第35話 焦がされ【綾香目線】

 春臣の布団に潜んでいた沙耶乃の出現にただただ驚く。私たちが幼く仲の良かった頃は三人でよく川の字になって寝かされていたものだが、いくら兄妹であっても十七にもなって二人で寝ているだなんてあり得ない!


 兄妹というより、それこそ男女の仲だ。


 布団をまくり、私の前に出た沙耶乃はおへその見えるキャミソールにパンティのみという破廉恥はれんちきわまりない出で立ちで春臣を誘惑していたに違いない。


 許せない!


 沙耶乃は春臣と寝ていたのだ。こんなことを今更言うのは間違ってる。けど沙耶乃に春臣を奪われて、分かった。なんでもっと春臣に対して素直になれなかったんだろう?


 自分の所有物だと思いこんで邪険にして、捨てても戻ってくる犬のように扱っていたら、他人に拾われ飼われてしまい新しい主人に懐いている。それがよりにもよって沙耶乃だなんて、私には到底許容しがたい事実。


 訊ねるのは正直怖い……。


 だけど問い質したくもあって、私にマウントを取る沙耶乃に対して、ストレートに切り込んだ。


「えっち……していたの?」

「さあ? 綾香ちゃんのご想像に任せるね」


 私が訊ねると肉体関係についてははぐらかしつつも余裕綽々な笑みを浮かべる沙耶乃に心底ムカついた。


 私と沙耶乃が険悪な雰囲気で常に冷戦状態にあるにもかかわらず、すやすやと穏やかに眠る春臣。着衣の乱れはないので、おそらく沙耶乃はこっそり忍びこみ添い寝をしていたように思える。


 キャミソールを着る沙耶乃の肩や首筋からもキスマークと思しき、あざもないことが確認でき、ほっと胸をなで下ろした。


 まだ挽回のチャンスはある!


 だけどいつ春臣が沙耶乃に心を許してもおかしくない。黄泉坂49のセンターという誰もが知り、憧れる存在だった白石さやこと、沙耶乃に迫られて落ちない男なんていない。


 絶対に私が負けたくない相手だ。


 だけど側にいるだけで劣等感を意識させらてしまうほど、女性である私から見ても沙耶乃は綺麗でいて、仕草のひとつひとつ取っても男心をくすぐるかわいさにあふれている。


 春臣がときおり見せる私への視線……。


 乙葉さん譲りの優しげな瞳に陽平さんの力強さを備えていたが、私に向けるあの熱い眼差しは冷めきり、いまは沙耶乃へと注がれている。


 女なら分かることだが、男から向けられる視線には敏感だ。この人は私を愛してくれているか、それとも性欲にまみれたいやらしい視線なのか、とか。


 もちろん春臣が時折いやらしい目で私を見ていることも知っていた。でもでも悠斗や健司や他の男子ならいざ知らず、春臣ならいいかもとは思っていた。


 本当は春臣とファーストキスどころか、処女と童貞を交換プレゼントするつもりが突然割って入って奪い取った沙耶乃に心の奥底から煮えたぎるように憎悪が沸いてくる!


 私はあえて沙耶乃を蔑むように上から目線で彼女に訊ねた。


「毎日、春臣と寝ているとか?」

「うん、綾香ちゃんにはできるわけないよねー。お兄ちゃんのこと、邪険に扱ったんだから!」



 く、悔しい……。



 上手くいかないことの八つ当たりをすべて春臣が優しいことをいいことにぶつけていたことが、後悔を生んでしまっている。本当は春臣にぜんぶ捧げるつもりでいたっていうのに。


