその勢いのまま、覆い被さるように少女を地面に押し倒す。

「んぐ、っ!」

 背中から叩きつけられる衝撃に、少女が呻く。

 少女は上に乗った長夜を押し返そうとするが、女の子の力では体格のいい大人の体はびくともしない。

「敗因を教えてやろう。まずは不用意に接近しすぎた事……筋力で敵わない相手からは、少しでも距離をとるべき。次に槍のリーチと使い道を見誤った事。そして正体不明の敵に魔術の知識がないと思い込んだ事」

 人を押し倒したまま突然講釈をたれ出した男に対して、少女はきつく睨みつけたまま耳を傾けている。

「総じて、武器術に対する魔術の優位性を過信していた事だ。魔術だけに頼って生き残れるほど、戦いの場は甘くない」

「くっ……ううっ……!」

 少女は心底悔しそうに奥歯を噛む。

 気が強そうな少女だが、自分の悪いところの指摘を理解して飲み込んでいる。先ほどの魔術も、この歳にして淀みなく洗練されていた。この少女は伸びそうだと長夜は感じた。

「……母親に似たな」

 少女の顔を間近で見つめて……長夜がぽつりと呟いた。

「……?」

 少女は何のことか分からず、顔に疑問符を浮かべる。

 長夜はフッと苦笑いして少女から離れようとする――と、

「りょ、遼子お嬢さん!」

 狼狽する女性の声が。

 屋敷の方から駆け寄ってきた女中姿の少女は、服の下から大量のナイフを取り出したと思うと、それらすべての切っ先が長夜の方を向いて、彼女の周囲の空間で停止する。

「お嬢さんから離れてくださ…………あれ?」

 女中の少女は長夜の顔を見て固まった。

 長夜もその少女に見覚えがある。

 鬼柳利乃だ。

「よう。なんだ、ここで働いてたのか」

「あっ、はい………あ、いや、どうしてここに……え?」

 利乃はすっかり混乱している。

 未だ長夜に組み伏せられている、利乃から遼子と呼ばれた少女は、二人を見比べている。

「なに? 利乃の知り合い?」

「え、えっと、それはー……知り合い……ですかね?」

 利乃は自信なさげに長夜の方を窺う。

「そうだな。この前の夜に、ホテルで俺が一方的に襲われたんだったか」

「そっ、その言い方だと私が悪いみたいじゃないですかっ! 最後の方はあなたも……それに目が覚めたら目隠しして縛られてるし……ひどいですよ」

「馬鹿、あんなもんで済んだんだから感謝しろ」

「それはそうですけど……」

「ちょっ……ちょっと利乃っ!」

 遼子が大声で二人の会話を遮った。

「ど、どっ……どういうことよ!? ほ、ホテルとか……その……お、おおお、襲った、とかっ……!」

 いったい二人の会話に何を連想したのか、遼子は茹で上がったように顔を赤くしている。

「へっ? どうって…………あっ」

 ようやくそこで、はっと気付く。

 長夜は肩を震わせながら、片手で口元を押さえて笑いをこらえていた。

「ちっ、違いますよっ! 誤解、誤解ですっ! あ、あなたもほら、ちゃんと否定してくださいよ!」

「ブッ……くっくっくっ………いや、ガキのくせにホテルからそんな連想するなんてなぁ……まったく、父親の教育はどうなってんだか」

 可笑しそうに笑い声を漏らす長夜。その下で羞恥に顔を真っ赤にする遼子。大量のナイフをまとわりつかせたまま、目を回しておろおろする利乃。

 なんとも収拾のつかなくなったところで、新しい人物が裏庭に姿を現した。

「その台詞は、貴方にだけは言われたくありませんねぇ」

 屋敷の中から現れたのは、長身痩躯の朴訥とした雰囲気のする優男。

 この家の主、志我崎稔だ。和風建築によく合う松葉色の和服を着流している。

「あまり人の娘と女中で遊ばないでもらえませんか」

「おう、そいつは悪かったな」

 長夜は立ち上がって遼子を解放した。

 遼子も続いて立ち上がると、尻についた土を手で払いながら、屋敷に近付くように長夜から距離をとる。

「利乃」

 稔が利乃の名を呼ぶ。

 外での彼とは違う、冷たく鋭い声だった。

「は、はいっ!」

「貴女は遼子を連れて部屋に戻っていなさい」

「わっ、わかりましたっ」

 稔の言葉に利乃は慌てた様子で遼子のもとに向かう。

「ちょっ、ちょっと利乃、ナイフ! ナイフしまって!」

「きゃあああ!? ごっ、ごめんなさいっ!」

 どうやら世話を焼こうとして空回りする利乃と、それに呆れる遼子という図式が出来ているようだ。

 遼子は後ろ髪を引かれるように長夜を気にしていたが、利乃にぐいぐいと体を押されて屋敷の中に消えていった。

 裏庭には長夜と志我崎稔の二人が残される。

「あれがお前の娘か」

