山桃の木
ナツメ
山桃の木
山桃の木にぶら下がった女の
――姉さん。
屍体の、いやに
――久しぶりね、姉さん。あたしが死んでから一度も来てくれないんだから。
「何言ってるの、月ちゃん。貴女今朝だって早くから店でレコードをかけてたでしょ」
桃色の唇が三日月を描いた。
――まあ、少し話しましょうよ、憂子姉さん。
山桃の木にぶら下がった女の屍体が、風にゆらゆらと揺れている。
憂子はその木の幹に背を預け、屍体と並んで空に浮かぶ入道雲を見ていた。
――姉さん、あたし死んだのよ。もう六年も前になるわ。本当に憶えてないの?
「六年前に死んだのは貴女の婚約者でしょう。それで貴女、ひどく落ち込んでいたじゃない」
――あの
「あれは」
憂子の視線が地に落ちる。
「あれは、幽霊よ」
――救いようがないわね。
「月ちゃんだって、あの男の幽霊が店に来たって言ってたじゃない。夜中にこっそり出ていって、あの幽霊と話してるのだって、私、本当は全部知っているのよ」
ふ、と
――それは全部姉さんが見たこと、姉さんが話したことよ。あたしは知らないわ。
「だって」
と口にして、憂子は言い
――姉さんは弱い
再び目を上げると、ぶら下がった女の顔は土色に黒ずんで膨れている。その中に一点、唇だけが鮮やかに色づき、蛇のようにぐにぐにと蠢く。
――たった一人の妹の、男も命も奪っておいて、それをぜぇんぶ忘れっちまって空想の中で生きてるんだから。
憂子は掌に痛みを感じた。よくよく見れば、両手に擦れたような痕がある。まるでひどく重いものを括りつけた縄を力いっぱい引いたようだ。その縄の感触、結んだその先が芯のある柔らかいものにぐう、と沈み込む感覚まで、憂子はまざまざと思い出している。
「うそ、嘘よ、月ちゃん、嘘ばっかり。だって私たち、二人っきりの姉妹じゃないの」
ぼた、と何か赤いものが落ちた。
それは月子の脚だった。
――姉さんこそ嘘ばっかり。あの
ぼた、ぼたと身体を零しながら月子は嗤う。憂子は地面に這ってそれをかき集める。土が付いたら月ちゃんが汚れてしまう、持って帰って洗わなければ。
――でも姉さん、嘘から出た真ね。自分の手でそれを全部本当にしちゃったんだから。
すごいわ、と言った月子の首が、ぼたりと落ちた。
山桃の木に、女が背を預けて坐り込んでいる。熟れて落ちた真っ赤な山桃の実を両腕いっぱいに抱えている。
真っ赤な実に覆われた地面の、ところどころがぽつぽつと白い。その白を辿った先に、男が一人倒れている。
白い菊の花びらに囲まれて、男は死んでいた。胸から流れる赤い血は花びらを染めたが、赤い実に混じってすぐにわからなくなる。
夕暮れ時の恵比寿神社には、女と、赤い実と、白い花と、男の屍体だけがあった。
「だからあたし、姉さんを赦すわ」
やたら幼げな声色で女は呟く。
その言葉が、己に対する言い訳なのかどうか、誰も知る由はない。
山桃の木 ナツメ @frogfrogfrosch
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