言い訳。

星 太一

出会い

 2XXA年 ○月×日 深夜。




「ふんふふん、ふん、ふんふーん」


「ふんふふん、ふん、ふんふふふふっ」


 薄暗い廃ビル、その三階。

 元々何の用途に使われていたのかも今となっては分からなくなってしまったその部屋の片隅にはまるで蜘蛛の巣かと見紛うばかりのコードが敷き詰められていた。

 画面のブルーライトを顔面に受けるその人がご機嫌に「ハッピーバースデー」の曲を鼻歌で奏でている。


「ふんふふん、ふん、ふんふふんふーん」









「はっぴばーすで――」

「そこまでだよ」








 ……!?

「うわああああっ!?」









 肩に置かれた手にこの世の終わりかってぐらい驚愕びっくりして、ぐちゃぐちゃの机の上に思わずひっくり返ってしまった。

 物という物、ゴミというゴミが辛うじて保たれていた秩序を乱して散乱し、机の上だけ地震が来たみたいになっている。

 どのホラー映画見た時より一番びっくりした。マジでびっくりした。心臓が口からまろび出るかと思った。


 ……。


 何でも試してみたい年頃だ。でも捕まるのだけはご免だとも思ってた。

 逆探知は出来ない設定だった筈……自宅に証拠も残していない筈……二分ごとにフェイクの住所が更新されるようにも設定しておいた筈……。


「ねえねえ。こんな時間に何してるの?」


「あんまり暗い所で作業していると目が悪くなっちゃうよ?」


「ふふ……ああ、そっか。隠れてを育てているんだっけ」


 ……これは、分かっている。

 偶然を装っているだけ――いや、そもそも偶然を装って来ていたか?

 最初から全て分かってました、だから来ましたみたいな口ぶりではなかったか。

 気が動転してしまってどうもそこら辺が思い出せない。

 それよりここから逃げなければ。いや、証拠も消さなければ。


 というかここまでどうやって来た。

 予防線は。罠の数々は。鳴るべきアラートは。

 遮光カーテンも使って目隠ししていた筈だが。隠し扉も作った筈だが。


 思考がぐるぐる巡ってオーバーヒート。

 体が全然動いてくれない。


「いやいや、確かにね。見た目は可愛いんだけどね? 大学側がメーワクしてるんだってさ、残念ながら。そうやって依頼が来たんだ」


 言いながら暗闇の向こうで革の手袋をはめる音がする。光源が背後の画面の頼りないブルーライトしかないからよく見えない。

 ……何をする気だ?


「報奨金は最初一万。学生だからって舐めてるって言ったらようやく三万になった」




「――で。最終的には五百万」


「ひよこ退治に五百万」




「ふふ。おかげさまで今とっても気分が良い。だから依頼すっぽかさないでここにちゃんと来たし、何なら君の返答次第ではこの事案を掻き回しちゃっても良いかな? とか考えちゃってる」




「――あ、でもねぇ」




「ひよこの大量繁殖は頂けないかなぁ」




「ね? 




「お金が入ってこなくなっちゃうから」




「――ひっ!」

 体中が一気に汗をかいた。

 暗闇からぬるりと現れ、自分の目線に合わせて姿勢を低くしたそいつ。

 茶髪に糸目の青年。すらっとした鼻筋には四角い眼鏡が乗っていた。――それだけ。本当に見かけは唯の大学生。

 でも、が握られている。

 何より顔に張り付く笑顔。極めて善人的なのに蝋人形みたいでなんか気持ち悪い。




 逃げないと!




 そう思った瞬間体は突然動き出した。

「わおっ」

 机の上でぐちゃぐちゃになった物をぶちまけ、デスクライトもぶつけるように投げつけ、そこら辺に積み上げてあった木箱を崩しつつ逃げる。


 が。


 ――ザシュ!

