第七話

 「次の試験の日程、決まったってよ。さっき担当の試験官に云われた」

廣哉は洗濯室のテーブルの向かいで頬杖を付きながら云った。


 ドラム式の洗濯機の中で数枚のワイシャツと下着が回転する様を何気なく眺めていた俺は、その視線を彼に移す。


 「いつだよ」

「二週間後」と答えた廣哉は大きく息を吐き、「はえーなぁ。もうあれから三ヶ月か……」と、呟いた。


 「まだ、何やらされんのかは聞かされてないけど、第四関門だからな……。難しい試験なのは間違いない」

他の試験被験者がまだ行っていない試験の内容を教えるのは禁止らしいため、第二関門以降の試験の内容は知らないが、それは進む毎に難しくなっていくと、廣哉が何度か云っていたのを思い出す。


 「てか、五二〇〇万分の一って、あまりにも馬鹿げてるよな。何か、逆に燃えるわ」

廣哉はパイプ椅子に凭れ、両手を頭の後ろに回しながら云った。

「自分と同姓同名の奴を十人探す様なもんだな」

「いや、それを云うなら火星人に遭遇とかだろ」

俺はあえて幼稚に対抗してみる。


 「じゃあ、十日連続で頭上に隕石が落下とか」

「どんだけ生命力強いんだよ。初日に死ぬだろ、絶対」

「じゃあ、十日連続で金星人に遭遇とか」

「それ、俺のパクリだろ」

おどける廣哉の表情は、少し強張っている様にも見える。

これまで三つの試験を突破した彼は、第四関門に対して、やはり不安と緊張を覚えているらしい。

 

 廣哉は強張った自分の表情を覆い隠す様におどけてみせるが、それでも、時折上の空になる。

彼の第四関門の日が近付くのに比例して、その頻度は増していく。

 

 「じゃ、行って来っから」

廣哉は、髭を蓄えたスーツ姿の男と共にエレベーターに乗った。

「頑張れよ、廣哉」

「おう、ぜってぇークリアすっから! 余裕だ余裕」

無理矢理作った様な笑顔の廣哉と、グータッチを交わす。

エレベーターのドアは閉まった。


 頑張れよ、廣哉。


 一秒。二秒。三秒。四秒。五秒。

時間の経過がやけに遅い。


 時刻は、漸く十二時を過ぎた。

廣哉が寮を出て三時間が経ったらしい。

時間の経過を待つ事しか出来ない。


 頑張れ、廣哉。

頑張れ。頑張れ。


 何かをして不安と緊張を少しでも掻き消さなければ精神がもたない気がした俺は、外に出て自転車をあてもなく漕いでみる事にした。


 ただただ、無心に、ひたすらに自転車を漕いでみる。

通った事のない道路を走ってみる。

見た事のないサイクリングロード。

見た事のない商業施設。

見た事のないインテリアショップ。

見た事のない美容室。

見た事のないバッティングセンター。


 結局外出は、気晴らしにも気休めにもならなかった。

廣哉が戻って来ているかもしれないと、彼の部屋の前で何度も名前を呼ぶが、反応はない。


 廣哉は今頃、何をしているのだろうか。

どんな試験をしているのだろうか。

俺を不安に陥れる様に、空は暗くなっていく。


 頑張れ、頑張れ。

頼む。頼む。

緊張が、全身を伝う。

頑張れ、頑張れ。

頼む。頼む。


 一秒。二秒。三秒。四秒。五秒。

デジタル表記を睨む。

頑張れ、頑張れ。

頼む、頼む。


 部屋のドアがノックされた。

咄嗟にベッドから立ち上がり、ドアを開ける。

「廣哉っ……!!」

其処には、廣哉がいた。


 「じゃーんっ!」

廣哉は四つの星マークが並んだ左手の甲を俺に見せる。

「あぁー! 疲れたぁー! マジでもう駄目かと思ったわぁー!」

俺に抱き付いた廣哉の背中に思わず手を添える。


 良かった……。

本当に良かった……。


 廣哉はそれから、俺の躰を伝う様にしてしゃがみ込むと、床に大の字になった。

「終わったぁー! 終わった終わったぁー!」

廣哉は、そのままいびきをかき出した。


 突然眠る性質と一度眠るとなかなか起きないそれを幼少の頃から持っていた彼は案の定、躰を揺らしたり叩いたりしても起きない。

仕方なくその躰を背負い、彼のズボンから出した鍵でドアを開け、ベッドに寝かせた。

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