「ダメだよ。綾香ちゃんがお兄ちゃんにキスしたり、えっちすることなんて絶対に許さないんだから! お兄ちゃんは私の恋人なんだからね」


 沙耶乃も女の子だけあり、私の行動は読まれてしまっていた。乙葉さんにお願いしたのも沙耶乃の隙を突くつもりでいたからだ。


 だけど同衾していたなんて計算外としか言いようがない。


 頭痛を覚えたので、私は額を手にやりため息を吐き出した。


「んん……ふぁーーあっ!?」


 私たちがバチバチと火花が飛び交うような視線を差し合っていると、そんな険悪な攻防のなかでもすやすやと眠っていた春臣がようやく目覚めていた。


「お兄ちゃーん、おはよ!」


 沙耶乃は小さな頃から春臣にべったりでスキンシップ過剰に思えた。それは今も変わっていないと言わんばかりに沙耶乃は春臣に屈託のない笑顔で抱きつき、恋人というより妹のように甘えていた。


「沙耶乃ッ!? なんでまた……しかもなんて格好してるんだよ!?」


 沙耶乃はエロティックな下着を選ばず、春臣が好きそうな淡いピンクにフリルとリボンのついたかわいらしいパンティを穿き、内股をもぞもぞさせ恥ずかしそうに春臣に見られることを楽しんでいた。


 ときおり私にどうだ、といわんばかりの目線を送りながら……。


「くっ!?」

「えっ? 綾香!?」


 せっかく乙葉さんが春臣に謝るという機会を作ってくれたというのに、沙耶乃に阻まれるどころか、まるでバカップルのような恋人同士のいちゃいちゃを見せつけられ、嫉妬と悔しさのあまり、春臣の家を飛び出すように立ち去ってしまっていた。



――――学校。


 クラスメートだけじゃない、私のやらかしたことで美穂と奈緒子との関係はもう修復不可能なところまで来てしまっていた。



 朝のHR後に担任の玉環たまきと話をする。



「茅野さんなら、理由は薄々感づいていると思うけど、芳賀くんと服部くんが退学になったの。二人はあなたに酷いことをしただけでなく、それまでにたくさん悪いことをしていたって聞いて驚いたわ」


 はあ……。


 玉環の鈍感さには腹が立つ。悠斗と健司が玉環にセクハラやクラスメートをいじめていたことぐらい分かっていたことじゃない。


「先生は気づいてなかったんですか? だからクラスが乱れてたんですよ」


 私は嫌みったらしく玉環に言ってやった。


「そうよね……私、みんなに迷惑をかけてしまっていたと思うんです」


 生徒の前でぐすぐすとすすり泣く私より七つも年上の世話の焼ける女教師が面倒でならない。


 私がハンカチを渡そうとすると、「ごめんなさい、あるから」とポケットから取り出し、玉環は涙を拭う。


 まだ裁判すら始まっていないけど、陽平さんの見込みでは悠斗は危ない薬の影響か、医療少年院、健司はよくて少年院、悪くて少年刑務所で二人とも鑑別所で保護観察程度では済まされないだろうとのことだった。


 いくらちやほやしてくれると言っても、人付き合いは考えないといけないと思い知らされた出来事で思わず、現実逃避したくなってしまう。


 パイプ椅子に座って、涙を拭っている玉環を差し置いて、むくりとベッドから起きあがり、ベッド周りを覆っていたカーテンを開け放つとジャージに着替えたうちのクラスの男子たちが体育の授業中だった。


「いち、にい、さん、しい……」


 数字のようなかけ声が保健室のなかまで響いてくる。そのなかには春臣も含まれており、他人からすれば何気ない仕草も私にはきゅんと心を締めあげ、苦しくさせる。


 玉環が次の準備があるからと保健室を後にすると、私は保健室を抜け出し、廊下を走っていた。


 着いた先は誰もいなくなった教室。


 そーっとドアを開け、目的の場所へとたどり着くと周囲に誰もいないことを確認し、スカートの裾をめくっていた。


「は……春臣ぃぃ……」


 春臣を思う切ない声が漏れてしまう。



 私は完全に狂ってしまっていた。



 沙耶乃に春臣への接近を何度もはばまれると、まるでロミオとジュリエットのように恋は燃えあがる。いえ、ただのわがままなジュリエットに過ぎないのだけれど。


 春臣への想いが募り切りそうになったときだった。


「綾香……なのか?」


 ビクゥゥゥッ!!!


