陸 友の話
「ねぇ結美。相談があるんだけど」
「なに、なに? どうしたの? 恋バナ以外なら聞くよ」
「結美と恋バナとか、100パー無理だよ」
「それは酷くない?」
同級生達からも一目を置かれ、軽い冗談をも言い合える。そんな彼女だが、ただ一点の事象で同級生達から、奇妙、という評価を得る事になる。
――あの佐伯未希と友人関係にある――。
それが、どれ程の重きを置かれる事象なのかは分からない。しかし、遠巻きにされやすい未希の傍に居る事を、彼女に許されている時点で奇特な存在と認識されているのもまた事実。尤も、気にする同級生達はさほど多くない為気にするだけ無駄とも言う。
「ありがとう、参考になったよ! やっぱり結美に相談すると解決するなぁ!!」
「良かった~!」
笑顔で去っていく同級生に手を振り、結美はふっと真顔になった。もし視える者がいれば、彼女の細めた茶色っぽい瞳が金色に煌めく様を視たかもしれない。彼女もまた、見えざる世界を見る事が出来る稀有な存在だ。
「……今、なんか通ったような……? 気のせいじゃ無きゃ、危害を加えるタイプのような……?」
同級生とすれ違った誰かが、危ういナニかを憑けていた気がする。看過できないが、同級生でごった返す廊下では誰だったのか判別出来ない。同級生達は多かれ少なかれ、影響力の高低に関わらずナニかに取り憑かれているからだ。動物霊ならまだしも、生霊が取り憑いているケースがある。影響が無けれは気にもとめないが、すれ違った一瞬で神経を逆撫でて来る存在は流石に看過出来ない。
「……結美? 何かあった?」
「あれ、未希。体調大丈夫? 落ち着いた?」
首を傾げて悩む結美の元に、やや辛そうな未希が声を掛けてきた。体調を崩しやすい友人は、三限目から保健室にいた。まだ青い顔をしているあたり、もしかしたら悪化しているのかもしれない。そんな友人の負担を増やしたくないが、不確定故に放置も出来ない現状を伝えない訳にもいかない。僅かな葛藤の末伝える事に決めた結美は、先ほどの出来事をさらっと伝えた。不確定事項の多いそれを聞いた未希は、青褪めた唇に細い指を這わせて何事か考える仕草を見せる。切れ長の瞳を伏せる様子は、彼女が何者なのか分からなければ、ただの悩ましげな美少女に見えるだろう。未希の顔は本人が思う以上に整っている。
「確かに……。何か、微かだが強いナニかが通った形跡があるが……」
「誰か分からない感じ?」
「それもあるが、有象無象が多すぎて……」
「追えない?」
小さく頷いた未希の身体が僅かにぐらついた。慌てて支えようとする結美だったが、未希が踏み止まり出した手が空を切る。たった数分立ち話していただけだが、と心配する結美の顔を見たらしい未希が小さく首を振った。
「立ち眩みはたまにある。そこまで心配しなくて良い」
「確かにそうなんだけどさぁ……。急に来るとびっくりするよ」
ごめん、と軽く謝りながら体勢を整えつつ、未希がさり気なく印を切ったのを結美は見ていた。そんな友人の手元から灰の小鳥が羽ばたいていく。
「ごめん、帰る。あとよろしく」
「やっぱ早退予定だったんだ。了解」
瞬きの間に未希が作り上げた意思無き式を託され、結美は苦笑しつつ了承する。何を核にしたのか、吹き込んだ命令はなんなのか、察する隙さえ与えぬ早業に、術者としての実力の高さを魅せつけられてため息しか出ない。友人の実力に対して、嫉妬よりも感動が勝るあたり相当毒されている気がする。
「雨降ってるし、気を付けてね未希」
「あぁ。……そっちは頼む。飛ばした
「分かった」
カバンを取って帰宅する友人を見送り、まだ騒がしい教室に戻る。昼食を終えたクラスメイトの一人が、空いた未希の席を見て目を丸くする。そして、何食わぬ顔で授業の準備をする結美に声を掛けた。
「佐伯さん、帰ったの? 珍しいね。何年ぶり?」
「え〜……。何年ぶりだろう、中学以来?」
