第四話
「はぁ!? 整形だの犯罪だの、さっきから何云ってんの!?」
「詳しい事は、話せない。でも、整形も犯罪もやった事ないなら、ちょっと、来てくれないか」
「はぁ!? 何でっ!?」
「その辺ちょっと歩くだけだから! ホント、すぐ終わるからっ!」
「はぁ!? もう意味解んないしぃ!」
女は去って行った。
タイムロスを避ける為には、ナンパの際にその女の整形の経験と犯罪歴の有無を知る必要があるが、見ず知らずの男に突然それ等を訊かれるのは気持ち悪いと感じるのが普通だと、思い直す。
ナンパの成功が大前提なのだ。出来るだけ自然な会話で導き出した方が良さそうだ。
相手の整形の経験と犯罪歴の有無を導き出す、自然な会話。
そんなものがあるのか。
――随分綺麗だね。整形でもしたみたいだ。
――犯罪とは程遠いくらい綺麗だね。犯罪なんかした事ないでしょ。
駄目だ。不自然な上、初対面の男に急にそんな事を云われると余計に気持ち悪い。
小太りな女と喋りながら歩く、小柄な女。
横切った後ろ姿を、思わず見る。
肩に少し掛かった黒髪。
ドット柄のニット。
白いポシェット。
色白な足と白いショートパンツ。
彼女なら、間違いない。
「ちょっと、いいかな」
肉厚な躰と華奢な躰が振り返る。
「君に、用があるんだけど……」
「はい……?」
小柄な女はか細い声を出す。
やはり、彼女のルックスは相当なものだと、確信した。
「俺と、その辺歩いてくれないか」
「だってぇ、カスミぃ! どうするぅ!? てか、この人ちょっとカッコ良くない!? カスミどうすんのっ!?」
小太りな女は小柄な女の肩を何度も叩く。
団子状に纏めた茶髪の下の荒れた肌を塗り潰す様に、鮮やかなオレンジ色の頬紅が施されている。
「ちょっと、何興奮してんの」
「てかさぁ、ナンパされたのこれで三回目じゃない!? 一昨年に一回でしょ、五、六年前に一回。あ、あたしと知り合ってすぐくらいの時にもされたか! やっぱモテんだねぇ、カスミはっ!」
小太りな女は太い指を折っていきながら云う。
「何かさぁ、冴えなくて変な男ばっかだったけど、このお兄さん、すごくいい感じじゃない?」
ボーダー柄のシャツに覆われた大福の様な胸と、カーキ色のショートパンツから出たボロニアソーセージの様な太
「その辺歩くだけだから!」
「そう云ってるしさぁ、今回は行った方がいいってっ! あたし、男見る目はあんだからっ!」
「ちょっと、ナツ、うるさい」
ヒートアップしていく小太りな女に、小柄な女は苦笑する。
「私で良かったら、いいですよ」
小柄な女はそれから、「ごめんね、ちょっと、行くね」と、小太りな女に云った。
「いいのいいのいいのっ! てか、むしろ行って来てっ! 絶対カスミとお似合いだと思うっ! 結果報告待ってるからっ!」
興奮した声をアーケードが反響する。
「それから、ちょっと変な事訊くんだけど」
彼女程のルックスの女などそうそういないだろう。
俺の妙な質問に因って彼女が承諾を取り消したとしても、彼女が整形の経験も犯罪歴もないなら強引にでも連れて行く。
「整形とか、犯罪とかって、した事ないよね……?」
俺がそう云った瞬間、小太りな女は眉間に皺を寄せた。
「ちょっとぉ、また訊かれたね、カスミぃ」
「整形も犯罪も、やった事ないですよ……」
「ホントにっ!? 一度も整形した事ない? 誰かに襲われそうになって正当防衛で相手を殴ったとか、一度もない?」
小柄な女は苦笑したまま頷く。
思わず安堵の息が出る。
決まりだ。あとは彼女を公園に連れて行くだけだ。
「何でそんな事訊いたわけ?」
小太りな女が引き攣った顔で口を挟む。
「いや……、詳しくは話せないけど……」
「もう、皆そう云うじゃん……。てか、何でカスミにナンパする人皆同じ恰好なわけ!? 皆妙に焦った感じだしさぁ。何か気味悪くなってきたぁ。ねぇ、カスミぃ、やっぱやめよっ!」
「んーん、いいの。私、今回は行く」
「やめときなってぇ!」
「いいのっ! 私が行きたいって云ってんだからいいじゃん」
「絶対やめた方がいいってぇ! ほら、行くよっ!」
「もう、関係ないでしょ、ナツにはっ!」
太い腕が振り解かれた。
「もう知らないっ!」
小太りな女は
「何か、ごめんなさい……」
小柄な女は俺に頭を下げる。
「私、カスミっていいます。あ、さっき、あの娘が散々云ってましたよね」
女はくすっと笑う。
「あの、お名前訊いてもいいですか」
そう云われて名乗ると、女はそれを復唱する。
「私、双子のお兄ちゃんがいたんです。私とは似てないんですけど、何か、ちょっと雰囲気が似てる気がします。だから、懐かしいなぁって思って」
女は俺の顔を覗きながら云った。
猛烈な反対を押し切ってまで俺のナンパを承諾したのは、そんな理由があったかららしい。
「お兄ちゃんはもう、オジサンなんですけどね」
どういう意味だ……?
