祇園小唄

KOFUMI

第1話

「●‐●‐●‐●祇園小唄●‐●‐●‐●」

                 


「源ちゃんお銚子、岡崎の旦那はん」

「はい!熱々のんですね、ちょっと時間かかります」

 源ちゃんと呼ばれたお燗番の少年は、高校が終わると制服のまま此処祇園甲部の涼白屋すずしろやへとやってくる。

 部活動はしていない。

 彼の部活動は、此処涼白屋での板前修業である。

 板前修業とは言っても、未だお燗番と皿洗いの身。そのお燗番でさえも、アルバイトで入っているお得意様のご子息(お茶屋のお得意様のご子息等が京都の大学へ通われると、世の中の勉強としてお燗番のバイトに入る事がある)が来られるまでの時間とお休みの日のみ、というほぼ毎日皿洗いの身なのである。




     ※




――正月明け。

 中学卒業を翌年の春に控えた中学二年の源が涼白屋の一室に居た。

「自分は、親父みたいな板前になりたいんです!中学を卒業したら、此処で板前の修業をさせてください!」

 割烹涼白の板長を前に、そう言って畳に頭を擦りつけた彼の眼差しは真剣そのものだ。

 彼、紅野源こうのげんの父は、五年前までここ涼白屋が数件先でやっている割烹涼白の板前だった。元々心臓が弱かった父はある日、発作を起し帰らぬ人となった。

 看護師である母は気丈にも葬儀の二日後から職務に復帰、無論小学生だった源にも母が自分を養うために働いている事も、父が亡くなってどれほど悲しい思いをしているのかも知っていた。

「せやけどなぁ、お前のお母はんは、高校にだけは行って欲しい言うてはったで」

「そんなん、おかんの人生やない!俺の人生や!俺は板前になりたいんや!」

「お前が板前になりたい言うて、小さい頃から親父さんに言うとるんは知っとる。別に反対はせぇへんし、ここで修行もしたらえぇ。せやけど、お母はんの気持ちも考えたったらどないや?将来独立したい思た時、高卒の方が有利な事は多いで」

 母の希望は、高校を卒業してからの板前修業。

 源の希望は、高校へは行かず板前修業に入る。

 職人の修行だ、中学を卒業してすぐに修行に入って来る人間も少なくは無い。

 無論高校を卒業してからでも遅いという事は無い。

 どちらを選ぶかは本人と親の考え方だ。店側はやる気のある人間であれば、それで良い。

 しかし、早いに越したことはない。

 そしてこうなった。

○祇園から一番近い公立高校へ行く。

○学校が終わったら涼白屋でアルバイトとして毎日働く。

○但し、高校は三年ちゃんと通って卒業する事。

 板前修業の第一歩として皿洗いとお燗番のアルバイトが開始された。


 涼白屋にあるのは割烹涼白他、あちらこちらから各部屋に居るお客のタイミングを見ているのか?という程に、タイミングよく運ばれてくる仕出しを準備する設備と、食器等を洗う洗い場、それに熱燗を作る場所のみ。

―――お茶屋に大きな台所はない。

 京都のお茶屋の料理は全てが“仕出し”と呼ばれ、お客の好みの店、指定の店から運ばれてくる料理達の事である。

 お茶屋での“仕出し”は世間の“仕出し弁当”と言う物とは似ても似つかない。全く異なった形状、全く異なった食事の事を指す。

 時にそれは最高級の懐石料理であったり、洋食であったり、飲みつかれたお客からのうどんやラーメンの注文であったり、あるいはパフェやケーキと言った甘味であったり、お客の要望に応え様々な物がお茶屋に届く。

 懐石等であれば、前菜からデザートの水菓子まで一度に運ばれてくる事は無く、そのお客の食事のペースをまるで側で見ていたかのように、店からお茶屋へと出来たての料理が随時運ばれてくる。其の為、お茶屋に大きな台所は必要無いのだ。

 高校に通いながらの割烹での下働きの仕事は、どう考えても無理。中途半端な下働きは却って邪魔だとハッキリと板長は源に告げた。源は割烹涼白での修行の前に、お茶屋涼白での皿洗いとお燗番のアルバイトを経験する事から始める事となった。

