第11話 呪いの、成就
大庭の音曲が掻き消える。
代わったのは、悲鳴。
リューリュは床几から立とうとした。が、震える脚がきかない。
リューリュはようやく、まろぶように露台の縁に辿り着いた。喉からせり上がるものをこらえながら、シュンゴウと同じように手をつき、見下ろす。
「……ああ……」
黒い装束のおとこの手に、
怪我を負っていないようにみえた。気を失っているのか、目は閉じている。
おとこの姿は、複数あった。いずれもこちら、露台のほうを見上げている。その顔のいくつかは、リューリュに覚えがあった。
腕に姫をかかえているのは、はじめて書庫にはいった日にゆきあたった、鬼族の書司。そして、隣でひときわ鋭い目をこちらに向けているのは、フウザだった。
みな、書司の制服である黒い頭巾衣をまとい、大庭で踊っていた多数の家人が遠巻きに見守るなか、鬼鏡姫を囲んで護るようにたっている。
「……書司ども、か」
リューリュのうえから、声が降ってきた。
ジゼクは腕を組み、冷えた目をかれらに向けている。
「
くっくっと、喉をならしてわらう。
「やはり円環が、閉じたようだ。贄は書庫に潜むことを選んだ。リューリュは書庫に出入りを所望した。鍵どうしが、みずから近づいたというわけだ。知ってかしらずか。おもしろいものだ」
リューリュは、動けない。声をだせない。ただ、震えている。
「……おそれながら、ジゼクさま……」
シュンゴウも、床に手をつきながら、震えている。だが、震えの意味が異なるようだった。ジゼクの顔をふり仰ぐことなく、拳を固め、喰いしばるように、声を出す。
「……わたくしには、ジゼクさまが、露台の手すりを、破壊したように見受けられました。愚かなわたくしの、見誤りと存じます。姫さまのお身柄を、あえてお落としなされた、そのようなことがあるわけがない。そう、仰ってください」
ジゼクは、嘆息した。
「いや、落とした。露台は頑丈でな、疲れたよ」
シュンゴウは両の手を床に叩きつけ、反動で後ろへ跳躍した。左足をひくと同時に長刀を抜き払っている。ふっと息をはいて、ジゼクの背に迫った。
が、薙いだ刃は、弾かれた。きいん、という音。ジゼクは動いていない。シュンゴウは反動を利用して逆の方向へ回転し、二の斬をはなった。同様に弾かれる。
「リューリュ! こい!」
シュンゴウがリューリュに呼びかける。聞こえているのか、リューリュは動かない。舌を打ち、シュンゴウはジゼクとリューリュのあいだへ奔った。
ジゼクの左腕がわずかにあがる。シュンゴウの大柄な体躯は、からだ三つ分ほども飛ばされた。露台と広間の間の柱に激突し、崩れ落ちる。
「……これから話をするというのだ。しばし、待て」
ジゼクは大義そうにそういい、眼下の大庭へ声をあげた。たくさんの家人が見上げているが、もはや意に介していない。
「そなたらは、贄のものどもだな。なぜ邪魔をする。そこの姫、
フウザが、前に出た。
「ジゼクさま……いや、ジゼク。我らも問おう。あなたは誰だ。なにを望む」
その声に、ジゼクは呆れたような視線をむける。
「いまさら、わっぱのようなこと申すな。知れていよう。忌の鬼、太古の呪いの象徴は、こよい、紅い満月の夜に、よみがえる。それがさだめづけられている」
「なぜ、姫さまに危害を加える」
フウザが重ねて問うと、ジゼクはおどけたように眉をしかめた。
「試行錯誤だ。そなたら、ふたつめの呪いのうたを知っていよう。赤紅の月が欠け、満たされる。この言葉はおそらく、姫が生命の危険を感じたときにちからが発動する、という意味だ。だから、刃を飛ばしてみたり、いろいろとな」
「……もういちど問う。あなたは、誰だ」
「そなたらと同じだ。互いに、祖先の悲願にいきている。そのために生まれ、そのためだけに育ち、いまここにいる。それだけだ」
「忌の鬼をつくった家のものか」
「家は、滅んだよ。はるかむかし、そなたらの父祖の手でな。闇に堕ち、闇を喰って、我らは、待った。今夜を。この、晴れがましい宵を。わたしが、成す。呪いを……いや」
そういい、ジゼクは右手をゆっくりと振る。書司たちの周囲の空気が歪む。瞬時、黒装束のおとこたちは手を交差させ、空にかざす。ずずっ、という重い音とともに、彼らの身体が下方へ押し付けられる。砂塵が舞う。
「呪いを成すのではない。わたしが、わたし自身が、呪いなのだ」
フウザが懐に手をいれ、素早くなにかを取り出し、投擲する。次の瞬間にはジゼクのもとに到達していた短刀は、だが、鬼を貫くに至らない。
