その男、斎藤につき。

さかまき

第1話トンカチとノコギリ

 暗い黒い空間。

 闇そのもの。

 俺は闇の中を摺り足で移動する。

 じわりじわりと。

 どこだ。ここは。


 音がない。

 匂いもない。

 風もない。

 何も見えない。

 ここは、どこだ?


 つま先に何かが当たった。

 そこで、靴を履いていることに気がつく。

 履き慣れたタクティカルブーツの感覚。

 俺は身体の各部位を触る。

 スーツだ。

 東ヨーロッパの小国で買った吊るしのスーツ。

 安いわりに仕立てのいいそのスーツを俺は、その”仕事”で使っていたはずだ。


 それを思い出した時、辺りが明るくなる。

 赤い毛長の絨毯。

 壁にはフリストロイス作の絵画と、数々の勲章。

 爽やかな花の香り。

 エアコンの少し曇った風が頬を撫でる。

 そして、マホガニー製の執務机に足が当たったのだと気がついた。


 ここは――知っている。

 ヴィンリンス公国の陸軍大将の息子リクスンの邸宅だ。


「誰だ? お前」


 声につられて視線をあげると、そこにはリクスンがいた。

 仕立てのいいスーツに、丁寧に撫で付けられた髪、リマイア製の白と黒の趣味の悪いサドルシューズ。

 眼鏡の奥で神経質そうに眉根を顰める。


「パーティの参加者か? 親父はここにいないぞ。

 いや、その安っぽい服はあれか、マスコミか?

 パパラッチなら叩き出すぞ。

 いや……」


 そう言うと執務机の引き出しを探る。

 中から一丁の拳銃。


「一人くらいならいいだろ」


 口角が嗜虐的にひん上がる。

 そして、発砲。

 耳元を弾丸が掠める。


「何発もつんだろうな。アジア人は初めてだ」


 リクスンは、うれしそうに笑ったあとで不愉快そうな表情を浮かべた。


「なんだ? ビビりすぎておかしくなったか?」


 反応がなかったことが気に食わなかったらしい。

 しかし、銃口が俺を捉えていないのだ。

 明らかな脅しにどう怯えろというのか。


「にしても……なんで誰も来ねえんだ?」


 リクスンは扉に視線を送る。

 護衛が発砲音に反応しないわけはない。

 しかし、それは当たり前のことだ。

 死人は動かない。


「お前何かしたのか?」


 リクスンはギリと歯を食いしばり眉根を寄せる。

 そして、銃口を俺に向けた。

 俺は、それを避けるためリクスンの左手方向に身体を移動させる。

 リクスンはそれを追って拳銃を動かす。

 しかし、俺は既にリクスンの右手側に移動している。

 リクスンが目を見開いた。

 そして、その時にはリクスンの手首を捻りあげていた。

 梃子の要領で拳銃を奪い取る。


「テメェ――」


 リクスンが唾を散らしながら怒鳴るが、最後まで言うことはなかった。

 発砲音が二つ。


 リクスンの腹部が真っ赤に染まった。

 そして、眉間には穴が一つ。

 後頭部から脳みそごと吹き飛ばされた頭蓋骨が壁に突き刺さる。


 仕事は終わりだ。

 帰ろう。

 どこに?


 目が回るような感覚。

 ――どこに帰るんだ?

 軽い頭痛。

 思わずよろけてテーブルに手をつく。

 ギリリと奥歯を噛み締める。


「お前は何がしたいんだ?」


 ――俺の声じゃない。

 そして、リクスンの声だと気づく。

 撃ち殺したはずだ。


 目をやるとリクスンの死体はさっきと同じように転がっている。


「何がしたいんだ?」


 ――馬鹿な。

 死体の口が動く。


「何がしたいんだ! 何がしたいんだ! 何がしたいんだなにがしたいんだなにがしたいんだナにがシタいんダなニが死体んだななななしたいしたいしたい――」


 口角血泡を飛ばしながらリクスンが叫び続ける。

 俺は思わずその頭に再度弾を打ち込んだ。

 パシャと頭が弾ける。


 声が消える。

 俺は初めてのように震えていた。


「何がしたいんだ?」


 声。

 リクスンの頭が早戻しのように戻っていく。

 傷一つない顔に戻るとまた口が開く。


「何がしたいんだ! 何がしたいんだ!! 共産主義者を殺し、社会主義者を殺し、大衆主義者を殺し、資本主義者を殺し、無政府主義者を殺し、国際主義者を殺し、扇動家を殺し、資本家を殺し、宗教家を殺し、政治家を殺し、知識人を殺し、労働者を殺し、ギャングを殺し、僧侶を殺し、老人を殺し、成人を殺し、学生を殺し、子供を殺し、聖人を殺し、悪人を殺し、凡人を殺し、男を殺し、女を殺した! 何がしたいんだ!! 何がしたいんだ!!」


 リクスンの声ではなくなっていた。

 男の声に変わり、女の子声に変わり、老人の声に変わり、子供の声に変わる。

 そして、顔も変わる。


「殺した殺した殺した殺した殺した! お前は殺した!