 皿洗いは神経を使う、何故ならここ花街では安い皿等使っていないからだ。割ってしまえばその辺の瀬戸物屋で買える安物とは違う、皿洗いが皿を割るなど有り得ない。

 皿洗いとお燗番。お燗番と言ってもそれは日本酒だけでは無い。焼酎を飲むお客も居れば、ビールを飲むお客もいる。銘柄を指定してくるお客も居るが、お客の指定が無い場合にもビールの指定はお客の仕事で決まってくる。菱形マークの会社に関係ある人物が居れば、聖獣を象ったビール会社のビール。井形のマークの会社に関係ある人物が居るのであれば、太陽の名のあるビール会社のビール。世の中の暗黙の了解は、ここ花街でも同じように暗黙の了解だ。前もって女将から「○○さんの部屋は△△ビールで」と指定が入るが、それ以降は「○○さん」とビールを取りに来た舞妓に間違いなく、その銘柄のビールを渡す必要があるのだ。間違えれば失礼に当たる。

 お燗の番はそれ以上に神経を使う仕事だ。一人一人のお客様の好みの燗を、確実に間違いなくつけなければならない。誰それは温め、誰それは人肌、誰は熱いのが好みだ、等全てを正確に覚える必要がある。

「××さんは熱め」等と誰も態々毎回教えてなどくれない。

 源はアルバイトを始めた一年で、よく来るお客の燗の好みを盗み覚えた。先輩とお燗を頼みに来た舞妓の会話や、先輩との会話の中で皿を割らない様に気を付けて洗いながら、お燗の好みを盗んで覚え、それをノートに付けて記録した。

「技は盗むもんや、盗まれるもんやない。欲しい技は見て盗め」

 源の父は生前、料理を教えて欲しいと言う源に笑いながらそう言い続け、教える事無く隣で自分の料理の技を源に見せた。源はそうやって料理を覚えたのだ。

―――お燗も同じやな。

 そして二年目には、お燗番を任せてもらえるようにもなった。



 そんな板前志望の高校生が、舞妓涼香すずかの思い人だった。

 初めて会ったのは一昨年の春。

 源が皿洗いのバイトに初めて来た時、高校一年生になった源と、高校を中退し仕込み期間をようやく終え、涼夏が半だらの見習い舞妓になった頃だった。

 本格的な店出しの前に、一カ月ほど見習い舞妓の期間がある。其れまでの一年間は、見習い舞妓になる為の期間、舞妓になる為にまた更に一カ月程見習い期間がある。

 舞妓と同じ格好をするが、“だらり”結びの帯の長さが舞妓の半分程の長さになるので、称して“半だら”と呼ぶ。

―――後、一カ月ほどで憧れだった舞妓になる。

 しかし舞妓としての期間は“蛹”、本当にならなければならないのは芸妓である。

 芸妓こそ、蛹が蝶へと羽化し綺麗な羽根を広げて飛ぶ蝶なのだ。

 蛹である舞妓としての店出しとなる時には、男衆の介添えの元、花街の姉となってくれる芸舞妓(涼夏は姉舞妓がすでに屋形に居なかった為、芸妓の綾涼あやすず)と姉妹の杯を交わし、ここに祇園甲部の舞妓“涼夏”が生まれた。