ジゼクの前で停止した刃は、反転し、おなじ速度をもって地表へむけて飛んだ。鬼鏡姫の喉元を向いている。書司のひとりが前に立ち、払った。びんという音をたてて地表にささる。
「……みな、踊ろうぞ。今宵は、まつりだ」
ジゼクは両手をゆっくり、そらへかざした。からだ全体が燐光に包まれる。その瞳はいつか、蛇のように縦に裂け、紅く昏いひかりを帯びていた。
柔らかだった夜の風は絶え、不穏にふるえる空気が大庭を覆った。
遠巻きにしていた家人たちがくるしみはじめる。書司たちは警戒しつつも戸惑い、周囲を見回す。やがて家人たちは動きを止め、彼らに目をむけた。瞳は縦に裂けている。
家人たちが、いっせいに向かってくる。大庭のすべてのもの、鬼族もひとも、男女とも、全員がいっせいに襲った。書司たちはおのおの防ぐが、反撃をためらう。
書司、贄のものたちは、鬼鏡姫を護りながら、避け続けた。しかし、限界がくる。操られた家人には、鬼族もいる。鬼のちからがつよい者もいる。その攻撃が、とおりはじめた。
斃れる、黒装束のおとこ。その腹を蹴って、ひとりの手刀が、鬼鏡姫に殺到した。
あおい、光。
鬼鏡姫から光の輪がいくつか、続けて放射された。うけた攻撃手は、見えない巨大な
姫の目が、うすく開く。顔をおこす。
露台のうえからも、その様子が手に取るようにみえている。リューリュは、この夜、はじめて叫んだ。
「……キョウ!」
姫は、身体をささえる書司の腕から、身を起こした。事態を呑みこんでいないらしい。不安そうに、不思議そうに、周囲をみまわす。
「にげて……キョウ! はやく!」
露台のうえを見上げる鬼鏡姫。その横から、次の斬撃が複数、ふってくる。書司も止められない。息をのむリューリュ。
姫は顔を伏せ、とっさに、手をかざした。手は、あわい光をまとっている。その前で相手の全員が行動を停止し、崩れ伏した。
「……ふむ」
ジゼクが、そのようすを興味深げに見つめている。
「流石なり、古代の邪鬼。目覚めぬでもそのちから……やはり、そうやすやすとは参らぬ」
いいながら、へたり込むように座しているリューリュに近づき、襟元を掴む。ぐっと持ち上げ、顔をみずからの正面に向ける。首が締まるリューリュは、空気をもとめて、喘いだ。
「リューリュ。君はほんとうは、うたもことばも、祖母になど教わっていない。いや、おそらく、祖母などいない。父母も、郷も、ない。あそこに転がっているさむらいも、幼馴染などではない。ちがうか?」
「……っ」
「君が出鱈目を言っているとはおもっていない。おそらく、君は……いや、君も、呪いそのものなのだ。わたしと同じように。記憶をつくられ、うたを仕組まれ、鍵として生きるようにしむけられた。いわば、魂のない、骸だ。哀れなはなしだ」
リューリュの目には涙が滲んだが、ジゼクのことばによるものか、頸部の圧迫によるものか、判然としない。
「もうこの家の当主も、世にない。先ほどわたしが、送っておいた。忠義の相手もいないのだ。終わらせようぞ。伝説を、完成させるのだ。世をもういちど、振り出しに戻すのだ」
「……」
「さあ、鍵はなんだ。姫を……忌の鬼を復活させる、最後の鍵は」
リューリュの意識が消失する寸前、ジゼクは頸から手を離し、髪を乱暴につかんだ。後ろにのけぞらせ、歪んだ笑顔を、近づける。リューリュは空気をひといきにすい、咽せ、充血した目をジゼクにむけた。
「……ない」
「ん、なんだ」
「……させない。わたしが、護る。キョウを……復活なんて、させない」
ばん、という音をたて、ジゼクの平手がリューリュの頬を打擲する。
同時に、凄まじい轟音。
露台が揺れた。縁の一部が割れ、破片となって落下する。
ジゼクは姿勢を崩し、リューリュを離す。大庭を見下ろす。
鬼鏡姫が、たっている。
その髪は、あかい。ほんらいの紅ではない。昏く、つよく、かがやいている。艶やかだった長髪は、いま、天に向かってさかまいている。
瞳。縦に裂け、黄金をおびた瞳は、憎しみを湛えて、ジゼクを見上げている。
周囲の空気は歪み、砂塵を巻き上げ、彼女のまわりで回転している。風に、炎がやどっている。熱量をもった嵐の中心で、姫が、手を露台にむけて、たっている。
「リューリュから、手を、はなせ」
鬼鏡姫が短くはなったことばに、ジゼクは、歓喜の笑みをうかべた。
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