「ギアアア!!」


 突然右ふくらはぎに鋭い痛みと冷たさ、直後、弾けんばかりの熱が炎のように燃え上がり迫る迫る。

 当然バランスを崩して前方へ転がった。


 足に、異物の気配。


 その触覚が感じ取った違和感の正体を知りたくなくて、知りたくなくて……。どうしても足を見ることが出来なかった。

 膝がぬめった生温かい液に浸かった。

「ハア、ハア!」

 殺虫剤をかけられた蟻みたいにもがもが地面を情けなく這う自分の背後から足音が迫る。

「こんな状況で逃げるのは悪手だよ、修平君。ナイフが見えてたんだろう? ……逃げられたらこうするしかなくなる」

「どう、いう理論……だよ! 普通抑え込むとかだろ!」

「相手の方がこの建物の中知ってるのにそんなことする訳ないだろ? 早く捕まえなくっちゃ君のことだから対策されちゃうだろうし、夜闇は危なくって」

「お、お前のそれの方が危な――ぐはっ!」

 遂に乗っかられた。馬乗りとかではなく、腰掛けられた。

「あらら刺さってる。苦しいだろうに」

「テメェのせい、だろうがよ!」

「こんな事になったのは君のせいでしょ。……待って、今良い傷薬使ってあげよう」

 そういって懐からウイスキーボトルみたいな緑の小瓶を取り出す。

「なっ、何を――ギャアアアアア!!」


 足から異物が取れたと思った瞬間先程のとは比べ物にならないぐらいの激痛がズキズキッ! とはしった。

 肩で息をして固いコンクリの床を拳で何度も打ち付ける。空気を吸おうと開いた口から涎が垂れる。

「ガハッ、ハァ!」

 脂汗が滲んで、手の骨にジンジン染む鈍い痛み、ドクドクと波打つふくらはぎ。




 そして抵抗する暇もなく、そのまま気を失ってしまった。




 今思えば最悪の出会いだったと思う。




 * * *


 朝。

 閉め切られていたカーテンは彼の手によって開け放たれており、新鮮な陽光と空気とが寒い部屋を満たしている。

 状況把握にある程度の時間を要したが、混乱だけはしなかった。


 何故ならにいたのだから。


「おはよう」

「……起きたら檻の中に居るんだと思ってた」

 ソファでの起床。椅子に座ってにこりと笑んだ奴が朝日を後光のように浴びていて何だか眩しい。

「手錠だけは我慢しておくれよ。これからの商談に必要な相手がいなくなったらこっちが迷惑する」

「は?」

 突然目が覚めてがばっと掛け布団を取っ払えば取っ払った右手に左手が付いてくる。鎖の部分には縄がかかっていて、向こうでその両端が彼の手に握られていた。

 何だ? どういうことだ?

「お前の依頼って?」

「ハッキング事件の解決だよ。可能なら犯人も突き出せと言われた」

「で、お前はどう返した訳よ」

「頑張りまーすって言った」

「……」

 余りに能天気な答え。本当に大学のカツカツの金庫から五百万毟り取った男か?

 どうもおかしい。

「って、てかお前! 俺のパソコンいじって何してんだよ!」

「ああ。君の『ぴよちゃんず』をからっと揚げて『唐揚げ』にしてるんだよ」

「ハァァァァァアアアア!?」

 般若みたいな顔してだがだがだがっと彼の元にすっ飛んでいく。それを相手はニヤニヤ受け入れた。

「ほら、ご覧。今はふかふかの衣にダイブしてるよ」

「ギャッ! 何勝手に成長させた上に下味まで付け終わってんだよ!」

 修平君、真っ青!

「皆名古屋コーチンみたいで可愛いね」

「食う気マンマンなのやめろ! ――ああ、何勝手にロックまでかけてんだ、これじゃ止められない! おいっ、ぴよぴよ達もう止めるんだ!! こらこらこら、楽しそうに衣に飛び込むな! ……衣の中で『もふもふこけー!』とか言ってんじゃないよ、ぽふっと頭を出してきょとんとしてんじゃないよ畜生みんなやっぱり可愛いなぁっ!!」

 美味しくなろうとしている鶏を必死の形相で止めようとしている青年を見て相手はげらげら笑っている。

 笑いごとじゃねぇぞ!

