TEST. ―天国住民適性試験―
石郷スグル
第一話
雲の一つ一つが、二重になっている。
それ等が並んだ空は、淡い灰色だ。
アスファルトに叩き付けられたままの躰に、力を込める。
下半身は、一切動かない。
何とか上がった右手は小刻みに震え、すぐに重力に預ける様に、アスファルトへ落下した。
重い液体が、額を伝う。
どうやら、血の様だ。
サイレン音が、近付く。
それに比例する様に、モノクロの空は、小さくなっていく。
留まる事なく、すーっと、小さくなっていく。
意識も、遠
留まる事なく、すーっと、遠退いていく。
そして、ゆっくりと、瞼が落ちる。
誰かが俺を、見下ろしているらしい。
擦り硝子越しの様なぼんやりとした光景が、ゆっくりと、鮮明になっていく。
スーツ姿の、白髪交じりの男だった。
頭が状況を整理しようとする。
一体、誰だ……。
躰は、ベッドの上だった。
咄嗟に起き上がろうとするが、何故か、全く力が入らない。
「お気付きの様ですね、月本
男は俺の名前を
男が視界から消えると、ベッドのクランクハンドルを回しているらしい音と共に、ベッドは垂直に近付く。
白いワイシャツと、しなやかな素材の黒いズボン。
服装さえ身に覚えがない。
俺は、辺りを見渡す。
空間を囲う大理石。
開いた引き戸の向こうに見えるシャワー。
木製の小さなクローゼット。
右側にある灰色の車椅子と、その奥にある鉄扉。
左側にある大きな窓の向こうで、この部屋がかなり高所に存在している事を知らせる様に広がる、無数の建物。
「月本様の《専属試験官》を務めさせて
「何処だ、此処……」
妙な自己紹介をした男に、俺は云った。
「此処は、亡くなった方の寮です」
「はぁ!?」
「月本様は先日、人身事故に因り、《死亡》したのです」
「はぁ!?」
この男は、一体何を云っているんだ……。
「お心当たりがない様ですね。では、百聞は一見に如かず、という事で、これから月本様には、ご自身が《死亡》した瞬間の映像をご覧戴きます」
「さっきから何云ってんだよ、あんた……」
男はスーツの内側から、何かのリモコンらしい物を取り出した手を、正面の白い壁に向かって伸ばす。
〝ピッ〟と音が鳴ると、古びたカセットテープを早送りしている様な音と共に、先端部から青白い光線が放たれた。
「何なんだよ、おい」
「とにかく、此方をご覧下さい」
光を浴びた壁は次第に、少し粗い、セピア色の映像を映し出す。
低空から映されたらしい、人気のない道路だ。
ブロック塀の落書き。
百円ショップ。
ガソリンスタンド。
リサイクルショップ。
マンション。
無音の映像越しの道路が自宅の近所だと気付いた俺は、思わず見入る。
すると、一人の通行人が現れた。
映像の中央にある横断歩道へ向かう、デニムのジャケットとチノパンを纏った後ろ姿。
自分だ。
肩に掛けたバッグと、歩いている方向から、大学の帰りだと解った。
大学生活が始まって、まだ一週間程。
この映像は、その数日の何れかのものという事だ。
映像の中の自分を、目で追う。
自分はイヤホンを装着すると、スマホを取り出した。
それの操作を続けながら、
その時、映像の端から、一台のダンプが現れた。
猛スピードで走行するそれは、吸い付く様に俺との距離を縮めていく。
もう、目と鼻の先だ。
自分は、
だが、もう、遅かった。
真一文字に突進したダンプに吹き飛ばされた自分の躰は、地面に叩き付けられた。
一瞬だった。
思わず、息を呑む。
急ブレーキは、最早意味がなかった。
ダンプは走行を再開し、映像の外へ消えていった。
うつ伏せのままの躰の周りには、滞りなく血が湧く。
その光景が、数秒間映し出される。
「ご理解戴けたでしょうか」
男はそう云いながら、リモコンを押す。映像の終結を伝えるセピア一色の光に切り替わった長方形は、テレビの電源を切った様に、壁からぷつんと消えた。
