別れられない別れさせ屋

凪司工房

 京女に東男――そんな言葉を耳にしたことがある人も、もう少なくなってきていることだろう。これは女を選ぶなら京都の女が良く、男を選ぶなら東京の男が良い、という、いつの時代までかは通じたことわざの一つだ。しかし京都の女というのは確かに美しいかも知れないが、最近は特有の意地の悪さ、陰湿さの方を取り上げられることも多く、あまり良いイメージがなくなってきている。

 その京女が、でんと座敷に座っていた。

 確かに目鼻立ちが整った、すっきりと顎の尖った顔は化粧映えする造形だ。それでも腕組みをし、机を挟んで今にも土下座をしそうな何ともうだつの上がらない風体の男を前に目を細めていると、折角の美人が台無しというものだ。

 ここは通りから更に民家と民家の間を割って入る狭い裏路地の突き当りにある、古民家だ。私が友人から譲り受けたもので、壁も柱もだいぶ傷んでいたが、手入れをして何とか白壁に包まれた温かい雰囲気の内装に仕上げてある。表に出した暖簾のれんには『縁切〼』と書かせてもらった。縁を切る。つまりは別れさせ屋だ。


「お花さんに祐介さん、でいいのかな」


 先程からずっと仏頂面で黙り込んでいる彼女は「ええ」とだけ頷き、平身低頭しそうな男性の方は「はい」と丁寧に返した。この店を訪れた時に開口一番「ここで別れるわよ」と彼女の方から言い出したのだが、男の方はどうにもはっきりとしない。そもそも私はこの二人が夫婦なのか、それともただのカップルなのか、その区別すら出来ていない。


「それで、その、そろそろお二人のことについてお話を聞かせていただけませんかね。流石に黙ったままじゃ、私もどうしていいものやら、途方に暮れるしかありません」

「この人が全部悪いの。金遣いが荒い。女癖が悪い。酒にも飲まれるし、仕事はほっぽりだして人助けなんてしてるからすぐ首になるし。その上で結婚したいだなんてね。一体どこの誰が構ってくれるっていうの?」

「それならさっさと別れればいいのでは?」


 思わず正論を口にしてしまい、私は心の中で表情を歪めた。案の定、女性は私を睨みつけると「それならこんな場所に来てません」と刺々しく口にした。


「ああ、そうですよね。そちらの祐介さんが、色々とだらしなくて結婚するに値しないのに結婚をしようと迫ってくるから、もう結婚を諦めるように言って欲しいと、こういうことでしょうか」

「結婚したくないなんて言ってないじゃない? 勝手に決めないでもらえます?」

「あ、すみません」


 地雷二つ目だ。そもそもこの店を訪れた時点でそれぞれの導火線に火が点いているようなものなのだ。何度も経験してきたが、未だに不用意な発言をしてしまう。どうにもこの口の軽さというのは生まれ持ったまま捨てられないらしい。


「そんな男、誰だって嫌だって思うのが普通でしょう? でもね、わたしはそんな祐介に惚れたの。恋愛ってさ、結局惚れた方の負けじゃない? こいつに惚れた時点でもうわたしは恋愛敗者なのよ。ちなみにわたしは歯医者じゃなくて歯科助手の方なんだけどね」

「はいはい。わかりますよ。本当に恋愛というのは不思議なものだ。他人から見たらとても正気とは思えないカップルを、私は沢山見てきましたから」

「正気じゃない?」

「あ、いえ。言葉の綾ってもんで、物好きな人も多いと」

「そう。好きなの。でもね、好きだけじゃ生きていけない。わたしだってもっとお金があったら一年や二年、我慢して一緒に暮らせると思うの。でもね、それって将来性がないでしょう? 真っ暗な未来しか待ってない。五年くらい経った時にはたと気づくのよ。このままじゃいけないって。でも五年も経ったらわたし三十四よ? いつの間にか色々なことが手遅れになっててもおかしくない年齢なの? わかる? そうなってからじゃ遅いの。この決断が間違っていたんだって、一時の気の迷いだったアハハハって笑えないのよ。そういう状況に気づいたから、言ったの。彼に――せめて結婚したいならまともな仕事に就いてちょうだいって」


