参考書
@Bekomimi
参考書
こつ、こつと小気味の良い靴の音が、私とともにフロアを所狭しと歩く。平日の昼間の本屋は実に閑散としているものだ。なぜここに来たのだろうか。私はわからないまま、夢遊病患者の如く、「高校参考書」の棚へと向かっていく。
平置きされている人気参考書と、背景のカラフルな背表紙群に圧倒される。これは昨年、Aが絶賛していた数学の問題集だ。あれは昨年、Cが愛用していた世界史の用語集だ。そしてあれは、そうだ、Kが昨年肌身離さず持ち歩いていた単語帳だ。相当な難易度であるらしい。私はその単語帳を手にとってみようとしたが、身長の低さが祟って、棚に手が届かない。背伸びをしなければいけないか。足に力を入れ、つま先に全体重を預ける。単語帳に指がかかった、と同時に私の平衡は奪われる。ぐらっと背中から尾骨にかけて単語帳の表紙の色のような鈍い痛みが駆け巡る。一寸、立ち上がるのに手こずっていると、単語帳は、転んだ拍子に私の手提げ鞄に入ってしまっていたようだった。単語帳は鞄から私を睨む。眼前の至って尋常な様子に私は言いようのない高揚を感じていた。それは知識の支配と掌握だった。この単語帳は私の働き掛けなしに鞄の中から這い出ることはできない。実に愉快だった。
恍惚も束の間、私は一心不乱に参考書を鞄に詰めていく。八冊目ほどから鞄の中で、売り物が売り物でなくなる音が聞こえ始める。まさに暴力的な支配だった。まだ詰め込む、まだ、まだ、まだ。
私が気を取り戻したのはざっと三十ほどの参考書を鞄に詰め込んだ後だった。私は知っている。このような時は決まって涙が流れるのだ。私は何も成し遂げていない。その場に座り込んで、幼児のように泣き喚く。閑散としていた本屋に、俄かにこつ、こつと音が増えていく。その音が私に近づいてきているか、遠ざかっているのか、私にはわからなかった。
参考書 @Bekomimi
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