「なんで春臣がここに!?」


 ついさっきまで保健室の窓から見えた春臣の姿は今まさに目の前にある。後ろから春臣に声をかけられ、私は驚いて思い切り、机の角にぶつけてしまっていた。


「あふんっ!?」


 思わず変な声が漏れたが、さっきまでの秘め事が悟られないように極力平静を装う。


「なにしてんだよ、綾香! また、嫌がらせしてんじゃねえだろうな?」


 春臣は顔を強ばらせ、私を押しのけて机に異常がないか確認していた。

 


 ま、マズい……。



 角がうっすらと染みになってしまっている。春臣はまじまじと染み見つけたかと思うと化学の実験で刺激臭のする気体を嗅ぐように手であおって匂いを確かめていた。


 や、やだ……、春臣が私のあれの匂いを嗅いでいるなんて!


 私は思わず、息を飲んだ。


 さっきまで机の角で行っていた湿っぽく熱を帯びた恥ずかしい行為を春臣がなじってくることを期待して。


『な、なにもしてないわよ』

『嘘つくんじゃねえよ、机の角が濡れてる理由を言ってみろよ』


 春臣は机の角に指を差して、確認するように促すが、私は目を逸らして知らぬ存ぜぬを通すつもりだった。


『し、知らない』

『じゃあ、おまえの身体に訊いてやるよ』

『や、やだ……止めて……』


(がっつり、やっちゃってください)


 春臣は机の角に付着した粘り気を帯びた湿りを人差し指と中指の二本で掬いとり、私の身体を強引に引き寄せ、口へと運ぼうとしていた。


 咥えさせると、にやりといやらしい笑みを浮かべて、スカートをめくりパンティのなかへ……。


『だ、だめぇぇぇぇーーーっ!』



 はぁ……はぁ……。



 誰もいない教室で春臣に強引に押し切られた私は……春臣に処女を捧げるの……。思わず、破廉恥な妄想をしてしまった私だけど、現実は……。



「嘘つくんじゃねえよ、机の角が濡れてる理由を言ってみろよ」


 キタキタキタァァァァーーーッ!!!


「し、知らないわよ」

「フッ酸でも仕込んでねえよな?」


 へっ!?


 フッ酸ってなに?


 とにかくよく分からなかったが、むしろ春臣に仕込んで欲しい私は即座に反論した。


「そんなことしないわよ!」

「どうだか……よくあるんだよなぁ、こじらしたファンがさ、アイドルの顔に強酸をかける事件が!」


 私がそんなことするわけがない!


 あ……でも春臣に酷いことをしたのは覆しようのない事実だけど。


「私はフッ酸なんてもの、知らないから」

「ほんとかよ? 交際を断られたから同僚の靴にフッ酸を仕込んで、足指の骨を壊死えしさせたって事件があったんだよなぁー」


 私に解説しながら、ちらちらこちらを見て怪しむ春臣。今までのことがあるから疑われても仕方ないことなんだけど、春臣にそこまでしようと思ったことなんて一度もないんだから!


 私は思わず涙があふれてきて、


「春臣なんか、机の角に頭をぶつけて、死んでしまぇぇーーー!!!」


 捨て台詞を吐きながら、愛しの春臣の下から走り去ってしまった。


「ええっ!?」


 後ろから春臣が驚いてる声が聞こえてきたが、振り返ることはない。保健室に入ると養護の先生は居なかったが、そのままニュートラルポジションへと戻る。鈍感過ぎる春臣にいら立ち、保健室のベッドで悶々と過ごしていた。


 春臣の前では素直になれない自分がもどかしくて仕方がない。あんな酷い振り方をしたけど、私は本当に春臣のことが大好きだったと思い知らされた。


 ずっと布団にくるまり、考えていると妙案が浮かんできたのだ。


 そっか、簡単な手があるんじゃないの!


 沙耶乃と春臣を分断する有効な手立てが。なんでもっと早くに気づかなかったんだろう。これなら、確実に春臣は私のもの……ふふふ、沙耶乃見てらっしゃい、今度はあんたが吠え面かく番よ!

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