それは無理だと思うのです

梅崎あめの

短編

 この国では、十三歳になると全寮制の学舎に五年間通うことになっている。

 公爵令嬢であるアリシアも入学をとても楽しみにしていた。



「アリシア。嫉妬にかられ、ミアに嫌がらせしただろう。お前のような女とは婚約破棄だ!」



 ある昼下がりのこと。


 アリシアが日課である学舎内巡りを楽しんでいると、突然、背中越しに不機嫌な声で呼び止められ、いきなり婚約破棄を宣言された。


 とても不快な行動ではあるけれど、淑女たるもの、どんな時にも冷静でなければならない。

 小さく息をつき、アリシアは振り返った。


 そこには、金髪碧眼の見た目だけなら理想の王子様であろうこの国の第二王子と、その腕にぶら下がる桃色の髪に紫色の瞳のとても可愛らしい男爵令嬢がいた。


 アリシアの婚約者であった第二王子は、アリシアの身に覚えのない行為を、アリシアがやったと決めつけた。それは絶対に無理であるというのに。


 アリシアが不躾な二人の行動に眉を顰め返事をしないのをいいことに、目の前の二人はアリシアがやってもいないことをアリシアの罪として並べ上げいく。



「殿下、それは無理というものですわ。わたくしはあなた方には触れられませんもの」



 アリシアは、自身の透けた手に視線を落として確認したあと、至極当たり前のことを指摘したが、目の前の二人には残念ながら理解出来なかったようだ。

 アリシアの言葉に、二人は首を傾げている。



「何を馬鹿な言い訳を。触れないとはなんだ、触れないとは!」

「殿下ぁ、怖いですぅ」



 理解を放棄したらしい二人にそのままの意味ですけど、と言ってしまいたかったアリシアはぐっと堪えた。

 淑女たるもの、思ったことをそのまま口に出してはならない。

 どこで誰が見ているか分からないからだ。

 例え、今はこの二人にしか視えていないとしても。



「全く、お気付きにはなりませんの?」

「だから、何がだ!」



 アリシアの疑問に、婚約者だった第二王子は怒り口調で返した。

 そんなに短気ですと後で足を掬われることになりますよ、とアリシアは思った。

 最も、もう遅いかもしれないが。

 節穴のような目を持つ二人に、アリシアは自身の足元を確認するよう促すことにした。



「わたくしの足元をご覧になって?」



 アリシアの言葉に、二人の視線がアリシアの足元へと移動する。

 貴族令嬢であるアリシアが、自ら足元を見るよう促すのは、少々はしたないかもしれない。

 だが、アリシアには節穴のような目を持つ二人に分かりやすい方法が他に見つからなかったのだ。


 アリシアに言われるがまま視線を移動し、確認した二人の表情はみるみるうちに青くなっていく。

 本来あるべきはずのものがないことに気付いたらしい。ついでにアリシアの身体の違和感にもやっと気付いたようだ。



「お、お化けぇっ……」

「全く失礼ですね。生きておりますわ」



 可愛らしい男爵令嬢の言葉に、アリシアは抗議した。

 その言い方には、とても傷つくのだ。

 やっと気付いてくれて良かったが、その反応は嬉しくない。



「いや、どう見ても死んでるだろう……」



 この王子も失礼な発言である。

 仮にも婚約者だった女性に対してもだし、相手は乙女であることを忘れているのではないだろうか。

 実に紳士らしくない発言だ。


 第一、アリシアはまだ生きているのである。

 勝手に殺さないで頂きたい。

 単に、今はちょっと透けていて足がないだけだ。



「というわけで、わたくしはこの状態ですので出来ませんの」

「いや、ミアに嫌がらせした後にお前は死んだんだ!」



 今度こそ無理だということを理解して頂けたかとアリシアは思ったが、そうはいかなかったらしい。

 相変わらず失礼な王子だが、確かに、いつからアリシアがこの状態であるかで色々なことが変わってくるだろう。


 そのことをアリシアの一存で知らせていいものかどうか悩むところだが、己の冤罪を晴らす為なので仕方がないと、きっと王家も実家も許してくれるだろう。



「……殿下、お忘れですの?」

「何がだ!お前はいちいちしゃくにさわる言い方だな。この私を馬鹿にしているのか」

「ええ。馬鹿にしておりますわ。あなたのような、三歩どころか一歩を歩く前に全て忘れてしまうような鳥頭の方」

