桜の花びらを見るたびに僕たちは今日のことを思い出すだろう

茂由 茂子

半分残ったイチゴパフェ

「二十五日に東京に行くことになった」

 

 よく晴れたある日、あやちゃんからそんな一通のメッセージがやってきた。二十五日まであと十日を切っている。僕たちはこの三月のはじめ、同じ高校を卒業した。文ちゃんは東京の大学に、僕は地元の大学に進学することが決まっている。

 

 付き合って二年。僕はかつてないほどの不安に苛まれている。新しい生活が始まるということは、新しい人間関係が始まるということだ。僕は文ちゃんとの関係をこのまま続けていくことができるのか、不安で仕方がない。

 

 そんな気持ちに蓋をして、僕は文ちゃんに会えないか打診をしてみる。僕がどんなにジタバタしたって文ちゃんは東京へと行ってしまうのだ。それだったら、会えるうちにたくさん会っておきたい。すぐに返信がやってきた。お昼ご飯を食べ終わってから、ファミレスで会うことになった。

 

「ごめんね。引っ越しの準備で忙しいだろうときに」

「ううん。私ものりちゃんに会いたかったから」

 

 桜色のパーカーを着た文ちゃんは、髪の毛をピンクベージュへと染めていた。卒業式では真っ黒だったのに。それが余計に僕の胸を寂しくさせる。

 

「何食べる?パフェとか頼んじゃおうよ」

「そうだね」

 

 メニュー表を開いて何を頼むか相談する。僕はチョコレートパフェとドリンクバー、文ちゃんはイチゴパフェとドリンクバーを頼んだ。

 

「準備は進んでるの?」

「少しずつね。向こう着いたらすぐに家具とか電化製品を買いに行かなきゃいけないけど。こっちから持っていくものもそんなにないし」

「あんまり持って行かないの?」

「こっちから持っていくのはあんまりないかなあ。洋服とか身の回りの物くらい」

「そうなんだ」

 

 文ちゃんの小さなお口にイチゴが運ばれて、ぱくっと吸い込まれる。イチゴと変わらないくらいの真っ赤な唇がもにゅもにゅと動くのをただ見つめる。

 

「典ちゃんは?準備」

「僕はスーツ買ったくらいかなあ。後はそんなに準備することもないし」

「バイトは?するの?」

「うん。入学して落ち着いたら始めようかなって思ってる」

「そうなんだ」

「文ちゃんは?」

「私も同じ。でも東京って人が多いから、私にバイトなんてできるかなあ」

「文ちゃんならできるよ」

 

 文ちゃんは可愛くて人当たりがいい。ほんの数ヶ月前だって、学祭のミスコンでグランプリに選ばれていた。それくらい、文ちゃんは可愛い。そんな文ちゃんに寄ってこない男は居ないと思う。

 

「……東京はいろんな人が居るんだろうね」

 

 文ちゃんが東京に行っていろんな人と出会えば、僕のことを忘れる時間が少しずつ長くなるだろう。そうして連絡も取らなくなって、気持ちが徐々に離れて行って、関係が持続できなくなるのだろう。そうなる前に、決着をつけるのも良いのかもしれない。

 

「きっとね。いろんな地域から出てくる人が多いだろうからね。私、東北地方の人って会ったことがないから、友達になれるの楽しみ」

「そっか」

 

 スプーンいっぱいに掬われたクリームが、文ちゃんの口へと運ばれる。頬っぺた落ちそうなほど甘いのか、文ちゃんの表情は今にも蕩けそうだ。僕の前でしかしないこの顔も、きっとそのうち誰かに見せるのだろう。

 

「……文ちゃん」

「なあに?」

「僕たち、このままずっと付き合っていけるのかな?」

 

 亜麻色のくりくりの丸い目が、一際大きく見開いた。それはすぐに元に戻って、一瞬だけ睫毛が伏せられると、僕を真っ直ぐに射る視線が向けられた。

 

「それは、どういう意味?」

 

