第二話

  十数分、道路を走行した車は停まり、それを降りた車椅子は公園に入った。

男は俺の前に立つと、腰に着けているホルダーから無線機を取り出した。


 「只今より、《第一関門》を開始。場所は六—九—四番公園」

無線機をホルダーにしまった男の視線は俺の顔に戻った。


 「これから月本様に行って戴く、《第一関門》の内容は――」


 横から吹く強い風が、男の背後にある六角形のベンチに囲まれた木の葉を激しく揺らす。


 「ナンパです」

「はぁ?」


 再び俺は、時間が止まった様な感覚に覆われた。

「何云ってんだ、あんた」


 「優れた容姿の異性を見付け出すセンスと、その異性を惹き付ける魅力の持ち主である事が、《天国》の住民になる条件の一つなのです」

「はぁ!?」


 不可解と奇妙の連鎖が、俺を圧迫し続ける。

「さっきから訳解んねぇんだよ! 《試験》とかナンパとか! もう、何なんだよっ!」


 力を込めた足が、何とか動いた。

だが、俺の躰は車椅子を離れたと同時に、地面に全ての力を吸い取られた様に、一気に倒れ込んだ。

起き上がろうと全身に力を込めるが、それが出来ない。


 「《試験官》に逆らうと、《地獄》行きですよ」

「はぁ!? だから、訳解んねぇ事云ってんじゃねぇよっ! 何でナンパなんかしなきゃならないんだよっ!」


 躰を起そうとしながらそう云うと、黙って見ていた男は近付き、俺の顔の傍らで屈む。


 「月本逞真様。只今、貴方の《地獄》行きが決定致しました」


 そう云った男は、俺のワイシャツの左の袖を捲る。

時刻が午前十時過ぎらしい事を伝えるスマホの様な大きな画面が、金属製のベルトに因って巻き付いていた。

感覚は、一切ない。

それから男が自分のスーツの袖を捲ると、その腕にもスマホの様な機械が巻き付いていた。


 「此方の機械は、昏睡中の月本様に装着させて戴いた其方の機械に電流を送信する事が可能です。その電流は強力で、浴びると数秒で死亡致します。そして、《再び亡くなった魂》は、《地獄》へ到達致します。それではこれから、月本様の《地獄》送りを、決行させて戴きます」


 男が指で自分の機械の画面に触れる度に甲高い操作音が鳴る。

重い手でその腕を掴む。

だが、力を込める事が出来ず、触れるのが関の山だ。

男は俺の手を払い除けると、立ち上がる。


 「んぐゎっ!」

俺は腹を蹴られた。

それが数回、繰り返される。

躰が云う事を聞かず、執拗なダメージに耐える事しか出来ない。

冷徹な目が、見下ろしている。


 再び屈んだ男は、俺の左手を持ち、その指を自分の機械の画面上に表示された小さな正方形に触れさせた。

機械が〝ピピピッ〟と鳴ると、画面上には長い英文が現れ、それは丸い枠で囲まれた【YES】と【NO】の文字と向かい合っている。


 「さよなら、月本逞真様」


 立ち上がった目の前の足にしがみ付く、無力な手。

画面に近付く指。

浴びると数秒で死ぬ電流。


 「やめろぉぉっ!!」

無意識に叫んだ。


 「解りました」

男は手を下ろした。


 「最初なので、今回は大目に見ましょう」

その意外な言動に、言葉を失った。


 「ですが今後、《試験官》である私に逆らったと見なした場合、直ちに《地獄》送りを決行させて戴きます。月本様は《試験》被験者である以上、私に従って戴く義務があるのです。くれぐれもお気を付け下さい」


 この男には、逆らってはならない。

もう一人の自分にも、そう警告された気がした。


 「では、これから月本様に行って戴く、《第一関門》のルールを説明致します」

俺の上体を起こし、背後にある滑り台の側面にもたれさせる様にゆっくりと倒した男はそう云い、続ける。


 「先述の通り、《第一関門》の《試験》は、ナンパとなります。ナンパの対象は、《試験》不適合者である全ての女性です。月本様には美しい女性を見付け、此方へ連れて来て戴きます。私がその女性を美しいと判断すると、《第一関門》突破となります。制限時間は三時間です。時間内であればナンパのやり直しは何度でも可能です」


 それから男は再び俺の左手を持ち、機械の画面を操作する。

時刻を告げていた画面は地図に切り替わった。


 幾何学的に並ぶ緑色の四角形には其々の場所や建物の名前が英字で表示されている。

中央の【6-9-4 Park】という文字を指す三角形の矢印の下には、【00.00km】と表示され、その傍らには点滅する赤い点がある。

画面上部には【03:00:00】と表示され、右下には丸い枠に囲まれた【START】の文字がある。


 「月本様に装着させて戴いた此方の機械は、制限時間である三時間を経過すると、自動的に電流が作動する仕組みになっています。ルールは以上です」

男は云った。


 その時、何重にも巻かれていた太い鎖が解ける様に、腕がすっと軽くなった。

足にも、同様の感覚を覚える。

四肢が、解放されていく。


 一台のスクーターが、公園の前に停まった。

スーツ姿の女が乗っている。


 「《死亡者調査員》の、ニカイドウリエコと申します」

スクーターから降り、それのサドルバッグからタブレットを取り出した女は近付くと、名乗った。


 「では、《第一関門》を開始致します」

男は再び俺の左手を取ると、画面上の【START】の文字を押す。

デジタル表記が、動き出した。


 一秒ずつ、削られていく。

急いで公園を出る足の動きは、無意識だった。

 