俺は……、あの時……。
驚愕。動転。狼狽。恐怖。衝撃。
何処かに閉じ籠っていた記憶が、蘇る。
「説明しろよ……、何で俺は今、こんなトコにいんだよ……」
「人は亡くなると、その躰から離脱された《魂》は、この世界へ到達致します。つまり、此処は、《死後の世界》なのです」
頭の中で散らばる、非現実的な情報の断片を、全く回収出来ない。
「この世界は、《天国》と《地獄》という二つの世界の分岐点だと考えられており、《サカイゴク》と呼ばれています」
男がベッドと壁の間を通りながら発した奇妙な三つの言葉が、更に俺を混乱させた。
「そして、《天国》の住民になるには、《天国住民適性試験》というものに合格して戴く必要があります。《天国》の住民に
男は後ろ手を組んで窓からの景色を眺めながら続ける。
「《試験》を受けるには四つの条件があります。一つ目は、享年が十八歳以上六十歳以内である事。二つ目は、犯罪歴が一切ない事。三つ目は、知能と身体能力が共に、Bランク以上である事。そして四つ目は、死因が自殺ではない事」
男は振り返る。
「《死亡者調査員》に因る調査の結果、月本様はそれ等全てに該当している事が判明したので、《試験》を受けて戴く事になります。《試験》は五つあり、約九十日周期で行われます。尚、《試験》被験者の方には、全ての《試験》を突破するか、《試験》に脱落するまで、此方の寮で過ごして戴く事になります」
《天国住民適性試験試験官》———。
男の左胸の銀の名札には、奇妙な肩書きが刻まれている。
「では早速、《第一関門》を開始致します。急を要するので、準備をさせて戴きます」
男はそう云うと、俺の足を掴み、床に置かれていた白いスニーカーを履かせる。
「ちょっ、待てっ、おいっ!」
四肢が動かず、俺はされるがままだ。
白い靴下を履いた俺の足にスニーカーをはめ込んだ男は、車椅子をベッドの傍らに近付ける。
「《魂》の具現化が完了し、数日間の昏睡から覚めた直後のため、月本様の躰はまだ充分に機能しかねます。回復には数十分掛かります」
男はそう云いながら俺の躰を車椅子に乗せ、それを押す。
「何なんだよ、おい……」
男が鉄扉を開けると、其処は果てしなく長い廊下の途中だった。
鉄扉がずらりと並び、それ等には四桁の数字が刻まれたプレートが貼り付いている。
背後で男が部屋のドアを施錠したらしい音がした後、車椅子は左へ曲がる。
廊下を挟む鉄扉の列は途切れる事がなく、次々と現れる。
車椅子が数十メートル進んだ時、向こうから人が二人、歩いて来るのが見えた。
次第にその姿は鮮明になっていく。
スーツ姿の老人の少し後ろを、俺と同じ恰好をした男が歩いている。
気怠そうに欠伸をしながらぼさぼさの長髪を掻きむしるその男は、細く腫れぼったい目で俺を見ている。そして、横切って行った。
車椅子はエレベーターの前で停まった。
男がボタンを押すと、光沢のある銀のドアは開いた。
首と指先以外は一切動かす事が出来ないが、鏡に映る自分に大きな怪我などはなかった。
車椅子がエレベーターの中に入ると、ドアは閉まり、男がずらりと並んだ階数ボタンの中の一つを押すのが鏡越しに見えた。
エレベーターの側面には其々の階に何番から何番までの部屋があるのかが書かれた表がある。
この建物は、五十階建てらしい。
此処は、一体……。
少しして軽快な音と共にドアが開くと、後退したまま廊下へ出た車椅子は旋回し、右へ曲った。
鉄扉が並ぶ廊下を暫く進み、現れた擦り硝子の自動ドアが開くと、其処には、数十台の灰色の大型車が並んでいた。
その奥には敷地内を囲う煉瓦の壁と黒い門扉があった。
外の景色を遮断する様に、それ等は
男は一台の車のスロープを出し、俺を車椅子ごと乗せた。
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