僕の彼女が死んだ

桝克人

第1話

 彼女との思い出は僕の人生で最高の日々で、一瞬一瞬全てが宝物だ。生まれてこの方三十年、あの愛しい彼女の存在が僕のつまらない人生に色を与えてくれた———なんてどこかで何度も聞いたようなフレーズがぴったり当てはまる。彼女に出会う前なら陳腐だと唾を吐きかけたくなる衝動に神経を高ぶらせていただろう。でも彼女が僕を変えた。恋を謳った流行りの歌も、希望やら絆やらそういった上辺も撫でるような言葉が心に浸透した。


 僕は酷い人生を送っていたと思うし、僕の人生を知れば百人中百人が『酷い』『気の毒』『可哀そう』『哀れ』と思ってくれるに違いない。

 生まれた家は両親と僕の三人暮らし。父親は家族を支配下に置きたがる暴力男だ。母親が父親の暴力を一身に受けていた。その傷を紛らわすためかいっそ忘れたいと願ったためか、隠れてアルコール三昧。家のあらゆる場所に小さな酒瓶、それも度数が高い酒を隠していた。キッチンは当然、食器棚の一番上の棚の奥、箪笥の下から二番目に入れてあるセーターに包ませ、下駄箱に入れたロングブーツの中、ベッドの下、トイレットペーパーを補充してあるトイレの棚の奥、僕が知っている限りでこんなもん。恐らくもっとあったと推測する。記憶の母親は常に酒を煽り、赤い顔か青い顔しか思い出せない。

 僕の家は誰もが知る有名な家であり、そして誰もが避ける家だった。大抵の人は僕や両親を見るとすぐに目をそらしそそくさとその場を離れる。たまに親切な人が僕に飴玉やらビスケットやらをくれ「なんか困ったことあったらなんでも言うんだよ?」と声をかけてくれることもあったけれど、劣悪な環境を知っていながら僕を助ける為に動いてくれるわけでもなかった。いや、動いていたのかもしれない。有名なおせっかいなおばちゃんがいたけれど、いつの間にか町からいなくなっていた。いなくなる直前に父親がそのおばちゃんの家に行っていたような気がする。もう随分前のことだし、父親が他の家に乗り込むことも滅多なことではなかったので記憶違いではないだろう。


 小学校に通うようになって僕に与えられた試練は孤独である。友達百人どころか一人も出来なかった。同じ校区であることは、僕の家の事情を知ると同じことである。あの家の子供に近づいてはいけませんと言い聞かせていたのだろう。僕に関わっても碌なことがないと大人が知れば、子供にも害が及ぶ前に自衛をするのは当然だ。担任の先生も僕にはつかず離れず距離を保っていた。


 高学年になり、卒業して中学校に通う頃には、親がどうして僕と遊んではいけないか解る年齢になり同級生は自ら僕を遠ざけた。遠ざけるだけならまだいい。父親みたいな人間はどこにでもいるのだと知ったのはこの頃である。僕を人間ではなくうめき声をあげるサンドバックだと勘違いしている輩がいるのだ。僕は顔にあざが出来ると流石の教師陣は無視することが出来ず、暴力はいけないと輩を含めた生徒に諭す。その日から僕は顔にあざが出来ることはなくなり、見えない傷に教師は気付くことはない。


 高校には通わなかった。父親が金をせびるようになったことと、義務教育を経たはずなのに僕には知識が蓄えられることがなかったことが原因だ。端的に言えば僕は莫迦だった。得意でない勉強に自分なりに必死に取り組んでいたが、僕の頭では理解が出来ないことが多すぎた。もう一つの理由はただ学校という狭い社会がが好きではない。僕を嫌った学校をどうして僕が好きにならなくてはいけないのだろうか。


 僕は父親に言われるがままにバイトを始めた。朝から晩までバイトを入れた。父親に働けと言われたことだけでなく、僕にあう仕事がなにか解らないからである。この辺りの話は割愛するが、多くのバイトを転々とした。自分にあう仕事を探すのに苦労していたと理解してくれれば良い。


 二十代中盤に差し掛かった頃、母親が突然ぽっくりと死んだ。死因は言うまでもなくアルコール中毒である。死ぬ直前まで母親は酒瓶を手放すことはなかったし、父親はそんな母親に暴力を続けた。

 家でうつ伏せでキッチンに倒れている母親を発見したのは夜のバイトを終えて帰った僕だった。体を揺らしても声をかけても母親はぴくりとも反応を示さない。僕は寝ているのかもしれないと思って仰向けにすると白目をむき、口がぼんやり開けて涎やらを垂らしている。それでも僕は寝ているのだと思った。そう思うのは仕方がないと今でも思っているが、普通はそうではないらしい。勘違いは僕のせいではない。何故なら母親が倒れているのに、父親はリビングでビールを煽ってテレビを見ているのだ。昏倒しているとか死んでいると誰が思うだろうか。僕はいつものように贅肉だらけの母親を二階のベッドまで引きずって寝かせた。朝になっても起きないと父親が喚いて初めて母親が寝ているのではないと知ったのである。僕は慌てて救急車を呼び、電話口で何度も助けてと呼びかけた。

 それからのことはあまり覚えていない。救急車を呼んだはずなのにパトカーがやってきたり、父親が連れて行かれたり、僕も事情を聴かれたりと色んなことが起こりすぎて、僕の頭では理解が出来なかったのである。


 気付けば僕は独り家に取り残されていた。母親の葬儀はあげられなかった。火葬場にだけはなんとか手配出来ただろう、でかい図体の母親は小さい骨壺に収まっていた。僕は骨壺の扱いが判らず、とりあえず母親が好きだったキッチンにしまうことにした。お酒の近くにいれば幸せだろうから。


 独りになってからの僕の生活はバイトに行って帰っては寝るだけの面白みもない単調なものだった。幸いしたのは僕のバイト先はこの町からずっと遠く―——大体二時間位かかる場所にある。近所の人とは違って僕を知る人は多くはなかった。一部の人は僕に同情を示したのは母親が死んだことをニュースで知ったから、らしい。つまりは同時に父親のことも知られた。僕は虐待されていた可哀そうな子供で、苦労をして育ったと認識してくれた。

 とはいえ、元来人見知りで人付き合いが得意でない僕はバイト先でも交流はなく孤独には違いなかった。

 そんな僕に転機が訪れた。


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