 左手に巻き付く機械に、再び目をやる。

金属製のベルトを外そうとするが、ロックが掛かっている様にびくともしない。

どんなに力を加えても結果は同じだ。

デジタル表記は、滞りなく動き続ける。

 

 次第に増えていく人と車に比例して、様々な店が見え始めた。

ホームセンターらしい店。

靴屋らしい店。

洋服屋らしい店。

聞き覚えのない名前のそれ等が並んだ通りを歩く。

 

 「いや、『来てくれるだけ』って……。云っときますけど、そんなに粘っても無理ですから。もういい加減諦めてくれませんか。しつこいんですけど」

「頼むよ! 事情があんだよ!」

「何なんですか、事情って……!」

「俺にもよく解んねぇけど、女をナンパして連れて来いとかって男に云われて――」

「はぁ?」

「何か、脅されてんだよ! 連れてかないとヤバいんだよ! だから、頼むよ!」

「意味解んないんですけど! あの、あたし忙しいのでっ!」

「ちょ、ちょっと、待っ――」

女は足早に去って行き、すぐに雑踏に埋もれた。

またしても失敗だ。


 硝子張りのアーケードに覆われた商店街を、引き続き歩く。

出入口が近付き、数十メートルの雑踏は薄まっていく。その時、向こうから来た一人の女と、ふと目線が合った。


 「あのさ……」

気付くと話し掛けていた。


 「はい……」

「ちょっと、来てくれないかな……」

「えっ……?」

「いや、別に、用件という用件はないんだけどさ……。とにかく来てほしい! ちょっと、歩くだけだからっ!」

女はそれから数秒間考える。


 青いニット帽を被った茶髪。

白いシャツの上に着たピンクのスタジャン。

王冠型のネックレス。

袖を捲った腕に着けた複数のブレスレット。

黒いミニスカートとブーツ。

色白な顔に施された、「自分はイマドキの女子なんです」とでも主張しているかの様なやけに張り切った化粧。


 「いいですよ……。ちょっと、だけなら……」

チャラチャラした見た目とは相反して物静かな声だ。

俺は、画面上の矢印に向かって女と歩く。

公園に着いたと同時に男は自分の機械の画面に触れ、甲高い操作音が鳴った。


 「其方の女性ですね」

そう云った男は女に近付き、その顔を凝視する。


 「あの……、何ですか……」

女は困惑している。

「彼女は、美しくありません」

「えっ……」

突然、見ず知らずの男に吐き捨てられた女は眉間に皺を寄せる。


 「彼女の容姿は下の中レベルです。平均以下であるその容姿は、化粧に因って相当誤魔化されているといった印象です。この程度の容姿の女性なら何処にでもいます。彼女の容姿に魅力はありません。因って、《試験》はやり――」

「何でそんな事云われなきゃいけないんですかっ! 訳解んないんですけどっ!」

憤った女は公園を出て行った。


 「月本様に一つ、注意して戴きたい事があります」

男は俺の方を向く。


 「先述の通り、試験は、選んだ相手を惹き付ける能力の有無を見極めるものです。なので、ナンパの際に試験の事を口外するのは不正となっています。月本様の機械が感知した音声は私の無線機に届くので、今後その様な発言を確認した場合、直ちに電流を作動させて戴きます。くれぐれもお気を付け下さい」

俺の声は全て聞こえていたという事か。


 機械に目をやると、デジタル表記は【02:24:43】の状態で点滅していた。

「《試験》を再開して下さい」

男が再び自分の機械の画面に触れたと同時に、デジタル表記は再び起動した。

 

