Help meとは叫べない~僕たちが高校を卒業できない理由~
神坂 理樹人
第1話 Victim
薄暗い曇り空はやがて雨に変わり、ただでさえじめじめとした体育館裏の狭い通路スペースはさらに湿気が高くなってくる。
「どうして、こんな風にしかなれないんだろう」
運が悪いから、はっきり話せないから、人の視線が怖いから。
いくらでも言い訳は思いつくのに、どれもしっくりこない。本当の理由、つまり自分が弱いだけということを認めたくないだけだとわかっている。
雨は少しずつ強さを増し、古ぼけた駐輪場のトタン屋根に当たって甲高いメロディを奏でている。教室に戻るのも辛くて、美咲はぼんやりと雨が排水溝に流れていくのを見つめていた。あのまま自分もどこかに流れていってしまいたい、そう思っても逃げ出す勇気すら持っていない。
残酷に時間は過ぎる。午後の授業が始まる直前に、美咲は目立たないように教室に入った。
自分の席に座ってすぐさま文庫本で自分の顔を隠す。このまま誰にも気付かれなければいいのに、と願いながら周囲の音に耳をそばだてる。とても文庫の内容なんて入ってくる気がしなかった。
それでも周囲に怯えるだけの日常は平和でいいと思う。そのくらい一年生の時の美咲はひどいものだった。
当時は理由を知らなかったが、発端はクラスで人気ある男子の何気ない一言だった。
「不二って地味だけど結構かわいいよな。化粧するとたぶん化けるぜ」
翌日、ただでさえほとんどクラスメイトと話さない美咲が休み時間に言葉を発することはなくなった。
グループで任された資料室の片付けを一人で押しつけられたこともある。休日に遊びに誘われたと思って喜んで出かけたら、待っても待っても誰も来なかった。
体育の授業が終わったらスカートの内側にべたべたする液体が塗られていたこともあった。その正体なんて知りたくもない、と美咲は黙って拭き取っていた。
そんな日々に比べれば、今の日常は天と地ほどの差がある。ただ一つだけ、あの頃の方がよかったことがある。
美咲は文庫本を少しだけ下にズラして本の上から視線だけを隣の席に向けた。美咲の隣はいつも空席になっている。正確には空席ではなくちゃんと割り当てられた生徒がいるのだが、その生徒は一年生の頃から一度も学校には来ていない。
その理由は他でもない美咲だった。
クラスでのいじめは陰湿だった。そのほとんどは教師はもちろん、クラスメイトにも隠れて行われていた。いじめグループと仲の良いクラスメイトは知っていたが、他のクラスメイトはなんとなくの雰囲気を感じて美咲を無視していたに過ぎなかった。
その日はいじめグループのリーダーの機嫌が悪かった。
普段ならせいぜい罵声を浴びせられるか丸めた紙くずを投げつけられるくらいだった。ケガをさせてしまえばそれが証拠になり、自分が糾弾されることをよく理解している。そのせいで美咲は何も言えないままただ耐えるしかなかったのだ。
「ちょっとついてきて」
放課後に苛立った声で呼び止められ、誰も使っていないC棟の多目的教室に連れて行かれた。
教室に押し込められると、いきなり背中を強く蹴られた。並んだ机をつかんで倒れないようにこらえると、頭に拳が振り下ろされた。ぎゅっと結んだ口から声が漏れそうになるのを飲み込んだ。
騒いだところで誰も近づかないこの教室に助けはこない。それなら声を上げていじめグループがさらに苛立つ方が怖かった。
美咲にできることは、ただじっと痛みに耐え、時間が過ぎて解放されることを待つだけだった。
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