 その彼は何とも申し訳なさそうな顔をしたまま、一言も口を利かない。いや、聞けないのだ。おそらくいつも万事がこの調子なのだろう。悪い男ではないのだ。ただだらしない。経済観念どころか地に足の付いた歩き方ができない、ふらふらとボウフラのように漂いながら、その人の好さだけで何とかなってきた男なのだ。実に“ヒモ”タイプである。


「でもそしたら言う訳よ。『まともな仕事って一体何なんだろう』って。まともって言ったらまともじゃない? それについてあれこれ考えてる暇があったらハローワークでもタウンワークでも何でもいいから仕事を探して面接してきなさいよって言い始めるともう駄目なのよ。止まらなくなる。今だってかなりブレーキ掛けてるけど全然ノンストップじゃない? 別にこんな風に話したい訳じゃないのよ。だってわたし、ここに彼と別れる為に来たんですから。もうはいこれでおしまいって、自分で決めてるのに祐介の顔を見るとあと一ヶ月だけならとか思っちゃうの。あと五分寝てもそのわずかな睡眠時間で得られる幸福よりずっと不幸な状況が進むだけだって分かってるのに、でも駄目なの。だからここでしょ? ね?」

「はい。全くもっておっしゃる通りでございます」


 既に私は正座を決め、心は祐介と呼ばれている男性とほぼシンクロしていると云えた。


「別れるってさ、そんな簡単じゃないのよ。だって別に嫌いで付き合い始めた訳じゃないじゃん? そりゃあ別れたくなったくらいだから沢山嫌なものを見たり、感じたり、うんざりしたりしてるわよ。けどね、基本は好きなの。好きって分かる? ラブなのよ? それってもうどうしようもないものじゃない? けど、それでも別れなきゃならなって分かってる。だったら別れるしかないわよね?」

「はい。全くその通りでございます」

「じゃあなんで別れられないのよ!」


 どすん。という音は彼女が思い切り座敷の上で地団駄を踏んだ為にしたものだ。あまり激しくやられると床が抜けないか不安になるが、そちらに気を向けてやんわりと注意するという訳にもいかない。話には流れというものがあり、特にこういったセンシティブな案件ではその流れが邪魔された時に発生する人間の感情というものの恐ろしさたるや、怨霊も真っ青だからである。故に私はいつだって流れに従順だ。心は穏やかに、けれどしっかりと流れされてしまわないように小さな踏ん張りを見せなければならない。


「ねえ祐介。別れられないなら、わたし、あなたを殺すしかないわよね?」


 非常に危険な状況が発生した。彼女が彼に向き直り、どこから取り出したのか小ぶりなナイフを手にしたのだ。あまり殺傷能力が高いとは思えないものの、それでも場所によっては致命傷となる。

 私は五秒ほど目を閉じ、五年前に警察と救急車を呼んだ日のことを思い起こした。あれは本当に酷かった。そもそも最初から相手を殺そうという計画に利用しようとしたのだから、迷惑どころの話ではなかった。


「なあ」

「何よ祐介」

「俺が死んだら、お前は幸せか? なら、一度くらい死んでみてもいいかなとは思うけど」

「死んだら悲しい。幸せなんてどこにもないわよ」

「じゃあ、死なない。生きるよ。それでいいだろ?」

「よくない。だって生きてたら別れられない」

「どうしても別れなきゃならないか? 俺、がんばるから。嫌だけど、仕事探すから。な?」

「なんで?」


 彼女の方は既に目が潤んでいて、それが大きな涙となってぼたぼたと座敷に落ちた。


「お前が好きだからよ」

「祐介」

「花」

「祐介!」

「花!」


 まるで茶番だった。目の前でつい先程まで別れようとしていたはずのカップルは熱い抱擁を交わし、更にはディープキスまで始めてしまった。こうなればもう私に打つ手はない。

 そっと立ち上がり、奥へと逃げる。

 それからおよそ一時間、店内で嬌声が上がっていたが、私にとっては何とも不毛な時間だった。

 結局二人は「ありがとうございました」と揃って頭を下げ、店を出ていく。実にすっきりと、まるで憑き物が落ちたかのように清々しい笑顔で、付き合いたてのカップルよろしく恋人繋ぎでスキップしそうな勢いで店から通りまで続く狭い裏路地を歩いて行ってしまった。

 私が縁切り屋を始めて七年になるが、未だここで縁を切った男女はいない。(了)


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