8話 旧図書室とヒカゲモノ。
古びた木造の建物は、今日も青白く光っていた。
老朽化が進んでいて、歩くたびに板張りの床がキィキィと悲鳴をあげる。籠った空気がかび臭くホコリが鼻を刺激してむず痒い。
それ以外は思っていたほど異常なこともなく、廃墟好きにはたまらないスポットだろう。
ある程度見てまわった結果、旧校舎には玲那は来ていなかった。所詮は素人の推理もどきだ。それはもういい。
問題は目の前のこれである。
青い燐光を放つの扉。
図書室らしいのだが、扉の隙間から青白い光が漏れ出ていて、見るからに怪しい。
恐る恐る、扉に手をかける。ゆっくり開けると、隙間が開いていくうちに青い光は霧散して何もなかったように消えてしまった。
中に入る。どんな脅威が待っているのかと身構えていたが、それは意外にも普通の光景だった
図書委員が制作したであろうポスター、おすすめ図書コーナー、空っぽの本棚も多いが今でも図書室として使われているような雰囲気が残っている。
まるで時が止められていたような風景だ。
それでも、よく見ると棚の本はどれもくたびれていてホコリをかぶっていて、運動部や生徒達の喧噪も聞こえない。異様なほど静かだ。
「誰?」
不意に声をかけられ、息を飲む。
息が止まるほどの静寂の中、声の方に振り返ると黒髪の女子生徒が怪訝そうに細めた目で僕を睨んでいた。
「あ、いや、すみません。人がいるとは思わなくて……」
「もしかして、一年生でしょうか?」
「はい。そうですけど……」
彼女は緊張が解けたかのように浅くため息をふぅっと吐いた。
「どうせ、旧校舎に出る女生徒の霊なんて噂を聞いて来たのでしょ? 」
「え?」
「違いましたか?」
彼女が首をかしげると同時に肩にかかった長い黒髪がサラサラと落ちた。
「では、あなたは何をしにいらしたのですか?」
僕が正直に異界へ繋がる旧校舎の話をすると「やっぱり、そうなんですね」と呆れたように言った。
そういう彼女はどうしてこんなところにいるのだろうか。その疑問を投げかける前に彼女が話し始めた。
「毎年いるんです。怖いもの見たさでここへ来る人。私は図書委員でここの整理を任されているだけなんです。決して幽霊ではありませんし、ここは異界ではありません」
丁寧だけど、どこか腹立たしさを感じているという口ぶりだ。
少し気まずい。
「あ、あの、すいませんでした。僕はこれで失礼します」
これ以上この場にいても意味はないので、踵を返そうとすると、彼女は道を塞ぐように回り込んできて、ふふっと意味深に笑う。
「どうせなら少し手伝ってくれませんか? 図書委員は今人手不足なんです。ここの整理も私一人では一向に進みません」
黒髪を揺らして、グイっと身を寄せてくる彼女の表情は僕の心を手玉にとるように妖艶に口角を上げていて、魔性の色香を漂わせている。
「噂を確かめるために来たってことは、怪談とかお好きですよね? 私、そういう話結構詳しいんです。もし、あなたが手伝って、なんなら図書委員になっていただけるなら、いろいろ教えてあげても良いですけど」
ゆっくりと紡がれる言葉に脳髄が痺れるような錯覚を覚える。
細い声だが透き通っていて聞き取りやすいガラス細工を振動させるような声。
「どうかしら?」とすべての光を飲み込んでいしまいそうなほどの黒い瞳が僕を見上げる。
その瞳に飲み込まれないと視線を顔ごとを逸らす。
すると、僕の頬に柔いものが触れて、彼女の方を振り向かせる。
頬に触れたものは彼女の手だ。ひんやりとしていて、いつの間にか熱を帯びていた僕の頬をさらりと撫でた。
「とても、綺麗な目をしてますね」
「……え」
「手伝ってくれますか?」
「……はい」
彼女の冷たい手が心地いい。
こんなの抗えるはずもなく、僕はいとも簡単に首を縦に振っていた。
僕から手を離した彼女はしてやったりと言わんばかりに、口を押さえて笑う。
「それではまず、お名前を教えてくれますか?」
「あ、えっと、
簡潔に自己紹介をすると、彼女も「私は
「友嗣くん。よろしくお願いしますね」
いきなり名前で呼ばれて驚いた。距離の詰め方尋常でない。
嫌ではない。むしろ喜ばしいことだ。ただ、この下心が表情に出てしまわないかと不安になってしまった。
彼女に倣って僕も下の名前で呼んでも良いだろうか。
沙耶さんは「ではさっそく」と手を叩いて仕事内容を説明し始めた。
沙耶さんの話を聞くと、一年生の時に図書委員に入りそれ以来ずっとここの整理を一人でしているらしい。
その年に赴任してきた司書の先生が長年放置されてきた旧図書室を見て驚愕、いきなり整理すると言い出したんだそうだ。
やりたがる生徒は一人も現れず、図書委員会はサボりたい楽したい、という生徒ばっかりが集まっていたこともあり、結局沙耶さん一人で旧図書室の整理をやっているんだとか。
沙耶さんは別に嫌って訳じゃないらしく、この場所が気に入っていて放課後の数時間ここへ来るのが好きという。
変わった人だと僕は思う。
踏み台に登り上段の本を取る。沙耶さんがいる机に置き、彼女が本に積もった埃を落として、本校舎の図書室に置く本と廃棄する本の仕分けをする。
一時間くらいそうして、沙耶さんは手を止めた。
「この辺で切り上げましょうか」
「はい」
「ご苦労様でした」
二人で図書室を出てすぐの手洗い場でホコリで汚れた手を洗う。
「ここは昔、森だったそうですよ」
「え?」
「百年近く前の話です」
一体何お話だろうか?
