夜のいいわけ

川木

いいわけ

 何か、いいわけが必要だ。それはわかっていた。だけどどんないい口説き文句があるものか。私の頭にはなかなか浮かんでこなかった。


 私には恋人がいる。一つ年下で可愛くて格好よくて最高に素敵な彼女が。 

そんな彼女、忍ちゃんが私との恋人の関係をさらにステップアップさせようとしていることには気がついていた。

 付き合って半年以上が過ぎた。私としても吝かではないと言うか、求められたなら否と言う気はないし、いつでも応えるよう準備はしている。

 だと言うのに、あからさまに意味深にその目を潤ませた情熱的な目をむけてくるのに、忍ちゃんはあと一歩踏み込んでこない。


 だから、いいわけが必要だ。なにか、忍ちゃんの背中をおすような。この状況ならそんな気になっても仕方ないし、むしろ仕組まれたのだと自分にいいわけして私に手をだしてしまうような。

 そんな都合がよくて後から後悔してしまうこともなく気後れするようなこともないような、そんないいわけが必要だ。


 もちろん、私から直接的に言葉にだして誘えばステップアップすることは簡単だろう。だけどそうしてしまえば、何度も言おうとしてはためらって、その都度頑張ろうとしてくれてる忍ちゃんの勇気や努力を無駄にするようなものだ。忍ちゃんの自分から誘うと言う意思を尊重したいのだ。


 とは言えどんないいわけが一番忍ちゃんの心を動かすのか。それは私にもよくわからない。と言うことで、とりあえずお泊り会をすることにした。


 初めてのキスをしたのもお泊りをした時だった。あれから二回、お泊りをしているけどそれ以上の進展はないので、これだけでは足りないのはわかっている。


「えっ、ご両親はいないんですか」

「今日は母は実家に帰ってるわね」

「えっ、だ、大丈夫なんですか?」

「え? いえ、普通の意味でよ?」


 父はよく出張などでいないことがあるし、母の実家は日帰りするにはちょっと遠いのでたまに泊りで帰っている。小さい頃は私も行っていたけど、今はいいかなと。今回は忍ちゃんが泊まるから保安上大丈夫、と言って送り出した。

 でも言われてみれば確かに、実家に帰らせていただきます、と言うと夫婦関係が危ない印象がある。実際にはよく考えたらたまに実家に帰るくらい普通だ。


「そ、そうなんですね。びっくりしました」

「そう。今夜は二人っきりよ」

「っ、そ、そうなんですね。じゃあ、今夜は私が守りますから」


 ん? あれ、なんだか違う方向に意識されてるような。キメ顔で言われてちょっとときめいたけど。まあまあ、まだこれからだ。


 その後、買い物に行ったり晩御飯をつくったりして、なんだか新婚さんみたいな共同作業にときめいたりしていると、あっという間に夜になってしまった。


「あ、お風呂沸いたみたいですね」

「そうね、一緒に入る?」

「えっ…………え、え、遠慮します」


 めちゃくちゃ赤くなって目をそらされながら遠慮されてしまった。だけどそれも想定内だ。

 すでに経験済みなので躊躇うことなくお風呂場に向かった忍ちゃんに遅れる事10分。そろそろ体を洗い終わって湯船につかっている頃だろうか。

 こんこん、とノックをしてからまず脱衣所に入る。


「えっ? な、何かありました!?」


 脱衣所に入ると薄い扉ごしに焦ったような忍ちゃんの声が聞こえる。浴室の中からオレンジの光が見えている。湯船に入っているらしく、頭部の影がぼんやり見えるだけだ。でも、中に忍ちゃんが裸でいるんだと思うととってもドキドキしてしまう。

 ……やっぱり、さすがに大胆過ぎるような。いや、でも、このくらいしなきゃ!


「私も入ろうかと思って。背中をながしてあげるわ」


 緊張で声が震えそうなのを抑えつつ、震える手でそっと服を脱いでいく。


「いえいえ! もう流しましたから」

「あら、そう?」

「そうです!」

「そう。でももう脱いじゃったから、入るわね」

「!??」


 ここまで来たら飛び込むしかない。私は意を決してタオル一枚だけ手に持って気持ちだけ隠した状態でドアを開けた。


「……」

「お邪魔するわね」


 びっくりしている忍ちゃんの顔に、ちょっとだけしてやったり、なんて気持ちになって私は何でもないふりをしてお風呂椅子に腰かける。隣から見られていると思うと恥ずかしくて死んでしまいそうなので、とりあえず見ないようにしながら平静を装うためにシャワーを出す。クレンジングをして洗顔し頭を終えると少し落ち着いてきた。次は体、と思ってタオルをとって洗面器に手を伸ばす。

 洗面器は半分しまっている風呂蓋の上なので振り向いて、忍ちゃんと目が合った。


「っ! ……さ、先に上がりますね!」

「……」


 私から入ってきたのだし、肌をみせることで意識されることが目的だった。だけど実際にじっと見られていた、その真剣な程の表情を見てしまうと、軽口も出てこなくて黙って忍ちゃんを見送ってしまった。

