番外編

第29話 わたしの最推し(ミカエラ視点)

 わたし、ミカエラ・デル・リンフォードには推しがいる。

 ただの推しではない、後にも先にもこれほど心揺さぶられるキャラはいなかった。

 つまり——人生の中での最推しである。


 彼の名はヨシュア・ジーベル。お兄様の右腕となる存在で、侯爵家の嫡男なのだ。冷酷な印象を受けるお兄様とは反対に、ライトブラウンの髪に夕陽色の瞳はまるで太陽みたいで、お姿を拝見するだけで心がポカポカと温かくなった。


 当然、当て馬の補佐という立ち位置は『勇者の末裔』ではモブ中のモブだったので、コミカライズでちらっと出てきた際には拡大コピーして持ち歩いていた。


 わたしはクールなキャラよりも、お姉ちゃんみたいに春の陽だまりのようなヨシュアが大好きだ。完璧にシスコンを拗らせているとはわかっている。

 お兄様だって妹として表も裏も調べ尽くし、大丈夫だと安心できたからお姉ちゃんを任せられると思ったくらいだ。


 とにかくヨシュア様が大好きすぎて、わずかな情報を手にしてはニマニマと眺めていた。それが本物のヨシュア様が目の前で話して動いて微笑んでいたと気付いた時は、勢い余って知恵熱が出た。まあ、それは置いておいて。


 いつも穏やかに微笑んで紳士的な態度の上、気の利くヨシュア様はこの世界で大変人気がある。それなのにずっと婚約者すらおかずに、お兄様の補佐として陰ながら献身的に尽くしてくれているのだ。


 お兄ちゃんがお姉ちゃんのためにフランセル公爵家に行っていた間、ヨシュア様も当然補佐としてバスティア王国へ出向していたので、干からびてしまいそうだった。


 ごく稀にお兄様の使いだと言ってやってきた時に、これでもかとヨシュア様の成分を取り込んでなんとか凌いでいたのが懐かしい。


 その後、聖女に皇城を占拠され、お姉ちゃんが指名手配になりバスティア王国へ行き、私は情報を集めるために影も使いながら前世の知識をフル活用していた。


 そんな時、隠れ家にヨシュア様がやってきた。お兄様に命じられて私の補佐をすることになったらしい。

 珍しくお兄様がいい仕事をしてくれた。これはわたしも張り切らねばなるまい。


「ミカエラ様、少しお休みになられてはいかがですか?」

「ヨ、ヨシュア様……! いいえ、おかげさまですこぶる元気になりました。まだまだいけます」

「……顔色が悪いようです。これ以上の無理はお身体に毒ですよ」


 最推しの困ったような笑顔が尊すぎる……!!

 危うく鼻血を出しそうになって、なんとか踏みとどまった。ヨシュア様の目の前でそんな無様な様子を晒しては、末代までの恥だ。


「わ、わかりました……ヨシュア様がそうおっしゃるなら、少し休みます」

「はい、そうなさってください。ミカエラ様は私にとっても大切なお方なのです」

「……っ!!!!」


 わかってる!! 皇女として大切だと言っているのはわかってる!!

 でも今だけは脳内で妄想することをお許しください——!!!!


 そんな天国のような毎日も終わりを迎え、すべてが片付き皇城へと戻ってきた。



 これで、もうヨシュア様との接点はなくなった。

 お姉ちゃんもお兄様と婚約したし、ヨシュア様は補佐の仕事で忙しい。もともと接点が少なかったし、以前の生活のに戻るだけだ。


 そう思っていたのに、ヨシュア様は週に二、三度は私の部屋を訪ねてくれた。来るたびにお花やお菓子など差し入れも持ってきてくれる。


「あ、そうか。私がお母様の政務を手伝っているから、労ってくれてるんだ。やばー、変な勘違いするところだったわ」


 危なかった。最推しを前に正常な判断力を失っていた。こんなにマメに来てくれるのは……もしかして!? なんてご都合主義な展開を期待してしまった。


 勘違いで自爆するところだった……!! そんなことになったら悔やんでも悔やみきれない。




 そんなある日、ヨシュア様から夜会のパートナーになって欲しいと頼まれた。

 もちろん、食い気味というかヨシュア様の言葉に被せて「行きます!」と即答したのはいうまでもない。心底楽しそうに笑ってくれたヨシュア様の笑顔は、今も私の心のオアシスになっている。


