梅花鷹匠物語・番外編

牧瀬実那

狐が嫁に入った話

「狐憑き、かい?」

 横になったままきょとんと目を丸くする主・盛一郎せいいちろうに、無理もないと森羅は苦笑した。


 日々拓かれていく江戸では元々住んでいたモノと人の諍いが絶えない。中でも狐憑きなど狐狸に関わる訴えは最低でも一日三件は届き、初めは律儀に詳細を書き付けていた盛一郎でさえとうとう「もう嫌だ」と書きかけの半紙を投げ出して焚き付けに回してしまったほどだ。

 以来、類似の案件は直接報告せず終わらせるようになったのだけれど。


「少々変わった事件だったので、寝物語がてらお話ししようかと思った次第にございます」

 と、わざと大袈裟に言うと、興味を持ったのか主がどれと身を起こしたので、森羅は羽織をかけながらしめしめと密かに喜んだ。


 緒方盛一郎は驚くほど体が弱い。常に棺桶に片足を突っ込んでいると言っても過言ではなく、二十歳を過ぎた今でも時折「今夜が峠か」となることがある。

 当然家督を継ぐのは難しく、早々に家のことは全面的に弟へ譲り、こうして離れで隠居生活を送っている次第である。

 とはいえタダ飯食らいも性に合わなかった盛一郎は、最終的に人ならざるモノが見える体質を活かして彼らと人の諍いに沙汰を下す仕事に就いた。

 

 ――まあ臥せってることが多いから、実際に調べに行ったり現場に出るのは僕なんだけど。


 盛一郎の姿勢が楽になるよう、もみ殻の入った枕の、ひとつは背中に、もうひとつは盛一郎自身に抱えさせながら、森羅は誰にともなく説明した。

 転がっていることの多い盛一郎はおおよそ退屈しており、あれこれと理由をつけて外に出ようとするので、家の者たちはいつも頭を悩ませている。

 少しでも退屈を紛らわせようと、自然と皆土産を買ってくることが多くなった。森羅が事件の顛末を語って聞かせるのも、そんな土産のひとつだ。

 未だに上手く話せる自信は無いものの、どんな話だろうと盛一郎は幼子のように目をきらきらと輝かせて聞き入るので、森羅も語りがいがあると日々張り切っている。

 

「それで、どんな話だったんだい?」

 わくわくと身を乗り出す盛一郎の傍らに座ると、森羅は語り始めた。


 

 此度は、ある長屋に暮らしている佐吉という男からの頼みでした。


 佐吉は所帯を持っているのですが、妻のおタエという女がなかなかの曲者で。

 やれ腰が痛い、やれ頭が痛い、と何かにつけてごろ寝をし、家事もろくにしない始末。

 佐吉も不満はあったものの、男の多い江戸では妻が居るだけ有難いもの。更に元々優しい性根から「寝かせておいてやろう」と気遣っておりました。


 けれどある日、仕事道具を取りに家へ戻る途中で、呑気に茶屋で団子をほおばっているおタエを見つけてしまいました。

 

 最初は「ああ、今日は調子が良くなったのだろう。いつも辛そうにしているのだから偶には団子のひとつやふたつ構いやしない」と流して済ませたのですが、次の日も、また次の日もおタエが出掛けているので、流石におかしいと思い、茶屋の主人らにそれとなく尋ねてみたそうです。

 そうしたらなんと、おタエは毎日遊び歩いていると言うのです。

 早いときでは佐吉が仕事に出て四半刻もしないうちに芝居小屋へ遊びに行っているようで、贔屓の役者が居るらしいと聞かされたときは、佐吉も開いた口が塞がらなかったとか。


 普通の人ならカンカンに怒るところなんですが、惚れた弱みか優しさか、佐吉はおタエを責められませんでした。

 せめて少しは家事をしてほしいと、遠回しに頼んでみても、開き直ったおタエから反対にあれこれ言い返されてしまう有様。

 ほとほと困り果てた佐吉は、とうとう近くに出来たお稲荷さんへ神頼みに行ったそうです。


 すると不思議なことに、その翌日からおタエはこれまでと打って変わってきちんと働くようになりました。

 しかも性格も穏やかで慎ましくなり、もはや別人のよう。

 初めは感動していた佐吉も、流石に幾日と経たないうちに不気味さの方が勝ちました。方々に相談へ行き、流れ流れて僕らのところまで上がってきたわけであります。

 


「それは確かに不思議な話だねぇ」

 盛一郎は枕に身をもたげながら首を傾げる。

「普通狐憑きといえば、恐ろしい悋気を持ったり、人とは思えないような唸り声を上げて暴れたりするものだけれど、おタエは真逆じゃないか。それにお稲荷さんに行ってるのに狐に憑かれるのもおかしなもの。本当に狐憑きなのかい?」

 盛一郎の質問にうんうんと森羅は頷いた。

「他の人も同じように考えて相手にされなかったそうです。僕も最初はいいんじゃないかと言ったんですが、どうしてもと泣きつかれてしまったのでひとまず様子だけ見に行くことになりました」

