殺人鬼について私が知っている二、三の事柄
@nehangirl
第1話 プロローグ
残された人たちは、本当に悲しいだろうか。
最近、特に自問する。疑問が常に頭の片隅にあり、ふとしたときにもあもあとまとわりついて離れない。
例えば、老婆が車に轢かれ亡くなったとする。ネットやテレビのニュースではこう報道される。
○○さんは幼いころから可愛らしく利発で、家族にも友人にも恵まれていました。高校卒業後、就職したお菓子工場で出会った二歳上の●●さんと結婚。素敵は伴侶を得て、専業主婦として子どもそだて、数年前には初孫に恵まれました。
いつも笑顔を絶やさず、子どもが手を離れると絵本の読み聞かせのボランティアを始めます。月一回児童館で行う○○さんの読み聞かせはユーモアにあふれ、幼児にも親にも好評です。
時には夫と喧嘩したこともあったでしょうし、反抗期の子どもに手を焼き涙したこともあったに違いありません。しかし生活には不自由せず、穏やかに日々は過ぎ、ボランティアを通じてたくさんの出会いがあり、様々な人から慕われた○○さん。
平凡かもしれないが、幸せな人生。
それが、交通事故により一瞬で断たれてしまったのです。
なんと残酷な事でしょう!
報道は老婆の温和で誰からも慕われた人生を喧伝し、残された遺族の悲しみをわめく。途方に暮れる夫、加害者に怒りをぶつける子ども、状況を完全には把握してないながらも泣きじゃくる孫――
悲劇だ。かわいそうな残された家族たち。誰もが同情し、心痛めることだろう。
だが、とわたしは思う。本当に? 本当に、家族は悲しんでいるのだろうか?
担任に愛想を振りまく裏で、気に入らないクラスメイトは徹底的に無視をする。級友と共謀し、単に自分と意見が違う相手、自分に染まらない人間は虐め、登校拒否に追い込むこともあった。友人たちも被害者の立場になるのが怖くて、仕方なく彼女に従っているのだとしたら?
生涯を共にした伴侶と子どもたち。端から見ればいっけん仲睦まじい家族だが、結婚当初から家事をやらず、服を買い、外食をし、友人たちと旅行ばかりで家庭を顧みない。温和な夫は厳しく注意できず、一年もしたころにはほとんど会話もなくなっている。
子どもが生まれてからも彼女は変わらない。夜泣きしても平然と眠り、仕事に疲れた夫が眠い目をこすりながらミルクを与え、おむつを替える。ときおり気まぐれにおんぶして散歩して、ご近所の誰かにあったときだけ子育ての苦労と、その何倍もの幸せを語り、満面の笑みを浮かべて子どもを抱きしめる。家に帰るとけだるげにベビーベッドに寝かせ、あとはテレビを見て雑誌を眺めているだけ。家に帰ったと夫が食事を作り、洗濯し掃除をし、ぐずりはじめた子供をあやす。
彼女は変わらない。子どもが成長し、父に同情し母を非難の目で見ても彼女は自分の欲望を優先させる。仕事もせず家事もせず、遊びほうけて他人の目があるときだけ良き妻を、良き母を演じる。
夫の諦念や子どもの冷ややかな態度も意に介さず遊び惚ける彼女。気まぐれではじめた読み聞かせのボランティアも、母から本を読んでもらったことなど一回もない子どもにとっては不愉快なばかりだ。
わがままで、独善的で、外面のよさとは対照的に、徹底的に家族を気まぐれで振り回した老婆。そんな女が、突然トラックにひかれ、この世を去る。
残された家族は、本当に嘆き悲しむだろうか。
嘆き悲しむ裏で、夜中に一人、喪服からパジャマに着替ほくそ笑む夫。シャワーを浴びながら、大きく口笛を吹く子ども。さんざん自分をコケにした妻が、どうしても母とは思えぬ不愉快な女死んだ。いつか自分の感情が爆発し殺してしまうのではないかと思っていた女が、勝手に車に轢かれて死んでしまった。
嬉しくて、楽しくて二人とも眠れないかもしれない。それとも、何十年も味わったことのない安眠を朝まで貪るのだろうか。
退屈な授業を受けているとき、部屋で読み飽きた漫画を読んでいるとき、遅延した電車を待ちつつふと青空を見上げたとき、ふわふわとこんな考えが頭に浮かび、考えても仕方のないことだと言い聞かせても、それは頭の片隅で渦を巻き、やがて意識を覆ってしまう。
目に見えているもの、人々が話題にしていること、それは本当なのだろうか。単に一面だけしか見てないだけで、例えば誰もが見惚れる美しい月の裏側に、醜いクレーターが密集し渦まいているようなことが、あらゆる場面にあるのではないか。
そんなことは当たり前だとわたしのなかで誰かが囁けば、そんなことを突き詰めていけば何もかも信じられなくなると誰かが諭す。
「疑え」
「気にするな」
「みんな裏じゃお前を笑っている」
「妄想だ。お前のことなど誰も気にしてない」
膝を抱え、頭を垂れる。視界を闇に浸し、わけのわからない考えを吐きだそうと何度も深呼吸する。
わたしは、生きていかなくちゃいけない。
ひどい人間でも、このままうじうじとうずくまって一生を過ごすわけにはいかない。
思い切ってカーテンを開き、窓を全開にする。夜はかなり明けはじめ、陽光がうっすらと住宅街を照らし始める。何もかも焼き尽くすような酷暑もよう過ぎ去り、秋の入り口のような涼し気な風が頬を撫でる。
あと数時間で、母の葬儀が始まる。
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