「昔結構早退してた印象〜」
「分かる。でも本当に最近なかったから落ち着いたのかと思ってた」
早退したのを知ったクラスメイトがよってたかってワイワイ言い始める。そう、大体のクラスメイトは小学校から一緒なのだ。そのためまあまあ互いの事を知っている。いない友人に対する憶測が飛び交う中で、昼休み終了のチャイムが鳴る。移動教室の準備の為に各々席に戻るクラスメイトを尻目に、結美は肩に止まった他者に見えない灰の小鳥に意識を向けた。チロチロ啼く小鳥は何らかの情報を得たらしい。
「早かったね、ありがとう。でも、今から授業だから後で」
授業道具を持って移動しつつ、肩の小鳥に小さく声を掛ける。小鳥はそれを聞くと小さな紙切れとなって教科書の上に落ちた。成る程、手間は取らせないということか。未希らしいといえば未希らしい。が、やっぱりそんな術式を一瞬で組み上げる彼女の実力に改めて舌を巻いた。
「……気遣いの人過ぎる……。てか、メモちっさ」
「結美〜、教室変わったって〜」
「マ〜ジ〜! ありがとう〜。そっち行く!」
小鳥メモに集中を向けすぎたらしく、教室が変わったというアナウンスに気付かなかった。クラスメイトから呼び掛けられて意識を戻し、彼らを追って駆け出した。
「あ〜終わった〜。疲れた〜」
「結美どうする? 今日部活ないよね?」
「うん、今日は書道部定休日だね。でもごめん、図書室に用事があるから……」
放課後。彼女はクラスメイトの誘いを断り、一人図書室に居た。読書が趣味の結美は、書道部が休みの時には放課後に図書室で本を読むのが日課なのだ。時間が許す限り読書を楽しみ、いくつか本を借りて帰る。それが部活の無い日の、彼女の放課後の過ごし方なのだ。
窓際の区切られた自習スペースにいくつかの本と参考書、それにノートと小さな紙切れを広げる。誰も居ないそこは静かで、読書に勤しむのも自習するにも、はたまた何か別の事をするのにも最適だ。
「さて、未希の式はどんな情報を持ってきてくれたのかな?」
小さな紙切れには短い簡素な文章が一つ。二つ隣のクラスの女、とだけ書かれている。未希と結美のクラスは一組である為探す範囲は絞れたが、これだけではまだ広すぎる。意思を持たない物にすぎない式は、確かに十分過ぎる成果を叩き出した。それはそれとしても、やはりまだ捜索範囲が広いと思ってしまうのは仕方ない。
「ま……まぁ二年全員を片っ端から、じゃなくなった分良しとしよう」
『あら、勉学に励んでいるのかと思えば……。別の事に御執心だったのね。私の愛しい白兎殿は』
気配無く目の前に現れた三毛の猫又に、結美は大きく肩を震わせる。図書室という静けさを形作った空間で大声を出す事は回避したものの、気配無く脅かしてきた三毛の猫又に文句は言いたい。結果、大きく開かれた口はパクパクと開閉を繰り返すのみで言葉は出ず、震える指はただただ呑気に顔を洗う猫又を指差すのみだ。
「……ね……ねこ、ねこま……猫又さん……!」
『そんなに驚いてどうしたのかしら、私の愛しい白兎殿? あらあらふふふ。後世の研究書という名の浅知恵の書ね。これを読んでいる事が恥ずかしかったのかしら? これも、当たらずとも遠からずだから悪くはないわ。でも、私の愛しい白兎殿の知識に届くかしら?』
文句を言う前に種々の物事を指摘され、開いた口は言葉を構成する前に閉ざす羽目になる。小さな自習スペースに重ねられた本のいくつかには、三毛の猫又が指摘したように妖怪や陰陽術についての研究読本の様な物も混ざっている。いわゆるサブカル特化のオカルト本は、三毛の猫又から見れば浅い知識しか載っていないように写るようだ。だが、結美にとってはある意味貴重な教材である。
『浅知恵の書に学ぶより、玉兎に学びなさいな。その方がいくらか実用的よ?』
「えぇ……。