 文ちゃんはいつもそうだ。芯があって、意志が強い。一つ一つの言葉に魂が込められている。僕はそんな彼女を好きになった。だけど今は、それが辛い。

 

「僕たち、遠距離恋愛になるでしょ。やっていけるのかなって」

「やっていけるかどうかは、私と典ちゃんの努力次第でしょ」

「それはそうなんだけど……。でもきっと、東京にはいろんなものがたくさんあって……。文ちゃんはきっと、僕のことなんてすぐに忘れちゃうよ」

「そんなこと」

「あるよ。だってこうしてすぐに会えないんだよ?バイトも始めて忙しくなったら、連絡だってとれなくなるよ。連絡とらなくなったら、付き合ってるって言えるのかな?」

「それはまた、そのときに話し合ったらいいんじゃないの?まだ起きてもないことで不安になられても、解決なんてできないよ」

「起きてないから不安なんじゃないか」

 

 僕は逆に問いたい。どうして文ちゃんはそんなにも自信を持っていられるのか。

 

「……じゃあ、典ちゃんはどうしたいの?」

「え?」

「典ちゃんの話を聞いていると、典ちゃんがどうしたいのか全然分からないよ。どうしてやってみる前からそうやって決めつけてできない言い訳を並べるの?私のことを好きで居てくれて、恋人で居たいって思ってくれるなら、どうして「できることをやってみよう」って思ってくれないの?」

「それは……」

「私だって不安だよ。典ちゃん優しいから、女の子に絆されそうだし。ううん。きっと、いや絶対に絆される。私の居ないところで。典ちゃんもその心配があるんでしょ。だから私の存在が邪魔なんだ」

 

「そんなことない」と言いたかったけれど、文ちゃんの言うことは図星だった。僕はきっと文ちゃんが居なくなったら、その隙間を他の女の子で埋めてしまうだろう。

 

「でもそれって、私が東京に行こうが行くまいが関係ないんじゃない?結局は心の距離の問題でしょ。もし私が地元の大学に進学して典ちゃんとすぐに会える距離に居たとしても、バイトや勉強で忙しくなったら同じことになるんじゃない?」

「それは……」

 

 そう言われてみてはっとした。「遠距離になるからだ」ってずっと思っていたけれど、もし近くに居たとしても心が離れることはありうる。

 

「典ちゃん」

「……うん?」

「私は典ちゃんのことが好きだから、遠距離になっても頑張って連絡して恋人でいたいって思っていたよ。典ちゃんは違ったんだね」

 

 文ちゃんの食べていたイチゴパフェは、もう半分残っている。テーブルの上に置かれたスプーンを文ちゃんはもう一度握ることなく椅子から腰をあげた。

 

「私、今日は帰るね」

「文ちゃん」

「これ、私の分」

 

 テーブルの上に千円札が一枚置かれる。その手を僕は強く握った。

 

「典ちゃん。また、連絡するから。今日は帰りたい」

「文ちゃん」

「お願い」

 

 文ちゃんの強い瞳が苦手だ。そう言われると僕は手の力を緩めるしかない。ふらりと彼女の腕から手を離すと、「またね」と小さく声が聞こえたがそれに応じることはできなかった。

 

 文ちゃんはきっと一つだけ誤解している。でもそれは僕のせいだ。僕が先に恋愛を続けることができないいいわけを並べ立てたからだ。僕の本心はそこじゃない。不安な気持ちもあるし、浮気心だってあるけれど。

 

「ただ、文ちゃんに傍に居てほしいだけなんだよ」

 

 新しい生活に、文ちゃんが居ないことが耐えられない。新生活の準備をすればするほど思い知らされる。文ちゃんが居ない。あんなに毎日一緒に学校へと通って、同じ校舎で学んで、同じことで笑って、同じ時間を過ごしたのに。これからは文ちゃんが居ない。

 

 そんなの当たり前だってきっと周りには笑われるだろう。だけど僕はそれくらい文ちゃんのことが好きなんだ。

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