「おい、お前……」



 少々棘のある物言いになってしまうのは、お化けやら死人扱いされて傷ついているからだ。

 そして、もうひとつ。

 この王子がとても大事なことを忘れているからだ。



「わたくしはこの学舎に入学する前から昏睡状態ですのよ?……あなたのせいで頭を打って」

「何を馬鹿なことを……え……?」



 アリシアの言葉を否定しかけた王子の顔色が変わった。

 この一年ほどの間、王子の周囲の人間は誰もそのことを本人に伝えはしなかった。


 記憶喪失になった王子を気の毒に思ってなのか。

 それとも王家の顔色を伺ってのことか。

 アリシアはその理由を知らないし、興味もない。


 アリシアに分かるのは、目の前のこの男によって日常が壊されたこと。

 楽しみにしていた学舎生活を台無しにされたこと。

 ただ、それだけである。



「ご自分がしでかしたこともお忘れになって、腫れ物のように扱われてお気の毒に。あなたも、こんな男のどこがいいのですか。中身空っぽですのよ?」



 不穏な雰囲気を察して、途中から置物となっていた男爵令嬢は急ぎ足で去っていった。

 この王子の未来がないことに気付いたのであろう。

 きっと次の獲物を探すに違いない。


 最も、男爵令嬢本人より遥か上の身分であるこの国の王子に敬意も払わずまとわりつき、誰もいないはずの場所に何度も話しかけていた彼女を相手にする男子生徒がいるのかは、アリシアには分からないが。



「はあ、頼にもよってわたくしを視えるのがこの二人だなんて……」



 青い顔で頭を抱えたままうずくまっている王子を一瞥して、アリシアはまた学舎内巡りに戻ることにした。

 きっと、王子は後で誰かが回収して王家に連絡がいくことだろう。


 ふとアリシアが視線を感じた気がして振り返ると、そこに男子生徒がいたが、きっとアリシアのことは視えてはいないだろう。

 今までも、ずっとそうだったのだから。



 ◇



 公爵令嬢であるアリシアとこの国の第二王子との婚約が決まったのは、アリシアと王子が六歳の時である。

 身分が高く王子と同い年である、という理由であった。


 貴族である以上、本人の意思と関係なく結婚が決まるのは、仕方がないことである。

 アリシアはそこに異を唱えるつもりはない。

 初対面の時から王子が非常に突っかかる物言いだったのは少々不快ではあったが。


 顔を合わせる度に言い合いになることはよくあった。でもまさか、言い合いの末に突き飛ばされて、頭を打って昏睡状態になるとはアリシアは思っていなかった。


 こんなことになるなら、無理にでも婚約解消をして貰えるよう両親にお願いすれば良かった。

 アリシアは浮遊霊のようになってから、何度も後悔した。


 事件は月に一回の婚約者の義務の茶会で行った。

 事故のあと、王家はその事実を隠蔽することにした。

 王子がアリシアを昏睡状態にした事故をなかったことになり、アリシアと王子の婚約そのものもなかったことになった。

 幸いまだ学舎に入学前で二人の婚約を知っているのは身内だけ。なんとかなるはずだった。


 王子本人は何も知らない。

 自分が突き飛ばした相手が意識をなくしたことに衝撃を受けて、錯乱の末に記憶を失くしてしまったのである。

 王子の中では、事故そのものがなかったことになり、アリシアとは婚約継続中のままだ。


 王子の記憶が戻ることを恐れて、王家は事故の事実を本人には伝えないようにした。

 婚約だけは「なかったことになった」と伝えても、王子は何度聞いても忘れてしまうのである。



 王子と男爵令嬢が断罪に失敗したその後、アリシアの元婚約者である第二王子の幽閉が決まった。日常生活を送れるような状態ではなくなってしまった為だ。


 男爵令嬢は婚約相手が見つからず、学舎を退学し修道院に向かった。

「私、呪われているかもしれないわ」と譫言うわごとのように呟いていたそうだ。


 アリシアは王子の幽閉が決まってから意識を取り戻し、暫くの療養生活を経て、学舎へと入学した。

 その後、婚約した相手があの時にアリシアを視ていたと知るのは、また少し先のお話である。

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