異世界転生した巫女ですが祈ることしかできません「期待すんな!」

黒田百年

 異世界転生した巫女ですが、祈ることしかできません 「期待すんな!」


    1


「バカじゃないの?」

 巫女装束の少女は、開口一番そう言った。

 バカと言われた銀色の少女は、無言で立っているだけ。

「あのさぁ……無茶言わないでよ? あたしが、チート能力発揮したり、あれ、またなんかやっちゃいました? って言って全て解決すると思ってるわけ」

 うんざりした感じでボヤく。

 古風な和室。畳、床の間、ちゃぶ台。少女の右側には障子。

 巫女は座布団に片膝立てて、はしたなく座り込んでいる。

 持ち前のジト眼で銀色の少女を眺め、強く大きな溜息を漏らす。

 そのふてぶてしい態度から、本気でいやがっているのが、ありありと覗えた。

 巫女の名前は卑ノ女(ひのめ)。

 白衣緋袴に身に包み。うなじで髪をまとめている。

 黙っていたならば、結構な美少女。

 そんな卑ノ女にジト眼で睨まれている銀色の少女の名はシルフ。

 彼女とは対照的な衣装を身にまとっている。

 ぴったりとボディラインが剥き出しになっている半透明のボディースーツ。

 腰の辺りには、申し訳程度のミニスカート。しかもそれは浮いている。

 しかも恥骨の辺りからスカートの前の布が無い。

 つまり扇形の布が腰の当たりにフヨフヨ音も立てずに浮いているわけだ。

 そして少女の髪の毛の色は、光を放つ銀色。ツインテール。翡翠色をした瞳。透き通るような白い肌。長い耳。身体特徴からあからさまに、人で無いのが分かる。

 ただ、人型をしている。

 困った表情をしたシルフは、追いすがるように続ける。

「すみません、わたしたちには……。巫女様の決断が必要なのです」

「だから、バカなんだってば……赤の他人にそんな重要な決断を任せるな! 失敗したら何十億も死ぬのよ? 何十億も! あたしの一言で!」

 横を向き大きく溜息を漏らす。

「もう、いい加減にしてよ、ホントに……」

 沈黙。

 静寂。

 無音。

 卑ノ女の巫女装束の衣擦れの音しか響かない室内。

 しびれを切らしたように卑ノ女は声を上げた。

「シルフ。あんただから言うけどさ。あたしは、なぁんにも! してないの! なにも出来ない! 期待すんな! バカ!」

 感情を爆発させて、一気にしぼむ。

 がっくりとうなだれ、絞り出すように続けた。

「あたしに、なにも出来ないんだってば……」

 シルフは、じッと卑ノ女を見つめている。

 必要以上に、なにも言わない。ただ、見つめている。

「ここで戦闘して被害を出すか、背後から強襲されることが前提で逃げるのかなんて、あたしに決断できるわけないじゃない……」

 シルフは、無言で見つめ続けている。

「戦闘する場合、相当の被害は覚悟。下手したら全滅の可能性がある。かといって、逃げるために迂回したら、和平会談の時刻に間に合わず、戦争……」

 卑ノ女は、頭を抱える。

 シルフは、なにも言わない。

 なにも言えない。

 決断は、卑ノ女しかしない。

「少し、考えさせて……」

「分かりました。しかし、お時間はあまりないとお考えください」

「何分?」

「35ブセ……じゃなくて……、えっと……」

 シルフは左腕を上げ、軽く指を振る。計算が済んだらしい。

「そうですね。巫女様の体感時間で換算して、二時間後です、ご決断を……」

「二時間……」

 ガクッと肩を落とした。

「できる限り現状を把握する情報を頂戴……。目の前の武装船の所属も分かるなら教えて……」

 卑ノ女は、膝に手を当てて立ち上がると、障子に向かう。

 そして、両手で障子を左右にあて勢いよく両腕を広げた。

 すぱーんと小気味の良い音を立て開く。


 彼女の眼前に広がるのは漆黒の世界。俗に言う宇宙空間。

 障子を開けた外の世界は、文字通りの宇宙。

 そこには宝石箱をひっくり返したような数多の星が瞬いている。

 めまぐるしい早さで流れる銀河。

 当然だが、偏光シールドなどはなくごく自然な宇宙が広がっている。

 少女は、それを見る。

 美しい恒星の瞬きを眺める度に自分は異世界にいるのだと思い知らされる。

 ここは宇宙。そして、卑ノ女が乗っているのは船、アメノトリフネ。

 星々の海を泳ぐ船。

 アメノトリフネを中心として無数の黒い影が併走しているのも見える。

 しかし形状はよく分からない。

 おそらくそれが自分以外の誰かが乗っている船だと言うことだけは分かる。

 彼女は、自分の乗っている宇宙船アメノトリフネの大きさを知らない。

 一つ言えるのは、周囲を泳ぐどの船よりも自分が今いるアメノトリフネは大きいと言うこと。

 彼女の乗る船の周りを何千万という船団が併走しているのである。

 星の海を奔る船団。

 宇宙のど真ん中に卑ノ女はいた。


    2


 ここはどこなんだろう?


 卑ノ女は、愛用のスクーター、ラビットS402にまたがり見慣れた道を走っていた。

 山腹にある神社。

 そこから小さな町に走る。

 ケンカして、逃げ出した家。

 子供の自分は、そこでしか暮らせない事を知っている。

 自分にとって、ささやかな反逆。

 ただ、家を逃げ出して走る。

 アクセルを空けて、走る。

 全身を叩く風が、悔しさや、つらさを今だけは忘れさせてくれる。

 ヘッドライトの指す先。

 正面を、山道を下る。

 とにかく、走った。

 走るしか無かった。

 頭の中が真っ白になってゆく。

 気持ちが落ち着いてくる。

 感情は、高ぶったまま。

 考える。

 思考がまとまってくる。

 だんだんと、自分の中にある情報が収束されてゆく。

 結論。情報をまとめる必要は無い……。

 答えが見えた。そして、初めから答えは一つしか無い。

 自分が折れるしか無い。

 だが、どうしても、許せなかった。

 高校を卒業と同時に、見ず知らずの50代中年との結婚。

 江戸時代か!

 明治、大正、昭和でも、そんなばかげたことはあり得ない。

 いや、ギリギリあった? しかし時代は、さらにその先。

 平成、令和、興起、澄明……。

 世界を巻き込んだ大戦も終わりの復興をはじめたばかりの澄明五年。

 その為、生活がギリギリもギリギリ、日銭を稼ぐのもやっとカツカツ、家柄なんてモノは無い貧乏神社で政略結婚?

 ありえない!

 卑ノ女、耐えられずに家を飛び出した。

 今は無き兄がくれたラビットに巫女装束を着たまま飛び乗ってアクセルを空けた。

 どうすれば良いのか?

 どうしたら良いのか?

 分かるわけが無い。

 どうすることも出来ない。

 逃避だと分かっていても、卑ノ女にはそれしか出来なかった。

 目の前のトンネル。

 潜る。

 いつもよりも暗い。

 チカチカとヘッドライトが明滅。

 バッテリが弱くなってる?

 そう思った瞬間、立ち眩みが生じたみたいに、頭の中がぐにゃりと歪んだ。

 ゴーグルの先の視界まで、亀裂が走ったような。

 足下がおぼつかなくなるような感じ。

 こんなところで倒れたら危ない。

 とにかく明るいところでバイクを止めて一息つこう。

 卑ノ女は、トンネルを抜けるためにエンジンを回した。

 まばゆいばかりの光が、全身を叩く。

 何が起きたのかと、一瞬考える。

 目がくらむ。


 そして……。


 トンネルを抜けるとそこは異世界だった。


 漆黒の世界をバイクで奔っていた。

「えっと……」

 ここどこ?

 見慣れないどころか闇の中。

 頭の中が、パニックになる。

 闇の中、足下を煌めくのは星?

「ちょっ、ちょっと待ってよ!」

 足下にはアスファルトの道路も無く、ガードレールも無く、視界の先に見えるはずの町は見えず、変わりにあるのは漆黒。

 ラビットS402は疾走している。

 理解が追いつかない。

 思考が追いつかない。

 ここがどこか分からない。

 満天の星どころか全天の星。

 三百六十度? 足下、正面、右、左、頭上、おそらく背面、もうなにもかも全て、世界が星に包まれている。

 ひょっとして、ここは宇宙?

 もしかしなくても、これは夢?

 間違いなく夢。

 そう、これは夢に違いない。

 卑ノ女は、そう結論づける。

 冷静に考えなくても、宇宙をスクーターで走るなんて現実ならあり得ない。

 そもそも、宇宙にいるなんて、空気も無いのに、どうやって……。

 何が起きてるのか、分からない。

 深呼吸。

 とにかく、落ち着いて! 落ち着くの!

 そう言い聞かせる。

 スクーターのアクセルは落とさない。

 止めたら、どうなるのか分からない。

 宇宙で、どうしてスクーターが走るの?

 ロケットでも、宇宙船でも無い。

 混乱した頭を抱えたまま、走り続けていると……。

 音が聞こえる。

 真空で音?

 何かが、足下から大きく、迫って来てる。

 足下に視線を向けると、そこだけ星の瞬きが消えているのが分かった。

 なんで?

 あれだけ星明かりがあったのに消える?

 まるでクジラのようなシルエットが視界に飛び込んできて。

 これが星明かりを遮った?

 だから、光が消えたの?

 背筋が、ゾッとした。

 大きく口を開けて――

 飲み込まれる?

 でも、逃げられない。

 アクセルを全力で開ける。

 けど……。

 身体が引き寄せられる……。

 うそっ?

 これは夢?

 そう、夢だよ!

 だって、トンネルを抜けたら、宇宙で、大きなクジラがいて……。

 そのまま、クジラの口に吸い込まれて……。

 スクーターのハンドルを握ったまま、わたしは……。

 わたし、これからどうなるわけ?

 わたしは、クジラの口から目をそらす。

 もう、逃げられない!

 駄目だ!

 心の中で叫んだとき、クジラは大きく開けた口を閉じ、わたしを飲み込む。

 その衝撃と振動で、頭の中が真っ白になった。


    * * *


「神経接続します。思考パターンチェック、波長、シンクロ。成功です。言語野にアクセスします」

「しゃっしゃっしゃ、サラマンデル。言語は過去のライブラリにあるきゃ~?」

「検索中。J019AサンプルS03が近いかね」

「良かったのぉ。また言語体系が不明で1から言語を構成しなきゃならんとなったら最悪だで」

「だな。巫女が目を覚ます前に、急いでエンコードを済ませるぞ」

「頼むでな、脳波が覚醒状態にありゃぁす。この様子じゃ2ブセノン後には目を覚ますで」

「波長合わせ。これはライブラリとの間に多少の誤差が結構あるな、こりゃ」

「今の段階で、完全一致は期待しとりゃせん。わしらの言葉、最低限の意思が通じればそれでええでな。いけるか?」

「多少の齟齬は生じるとは思う、でも大きな問題はない、かな……」

「なら構わん。誤解さえされなければ良いでな。言語の解析は、今後のコミュニケーションで精度を上げていけばええ。とにかくしゃべらせてサンプルをとりゃあ」

「分かった。でも、今度の巫女は、どれだけ持つかね。サンプルとっても短期間で、サヨナラだと作業の無駄になるぜ」

「ぼやくな、それが仕事じゃ。とにかく12デメンは、もって欲しいところじゃな」

「そんな長期間、保つと思うか? 先代は3デメンで公開処刑されたぜ」

「わしもそんな長期にわたって保つとは思っとりゃせんて。次の巫女を喚ぶ為のエネルギィをチャージするまで12デメンかかるだけだがや……」

「ああっ、なるほどな。そういうことなら納得だわ。この巫女を喚ぶのまで10デメンの間、空白だったもんな。しっかし、なんで船団の重要な判断をわれわれでなく異世界の巫女に決めさせるんだ?」

「そんなもん知らせんがや。過去の亡霊が考える事など、わしに理解できるわけありゃせん。それにな……」

「それに?」

「おみゃあさん、巫女になりたいか?」

「御免被る」

「じゃろ? わしだって殺されても御免じゃ」

「にょわっ!」

「なんじゃい、ウンディーネ。そんな奇声上げて」

「ノーム博士! 巫女の乗ってた機械。解析終了しましたけど、これ内燃機関ですよ」

「内燃機関?」

「こんな古い技術を使ってるって時点で、文明レベルは推して知るべし。ドワーフでもあるまいし」

「穴蔵共でもつかっとりゃせんじゃろ、こんなロストテクノロジー。ふむ、いっそのこと博物館にでも収めるか? それだけで目玉になるで」

「こんなんで客、来ますかにぇ~?」

「みんな娯楽に飢えとりゃぁすでな。他には、なにを持っとった?」

「おそらく巫女の世界の通貨とそれを納めてるケース。あと、これは本? それから木片の棒に紙を巻き付けた意味不明な道具だけだにょ~。解析したところ殺傷能力もなにもにゃいね」

「じゃろうな。攻撃的な種族には見えん、っと! 巫女が覚醒状態に入ったな。シルフ、巫女から離れるのじゃ」

「この巫女は、大丈夫です。顔を見れば分かります」

「顔だけで、そんなこと分かりゃあすか!」

「大丈夫ですよ」

「襲われたらどうする!」

「わたしのスカートが守ってくれますから」


    * * *


「んっ……」

 卑ノ女は、ゆっくりと身体を起こした。

 頭がクラクラしていた。

 意識を失っていた?

 真っ白な光に包まれた世界。

 焦点が合わない。

 目の前に誰かがいるのは、ぼんやりと分かる。

 屈んで覗き込んでいる。

 ぼやけた視界でも、人のように見える。

 ゆっくりと、問いかける。

「大丈夫ですか?」

 日本語?

 聞き慣れた言葉が脳裏に響いて、思わず安心する。

 目の前にいる存在は、日本人らしい。

 まだ、眼の焦点が合わない。

 はっきりとその姿は見えないが、手をさしのべていることは分かる。

 ゆっくり手を取ると優しく握り返し、身体を引き起こす。

 宇宙空間をスクーターで走って、大きなクジラに飲み込まれたのは夢だったんだ……。

 卑ノ女は、思わず安堵の溜息をついた。

「ここ……どこ?」

 どう考えても、室内。

 掌で触れた床の感触は、堅く冷たい。

 コンクリートの様な感触。

 アスファルトのようなザラザラした感じは無かった。

「アメノトリフネの中です」

「アメノトリフネ?」

 それって……どこかで聞いたことあるような。

 軽く逡巡して、はたと思い当たる。

「いや、アメノトリフネって、なに? ここ出雲でしょ?」

「イヅモ? ……ああっ、巫女様の世界の都市のことですね」

 巫女様の世界?

 なに言ってんだ、こいつ……。

 ぼんやりとした思考のまま、目をこらしてみる。

 だんだんと、ぼやけた視界が形を作る。

 目の前にいる女性の姿が見えてくる。

「えっと……えっ?」

 目の前にいた美少女は、銀髪、翡翠のような色の瞳をしていた。


 一目で分かる。


 人間じゃ無い。


 だけど、キレイだと卑ノ女は心から感じた。

「はじめまして、シルフと申します。巫女様」

 鈴を転がしたような声。先ほどは意識しなかったが、今は分かる。

 声までかわいいのかい! と卑ノ女は心の中でツッコミを入れていると、シルフは笑顔を浮かべ深く頭を下げた。

「巫女様? 巫女? あたしのこと?」

「はい、ご理解が早くて助かります」

「そりゃ、巫女だけどさ……」

 思わず呟く。

 実家の神社で正真正銘の巫女だったわけだから。

 だが、巫女だからと言って、特殊な力があるわけでは無い。

 ただの人だ。見た目だって平々凡々。

 そういう意味で言うなら目の前の少女の方が遙かに神秘的だろう。

 しかし、シルフの恰好って、もしかしてコスプレ? いや、それは無い。

 着ている服は、ボディラインの見えるスーツだが、何というか安っぽくない。

 作り物にも見えない。

 普段着の生活で着用している安定感があって、しかも非日常的な違和感が無い。

 質感が不自然さが無いのだ。

「どうかなさいまして?」

 堅苦しい言葉だと感じながら卑ノ女は光に慣れてきた眼で周囲を見渡す。

 ぼやけていた世界がはっきりと見える。

 真っ白、半ドーム状の室内。天井に光源は無い。しかしチャンバーの中は明るい。

 光源がどこにあるのか分からない。

 考えを整理するでも無い。

 ここは地球じゃ無い。

 だとしたら答えは一つ。

「まさか、異世界……」

 言い聞かせるように、そう呟く。

 自分を取り巻いた状況が全てを説明していた。

「全部……夢じゃ無かったんだ……」

 宇宙をスクーターで疾走したことも、クジラに飲み込まれたことも……。

 思った以上に混乱してないのは、一度意識を失ったからだろうか?

 頭を軽く抱えたくなっていると。

「しゃっしゃっしゃ。こちらの予想より、早く理解してもらえたようだで」

 第三者の声が聞こえた。

「ノーム博士?」とシルフが振り返る。

 卑ノ女も声のした方に顔を向けた。

 チャンバーを軽く見た感じではどこにも継ぎ目は無く、扉のたぐいは見えなかった。

 そこには、小人がいた。

 シルフと違い、土色の髪、金色の瞳。

 だが、背はとにかく低い。120センチも無いだろう。

 なのに身体のバランスはとれている。子供のような体型ともとれるが、その態度や声色から大人だと明確に分かる。

「わしは、ノーム。アメノトリフネの責任者じゃ。まぁ、形だけのじゃがな」

 ゆっくりと歩いて近づいてくる。今まで完全に様子を見ていたのだろう。

「で、責任者さんなら、状況を説明してもらえるのよね? わざわざ隠れてたみたいだし」

 卑ノ女の声色は少々喧嘩腰にもとれる

「それは許しとりゃぁせ。わしは見ての通り荒事に向かんでな。おみゃあさんに殴りかかられたら即死するでな。間違いなく」

「そんなに強くないんだけど?」

「錯乱した状態だと、何が起きてもおかしくなかろう」

「で、女の子のシルフを人身御供にしたって?」

「いえ、わたしがお願いしたんです。巫女様のおそばに……」

「華奢に見えて、シルフは荒事担当だでな。アメノトリフネの警備主任だがや」

「へぇ……」

 卑ノ女は、シルフを軽く眺めた。

 どこから見ても自分より華奢で、可憐な容姿をしている。

 それなのに荒事になれている。

 見るからにシルフの落ち着いた姿に、あながち嘘では無いと言うのが分かる。

「そうなんだ……」

「はい、あっ! 巫女様を傷つけるつもりは無いのでご安心ください」

「いや、あんたに害意が無いのはすぐ分かったから」

 卑ノ女は、改めてノームに向き直った。

「そんで、あたしになにをさせたいわけ? わざわざ、地球からこんなとこに喚びだしたぐらいなんだから」

 卑ノ女の声はすごく怒っている。

 次の瞬間、ノームは、いきなり土下座。

「ご無礼をお許しくだされ!」

 額を床にこすりつけ大声で叫んだ。

 卑ノ女は、思わずひるむ。

「ほんでもって我々を導いとりゃあせ!」

「はっ? いや、ちょ! ちょっと!」

 ノームの言葉に激しく困惑する。

「導いてって、いや、ちょっと! あたしに特殊能力なんて、ないって!」

「今、わしらの船団には指導者がおりゃあせん、なにとぞ、巫女様にお願いしてちょ~」

「ちょちょちょっ! ちょっと、待て! 指導者がいないとか、あんたたちの状況なにも分からないのに『ハイ』なんて軽々しく言えるか!」

 思わず手を差し出して止める。

「お願いします!」

 ノームは土下座したままぴくりとも動かない。

「……あたしにどうしろと!」

「ただ、わしらを導いてくれ!」

 その隣に、シルフも土下座して並ぶ。

「巫女様! どうか、お願いします!」

「導けと言われても、まず状況を教えなさいよ」

「どうか、我々を正しき道に導いてください!」

「だ~か~ら~、まず! 情報をよこせ~!」


 これが今から約三ヶ月前の出来事。

 こうして、卑ノ女の異世界生活は始まった。


    3


「戦争を止めるための使節団……」

 それがアメノトリフネの目的。

「和平使節団だから船に武装が無いなんてアホか!」

 資料を眺め、大声を上げた。

「すみません」

「あんたには言ってない」

 シルフ達の文明は当然、紙など使ってない。もう何千年も前に使わなくなっていた。変わりに必要な情報や、共有する情報が生じた場合。直接頭の中に即座に詰め込むことで対応していた。

 卑ノ女は、当然の様にそれを断った。

 記憶を書き換えられることが怖いのでは無い。

 間違いなく、重要な情報を見落とすからだ。

 そして、正しい情報を即座に読み返すことが出来ない。

 卑ノ女は、記憶と言うものが、脳内で自分の都合の良いよう改ざんされ、時間が経てば経つほど、薄れてゆくことを知っているからだ。

 だから、卑ノ女は自分の記憶を信じていない。

 その為、わざわざ紙を作らせ、それに出力してもらっている。

 床一面にばらまかれた資料。

 所々、卑ノ女の書き込みがある。

 そして、自分が読んだ順に大きな数字がふってある。 

 シルフ達の世界は、卑ノ女、地球の技術と比べるもおこがましいほど高度で、この世界に地球が追いつくまで後、何億年かかるのだろうかと思いたくなる。

「決断するまで、残り時間は?」

「15ブセル……えっと、巫女様の時間で45分って所です」

「なんで、残り時間が決まってるわけ?」

「船団の時空転移、いわゆるワープですね。最低限のワープ可能なエネルギィチャージがすむのが45分後だからです。今回巫女様に最終的な決断をお願いするのは、このままの航路で、このまま航路でワープするか、迂回するためにワープするか、その選択になりますね」