 本当の名前は倉田千夏くらたちなつと言う。

 涼白屋はお茶屋と割烹を持っているが元々は屋形、芸妓五人と舞妓一人を抱えている。

 涼夏と同じ頃仕込みに入ったのは三人、舞妓になった時には千夏一人になっていた。たった一年の仕込み期間の修行に耐えきれず、戦線離脱。実家に逃げ帰ったのだ。

 まだ舞妓の見習いとしてデビューする前に逃げ帰ったのであれば、マシな方である。

 舞妓としてデビューさせ、いざこれから!という頃に逃げ帰られては屋形は大損。

 仕込みとしての期間に舞い、三味線、礼儀作法から言葉使いまで時間とお金をかけ舞妓へと育て上げ、何枚もの着物に帯、四季折々の簪に小物達を用意しなければならない。

 いくらかはお姉さん達のお下がりがあると言っても、その舞妓の為に新しく誂えた物は数知れず。

 それに加え、仕込み時代から一本立ち出来る芸妓になるその日までの生活費の全てから、お小遣いまでもを屋形が全て先に負担し肩代わりする。

 もしも屋形が肩代わりする費用を、先に年端もいかない若い舞妓やその親に負担してくれと言った所で、「はい、そうですか」と出せる舞妓も居なければ、出せる親とて居ないだろう。もしも出せるだけの財力の有る親であれば、娘を舞妓にさせる事を承諾する訳が無いだろう。なぜならその娘はどこかの財閥や社長令嬢でも無い限り、それだけの資金をポンッと出せる親は居ないからだ。今の世であればどこかに居るのかもしれないが、その昔こうやって芸舞妓になろうと花街にやってくる少女の中には、口減らしと言って食べる事に困った家庭の少女の少なくは無かった。そんな少女達に、自分の衣装代や生活費は自分で賄えと言うのは無理な話だ。その為に屋形が肩代わりし、その肩代わりして貰った費用を返す為に働いたのだ。裏を返せば、借金である費用を返し終わるまで逃げ帰る事は出来ない。逃げ帰った所で、口減らしならば帰る場所は無い。勿論それは、昔の話。女性が家事以外、家庭内の内職以外で働く事を善しとしなかった時代とは違い、女性とて外で働くことが当たり前のこの時代、口減らしの為に花街にやってくる少女はいない。



 舞妓の裾引きの着物は、一般的な着物の約二倍の長さの反物を使い、帯も一般的な袋帯よりも長く、七メートル程の長さにもなる。四季折々のつまみかんざしも、一年十二カ月の十二種類だけという訳ではない。それらの簪もお座敷での使用、行事に寄っての使い分け、普段使い、舞妓になった年数に応じても様々に変化する。其の他にも“ぽっちり”と呼ばれる帯留はかなり高価である。屋形に代々受け継がれる翡翠や珊瑚、瑪瑙等がちりばめられた高価な物も多い為、テーブルやカウンター等に座る際には舞妓は掌でぽっちりをそっと包み込み、傷がつかないように気遣いながら座る程である。

 半襟一つにしても、重厚な刺繍が施された芸術的な一品であり、足袋ですら一人一人の足に合わせて誂えられ、常に真っ白でなければならない為、常に履き替え毎回クリーニングに出す。己で幾ら洗濯したとしても、プロのそれには敵わない。おもてなしのプロである芸舞妓は、お客様に汚れた足袋を見せる訳にはいかないのだ。

 普段の着物であっても、舞妓の着物は幼さを演出する為に肩揚げがなされているし、四日~五日に一度日本髪を結い直す費用も必要だ。費用は日々発生し、日々返済されていく。

 舞妓はその先に負担して頂いた細々とした費用を、舞妓から芸妓へと衿替えをして芸妓としてかかった費用と共に数年かけて返済し、返済の終了と共に自前芸妓となる。

 その期間を昔の名残で今も“年季(ねん)”と言い、六年から七年長くとも八年程になる。

 屋形での共同生活は、花街のいろはを学ぶ期間でもあるのだ。

 芸舞妓を一人の芸妓としてプロデュースしていくという事は、莫大な費用と労力そして忍耐と愛情が必要なのである。

 屋形とは、芸舞妓専門のプロダクションの様な物。

 屋形のおかあさんが社長、芸舞妓はその屋形に所属している役者やタレントと言った所。

 花街は完全女性社会なのだ。

 花街にやって来た少女たちにとって、生きてきた十数年で経験したことの無い程に厳しい礼儀作法、今までと全く違う言葉使い、様々な事を仕込みとしての一年間で経験し、やっと舞妓になる資格を得る。

 戦後間もない頃までの、花街で生きて行くしか道がなかった少女達とは違い、その一番厳しいであろう最初の一年を、ただ舞妓になりたいと甘い考えでやって来て、早々に逃げ帰る少女は少なくない。