 当日はヨシュア様の瞳と同じ色のドレスとイエローダイヤモンドのアクセサリーを贈られたので、嬉々として身につけた。いつも下ろしている髪もアップにして、宝石が際立つように注意を払った。


「ミカエラ様、迎えにまいりました。今夜は私に女神のような貴女様をエスコートさせていただけますか?」


 そんな風に余裕たっぷりで微笑まれて「……はい」と頷くだけで精一杯だった。

 だって、夜会のためにゴージャスな衣装を身にまとったヨシュア様が神々しくて、目に染みて、尊いなんて言葉では言い表せない。


 会場に向かう馬車の中でもうっとりとヨシュア様を眺めていたら、「そんなに見つめられたら照れますね」と恥ずかしそうに頬を染めたのだ。これはなんというご褒美だろうか。毎日必死に真面目に生きてきてよかったと、心から神に感謝した。


 ヨシュア様と夢のようなダンスを踊り、私の心臓の音が聞こえてしまうのではないかと緊張しまくりだった。


「ミカエラ様、疲れましたか?」

「いえ、ただ(緊張のあまり)喉が渇いて……」

「これは失礼しました。飲み物を取ってきましょう。ここでお待ちいただけますか?」

「はい、ありがとうございます」


 はあああああああ!!!! わたしだけに視線を向けてくれる時間が尊すぎてもう……!!

 ダメだ、ここは天国なんだろうか。まるでお姫様のように大切にされて、宝物のように扱われて、もういつ死んでもいい……!!いや、死なないけど!!


 なんてひとりツッコミしていたら、西方にあるマルクス王国の王太子から声をかけられた。


「貴女様はリンフォード帝国の妖精、ミカエラ皇女様ですね?」

「はい、左様でございます。マルクス王国の王太子レーヴェン殿下」

「ああ、私をご存じでいてくださったとは光栄でございます」

「いえ、周辺国の王侯貴族の皆様に失礼があっては申し訳ありませんので」


 うわあ、面倒くさい人が来た〜!! この人あちこちで王女とか公爵令嬢に声かけてるって聞いたんだよね。国内で婚約者に酷い扱いをしたせいで誰も嫁いでこないから、必死なのかもしれないけど。


「ミカエラ殿下、実は以前から貴女様とじっくり話をしたかったのです。もしよろしければバルコニーへ行きませんか?」

「私のパートナーがすぐに戻ってまいりますので、申し訳ございませんが……」

「そうおっしゃらずに、両国の今後のこともございますから、ぜひお時間をください」


 やだなぁ、そんなことしたらヨシュア様といる時間が減っちゃうじゃん。しかもサラッと外交も絡んでるって匂わせて卑怯だよねぇ。

 うーん、ぶっちゃけマルクス王国と取引がなくなっても、そう痛手にはならないと思うけど……どうしよう。


「ミカエラ様。どうかなさいましたか?」


 しつこい相手に断れなくて困っていたら、ヨシュア様が颯爽と現れて庇うように間に入ってくれた。ホッと胸を撫で下ろす。


「レーヴェン王太子にバルコニーで話をしたいと誘われたのですが、ヨシュア様がすぐに戻られると思いましたのでお断りしようとしていたのです」

「ほう、未婚である皇女殿下とパートナーでもないレーヴェン王太子がふたりきりで話をしたいと?」


 ヨシュア様はそう言って、レーヴェン王太子に視線を向けた。わたしには背中を向けていて、どんな表情かわからないけど、レーヴェン王太子はビクリと震えて足早に去ってしまった。


「ミカエラ様、少し休憩しましょうか」

「あ、はい」


 ヨシュア様はいつもの笑顔で振り向いて、わたしの手を引き会場を後にした。人通りが少ない通路にふたりの足音がコツコツと響く。


 こっちは確か個室があって、具合の悪くなった参加者が休む場所だよね……あ、そうか。わたしが疲れたと思って気を遣ってくれたんだ。うはああ、やっぱりヨシュア様ってば優しい〜!!


