第9話
そんな日々が一月ほど続いたある日、朝目覚めると初江は旅立っていた。まるで眠るように綺麗な顔で、ワシに心配をかけることなく1人で逝ってしまった。
葬式を終えた数日後、ワシは何かに呼ばれるようにふと縁側に座った。夕方の涼しい風が風鈴を揺らし、手入れのされていない庭を草木が踊る。
初江のいない部屋がどうしようもなく寂しい。そう感じた途端に、それまで涼しかった風がぴたりと止み、草木も息を潜める。訪れる一瞬の静寂。
微かに頬を撫でた風は、懐かしい温かさをしていた。風鈴は音もなく揺れ、線香から登る煙の糸も揺らいでいる。
「初江…」
気づいた時には、カメラを手に必死にシャッターを切っていた。縁側、風鈴、台所、目につく場所、感じる気配。ファインダー越しには確認できないが、そこに彼女がいる気がして。静かな部屋に、カシャ、カシャという心地よい音だけが響く。
頬を撫でた温かさが、頬を伝う温かさに変わる。ファインダーが霞んで、指先が震えて、シャッターを上手く切れない。
風鈴の音色に、ハッと我に帰る。
願いを込めて選んだ、四葉のクローバーの絵柄。叶わないかもしれないが、気晴らしになればと選んだ鮮やかな緑。宙を見つめる初江に、話しかけるように、励ますように、澄んだ音色を届けてくれた。彼女にとって、きっと良き話し相手だっただろう。
そんな素敵な友人が、今度はワシを励ましてくれている。そんな気がした。
祖父の目に涙はなく、変わらず穏やかな表情が滲んでいた。手にはしっかりとヘッドフォンが握られていた。
焦点のあっていない写真達は、確かに祖父の心を動かしたその瞬間の記録。そう思うと、一枚一枚に意味が、想いが、見えない祖母の姿が感じられる気がした。
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