―――しかし、千夏に帰る場所は無い。

 小さい頃から母の影響もあり、着物が好きだった。

 艶やかな着物を着て歩くと、まるで自分がお姫様になったかのように思え、いつだってウキウキと心が躍った。

 道行く大人たちは「可愛い」と褒めてくれ、脱ぎたくないと駄々をこねた事もあった。

 そんな千夏が舞妓になりたいと言い出したのは、中学の卒業旅行で京都に行き、実際に芸舞妓さんという人物が目の前を通り過ぎた時、漠然と感じた空気だった。

 化粧をして、褄を持って歩いていた訳ではない。髪は結っていたが、姿。もしも日本髪を結っていなかったら、舞妓の普段着と一般の人の着物の違いすら分からず、【着物を着た人】に思えたのかもしれない。それでも醸し出す空気は違っていた。更にその一歩前を歩いていた女性は、日本髪も結っていない普通の着物姿なのに、更に大きく違った何かを纏い醸し出していた。

―――これ………。

 千夏は、祇園の芸舞妓に魅せられたのだ。

 修学旅行から戻るや否や両親に話をした。

「何、馬鹿な事を言っているんだ!」

 娘が花街へ入りたいと言い出した事を、万歳三唱諸手を上げてキャッキャッと喜ぶ親は、娘を芸能人にしたくてしょうがないステージペアレンツ以外にはなかなかいない。

 千夏も同じように父に叱られ、母に窘められたが他の家庭の親とは少し違い、頭ごなしに『駄目だ!駄目だ!』と怒鳴りつけ、馬鹿にされる事だけにはならなかった。

 偶然にも母が習っていた三味線の師匠が、元祇園甲部の芸妓だった事も幸いした。

 後妻としてやって来てもう四十年近くになり、御年八十歳になろうとしているが、柔らかい京訛りと凛とした出で立ち、真っ直ぐに伸びた背筋に涼しげな笑みが年齢を感じさせない女性だ。

 母は師匠へと相談し、花街がどれだけ厳しく憧れだけでやっていけない物なのかを、直接本人へと話をして欲しいと頼み込み、師匠は包み隠す事無く千夏へと伝えた。

 話は千夏の両親も共に聞く、そうでなければ双方の理解は無いと師匠は言ったのだ。その通り、千夏の両親の知っている花街がTVや映画等で誇張された物であり、千夏の知ろうとしている花街もまた中学生の千夏では、想像も出来ない程の事ばかりだった。

 それでも「あの時感じた空気が忘れられない」そう言い続けた。

 地元の公立高校を受験し、入学して一年は通学したがその気持ちに変わりは無かった。

 そして二年生になった春休み、千夏は師匠のツテを頼りに涼白屋へと仕込み修行へやって来た。高校に退学届を出し、完全にやる気だった。

 しかし両親は保険を掛け、高校へ理由を説明し『退学届の受理少し待って欲しい』と頼み込みんだ事を、千夏は今も知らない。

「帰る場所は作りません。帰る場所が欲しいなら、舞妓にならなければ良いのです」

 父は涼白屋のおかあさんとの面談の時、たった一言そう言った。


 千夏は舞妓になりたいと家を飛び出した時点で、一旦親子の縁を切られたのだ。

「芸妓になるまで家に帰って来るんじゃない!」

 それが父からの言葉だった。

―――最低でも四年は帰れない。

「連絡もするな、手紙も送るな、こっちからもせん!帰ってきたいと思う程度ならば、最初から止めておけ」

 父は最後まで賛成も止めもしなかったが、母は一言だけ「年賀状は書いてね」と笑顔で見送ってくれた。

「年賀状はかまへんねやな」

 一年目、びっしりと小さな文字を書き連ね、送った年賀状に返事は無いがそれだけで十分満足だった。

 十六歳で、母の三味線の師匠のツテを頼りに仕込みとして祇園へ単身乗り込んだ。涼白屋で一年間の仕込み期間で三味線や舞を一生懸命に覚え、無我夢中で一年が過ぎ十七になった千夏は半だらの期間を終え、舞妓として姉芸妓綾涼と共にお花を巡る忙しい日々を送っていた。