小言を並べる三毛の猫又に苦笑しつつ、結美はそんなオカルト本を開き、とある章を指先で軽く叩いた。叩かれた章は、陰陽道の占術の道具と神々について書かれていた。彼女はそのうち、
『……
「ん~この前さ、未希と二人で神域に連れ込まれた話、したよね。あの時の相手かなって」
『ええ、聞きましたよ。随分危険なことを、と思いもしました。まぁそれは良いでしょう。何を根拠に彼だと判断したの、私の愛しい白兎殿?』
試すような眼差しで問う猫又に、腕を組んで唸る。勘、という言葉が正しいが、たしかに判断材料にしたものもある。ただ思考の言語化は難しいのに、この猫又はどうにも彼女にそれを求める起来がある。困りつつも、頭の中で判断材料を整理して口を開く。図書室という静かな空間に配慮して大声を上げないよう、細心の注意を払うのは忘れない。
「えっと……。未希が、あそこは神域とか
『成る程ね。続けて? 私の愛しい白兎殿』
「無茶!」
整理しつつ考察を口にした結美に、まだあるだろう、と猫又は愉しそうに促す。その態度が頭に来て、思わず静かな空間に反する大きさの声が飛び出した。入口付近にいる司書代わりの教員の鋭い視線が、自習スペースに居る彼女に突き刺さる。入口から自習スペースまではそこそこ距離があるが、高めの声が反響してしまったようだ。教員に向かって軽く頭を下げて、自習スペースの仕切りの影に顔を隠す。不幸中の幸いなのは、他の生徒が図書室に居ない事だろう。一人で騒ぎ続けない限り、彼女がいる自習スペースに来る者は居ない。
「……もう……。あと、なんか黒いモヤで分かりにくかったけど、黄色の龍の尻尾? みたいなのが視えたから、この本を参考に色々当て嵌めてったら十二天将? の勾陣? だったんじゃないかなって」
しどろもどろになりながらなんとか説明する結美をのんびり眺め、猫又は呑気に顔を洗う。そんな妖を前に結美は、自分から聞いといて、と他人に見せられない顔をしてギュッと拳を握る。力を込め過ぎてやや白くなったその拳の先を、猫又は苦笑しながら謝罪を込めて一舐めした。
『あぁ、そんなに拗ねないで、私の愛しい白兎殿。貴女の考えはよく分かったわ』
「……当たってるかどうかなんて分からないよ」
『そんな事は些事よ。大事なのはそこに至る為の思考能力なのだから』
そっぽを向いて口を尖らせる結美の、本の上に置かれた手に頭を擦り付け、腕に二股の尾を絡めて猫又はご機嫌取りに勤しむ。仕草だけ見ればただの可愛らしい猫だが、それに絆されてやれる程彼女も甘くない。
「……思考能力って言ったって、所詮私の知識は未希の足元にも及ばないよ」
『そんな事無いわ、私の愛しい白兎殿。現に、私の愛しい白兎殿は知識を得ることに貪欲なのだから。あとは持てる知識を組み合わせてどう迫るか、という事よ。知識は盾に、知恵は矛になりえるのだから』
そういうものか、と拗ねるのをやめた結美は首を捻る。疑問を隠さないその様子に、妖も同じ方向へ身体を傾けて答える事にした。
一人と視えぬ一匹が密やかな声で、自習スペースの内で語らう内に、分厚い遮光カーテンの下から夕陽が差し込み始めた。もうすぐ下校のチャイムが鳴る頃だろう。時計を見た結美は慌てて、小さな紙切れをノートに挟み、参考書の貸出カードに名前を書き込んだ。
『逢魔が時が近いわ。気を付けて帰りなさい、私の愛しい白兎殿』
「ありがとう、猫又さん。また家で!」
借りない本は本棚に返し、借りる本は腕に抱えて、慌ただしく図書室を出る。ちゃんと教員に貸出カードを出すのと謝罪する事は忘れない。珍しく慌ただしい日だった、と思いながら下足場で靴を履き替え帰路に着いた。踏まないように駆け抜けた、アスファルトに出来た水溜りは何食わぬ顔で、ドス赤い空とその背を見送るように佇む甲冑姿の青年を映していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます