みそ汁

4ラゴン

みそ汁

 今日は、いい夜であった、大きな月がゆっくりと昇っている、静かな夜だ。しかし、季節は冬に近い。いまだに夜は寒いままだ。

 こんな日は身体を温めてから飛ぶに限る。星の海を泳ぐ想像するだけでいい気分になるじゃないか。


 アパートの一室で私はそんなことを考えながら、シンクの隣にある小さい冷蔵庫を開けた。卵、豆腐、ベーコン、みそ、バナナ、キャベツ、使いかけの顆粒出汁...余りいいものはなさそうだが、後、わかめでもあればみそ汁が作れる。

 冷蔵庫が閉めろと言わんばかりに、ピー、と鳴いた。私は、冷蔵庫を閉じ、シンクの上にある戸棚を開けた。日用品か何かが詰まっているが、ちょうどその中に乾燥わかめがあることに気づいた。あるじゃないか。

 私は、少し浮かれた気分になりながら、わかめを手に取り中身を確認した。粉々になった最後あたりのようだが、それなりにわかめであった。若干残念ではあったが、ないよりはみそ汁になるだろう。


「違います!!あれは、人なんかじゃ…」


 どこかで人間がわめいている声が聞こえる。静かな夜なのだ、そのぐらいのことは珍しい事じゃない。

 次に、私は足元の戸棚の中を覗いた。少し深めのフライパンが数枚、ガラス製の蓋、何かの箱、そして、ちょうどいい大きさの鍋が顔を見せる。

 私が、そのちょうどいい鍋を手に取り、戸棚を閉め頭を上げたとき、ガンッと頭をぶつけた。そして、足元に棚の蓋が落ちてきたのだ。しまった、上の戸棚を開けっ放しにしていた。

 私は、足元の蓋を拾い上げ、とりあえず上の棚最上階に突っ込んだ。私にはどうしようもないのだ。

「よし」

 私は、鍋に水を入れ、火にかけた。沸騰するのを待つ間に、冷蔵庫から豆腐、みそ、顆粒出汁を取り出した。顆粒だしの封を開けるとほんのりと魚の香りが漂い、私の鼻に想像を届ける。

 果たしてどんな味になるだろうか?

 しばらく、香りを堪能した後、ほんのりと泡の浮いてきた鍋に出汁を入れた。箸を握り、鍋を少しかき混ぜれば、出汁の粒はすぐさま消えてしまい、後には黄金の液体となんとも表せぬ香りが残った。


 箸を置き、次は豆腐に手をかける。なんとも開けにくいパックをかぎ爪で引っ掛け、慎重にはがす。…上出来だ。私は、まな板を台の上に置き、その上に豆腐をゆっくりと設置する。周りに飛び散る水は、ようやく豆腐との共存から解放され私の足元にも流れ落ちる。

 すっかり水浸しになった台を横目に、私は包丁を探していた。さすがにかぎ爪で豆腐は切れない。

 ようやく下の棚から包丁を見つけた時、ジューッという音が響いた。コンロの方を見れば、黄金の水が噴きこぼれている。慌てて、コンロの火を止め、一息着いたところで、私は豆腐をまっすぐに見据えた。

 ゆっくりと包丁を動かし、きれいに八等分にする…多少いびつだが。横からも包丁を入れるべきかもしれないが、これ以上ぐちゃぐちゃにはしたくなかった。

 私は、まな板を持ち上げ、豆腐をゆっくりと1欠片ずつ鍋に加えた。ぽちゃんぽちゃんと音を立て、白い長方形が溶けるように沈んでゆく、途中何度か砕いてしまったが、前よりはましであった。


 再びコンロの火を点け、ついでとばかりにわかめを加える。若干煮立ってきたところで火をとめ、最後にお玉ですくったみそを箸で溶かせば完成である。

 頭の中で想像した物とは少し豆腐の見た目が違うが、十分に味噌汁であった。

 外から静かな夜には似合わないサイレンらしき音が聞こえる。

 私は鍋を持ち上げ、みそ汁を口に運ぶ。その繊細な香りと温かさ、柔らかい舌ざわりと塩分の刺激は、私の心をようやく満たしてくれたのだ。

「はぁ...」

 口から自然と恍惚たる溜息がまろび出る。これがみそ汁というものだ。

 私は、残りの味わいを余すことなく飲み干し、鍋を置いた。身体の中から温まる感覚が、全身に回っていく。これで、快適に飛べるだろう。

 そして、私は、ようやくキッチンに繋がっている小部屋の様子を確認した。


 キッチンから一番遠い部屋の隅に、人間がちじこまった様子でこちらの様子を伺っていた。手は携帯電話を握り閉め、震えが止まらないようであった。

「な、なんなんですかあなた!!」

 敵に気づかれ、もう後がなくなったと言わんばかりに人間は声を張り上げ威嚇した。しかし、私は特に敵意など持っていなかった。

 その時、この部屋の扉を叩く音がした。

「警察だ!!〇〇さんを解放しなさい!!」

 〇〇さん?解放?今の状況とはあまりにそぐわない言葉を並べられ、私は少し混乱した。せっかくの静かな夜が失われていく、これはいけない。

 私は、平穏を取り戻すため、玄関に向かった。

「けっ…」

 私が扉を開けた途端、その青い服を着た人間は言いかけた言葉を失ってしまったようであった。ゆっくりと顔を上げ、私と目を合わせたその人間は、明らかに困惑にゆがんだ顔をしていた。

 私が、ここの部屋に入る時に壊したらしいドアノブが、いまさらのように落下して大きな音を立てる。

「お、お前が、不法侵入者か!?なんだその恰好は!?」

 おそらく警察は言いたいことが渋滞しているようだった。私は、少し後ろを向き、部屋の中を見回した。

 ああ、巣の防衛に来たんだな?なんだ、気にすることはなかったのだ。結局静かな夜だったのだ。

 私は前に向き直り、警察の横を通り抜けて廊下の手すりに手をかけた。周りに高い建物はなく、眺望を邪魔するものはない。静かな夜の空気が私の頬をなでる。

「お、おい!何を…」

 私は、手に力を入れ廊下から飛び出した。背中の翼を広げ、あまり羽ばたくことはせず、それなりに優雅に、その青い姿を夜に溶け込ませ、空高く、飛んだ。

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