 そんな忙しい日々に源と出会った。













     ※

■■■



「きゃっ!」

 ガシャンと大きな音と共に、お銚子が床で粉々になっている。

 千夏がその破片を拾おうとしゃがんだ瞬間「ストップ!」決して大きな声では無い、その付近に居る者に聞こえる限りの、声を殺した大声が飛んできた。

「あかん、あかん!触ったらあかん!手に傷でもついたらどないするんですか!!」

 俺がやりますから―――。そう言って台所から飛び出して拾ってくれたのは源だった。

「すんまへん、お銚子増やしてしもたわ。かんにんえ」

 『割れた』『壊れた』はご法度、縁起が悪い。壊れて数が半端になれば、新しく一セット買い足すのだから「増えた」と表現するのがルールである。

 涼夏も「増やしてしもた」と謝った。

「大丈夫ですよ、それより姉さん怪我してはりません?着物汚れてはりません?」

「へぇ、大丈夫みたい。おおきに」

 千夏は自分の着物をあちこちチェックしながら源に礼を言う。

 こんな少女マンガでありきたりのハプニングが、この恋の始まりだったのか?と聞かれれば、「そうかもしれへんなぁ」等と言わざるを得ないが、千夏が源への想いを恋だと認識したのはもっと先、二年後の冬の事だった。



 源高校二年生十七歳、千夏十九歳の冬の事。

 月に二日だけある公休日。八坂神社へお参りし、一人冬の鴨川を散歩しにやって来た。

 春や夏と違い降りている人も少ないが、均等な間隔をあけて座っているカップルが居ない分、千夏には居心地がよかった。

 偶然にも今回の公休日には髪を解けた。

 舞妓は日本髪を四~五日結ったままなので、公休日に髪を解ける事はラッキーだ。髪を結っていなければ、時代劇等でよく見る“箱枕”で眠らなくても良い。髪を結っている日は箱枕で神経を使いながら眠り、寝返りを打って箱枕から落ちて髪が崩れ、朝から悲壮な顔で結髪さんの所へ「すんまへん!」等と駆け込む心配をする必要は無い。

 今は崩れてしまえば「はいはい」と直してくれるが、一昔前であれば「あんさんは、○日前に結うたばっかりや、次は○日後どっしゃろ」等と言われ、結髪さんに追い返されてしまい、屋形のおかあさんと一緒に結い直しのお願いに行く事もあった。無論、今でも毎日枕から落ちて日本髪を崩してしまえば、「いい加減にしよし!」と叱られるだろう。

 髪を解けた日はそんな事を気にせず眠り、普通の女の子の様に洋服を着、髪を下ろして出歩くことが出来る。日本髪に結っていないし着物でも無いので、観光客に見られる目線も無い。

―――自由だ。

 そんな鴨川で、見慣れた顔が制服姿で座っているのを見かけ、千夏は声をかけた。

「源ちゃん、こんにちは。どないしはったん?一人?」

 えっ――。

 明らかに動揺している源、ジーパンに黒いダウンコートを着て、紫と白の千鳥格子の厚手のマフラー代わりのショールで顔を半分くらい隠し、髪を下ろしている女性。舞妓の涼夏だと気づくまでには少し時間がかかった。

「涼夏さん⁈えっっとあぁ今日はお休みですか?」

「へぇ。お休みの日に髪下ろせるんは嬉しおすなぁ、普通の服着て、こんな所まで降りてこれるんどっさかい。知ってはる人に見られたら困るさかい、ちょっと顔隠さなあきまへんんけど」

 笑いながらそう話す。

「雰囲気変わりますね。何時もは、もっとおぼこいのに…こうやってみると涼夏さんってやっぱり年上なんや」

「酷いなぁ、うちはどうせ舞妓顔やおへん」

 千夏は実際の年齢よりも落着いた雰囲気と、キリリとした顔形を持ち合わせている。

 来年辺り芸妓へと衿替えするだろう。

「そういう意味やないて!いつもは可愛らしい舞妓はんやのに、今は綺麗なお姉さんにしか見えへんし…その…」

 腰を上げながら、慌てて源が付け加えた言葉が本心だったのか、源は耳まで真っ赤にしながら最後ブツブツと言葉をすぼめる。

「おおきに」

 千夏はクスクスと笑う。

 舞妓になりたくて祇園に来て、本当になりたいものが何なのかを知った。蛹の幼虫である舞妓ではない、蝶へと羽化した芸妓なのだ。

 最近までは舞妓になる為に化粧をし、髪を結い、着物を着ていた。今は晴れて芸妓になる為に、日々舞妓で居る残りの時間を指折り数える日々なのだ。


「それにしても源ちゃん大きいなぁ、何センチあらはんの?いっつもお台所と框の上やろ、三十センチくらいは高さちゃうから、源ちゃんがこんな大きい思わなんだけど・・・おおきいなぁ、框の高さと同じ位違う」