「幽霊とか好きですよね。そういう話をしてあげようと思いまして」
沙耶さんを見るとその向こうに旧図書室の扉。
やはり青白い光が溢れている。
「数年前に行方不明になったオカルト研究会の部員もその一つなのですが、もっと昔から度々起こっていたことなんです」
図書室に戻るとキーンと耳鳴りが聞こえてくる程の静けさで、沙耶さんの声だけが僕の耳を撫でる。
「……?」
この静寂の中、声を出してしまうのはなぜだか
「大昔、ここには小さな森になっていたそうです。その森には小さな沼がありました。それは水を飲みに来た動物たちを吞み込んでしまう底なしの沼でした。近隣の住民たちもその犠牲になった人が多くいたそうです。近代になって森を切り開いて沼を埋めることになったそうです。噂では沼を埋めるのに山一つ分の石と砂が使われたそうです」
山一つ分の深さがある沼、どれだけの命が喰われたか想像すると背筋に痛みが走るほど寒くなった。
「これで、沼に落ちる人はいなくなった。そうして忘れられてしまい、その上に学校が建った。この学園の前身となる小学校ですね」
ぼーっとと見つめていると、沙耶さんは少し困ったようにポリポリと頬を掻いた。
「相づちをして貰えたら、ありがたいのですが……」
コクコクと頷くと、まぁいいでしょうっと続きを話し始めた。
「学校ができて人の出入りが多くなると、度々、生徒や教師が行方不明になる事件が起きました。誰かが人々をさらってしまったのか、沼のことを知っている大人達はこう思いました。何の供養もされなずに埋められた沼が怪物となって人を襲っている。と」
もし本当にその怪物が人を連れ去っているとしたら、消えたオカルト研究会な人たちもそいつが仕業かもしれない。
でも、そんな怪物がいたとして、一体どこに潜んでいるというんだ。
幽霊などの怪異は普通の人には見えない。それどころか見えている僕でさえ、パッと消えて姿が見えなくなる時がある。それが不思議だった。
考え込んでいると「友嗣くん、やっぱりこういう話が好きなんですね」なんて沙耶さんが微笑んだ。
「いえ、その怪物ってどこにいるのかな?って思って……」
「境界ってご存知ですか?」
「境界線とかの境界ですか?」
「そうですね。陸と海、昼と夜、この世とあの世。相対する二つの境目を境界と呼びます。たとえば、辻やドア、黄昏時も時間における境界と言えます」
沙耶さんは僕の様子を伺いつつ続ける。
「村ができると自然に安全地帯である村の内側と危険で未知な村の外側ができます。そうすると人は、無意識化に境界を知覚しています。昔の人はその境界に妖怪や怪異が潜むと考えたのです。そこは死者の霊魂が通る道であり、異界への入り口とされてきたのです」
たしかに、波にさらわれたり猛獣に襲われたり、海や村の外は危険な場所ではあったはずだ。
しかし、あの世とこの世の狭間。怪異のはびこる場所。所詮はありもしない迷信だ。
でも、彼女は妙に確信めいた口調で話している。蘆原沙耶、彼女は相当なオカルト好きなのかもしれない。
僕は声量を確認しながら慎重に声をだす。
「あー、えーっと、その境界の中に沼の怪物が潜んでいると?」
「どうでしょう」
ここが境界、その中の異界というのはあながち間違いではないと思った。実際、この図書室に入るときに見た青白い光は怪異的なモノがあるときによく見る光だ。
「所詮オカルトは作り話です」
でも、と紗耶さんは続ける。
「魔所となってしまった境界はとても危険なんです。校門、昇降口、各教室の扉、トイレ。どこにいても、ぱっといなくなってしまう。特に貴方は気を付けた方が良いです」
「え、それは……」
僕が問おうとする間もなく、「帰りましょうか」と話を切った。
沙耶さんは窓の方を見ている。
夕日は沈みかけて、夜の黒色が空の大半を占めている。
「もう遅いですし、今日はここまでにしましょう。よければまた来てくださいね」
「……はい、気が向いたらそうします」
「私は鍵を返しに行きますので」
旧校舎を出て職員室へ鍵を返しに向かう彼女を見送って僕も校門へ向かった。
彼女はなぜ僕に手伝いをさせたのだろうか。今までの興味半分でここ来た人たちにも同じように手伝わせたのだろうか
そう思うとなんだか少しだけ胸にモヤっとしたものを感じていると、校門の前の人影がになにやら忙しそうに走ってくる。
「おい! 来てくれ!」
急に腕を掴まれ引っ張られる。
「ちょ、玲那! いきなりなんだよ」
「常間先輩が消えた……」
「は?」
玲那は張り詰めた表情を変えず、それだけ言いうと僕の腕を握る手に力が入った。
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