 ばたんとしまったお風呂の扉に遅れて心臓がバクバクを音をたてる。うう。この調子でこの後、ちゃんとできるのかしら。


 私は緊張する心臓をほぐすようにゆっくり体を洗って湯船につかった。


 お風呂をでる。隣に忍ちゃんがいる状態で無防備に寝間着を身に着けるのは恥ずかしかったから、今までは下着をつけて普通のシャツを着ていた。だけど今日はそうじゃない。上をつけず、いつも着ているパジャマだ。

 風呂場を出るとまたドキドキしてきて、パジャマから突き出てしまいそうなくらいだ。すぅはぁと呼吸をしてから、自分の部屋のドアを開けた。


「お、おかえりなさい」

「ん? ただいま。どうしたの? 電気もつけずに」


 部屋は暗かった。布団の上にいた忍ちゃんが起き上がって迎えてくれた影は見えたけど、さすがにこのまま中に入るのは危ない。私は壁際のスイッチをかちかちして明かりをつけた。

 忍ちゃんはいつも通りの格好だ。動揺を引きづっているようでまだ顔は赤みがかっている。どきんとまた私の心臓が騒ぎ出す。


「い、いえ。ちょっとぼーっとしてたと言うか。ね、寝ましょうか」


 いつもなら夜更かしをしてしまうくらいなので、さすがに早い。でもそんな風に今日をおしまいにしようと言うくらい、いつも通りに振る舞えないというくらいに忍ちゃんもドキドキして意識してくれていると言うなら好都合だ。

 私は自分のベッド脇から照明のリモコンをとって掛布団にはいっている忍ちゃんの隣にすべりこむ。


「わかったわ、寝ましょうか」

「え、あの」

「今日は一緒の布団で寝ましょう」

「え、ええっ!? ど、どうしたんですか急に」

「はい、電気消すわよ。危ないから暴れないでね」


 位置関係を確認してから電気を消し、強引に忍ちゃんを押して一つの布団の中に一緒に入る。忍ちゃんの肩にふれるとまだほかほかで、並んではいると肩だけじゃなくて足先とか手先がぶつかって、布団の中は暑いくらいだ。でもまだ、足りない。

 忍ちゃんは触れ合った途端に足を引っ込めてしまって、私に背中を向けてしまった。まるで恐がる小動物みたいだ。それはそれで可愛らしいけど、今日は駄目。私は忍ちゃんに、勇気を出してもらうのだ。

 だから私はうるさい心臓を抑えながら、そっと忍ちゃんの背中に抱き着いた。


「よ、よ、読子さん?」

「忍ちゃん、こっち向いて」


 背中越しに、私のこの鼓動は伝わっているのだろうか。自分の心臓がうるさすぎてよくわからない。


「だ、駄目です」


 だけど伝わってないみたいで、忍ちゃんは声を震わせながらもそうつれないことを言った。


「どうして?」

「いや、あの、読子さんはその、読子さんには分からないかもしれませんけど、その……私は、悪い子なんです。すみません。さっきも、その、裸の読子さんに、い、いけない気持ちと言いますか、その、そう言う気分になっちゃったんです。だから」


 そうなってほしくてしているのだ。ここまでしてどうしてそれがわからないのか。私は緊張しすぎて、忍ちゃんの態度にいらっとしてしまって、最後まで言葉を待たずに起き上がり、忍ちゃんの頭を抱える様にして改めて上から抱きしめた。


「えっ、ちょ」

「聞こえない? 私の心臓の音」

「……き、聞こえます」


 ドキドキしてる。と言うか、忍ちゃんは私の動きに応えるようにして上を向いて、正面から私を抱きしめ返してくれた。それは望むところなのだけど、あの、忍ちゃんの呼吸が胸にあたって、すごい熱くて、ドキドキして、心臓の音を聞かせるつもりだったけど、普通に胸だし、早くもちょっと変な気にもなってしまう。


 悪いことを考えてしまう、悪い子。そんな風に自分を表現した忍ちゃんに、それは違う。その思いを出してほしい。一歩踏み出してほしい。その為の言い訳、悪い子でもいい、言い訳。

 なんて、全然頭に浮かばない。もう駄目。私の頭の中には目の前の忍ちゃんでいっぱいいっぱいで、いい言葉なんて何も浮かばない。


「私も……私も悪い子なの。だから、私と一緒に、悪い子でいてくれない?」


 いつもたくさん本を読んでいるのに、こんな時には何も言葉がでてこなくて、私はただ自分の気持ちをそのまま伝えるしかできなかった。


「よ、読子さん……!」


 忍ちゃんは私のことをぎゅっと抱きしめてから顔をあげて、私に口づけた。今までで一番情熱的なその口づけに、私は忍ちゃんの全部を受け入れた。


 この時の私は色々考えて、あれこれお膳立てした気になっていた。でも結局、一番いいわけが必要だったのは、私だったのだろう。忍ちゃんの意志を、なんてのがまず、私のいいわけだったのだ。

 そんな今更のことに気が付けるのは、全部終わって何度もいいわけを繰り返して、一緒の布団に入るのにいいわけなんていらなくなってからだ。


「ねぇ、忍ちゃん。もうちょっと、悪い子の気分?」

「……しばらく、いい子になれないかもしれません」


 だからそれまで、もう少し、私たちには形ばかりのいいわけが必要になるのだった。

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