「それは聞いた」

「このままの航路でワープする場合、和平会談に間に合いますが、かなりの損害が予測されます」

「知ってる。軽く見積もっても二十億は覚悟しろって書いてある」

「攻撃を避けるため迂回路を選ぶ場合。エネルギィのチャージが足りない状態でワープしますから、和平会談に間に合わない可能性が出てきます」

「この場合、惑星間の戦争が始まる可能性があるわけね」

「可能性で無く、ほぼ確実に起きます」

「ワープってめちゃくちゃ早いんでしょ。それでも間に合わないわけ?」

「こちらは大多数の船団です。アメノトリフネ単体だけなら余裕で間に合いますが、船団全てだと厳しいでしょう」

「数が仇になってるのね。なんでこんな数の和平使節団作ったのよ」

「普通です。むしろ少ないくらいです」

 溜息を漏らす。

「続けやがりますね。向こうは、こちらの航路を予測して行動しています」

「だから、待ち伏せできるってこと……用意周到ね」

「今回は、こちらの深宇宙探査に、引っかかりましたけど、気付かなかったら一方的に攻撃されて全滅していたかもしれません」

 シルフは、淡々と告げた。

「仮に迂回するとしたら、その航路は予想されてないの? そこを狙い撃たれたら?」

「迂回先は緊急ワープですから、どこに飛ぶまで予測は出来ないでしょうし、場所が不明だと追いかけるは無理ですよね。戦争をしたがってるドワーフたちは、我々がタカマガハラに刻限通り到着しなければ良いわけですから」

「迂回させるなら、迂回させるで、問題は無いと……」

 卑ノ女は大きく、大きなまた溜息を漏らした。

「そもそも、なんで百億なんて大それた数で移動してんのよ……」

 頭痛が痛い。と表現したくなるぐらい頭が重く感じた。

「だから、何度も申し上げますが、それが普通なのです。むしろ少なすぎるぐらいです」

「妖精の普通って……。その感覚、あたしには理解できんわ」

 そう言いながら、卑ノ女は資料を読んでいる。

 目の前の軍艦の装備は、強力なビームを撃つ軍艦が一隻。

 機動力はそれほどでは無い。

 一度撃つと、エネルギィのチャージに時間がかかる。

「ふぅん……」

 そこまで読んで卑ノ女はぼそりと呟く。

「まるでコ◯ニーレーザーね……」

「コロ◯ーレーザー?」

 怪訝な顔を向けるシルフ。

「ああっ、あたしの世界にあった極太のビームを撃つ兵器のことよ、気にしないで……」

 アニメの知識だと言っても意味が通じないだろうから、適当にごまかす。

「巫女様の世界って、以外に技術レベルが高いんですね」

「そうじゃないけどさ……。撃ったらすぐには二発目は撃てないのか。一隻なら宇宙海賊でもあり得るから、軍が関わってないと言い逃れもできると。たった一隻でこの船団の全滅を狙えるって、威力がおかしいんじゃないの?」

 敵対するドワーフが、その気になれば、星ぐらい簡単に滅ぼせるのかもしれない。

 その認識で、間違っていないだろう。

 つくづくとんでもない世界に自分はいるのだと思い知らされる。

 シルフは、瑠璃色の瞳で卑ノ女を眺めている。

 その眼差しは、どこか冷たい。

「どったの?」

「そんなに重く考えなくても良いのでは無いかと……どちらを選んでも巫女様に異を唱える者はおりません」

「お~ま~え~は~アーホーかっ!」

 卑ノ女は、全力で、それこそ全身全霊で怒鳴りつけた。

「そんな無責任なことが出来るわけないでしょうが! あたしの一言で! あたしの決断で! あんたの同胞が死ぬってのに? 命がかかってるのに軽々しく決められるか!」

 今日何度目かの怒号を叩きつける。

 こうしている間にも、時間が刻々と過ぎてゆく。

 何か手は無い?

 誰も傷つかない手段は無い?