「次は油でぽかぽかするのかい?」

「いい加減にしろ、顔面に割れた電球突っ込ませるぞ!」

「あははは冗談だよ、今元に戻してあげる」

 まだツボに入っている彼が肩を震わせながらぱぱっと「ぴよちゃんず」を元の姿に戻している。


 お察しの良い人はもうお気づきかもしれないがこの「ぴよちゃんず」という無垢な存在こそ修平が作っていたである。


 時は遡って今年の春。大学一年生の修平は奨学金を申請し、審査の結果「失格」と相成った。

 別に奨学金のあるなしが人生に影響を及ぼす訳ではなかったが、自分の頭脳を否定された気がしてどこか悔しかった。

 何か仕返しがしたくなってハッキングを学び出せばこれが何とも面白い。

 元々その方面に興味もあったし、才能もあったのだろう。

 瞬く間にその界隈では「天才ハッカー」と呼ばれるまでになった彼。それからというもの、あらゆる防御策をすり抜けるウイルスを作ってはしつこく大学に攻撃を仕掛けていた。

 私怨もあったかもしれないが、「自分に損な思いをさせた相手」というのはとっちめる目標ターゲットとして大変都合がよかった。

 おだてられればそれより上を目指しても良いかもしれないと思ったこともある。少し前に起きた、さる大企業の個人情報流出事件は彼の仕業。

 政府が黙っているだけの攻撃をしたこともあった。

 他、多数。


 送られてきたのは必ず可愛い見た目のひよこのアニメーション。それがイコール感染を意味した。可愛いものにはつい心を許してしまう人間の心理を悪用したもの。


 ――と思っていたのだが、先程の彼の様子を見るに唯の可愛いもの好きってだけなのかもしれない。

 これも才能か、それとも意図的な奴なのか。

 真相は彼しか知らない。

「……どうやって突き止めた」

「確かに巧妙だったね」

 涙目でぴよちゃんずのお家たるノートパソコンを抱える修平が男に聞く。

「人力で探し求めるのはまず不可能、スパコン使ってもAIの手を借りても何故か無理。何故か二分ごとに変わる君の住所、秒単位でころころ変わるIPアドレス……どういう原理かは分からない。兎に角不思議だった」

「ふんふん」

 満足気に頷く。自分の作った「ぴよちゃんず」が褒められて親は嬉しい。

「――ので、ひよこのぴーちゃんをウイルス感染させて逆に探知した」

「はああっ!?」

「咳してるのいない?」

「きゃあああああっ!」

 慌てて確認すればずっとちょんちょん咳をしているひよこが隅の方にいる。数がぴよぴよ多すぎて気付かなかった。

「あああああ可哀想に……」

 治してやろうとプログラムを開こうとするがここにもロックがかけられている。

 ハン?

 修平氏、遂にブチギレる。

「おいっ、ここにもロックかけやがったな!? この(人前ではとても聞かせられない悪口)!」

「まあまあそう怒るなって。すぐに治してやるから」

「ったりめぇだ!」

 胸倉掴まれぶんぶんされながらまたニヤニヤ。腕を余裕の笑みで外してからパソコンのキーボードに手を置いた。


「その代わり僕と商談しよう」

「……はぁ? 代わりとかそういうのは違うだろ」

「じゃなくってさ。さっきから言ってるだろ?」

 初めて見開かれたその細い目。

 エメラルドグリーンが深く光って、独特の雰囲気を放った。




「君の罪の不問・自由と引き換えに一緒に解いて欲しい事件があるんだ」


 


 ――へ?


「んなっ……どうしてそんなことを俺がやらなきゃならねぇんだよ!」

「え? だって――」

 きょとんとした顔の男。目をしぱしぱ瞬かせてから後ろを振り返る。彼に伴って自分もそちらに目を向ければ――ぎょっとする。




「君の後ろで人が死んでたから」

「……!」




 それは確かに若い男の死体。

 外傷はなく見開かれた目はしっかりと天井を見つめて動かない。


 毒、殺?


 いや、とはいえ毒殺で口から赤茶の濁が流れようか。

 とすれば胴を鈍器で打たれたりしたか。


 としても誰が、何故ここで。

 どうしてこの日に。


 緊張で手が震える、呼吸が乱れる。




「言い訳考えるの、大変じゃないかなって思ってね」


 ……だからってそれを取引の条件に持ち込むか?


 だって、自分は


(つづく)

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