「ふむふむ」

「結論から言いますと、おタエは確かに狐に憑かれていました」

「なんと。一体どういう事情だい?」

 先を急かす盛一郎に、そう興奮されてはお体に障りますとなだめながら、森羅は続きを語った。



 おタエに取り憑いていた狐はという白狐でした。

 白狐といえば真っ先に思いつくのは稲荷の遣い。りんもまた稲荷に仕える神使しんしです。

 ただ、りんはまだ神使となって日が浅く、厳しい修行についていけなくなっていました。

 そこへ佐吉が「おタエが心を入れ替えますように」と願いに来たので、あっと閃いたりんは神社を飛び出しておタエに取り憑くことにしたのです。

 佐吉の願いは叶うし、自分も厳しい修行から逃げられる。まさに一石二鳥だと考えたのだとか。

 けれど、元々神使になるほど生真面目だったのが仇となって、佐吉に怪しまれることとなったのです。


 りんは、流石神使と言いますか、人の真似がとても上手い上に気配を隠すのもお手の物だったので、初めは僕も気付けませんでした。

 念の為に佐吉が行ったというお稲荷さんを訪ねたところ、りんよりも位が上の白狐がなにやら困っている様子。話を聞くと「新入りが逃げてしまった。神使となることで住むことを許してもらったのにどうしよう」というので、もしやと思って佐吉のところへ案内したらこれが大当たり。

 あえなくりんは御用となり、おタエも元通りとなった次第です。


 めでたし、めでたし。


 

「なるほど。仏門に入った者があまりの修業の厳しさに逃げ出す、という話はよく聞くけれど、神使の世界もおんなじなのだねぇ」

 どこも楽な道というのは無いねぇ、としみじみしていた盛一郎は、ところで、と森羅の方を見る。

「めでたしめでたしと言っていたけれど、これは本当にめでたしと言っていいのだろうか? 話を聞く限りだとりんは逃げ出したいような修業へ連れ戻されているし、佐吉はまたおタエのぐうたらに耐えなくちゃならないんだろう?」

 至極当然の疑問に、森羅は苦笑した。

「もちろん一筋縄ではいきませんでしたよ。りんはさめざめと泣くし、上位のお狐様――というんですけど――は般若と見間違うほどカンカンに怒るし。佐吉もオロオロし通しで」そのときの様子を思い出したのか、森羅は少し遠い目をしてため息をこぼした。「一応、僕の依頼主は佐吉なので、彼にどうするか訊きました。そうしたら、暫く悩んだあと『自分はやっぱりおタエに帰ってきてほしい』と申したので、ういと一緒にりんの説得に励みました」

「よく説得できたね」

「ほら、僕の腕が良いですからこう舌先三寸でちょちょいのちょい! と言いたいところですが、本当のところは佐吉のおかげですね」


 そこで一度話を切ると、立ち上がって薬缶に手を伸ばす。そして、少し起き上がっているのが苦しくなってきたらしい盛一郎に白湯を渡した。

 ほんのりと湯気が立つ温かい白湯を、ふーふーと冷ます盛一郎を見守りながら森羅は話を再開する。


「佐吉ってば、『りんには世話になった恩があるので、つらくなったら時々おタエを通してうちにおいで』って、りんに言ったんです」

 おやまあ、という盛一郎に、森羅は何度目かわからない苦笑を浮かべた。

「なんだかんだ、佐吉もりんのことが気に入ってたんでしょう。りんは飛び上がるように喜んで、それなら帰りますと二つ返事で言うものだから、僕もういも呆気に取られてしまいました。ういはめちゃくちゃ渋りましたけど、たまの息抜きくらいあった方が修業にも精が出ますよ、と口添えしたら、最後には許してくれました」

「それはそれは……大変だったね」

「ええ、大変でしたよ」

 だから甘いもののひとつでも食べたくなるのです、と森羅は盛一郎の見舞いの品にしれっと手を付けた。

 いつものことなのか、盛一郎がそれを咎めることはない。

「それにしても、きっぱりとおタエと別れられないというのは、なんとまあ、人は難しいものだね」

「そうですねぇ。僕にはさっぱり」

「私もだよ」

 揃ってしみじみとし、森羅は改めて主に問うた。

「いかがでした?」

「うん、面白い話だったよ。記録に残しておこう」

 にっこりと笑う盛一郎に、良かったと森羅は胸を撫で下ろした。これで当面の間は外に出たいと言い出すこともないだろう。

「ついでにお狐様とも御縁が出来たので、これからは使える伝手がひとつ増えましたよ」

 ふふん、と誇らしげに胸をそらすと、盛一郎はちゃっかりしているとくすくす笑った。

「では今度、私もうい達にご挨拶に伺わなければね」

「あ」

「こればっかりは一番上の者としてきちんとしないと。そうだろう?」

 これまでで一番にっこりと笑う盛一郎に、余計なことを言った!と悔やんでももう遅く。

 後日、森羅は一番良い油揚げを買う為に市中を走り回る羽目になるのだった。

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