 何もない! 何も残ってない! お前は何もない!」


 タンタンタン――3発の銃声。

 頭が弾ける。


「ハァハァハァハァ」


 呼吸が収まらない。

 「何がしたい」という言葉が頭骨内を跳ね回る。


 そして、その何かの顔がまた変わる。

 小さなおさげの女の子。


 目の前がぐるぐる回る。

 胃液が喉を押し開ける。

 膝から下の感覚が消失。


 暗い黒い空間。

 闇に落ちていく。 


◇◇◇


 俺は思わず起き上がった。

 周囲を確認する。

 六畳一間。

 酒瓶の散らかったローテーブル。

 ヒビの入った革のソファ。


 汗で体が冷え切っている。

 時計を見ると、まだ夜明け前だ。

 しかし、もう寝ることはできない。

 夢の内容は忘れてしまったが、その夢が悪夢だったことだけは理解していた。


◆◆◆


「チッ。どこだよ。ネジ」


 棚の林立するホームセンター内を一人の客が歩き回っている。

 その客は、子供が図工で使うというたった一本のネジが見つからず苛立っていた。

 棚を眺めながら何度目かの舌打ち。

 と、ドンと何かにぶつかった。


 それはすぐにそのホームセンターの店員だと気づく。

 何か一言文句でも言ってやろう、と八つ当たりに近い怒りを孕んだ目をその店員に向けた。

 そして、思わず目をむく。


 自身よりも二回りでかい身体。

 服の下に石でも隠してあるかのように、筋肉がホームセンターの制服であろうエプロンを押し上げている。

 腕も太くその手はグローブのようだ。


 そして、見上げる必要がある位置にある頭。

 猛禽類を思わせる鋭い眼光。太い鼻梁に薄い唇。

 頬にある大きな傷が微妙に口端を引きつらせている。


 巨大な草食獣の身体に、肉食獣の頭をつけたようなちぐはぐ感のある男。

 その店員が、男に対して頭を下げる。


「すいませんでした。何かお探しですか?」


 頭上から声が降る。

 店員が眼球だけを動かして男を見た。

 男はその視線に思わず後退る。


「あ、いえ、ごめんなさい」


 震え声。


「はい?」


 店員が理解できない、といった具合に首をひねるとその後ろから声がかかる。


「お客様! 何かお探しですか?」


「あ、店長。こちらのお客様が――」


「斎藤さぁん。いつも言ってるじゃん、顔怖いって。

 こっちはやっとくから他よろしく」

 

「はぁ……」


 巨大な店員、斎藤はなかなか失礼なことを言われたのだが、全く気にした様子もなく引き下がる。

 そして、店内を歩き始めた。


 資材、園芸、家電と回り特に何かする必要はない。

 お客様は、と辺りを見渡すが、見える範囲のお客様は必死に何かを探しているように棚から目線を外さない。

 困った……と、立ち止まると、後ろから声がかかる。


「店員さん、すいません」


 ぬぅっと斎藤は振り返る。


 髪の長い女が一人いた。

 化粧っ気のない薄い顔の女は、困ったように顰めた眉を震わせている。

 斎藤さんは顔が怖い――という話を思い出し、斎藤は顔を背ける。


「誰か店員、呼んできます」


「え? あなたは店員じゃないんですか?」


「あ、いや、店員ですが……」


 その応えに女は嬉しそうに微笑む。


 ――俺はそんなに怖くないんじゃないか?


 と、斎藤は少し安心した。


「実は職場の塀が壊れてしまって……」


 そういって、自分のスマホを取り出す。

 画面にはその塀が写っていた。

 壊れた、というには年季が入っている。

 ここ数日でのものではない。


「直したいんですが、何がるのか分からなくて……」


「あ〜これは最初からの方がいいかもしれません。道具はありますか?」


「トンカチとノコギリはあります!」


 フンスと薄い胸を張る女。


 ――たぶん足りないな。


 頭の中でチェックリストを作りながら斎藤はスマホを預かる。


「こういうのが得意な方はいますか?」


「職員は私一人です。あ、ホントはいるんだけど入院中で……」


「えぇっと、サイズは?」


「高さがこれくらいで長さがここから……ここくらいです!」


 女は身振り手振りでサイズを説明する。


「できそうですか?」


 斎藤は顔を引きつらせる。

 その顔を見て通りがかった他の客がヒィと小さく悲鳴をあげて逃げた。


「どうしたの? 斎藤さぁん」


「て、店長……」


 助けに船。

 斎藤は店長に任せるべく説明をする。


「あ〜なるほど。お客さん、ちょっと難しいですよぉ、それじゃあ。

 DIYを簡単に思ってくれちゃあ困りますねぇ。

 定規もないのに直線を引くようなもんだ」


「そんなぁ……」


 女は肩を落とす。


「園長が退院する前にやってあげたかったのに……」


「いえいえ、そんなに悲観するものじゃあありません!

 私達はDIY初心者もうぇるかむなホームセンターでしよ」


 店長がニヤリと笑い、壁に貼られた表を指さした。


「我が社のDIYマイスターがあなたのお手伝いをしますよ!

 とりあえず準備だけなら1時間コースで――」


 女は悲しそうにカバンからがま口を取り出し中を確認する。

 そして、小さく首を振った。


「また……来ます……」


 小さくなる背中。

 店長はバツの悪い表情でそれを少し眺めてから、声をかける。


「わかりました! この男、斎藤ならば無料タダでお貸ししましょう!」


「え? いいんですか?」


「他の人はだめですよ?」


「はい! この人なら私も嬉しいです!」


 パァっと笑顔を浮かべる女。

 斎藤は腰をかがめて店長に耳打ちする。


「いいんですか? あれも商売の一部だって言ってたじゃないですか」


「さすがに忍びないだろ。それに今日は特にお客様も来ないから君を遊ばせるくらいならそっちのほうがいいよ」


 店長はニヤリと笑う。


「斎藤のバス代くらいは出してくださいね」


「は、はい! それくらいなら!」


 その答えを聞いて斎藤に向き直る。


「明日捨てるはずだった廃材あるでしょ?

 よさそうなの持っていきなさい」


 店長は商売人ぶってる割にはどこか甘い。

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