魔王の慈悲
長峰永地
第1話・旅立ち
魔王暦1059年。
つまりこの暦になってから1,000年以上の時間が過ぎたことになる。
魔王による支配が行なわれて1,000年。
100年に1度生まれると言われる勇者が何人も挑み、1度も魔王を討ち帰ったものはいない。
魔王城から1番遠く離れた、人間の生活圏の首都国家・アカサキングダムでは本日出立式が行われていた。
「勇者エヴァルスよ、とうとう出立の日だ。歴代勇者と同じ名前を冠したお前こそ必ず魔王を討ち滅ぼしてくれることを祈る。これは少ないながらも選別だ。持っていくがよい」
王の言葉に兵が武具と金銭を持ってくる。
武具は勲章を戴かなくては手にできないと言われる一級品。そして直接の金銭ではなく王家の証を渡して、国内の施設はすべて無料で利用可能である計らいであった。
「王様、感謝いたします。世界の平和のため、必ず魔王の首を落としましょう」
エヴァルスは王から手向けられた武具に身を包むと剣を胸に掲げて近いの言葉を述べる。
この習わしを100年ごとに行い、そして帰ってきた者はいないのだ。
謁見の間に居る者たちは、それこそ新兵ですらエヴァルスとの今生の別れであることを覚悟していた。
もちろん、勇者エヴァルスその本人ですら。
この儀式を行なって帰った者がいない。
そのことは1,000年続く魔王の支配の強さ、そして勇者の虚しさを皆が噛みしめる瞬間でしかなかった。
エヴァルスが謁見の間から下がるとどこからかすすり泣く声が聞こえ始めて徐々に大きくなっていった。
勇者の出立は15歳と決まっている。
これは初代エヴァルスが15歳で出立したことによるゲン担ぎに寄るものであったが、今となっては虚しいゲンであった。
「王…。また若者を死地に追いやることになりましたな」
王の横に控えていた大臣が陰鬱な顔で王に耳打ちをする。
「言うでない。皆わかっておるのだ。しかし誰も止められはせぬ。見たであろう?彼の者の左手にくっきりと浮かんだ紋章を。あの紋章がなぜか100年に1度、我が国に1人だけ生まれるのだ。…変えられぬ、変えられぬのだよ」
王は言葉をひそめることはしなかった。
誰1人として反論する者はおらず、すすり泣く声が大きくなるだけであった。
王城からの帰り道、エヴァルス本人はぼんやりと手に浮かんでいるワシに見える紋章を眺めながら家路に着いていた。
出立式の終わってから母親の作った食事を食べた後、国を出る。
これも代々伝わる習わしであった。
「習わし、習わしって…それに巻き込まれるボクの身にもなってみてよ」
口から出ている不満を誰に聞かれたところで咎められることはない。
なぜなら勇者であること、左手にワシの紋章があることは15歳で国を出て、そしてもう戻らないことの証明でしかないからだ。
国の民は生まれた瞬間から彼の言葉をすべて受け止めるようにお触れが出ている。
それもそうだろう。
生まれて15年で死出の旅が確定している若者の望みや思いを無下に出来る大人などいるわけがなかった。
大人だけではない。
周囲の子どもも同じである。
よほど幼い子でない限りはエヴァルスの要望を叶えるようにしつけられる。
もちろん恋愛や理不尽さに対しては反抗していいものの、15年という短い人生、満足のいくものとして送り出すことしかできないという考えが浸透していた。
「よ、勇者様。地獄への片道切符貰って来たか?」
街路樹に寄っかかりながらエヴァルスへ軽口を叩く青年にため息交じりに応えた。
「キミの分も持ってきたさ、タンク」
「ご挨拶だな」
タンクと呼ばれた男はエヴァルスにヘッドロックをかける。
その男の左手には種の紋章が浮かんでいた。
勇者が1人で魔王に挑むわけではないことは周知の事実である。
パーティという一団で行動していくことになる。
どういうわけか、ワシの紋章を持つ勇者エヴァルスが生まれると同時にアカサキングダムには種の紋章が浮かび上がる若者が1人現れる。
これも歴代の勇者に共通することでその時点で若者の名前を「タンク」と改名し勇者の旅に同行が決定する。
つまり、一緒に旅に出ろ。そして戻ってくるな、である。
もちろん、帰還するなと命令が出ているわけではない。
だが初代勇者が帰らなかったように、初代タンクも帰ってきていないことを考えれば、勇者と同じく死んだと考えることが無難であろう。
「ボクだけ死ねばいいのに、タンクまで巻き込まれることはないだろう」
「仕方ないだろう?初代さまが男引き連れて旅に出たんだから。エヴァが寂しがるからちゃんとついて行ってやるよ」
タンクはヘッドロックを解くと今までエヴァルスが歩いていた方向へと進んでいく。
彼もまた、今日一緒に出立するのだ。
1分1秒でも家族のそばに居たかったであろうに、そんなことはおくびにも見せずにエヴァルスと言葉を交わすことを優先した。
(見抜かれているな)
生まれた瞬間から15歳での出立が決まっていたと言っても、いざ目の前にその時が来てしまえば覚悟も揺らぐし寂しくもなる。
そんな状況を見抜いたかのように先回りして普段と変わらぬ言葉をエヴァルスに投げかけた。
エヴァルスは家に向かって大きく一歩踏み出すのであった。
「おかえり。今日はちゃんと食べてから出かけるのよ」
エヴァルスが家に着くと母親が料理を用意して待っていた。
自分の母親と食べる、最後の食事。
エヴァルスはゆっくりを噛みしめながら食事をする。
父親と母親と3人で食べる、最後の食事。
示し合わせたように誰も言葉を発さない、静かな食事。
スープを掬うスプーンの音。パンにバターを塗る音。コップに水を注ぐ音。
食事における生活音しかない、通夜のような食事。
しかし誰も言葉を発さない。
徐々に机の上のパンが無くなっていき、食事の時間が少なくなっていくことを示していた。
ついに机のパンが無くなる。
「それじゃ片付けるわね。エヴァルス、行ってらっしゃい」
母親は皿を持つと台所に引っ込んでいった。
無言で立ち上がり、家を出ようとするエヴァルス。
「…ちゃんと帰れよ」
扉が閉まる刹那、父親の声がエヴァルスの耳に入る。
(外に出てからで、よかった)
エヴァルスは、そのまま進んでいく。
玄関に数滴の雫を溢して。
振り返ることなく街門で待つ、タンクの元へ。
「魔王さま、魔王さま。勇者が旅立ったです」
小さいコウモリが羽ばたきながら豪奢な椅子の周りを飛び回る。
その椅子に腰かけた者はため息を吐きながらコウモリを燃やした。
「もう100年か。早いものだ、次の贄がもう決まったというのか」
コウモリが叫び声を上げながら燃え落ちる。
「魔王さま、また配下を無下に扱って。わが軍の士気を落とすことの繰り返しは避けていただきたいものですな」
大広間を歩く、初老の男。
腰は曲がり、ゆっくりとした歩調で進んでいく。
「私に口答えするのか?」
「滅相もございません。ただ、100年かけた準備をフイにされては…」
魔王と呼ばれた者は指を老人に突きつけると、その老人の頭部は弾けた。
「一度警告をして口を閉じぬとは。これだから嫌になる」
魔王は深く椅子に腰を掛ける。
その表情を見る者は誰も居なかった。
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