「おいくつなんですか?」
そう訊かれ、「十八」と答える。
「じゃあ、一応、私が一つ下なんですね」
何だよ、一応って。
「西暦何年生まれですか?」
答えると、女はそれを復唱する。
「じゃあ、もしお互い生きてたら、私、十九歳も上なんですね」
「はぁ? どういう事?」
「あれ、ひょっとして、亡くなったばかりですか? すみません、変な事云って。信じられないのも、無理はないと思います。私も、最初はそうでした。《死後の世界》なんて、普通信じられませんよね」
今度は女の口から、《死後の世界》という言葉が出た。
「私は、白血病で死んだんです」
女は続ける。
「高一の頃、部活中に倒れて、病院に運ばれたんです。意識が戻ってお医者さんに白血病って云われた時は、頭が真っ白でした。心に穴が開いた感じっていうか。それから、辛い治療が始まったんです。ホントに辛かったです。でも暫くして、お姉ちゃんが私と血液の細胞の型が合ってる事が解ったんです。家族皆で大喜びでしたよ。お母さんなんて号泣してましたもん」
女はくすっと笑う。
「お姉ちゃんがドナーになってくれたお陰で病気が治って、学校にも戻れたんです。それで、退院から一年くらいした頃、吹奏楽の県大会で銀賞獲ったんですよ。すごくないですか? ちょっとした自慢です。因みに私は、クラリネットやってました」
女は嬉しそうに云うと、「でも、その二、三週間後に、親友の女の子と出掛けてる時にまた倒れちゃったんです」と、口調を落ち着いたそれに戻した。
「白血病が再発しちゃったみたいで、また辛い治療が始まったんです。また髪の毛抜けちゃったんですけど、死んだ後こんなに伸びたんです」
女は自分の頭頂部に掌を載せて云った。
「それで、一ヶ月くらいしたら抗がん剤が効かなくなっちゃって、お医者さんに、もってあと三ヶ月って云われたんです。すごく、悔しかったです。私、やっぱり死んじゃうんだぁって。でも、一生懸命支えてくれてる皆の為にも、一生懸命頑張んなきゃって、思ったんです。何か、〝病気に勝つ〟って事は、病気が完治する事だけじゃなくて、病気に立ち向かい続ける事だって〝病気に勝つ〟って事なんじゃないかなって。だから、もう駄目って解ってるけど、諦めないで頑張ったんです。何か、ちょっと矛盾してますかね」
女はくすっと笑う。
「それで、クリスマスの何日か前の夜に、お家で死んだんです。お医者さんに云われた余命よりも、ちょっとだけ、長生き出来ました」
そう云った女は空に向かって息を吐く。
「でも、やっぱり悔しかったなぁ……。ホント、悔しかったです」
今度は地面に向かって息を吐く。
「すみません、何か、暗い話しちゃって」
女は少し間を置き、「亡くなった時の事、覚えてます?」と、俺に訊く。
「ダンプに跳ねられて……、でも、何か、よく解らない……」
「そうですよね。なかなか実感が湧きませんよね。何か、死んだ気がするのに、生きてるみたいっていうか」
〝此処〟は、《死後の世界》――。
積み重なる妙な信憑性が、益々俺を混乱させる。
男は女に近付き、その顔を凝視する。
「あの、何ですか……」
「彼女の容姿は大変美しいと云えます」
「はい……?」
スーツ姿の女はタブレットのレンズを女の顔に向ける。
タブレットは〝ピピピッ〟と鳴った。
「スズモリカスミさん、享年十七歳。知能、Bランク。身体能力、Dランク。死因、病死」
「えっ……!?」
女は続ける。