「かわいいでしょう。あまり近付かないでくださいよ」

「向こうから近付いてきたんだがな……」

「まあ、こんなとろで立ち話もなんだし、中に行きましょう」

 背中を向ける稔の後を、長夜は何も言わずに着いていった。


 通されたのは彼の書斎だった。

 純和風ではなく、どちらかといえばオリエント風に近い雰囲気の、古い西欧部族を想起させる内装の部屋だ。

 応接間も兼ねているらしく、長夜はソファーに腰を下ろして、丸い小さなテーブルを差し挟んで稔と向き合う。

「んで、お前が指定した道で来たのに見つかったのは何だったんだ」

「それがですね……どうやら遼子が新しい結界で穴を埋めていたようなんですよ」

 長夜のとった侵入経路は、あらかじめ用件がある時に使うようにと稔に教えられた、結界の隙間になる場所だった。

「お前そんなばっかじゃねえか。ちゃんと気付いとけよ」

「いや参りますね。でも貴方も気付かなかったでしょう? 我が子ながら恐れ入りますよ」

 遼子のことを語る稔は実に嬉しそうだ。

 長夜は懐からウイスキーのボトルを取り出して言う。

「おい、グラスはねえのか」

「ありますよ。氷も必要ですか?」

「いらねえ。酒に氷入れるくらいなら、ラッパで飲むわ」

 稔が席を立ってグラスをひとつ用意する。

 それに長夜は持参したウイスキーを自分で注いで一人であおる。

 稔もそれを見て何も言わない。長夜と違って彼は飲まない男だ。

 長夜がぐいっと一杯飲み干し、息をついたところで稔が口を開いた。

「しかし貴方から来るとは珍しいですね。何かありましたか?」

「別に大したこたあねえよ。この前のがどうなったのか気になっただけだ」

「それこそ珍しい。仕事の後のことは聞きたがらないものと思ってましたが」

「うるせえな、たまにはいいだろが。で、どうなったんだ?」

 長夜はどんどん酒を注いで口に運んでいく。

 稔はひとつひとつ思い出しながら語る。

「そうですね……まず浦斑の方から。やはり彼が貴方のもとに代理を送ったのは、彼の判断だったようです。自分が襲われた時点で、こちらの情報が流れているのを疑ったようですね」

 勝手な独断と言えばそうだが、結果としてそれが正解だったわけだ。

「尾梁綸区については私も知りませんでした。浦斑は彼女を非常に買っているようでしたが、仕事の依頼は自分を通すようにと言われましたよ。貴方から見てどうでした? 彼女は」

 長夜は酒を飲む手を止めて答える。

「……あんま向いてないんじゃねえか」

「ふむ、そうですか。一応、彼女の身辺について調べたところ、ごくごく普通の共働きの一家でしたよ。どうしてこちらに入って来ようとするのか皆目見当がつきませんね」

「さあな。色々あるんだろ」

 気のない返事をして、再びグラスに口をつける。

「そうそう、彼女はあれから毎日、三つ子の次女……鬼柳未瑠の病室に通っているようですね。次女に関しては今回の記憶を消すことも提案しましたが、本人が拒否しましたので。今後の処遇については保留です。彼女らの両親を特定したところ、両親も行方不明ということが分かりました。……ところで浦斑が次女を引き取るようなそぶりを見せていまして。どうしましょうかね?」

「……勝手にしたらいいんじゃねえか」

「そうですね。浦斑のところにいるなら……彼女の能力は使えそうです」

「……………」

 稔の口ぶりからは、未瑠に対する憐憫の情は感じられない。

 ただ、その能力の使い道だけを考えていた。

 とはいえ長夜も今さらそれを批難するつもりはない。

「それと……三女については言う事はありませんね……」

「……研究所にいた連中はどうした」

 三つ子と同じく、ロレントの実験の被害者となった少年少女たち。

 そのほとんどは長夜と浦斑によって命を絶たれる事となったが……長夜が立ち去った時点で死亡していなかった者も二人ほど居た。

「ああ、生き残りが二名いましたね。空中浮遊の少女は、既に回復して普通に生活できています。こちらも両親は行方不明で、ひとまず記憶を封じて施設に送りました。物体時間移動の子は……まだ意識が回復していません。こちらとしても、なんとかして時間移動の術式を調べたいのですがね」

 時間移動など、魔術連盟の魔術師でも使用できる者はごく限られている。自身で制御できないとはいえ、サンプルとしての価値は非常に高い。

「それでお前、アレはどうしたんだ。なんでこんな所にいるんだ」

「ん? ああ、利乃ですか。彼女は施設に入るより働きたいと言い出しましてね。私も丁度、娘と歳の近い話し相手がいるといいかと思いまして。使用人として働いて貰う事にしました」