「えっと・・・今は183センチかな」

 そう言って見下ろした千夏は、源の肩程までしか届かない。舞妓の身長は一六〇センチ程までと暗黙の決まりがある。おこぼと呼ばれる背の高い草履を履いた際、余り背が高いと日本髪の髷を合わせて二メートル近くになってしまうと、舞妓のおぼこさが上り框との差程度の身長差があるのだ。初めて、同じ高さに立った源と会う。少し気恥ずかしくもあり、何時もの真っ白な上下割烹着の源と裾引きの自分では無いのだなぁと改めて思った。

「なぁ源ちゃん――」

―――隣座ってかまへん?

 そう言おうとした時「源!」と、金切り声とも取れる声が鴨川に響いた。

「何、その女?」

 両手に缶コーヒーと缶紅茶を持った女子高生が、仁王立ちでこちらを睨んでいた。

「えっ、あぁバイト先でお世話になっとる舞妓さん。今日お休みやから普通の服やねん」

 源のその言葉に、千夏はチクリと胸が痛むのを感じる。

「お世話?お世話てなんよ!源のバイトは板前になる為の修業なんやろ?なんで舞妓さんにお世話になるん!?」

 女子高生は舐め上げる様に、千夏のつま先から頭の先までを数回見た。

「ほんまに舞妓さんなん?ダッサいオバハンやん!」

「ユキ!」

 ユキと呼ばれた女子高生は、どうやら源の彼女らしい。

――またチクリと胸が痛む。

(オバハンか…女子高生から見たら十九のうちはオバハンやわなぁ)

 等と思える所が千夏の良い所だ。

「でも、ちょっと傷ついたえ」

 心の中で一応反撃してみる。

「すんまへん!涼夏さん、かんにんしたって。こいつなんも知らへんから…」

 ユキという女子高生の代わりに源が謝り、ユキは不貞腐れそっぽを向いている。

(これが外の世界の、普通の高校生のカップルなんやろか?)

 千夏は不思議に思う。

「かまへん、かまへん。うち、いっつも着物やさかい流行とか知らへんし、源ちゃんより年上なんもほんまやし、彼女さん別に間違ったらへんえ」

「せやけど、こいつ」

「怒ったらあかん。街と外は、色々違いまっしゃろ。街の普通を外に持って出たらあかんえ、街は街、外は外」

 すんまへん――。

 源は再度頭を下げる。これはユキの為ではなく自分の分。

「ほな」と千夏は二人に手を振り、南座の向かい側へと続く坂道を上る。鴨川沿いを少し遠回りして歩き、団栗通りを抜け、建仁寺を通り過ぎ、大和大路通をぐるっと回ってわざわざ八坂通を通って人通りの多い東大路通を歩いた。

 何時もは多くの人が参拝に訪れているが、真冬の平日昼間とあって人もまばらな安井金毘羅の境内へと入る。

 山の様に形代が張り付けてある石碑を左に見ながらさらに進む。

「ちょっとだけ此処に居させてください」

 拝殿から本殿にお参りしその脇に腰かけると、何故か胸が締め付けられる思いでいっぱいになり、ぽろぽろと涙が溢れた。

 確かにユキと呼ばれた彼女は可愛かった。

 短い制服のスカート、茶色く染めた髪は綺麗に巻かれ、たっぷりと付けられたマスカラ、頬を染めているピンクのチーク、キラキラと光るネイルアート、耳にはキラリと光るピアスまで…それに比べて、黒く長い髪。日焼け止めだけの素顔、流行とは無縁の洋服。