「一九××年七月十四日、銀行員のソウスケさんと、アサミさんとの間に、二卵性双生児の兄であるダイキさんと共に誕生。**県立**高等学校に入学した年の一年次の六月中旬、部活動中に意識を失い、**県立**大学附属総合病院に搬送され、後に急性リンパ性白血病である事が判明。約二ヶ月後、移植手術に因って姉のマリナさんの骨髄提供を受け、後に退院。翌年八月下旬、外出中に意識を失い、同病院に搬送され、白血病の再発である事が判明。約一ヶ月後、余命約三ヶ月の状態である事が判明。一時退院中である十二月二十二日十九時頃、自宅で意識を失い、間もなく《死亡》」
女は云った。
「以上が、彼女の生前のデータです」
「何で、そんな事、知ってるんですか……。ていうか、何なんですか……」
「《持ち点》は」
男は云った。
「あの……、何なんですか、さっきから……」
「彼女の現在の《持ち点》は、一〇〇点です」
女は云った。
「彼女は内面にも問題はない様ですね。月本様は、《第一関門》突破となります」
男がそう云うと、スーツ姿の女は一礼して公園を出て行った。
「お帰り戴いて結構です。ご協力戴き、ありがとうございました」
男にそう云われた女は、腑に落ちない表情で公園を出て行った。
「では、戻りましょう」
俺は、再び車に乗せられた。
男は〝関係者以外ノ立チ入リヲ一切禁ズ〟と書かれた板が鉄線で括り付けられた門扉を開け、停めた車から俺を降ろした。
目の前に聳える、巨大な建物を、思わず見上げる。
男は俺が目覚めた部屋の前で足を止めると、俺の腕の機械を操作した。
この部屋は四十五階らしい。
十三時四十六分。機械の画面は時刻表記に戻った。
「《試験》に合格した方には此方の印を手に押させて戴く事になっています。少々熱くなるので、お気を付け下さい」
男は俺の左手を持ったままスーツの胸ポケットからスタンプ式の印鑑の様な物を取り出し、それを俺の手の甲に当て、上部に付いたボタンを押した。
「熱っ!」
衝撃的な熱さが襲い、咄嗟に男の手を振り解く。ほのかな煙が漂う手の甲には、黒い縁の星形のマークが付いた。
「そして此方が、第一関門の成功報酬です」
男はスーツのジャケットの内側から取り出した銀色のカードの束を、俺に渡した。〝200000〟という文字だけが刻まれた、クレジットカードの様な硬い素材の灰色のカードが五枚。
「《サカイゴク》というこの世界では、貨幣が流通していないので、その替わりとして此方のカードを使用致します。外出が可能な時間は午前十時から午前零時までとなっております。《試験》の際を除いて外出中に午前零時を過ぎた場合、自動的に其方の機械の電流が作動する仕組みになっているので、くれぐれもお気を付け下さい。では、部屋の鍵をお渡し致します」
男は腰にぶら下げた数本のスケルトンキーの内の一本を取って俺に渡した。
部屋に貼り付けられたプレートと同様に、〝2208〟と刻まれている。
「《第二関門》の日程は決まり次第お伝え致します。では、お疲れ様でした」
男は一礼して去って行った。
頭の中で散らばったままの、不可解な言葉の数々。
目に何度も浮かぶ、あの映像と記憶。
胸に強く刻まれた、〝あの男には逆らってはならない〟という警告。
〝此処〟は、《死後の世界》――。
本当に〝此処〟は、《死後の世界》なのか……。
本当に俺は、死んだのか……。
静かな長い廊下に、暫く佇む。
「逞真っ……!?」
不意に聞こえた背後からの声に、躰が反応した。
すると、その光景に、言葉を失った。
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