「まあ別にいいけどよ……」

 逆に日々を忙しくすることで、沈み込まないで済むという事もある。

 長夜は先ほどの様子を思い出していた。利乃は稔に対して怯えているようにも見えたが、どちらかというと学校の怖い先生と話すのに近いのだろう。

 志我崎稔という男はこれでも、日本で有数の歴史ある魔術師の家系、志我崎家を束ねる者だ。

 古い家に生まれ育った彼は、本人の性格とは別次元で、主従関係を厳格にするという事が当然の如く身に染みついている。

 先ほどの利乃に対する姿勢がその表れだ。

 ただ、彼にとっての主従とは金銭による契約とは全くの無関係だ。

 主従とは組織や個人に服するということ。家族である遼子は違うし、対等な個人同士である長夜も、金と契約の関係である浦斑も違う。

「入院している妹とは、お互い辛いことを思い出してしまうので暫く会いたくないそうです」

「そうか……おい、灰皿」

「うちには子供もいるんですから、あまり煙臭くしないでくださいよ……」

 長夜が煙草に火をつけ、志我崎が立ち上がろうとした時だった。

 ――コンコン。

 部屋のドアがノックされる。

 長夜と稔が視線を交わす。長夜はもちろん、稔にも予想外だった。軽く首をひねりながら、稔がドアに向かって言う。

「いいですよ、開けて」

 ガチャ、とドアを開けて姿を見せたのは遼子――と、その後ろで稔の目を窺って縮こまっている利乃だった。

「……利乃、あなたは」

「父さん、利乃を責めないで。私が無理を言って来たんだから」

 指示を守らなかった利乃を咎めようとする稔を、遼子が制する。

 稔は遼子には弱いようで、困った顔をして口をつぐんでしまう。

 遼子が部屋に足を踏み入れようとした時、慣れない酒と煙草の匂いにたじろぐが、ぐっと我慢して長夜に向かい立つ。

「なんだ、俺に何か用か」

「長夜柾人さん、ですよね」

「ああ」

「私に槍を教えてください」

「な――!」

 稔の目が驚愕に見開かれた。

 長夜は無精髭をさすりつつ思案する。

「……なんで今日会ったばかりの奴にそんな事言うんだ?」

「あなたのことは母からよく聞いていましたから」

「……………」

 遼子の母――稔の妻は、既に他界している。

 長夜もそれを知っていた。

 なぜなら、長夜柾人の妹だからだ。

「先ほどの立ち会いで体術の必要性を痛感しました。是非私に戦い方を教えてください。お願いします」

 そう言って、深々と頭を下げる遼子。先刻の勝ち気さがなりを潜めて、礼儀正しく真摯な態度であった。

「ほお……」

 長夜はその様子に感心した。

 そうして彼女に返事をしようとするが……

「いけません! わ、私は許しませんよそんなこと!」

 稔が椅子から立ち上がって大声を張り上げた。

 稔の言葉に遼子が反論する。

「どうしていけないんですか? なにか問題でも?」

「こっ……この男は用がなければ来ませんからね。中途半端に教わっても身につかないでしょう」

「いつも暇してるから来てもいいぞ」

 稔の懸念を長夜が軽く一蹴した。

 稔が目の端で睨むが、長夜はどこ吹く風で煙を吐き出している。

「くっ……あ、あなたは志我崎の娘ですから、私の他に師を迎えるのは……」

「有用ならば外部からも積極的に取り入れろ、と言っていたのは父さんじゃないですか。それに魔術を教わるわけじゃありませんし」

「う、ぐく……や……槍なんて危ない! ケガしたらどうするんですっ!」

 とうとう稔の言い分が苦しくなる。

 遼子は呆れたようにジト目でため息をついた。

「……筋力の不利を補うのに、槍や薙刀の長物は最適。かつ、槍はルーン魔術の補助に最適……と教わった覚えがありますが」

「う、ううううっ……」

 完全に論破された稔が、がっくりと打ちひしがれる。

「お、お屋形さまっ……!」

 稔を気遣う利乃が慌てて駆け寄っていた。

 そうして遼子は改めて長夜に向き直ると、まっすぐに見つめて尋ねる。

「ええと……それじゃあ、私に槍を教えていただけますか?」

 期待に満ちた瞳が眩しかった。

「おう、いいぞ。だが俺が教えるからには厳しいからな、覚悟しとけ」

「はい、望むところです!」

 遼子は威勢良く答えた。


 こうして予期せぬところで妙な師弟関係が結ばれることになった。

 彼女が長夜柾人の息子と出会い、彼を最大のライバルと認定するのは、これより何年も先のことになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る