 漁る様に通行人の顔を見ていき、目に留まった女数人に声を掛けてみたが、何れも断られた。粘ってみてもやはり駄目だ。

そもそもナンパという見ず知らずの男の唐突な誘いなど、承諾を得る方がおかしい。


 だが、俺はナンパをしなければならない。

あの男に逆らってはならない。

あの男が納得する女を時間内に連れて行かなければならない。


 スマホをいじりながら歩く女が角から現れ、向かって来た。

ウェーブが掛かった短めの茶髪。

白いカーディガン。

デニム素材のロングスカート。

黄色のスニーカー。


 彼女は美人かもしれない。彼女なら大丈夫かもしれない。

「ちょっと、いいかな」

「はい……?」

女は装着していたイヤホンを外した。


 「良かったら、ちょっとだけ、一緒に歩いてくれないかな」

「えっ……、どういう事ですか……」

「まぁ、何か、デートって程じゃないけどさぁ……」

「あっ、成程。もしかして、ナンパですか?」

「うん、いい、かな」


 「あっ、はい、いいですよ。私で良かったら」

よし、了承を得た。

女を連れて、公園に向かう。

「私、ナンパされたの初めてです」

女は笑って言った。


 公園に着いた。

「えっ、公園? えっ、何なんですか?」


 男は困惑している女に黙って近付き、その顔を凝視し始めた。

「えっ、何ですか?」


 「彼女は、美しくありません」

「はい?」

「顔立ちは至って平凡で、小さな目や低い鼻を誤魔化す様に、かなり化粧に頼っている様子です。彼女は美しくありません」

「あの、何なんですか、一体。もう帰ります」

女は公園を出て行った。

また不合格か……。


 再び商店街に入ると、一人の女が目に留まった。

思わず俺は雑踏を掻き分けて近付く。


 「あの、ちょっとっ!」

真ん中に分けられた茶髪。

英文がプリントされた白いTシャツ。

腰に巻いた赤いチェック柄のカッターシャツ。

細長い足とスキニージーンズ。

白いサンダルと赤いペディキュア。


 目の前の女は、相当な美貌と云えるだろう。

顔も名前もはっきりとは思い出せないが、何処となく似ている女優がいた気がする。

彼女なら大丈夫かもしれない。


 「何……」

「ちょっと俺と、その辺歩いたりしてくれないか……」

すると女は、手を叩いて笑い出した。


 「あははっ! ウケるー!」

甲高い笑い声はしばらく続く。

その笑いは、あまりにも予想外な言葉が返って来た事に対してなのだろうか。それとも、俺のナンパのぎこちなさに対してなのだろうか。


 「あたし彼氏いんだけどっ!」

女は口を抑えながら云う。

何故そんな理由でそんなに笑えるのか疑問だが、彼女の異常なまでの笑いの沸点の低さに呆れている場合ではない。


 「すぐ終わるからっ! 連絡先とかもいらないし、ホント、その辺歩くだけだからっ!」

思わず云った。

「何か、すごい必死だね……」

馬鹿笑いが漸く静まった表情に、苦笑が浮かぶ。少し焦り過ぎたか。

この大きな魚を逃さない様、言葉を探る。正しいナンパの仕方があるなら、それを知りたい。


 「別にいいよ。その辺歩くだけなら」

粘る必要があると思っていた矢先のその返事に、少し驚く。

「でもホントにちょっと歩くだけだかんね? さっきも云ったけど、あたし彼氏いるから」

そんなに念を押すなら何故俺のナンパを承諾したのか疑問だが、とりあえず安堵する。


 男は、女に近付き、その顔を凝視する。

「な、何見てんの……」

女は引きった表情で後退ずさる。

「彼女の容姿は美しいと云えるでしょう」

男は云った。


 すると、その後ろに立つスーツ姿の女は、小脇に抱えていたタブレットの両端を持ち、それに付いたレンズを、狼狽うろたえる女の顔に向ける。

「えっ、はっ!? な、何っ!?」

数秒後、タブレットは〝ピピピッ〟と鳴った。


 「ドウジマエリカさん、享年十九歳。知能、Cランク。身体能力Bランク。死因、刺殺」

「何なの? 何これ? 全然意味解んないんだけど、さっきから」

スーツ姿の女はタブレットに目を向けたまま、続ける。


 「一九××年十一月三十日、スポーツジャーナリストのノリタダさんと、フリーアナウンサーのキコさんとの間に誕生。**市立**高校から転入した**市立**高校を中退後、カフェに就職。数ヶ月後、退職。それから、居酒屋に就職し、数ヶ月後に退職。その後、目、鼻、唇、胸の整形手術を繰り返し、手術費の総額は二年間で三五〇万円以上に増大。八月二十九日二十時頃、買い物の帰りにゴンダシゲユキさんに因る通り魔の被害に遭い、《死亡》」


 女はタブレットを再び小脇に挟む。

「以上が、彼女の生前のデータです」

「な、何であたしの事……、そんなに知ってんの……」


 「整形は論外です」

男は女の顔に目を向けて云った。

「はぁ!?」

「整形という偽りの美を纏った女性は、審査の対象外です」

「はぁ!? 何云ってんの、オッサン」


 「三五〇万円もの金額を注ぎ込んで顔の各箇所の整形を施せば、本来の容姿とは甚だしくかけ離れますし、大抵の人はその程度の容姿にはなります。偽りの美を纏った彼女の容姿の判定は出来かねます。因って、《試験》は――」

「もう、何なのさっきからっ! 訳解んないんですけどっ!」

憤った女は公園を出て行った。


 スポーツジャーナリストとアナウンサーの娘を、男が道路で刺し、逮捕された事件。

記憶は、数年前にワイドショーが連日取り上げていた報道に辿り着いた。


 娘は私達のかけがえのない存在だった。

娘を返してほしい。

絶対に犯人を許さない。


 マイクに囲まれた、テレビ越しの夫婦は、憔悴し切った顔で咽び泣きながらそう訴えていた。

あの女は、その夫婦の、殺された筈の娘。

いや、そんな訳がない。


 「《試験》を再開して下さい」

男は云った。

デジタル表記は、再び作動した。

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