「なぜ、そこまで悩まれるのですか?」

 シルフの淡々とした言葉。

 いらっとする。

 さらに怒りをぶつけかけて、感情を飲み込む。

 当たっても意味が無い。シルフには、罪は無い。

 深呼吸。

 そして、シルフと見つめ合う。

「だったらあんたが決めれば良いじゃん? あたしにこんな重い決断をさせないでよ」

 意地悪く言ってみる。

「わたしたちには決定権は無いのです」

 今までに何度も繰り返したやりとり。

「参考がてらでいいからさ、あんたならどうするのよ? あんたたちの『普通』ってやつ教えてよ」

「すみません」

 シルフ達はけっして自分の意見を言おうとしない。

「あんた、自分で物事決断する頭は無いの?」

「自分に許された範疇なら……」

「これは範疇を超えてるわけね……」

「わたしたちが決めてしまうと、しがらみのせいで中立な判断が出来ません。どちらかに寄った決断をしてしまうでしょう」

「その為に、わざわざ異世界から巫女を召喚して決断させるっての? 身勝手すぎるよ……」

 手にした資料を握りつぶしたくなる。

「あんたたちってさ……つくづく歪んでるよね」

 シルフは、黙り込む。

「とにかく、情報を……アメノトリフネ以外の船のワープのエネルギィチャージの状況は逐一教えて……」

「分かりました」

「あっ、そうだ! チャージの済んだ船から先に飛べば!」

 脳裏にひらめいたアイデアを口にする。

「先導するためのフラグシップがいないと、下手したら迷子になります。だから、同時に飛ばないといけません。逆に言うと、フラグシップだけなら先に飛ばすことなら出来ます。他の船は多少遅れても後からついて行くことは可能ですね」

「それって後から飛ぶ船は」

「まぁ、砲撃にあって全滅でしょうね」

 シルフは、さらっと言ってのける。

「おー! ばー! かー!」

「ずっと叫んでばっかりだと、喉が渇きません?」

 シルフは、無表情のまま淡々と告げ右手を挙げる。

 手首に巻かれたブレスレットが軽く光る。流れるように、しなやかな指を振った。

 すると中空に銀製のボトルが現れた。シルフはさらに指を振ると音も無く宙を舞って、卑ノ女の目の前に飛んでゆく。

「死んでしまえ……」

 飲み慣れた謎の液体が入ったボトルを手に取りながら、卑ノ女はボソッと呟いた。


    * * *

 

 一口含んで、飲み込む。

 冷えた謎の液体が、熱くなった頭を冷やす。

 深呼吸一つ。

「コンピュータが選んだ他の選択肢は無いわけ? あんたたち賢いんでしょ」

「演算器は数多の可能性を考慮して、最良の二択を選出して、最後は巫女様に選んでいただくシステムになってますので」

「これが最良って、ここの連中は、使うコンピュータまでイカれてんのか……」

 そこまで呟いて、ふと思う。


 待って……全ての船にワープの準備をさせるのには相当な時間がかかる。

 じゃあ、あたしに決断を迫るずっと前に妨害する軍艦がいることが分かってたんじゃ……。


 ジト眼をさらに細めシルフを睨む。

「どうなさいやがれましたか?」

 時々、シルフの日本語はバグを起こす。

「ねぇ? ワープするのってものすごく準備と時間がかかると思うんだけど、軍艦がいるのが分かってから、とっさに出来ることなの?」

 シルフは、ああっと言う顔をする。

「勘違いなさってやがりますが、元々ワープはM-57のポイントでする予定でしたよ。別に敵が来たから慌ててワープするわけじゃ無いです」

「そなの?」

「当たり前ですよ。アメノトリフネならともかく、他の船は事前準備が必要ですし、全船一斉に飛ぶのに同期調節しないと駄目ですから、どうしても跳躍する宙域は限定されます。まぁ、逃げることを選択した場合は最低限のエネルギィで慌ててワープすることになりますが」

「なるほどね。はじめから、アタリをつけて見張ってたってことか……。深宇宙探査とかで、敵艦の存在を見つけることが出来たのも偶然じゃ無いってことね」

「はい、ここを狙ってくるだろうという予想はします」

 自分の考えすぎかと、煮詰まった頭を冷ますためにもう一口飲む。

 そんな卑ノ女を眺めながらシルフはさらに――

「もしくは、密告した誰かがいたか……」

「その可能性もあるってこと……」

 ろくでもない世界だ。

 それでも……あそこよりはましなのかもしれない……。

 親の言いなりになるしかない、現実の世界よりは……。

 そう考えてしまう自分がイヤになる。

「もう変更はききません、10ブセル後にはジャンプ先を決めないと、ワープ不可能になって一方的に攻撃を受けます」

「後三十分……」

 頭を抱える。

「敵は間違いなく、あたしたちを撃つのよね」

「はい、モニタを続けていますが、いつでも撃てる状態で待ち構えてます」

「そう……脅しとか、威嚇とかじゃないのよね……」

 百から先は数えてないほど漏らした溜息。

「はい、ポイント入ったら我々を撃ちます」

 そこで、ふと……。

「んっ……」

 シルフの言葉に何かが引っかかる。

 なにが引っかかったの?