 空いている部屋にふたりで入り、ヨシュア様は後ろでに鍵をかける。使用中はこうして鍵をかけておけば、誰も入ってこないからゆっくりできるのだ。

 ソファーに座ろうとして、ヨシュア様に突然抱きしめられた。


 なんだこれは、夢か? 天国か? 妄想か?


「ミカエラ様は私に嫉妬させたくて、あんな男に捕まっていたのですか?」

「え? ちが——」


 わたしの言葉は、ヨシュア様の口づけで塞がれてしまった。ヨシュア様の神の如く麗しいお顔が超ドアップで眼前にある。ついに妄想が現実に飛び出したのかと、自分を残念に思った。


 ところが、ヨシュア様は今まで見たことがないような表情でわたしを見下ろしている。それはまるで獲物を狙う肉食動物のようだ。

 ここで妄想ではなく現実だと我に返る。


「申し訳ないですが、貴女を誰にも渡す気はありません」

「え? え? え?」

「おや、気が付いてなかったのですか? 散々アピールしてきたと思うのですが」

「え? な、な、なんのことですか?」


 どうしよう、ヨシュア様の言っていることが全然、まったく、わかんない!!


「私がミカエラ様をお慕いしていると。そしてミカエラ様も私が好きでしょう?」

「……え——!?」


 まさか。そんな。ありえないと思うけど!? どこをどうやったら、そうなるんですか!?

 ファンブックにも、小説のあとがきにも、SNSの呟きにも、どこにもそんなこと書いてませんでしたけど!?


「ふふっ、驚いた顔もかわいらしいですね。頬を染めて、潤んだ瞳に私だけ映して、たまりません」

「え、あの、なんだかいつもと違いません……?」

「ふふっ、普段から自分を晒け出すことなんてしませんよ。あれは対外的に必要だから仮面をかぶっているだけです。私が仮面を取るのはミカエラ様の前だけです」


 そうなのだ、ふたりきりになった瞬間から穏やかな春の陽だまりみたいなヨシュア様は影を潜めて、獰猛な野生の肉食動物がこんにちはと顔を出している。


「それに先ほど『休憩しよう』とお誘いしたら、『はい』と答えられましたよね?」

「そ、そうですが、それがなにか…… ?」


 なんだろう、あの受け答えでなにか失敗したのだろうか? たったあれだけの会話で?


「それはつまり、私とベッドで休もうという誘いに頷いたということです」


 そんな隠語知りませんでしたー!! てゆか、なんなのその宿泊ですか、休憩ですかみたいな隠語は!?

 妖艶な微笑みを浮かべたヨシュア様はそのままわたしをベッドへ押し倒す。わたしの両手をベッドに縫いつけて、決して逃さないとギュッと握ってくる。


 うっとりとわたしを見つめるヨシュア様は、天界におわす神々の如く崇高でなにものにも代え難い。ヤバい、昇天しそうだ。


「あ、ああああ、あの、あの」

「ミカエラ、愛してます」

「はうっ!!」


 もうダメだ、トドメを刺された。今一瞬天国が見えた。


「貴女のすべてが欲しい」

「〜〜〜〜っ!!」


 最推しであるヨシュア様にそこまで言われて、わたしに断るという選択肢はなかった。




 結局そのまま休憩室で夜を明かし、ヨシュア様の腕の中で朝を迎えた。

 寝起きのヨシュア様が朝から神々しい。夢にまで見た最推し、いや最愛の人との朝チュンである。わたしはこの日を一生忘れない。


「これで、ミカエラは私にしか嫁げなくなりましたね。ふふ、嬉しいです」

「ヨシュア様……」

「名前」

「ヨ、ヨシュア……」

「ふふっ、よくできました。ご褒美に私の愛を注ぎましょう」

「ひぇっ!」


 ただでさえ神々しいヨシュア様はわたしにキスの雨を降らし、赤い花びらを散らしていく。そうしてぐずぐずになるまで溶かされて、散々愛された。


「私の愛しい人、ようやく手に入れた——」


 満足そうに微笑むヨシュア様の呟きは、わたしを溺れさせるには十分だった。




 ——後日、お父様から「まったく兄妹揃って……! 少しは皇族として貞操観念というものをだな…… 」とお説教された。

 どちらかというと姉妹揃ってなんだよなぁと思ったけれど、それは黙っておいた。



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