花に落雷

空都 真

序曲 晩春


 うつくしい、夜だった。


 揺蕩たゆたう水面に渡された月のみちが、澄んだ薄闇を、静かに照らしている。

 寄せては返す潮騒とともに、砂の上で銀色の泡がさざめき、弾け、儚く消えてゆく。


 常ならば、すべての輪郭が淡く溶け合っているようなその光景に、時を忘れて見入っていただろう。けれども僕の心は、目の前に佇む、ただ一人を映していた。


 かすかな冷気を孕んだ風が、彼女のやわらかな髪を、白くなめらかな頬を、通り過ぎざまにそっと撫でていく。


 冴えた月光に抱かれてなお、ひかりを喪ったままの、昏い瞳で。



音色ねいろ、さん」



 彼女は、告げる。




「さよなら、しましょうか」




 ――春が、終わろうとしていた。


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