 実家の両親からは定期的に下着と、少しの衣類と生活用品が送られてくるだけの生活。

 祇園に来た時履いていたスニーカーを今も履いている。このジーパンもダウンコートももう何年も使っているのに、痛みすら見当たらない。

 マフラー代わりのショールだけは、母がこの前生活必需品と共に送ってくれた新品。


 一年三六五日、三六〇日位は着物で生活していた。

 だから洋服に必要性を感じる事も、洋服を着ている同年代の女性を羨ましいとも、自分が高校を中退してまでこの街へ来た事を後悔することも、ただの一度も無かった。

今日までは――――。



 十六歳で祇園へ来た。

 十七歳で舞妓になった。

 舞妓になって三年目。

 初めて、洋服を着ている女の子を羨ましいと思った。

 髪を茶色く染め、流行の化粧をし、短いスカートを履いて、源の側に居た女の子を羨ましいと思った。

「うち…やっぱりダサいんやろか………」

 本当の事を言ったから、源は彼女を叱ったのか?

 自分を見て源はどう思ったんだろう?

 年上って言うたんはオバハンって意味?

 綺麗なお姉さんって、何をどうフォローしたらえぇか解らへんかったん?

―――きっとそう…さっきの女の子と比べたら…。

 涙は止まる事を知らない。

「今日、お花無(の)うて良かった……」

 呟いてまた泣く。

―――きっとうちかて、今どきの女の子みたいな髪型して、お洋服着て、靴履いて、お化粧もして…そしたら…そしたら…そしたら…そしたら何なんやろ?

 止まらない涙を手ぬぐいで拭い取り、自分の足元の石畳を見た。


 思い返す―――。

 初めて源に逢った時、睨むような目で頭を下げてきた源を恐そうな人だと思った。

それから数カ月してお銚子を増やしてしまった時、源は「大事のぉて良かった」と初めて笑ってくれた。その日から、お銚子の追加を待つ間話すようになった。

 少しずつ、少しずつ話をするようになり、同じ年に舞妓になった別の屋形の菊まりに「仲よろしゅおすなぁ」と笑われたり、源に泣き言を聞いて貰った事が知れると「どっちが年上か解らへん」と姉芸妓の綾涼や屋形のおかあさんにも笑われた。

 一見とても話しにくいのに、話してみると話しやすい源。

 上手く舞えなくて能狂言師の先生に叱られ、悔しくて泣きそうになっている自分を「化粧が剥げる!」と一喝してくれた事。

 目に溜まった涙を吸い取るようにと、ティッシュを渡してくれた事。

 次に先生が来られた時「ちょっとはマシになった」と言われた事を告げると、自分の事の様に一緒に喜んでくれた事。

 未だに実家に一度も帰っていない事を明かすと、「今時そんな妓、まだおったんや」と驚かれた。仕込みとして入る際、父がおかあさんに告げた言葉を言うと、また驚いた顔をし、少し何か考えた後ニッコリと笑って言った。

「涼夏さん帰って来はったら、二度と京都に帰した無くなるんですよ。大事やからこその言葉ちゃいますかね」

―――俺やったら、どんな手使こても絶対に帰さへん!

 まるで涼夏の父親の気持ちが解るかのように、カラカラと笑った。

その言葉で、“自分が芸妓として生きて行く自信が着くまでは、絶対に実家に帰らない。”と心に決める事が出来た。

 今まで舞妓として歩んできた三年間、源が居なければ心が折れていたかもしれない。

 心が折れそうになった時、時に優しく、時に厳しい言葉を必ず源がくれた。

 源のお蔭で舞妓で居る事が出来た、そんな気がする。

 涼白屋でのお花は、何時も心が弾んだ。今日は源と何を話そう――気づくと、そんな事を考えながら涼白屋のお花に出ていた事を改めて思う。


―――あぁうち、源ちゃんの事好きなんや。

 せやからこんな悲しいんや、せやからあの子が羨ましいんや、せやから…せやから…。

―――せやから……………………………………………………………………………………。

 ちゃんと自分の気持ちは理解出来た。

 幼稚園や小学校の頃の恋とはまた違う、初めての片思いを知った日に、初めての失恋。


 気持ちの整理、すぐにはつかへんねやろな…。

 ゆっくり思い出にしたらえぇか。次に好きな人が出来るまで、恋人って呼べる旦那はんが出来るまで、源ちゃんの事こっそり好きでおろ。



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