 さらに話を続けようとする、シルフを手で制して止める。

「ごめん! ちょっと待って!」

「はい?」

 なにが引っかかった?

 なにが……。

 思考を止める。

 この先に進むのを止める。

 戻れ……。

 いや、考えるな……。

 シルフの言葉を思い返す。

 待ち構えてる。

 いつでも撃てる?

 ワープ。

 けど、基本速度は変わらない。

 撃つポイント……。

 そこで、撃つ……。

 ポイント……。

 なんで?

 ここ……。

 ここで引っかかる。

 どうして?

 撃つ。

 なんで?

 どうして?

 ここで?

 もう撃てる。

 なんで、撃てるのに……。

 撃たない?

「ねぇ……」

 必死に思考が頭の中から逃げないよう、息をのむ。

「なんで、そこで撃つの?」

「なんでと言われましてもッ……」

「ワープに入ってないし、撃てる状態なんだから、今、撃てば良いじゃ無い」

「ああ、照準が僅かにでもそれたら当たらない可能性があるからです」

「なんで?」

「宇宙での戦闘は、超々々々距離の射撃となります。だから、我々の船団の航路を予測して撃つことになるんです。簡単に言って早く撃っちゃうと当たらないんです」

「つまり、撃ってから当たるまでに、ものすごく時間がかかる?」

「はい。そしてワープの直前は急な進路変更は出来ませんから、狙いやすいわけです」

「じゃあさ、狙いが僅かにでもそれた場合でも当たらないんじゃ?」

「はい、撃つときに極論1スンじゃなくて、巫女様の単位で1メートル? それだけでも狙いがそれたら外れます。だから、正確にポイントを定めて、時間を決めて、航路に合わせる必要があるわけです」


 ぱん!


 卑ノ女は手にしていたボトルを投げ捨て、柏手を打った。

 床に散らばった資料の右上に大きく書かれた数字を探す。

「確か……確か……あたしの記憶が確かならば、8か、18か、28のどれかだったはず……」

 8、18、28と書かれた資料を拾い上げ、慌てて目を通す。

「18ね!」

 8と28を投げ捨て、慌てて上から読み返す。

「そう……そうよ……一度撃ったら、フルパワーをチャージするまで1プペルかかるって書いてあった……これってドワーフの単位だよね? 1プペルって何分?」

「姫様の時間で101分です」

「その時間があれば、あんたたちは無事に全員逃げられるのよね?」

「ええ、それは可能ですけど……」

「よっしゃ!」

 頭の中で情報をまとめる。

 撃つのは、ワープする少し前。

 でもワープするタイミングで当たる。 

「決めた!」

「巫女様……」

 どこか安堵したような、そんな表情をシルフは作る。

 卑ノ女は、振り返ると両手で腰を叩いた。

「あっ、そうそうシルフ」

「はい?」

 名前を呼ばれ間抜けな声で返す。

「力貸しなさいよ? できる限り、あんたに迷惑かけないようにするからさ」

 卑ノ女のその言葉から、こいつは何かしでかす気だと気付き背中に冷や汗が流れた。

「ええっと……巫女様? もしかしてなにをしやがるるるるるるつもりなんですか?」

 時々、シルフの日本語はバグる。

「そんなもの」

 卑ノ女は満面の笑みを浮かべる。

「巫女のやることと言ったら、一つに決まってんでしょ」


    4


 卑ノ女は、ラピッドS402に一人またがる。

 そして、キーを回し、セルスタートのボタンを押した。

 エンジン、点火。

「巫女様! おやめください!」

「なんで?」

 ピストンが回転をはじめる。

 小気味よい音、そして振動が卑ノ女の身体に伝わる。

「どうして、そんなバカげたことを!」

「なにがバカげてるって? ただ宇宙で祝詞、唱えてくるだけじゃん。だいじょ~ぶ! ちゃっちゃと終わらせて帰ってくるから。あんた達は定刻通り飛びなさい。分かった?」

 軽い笑顔でシルフに手を振る。

 開いた障子の先にある宇宙。

「だから、なぜ巫女様が!」

「なに言ってんのよ。巫女だからやるんでしょ。神主いないんだから……。シルフは、さっき、あたしが言ったことをしっかりやってちょうだい。任せたわよ」

 返事を聞かないまま、アクセルを回す。

 リズミカルに太鼓を叩くようなエンジン音。

 ポンポンとエンジンから広がる振動が波を放つ。

 その振動を耳で感じながら、アクセルをふかすとスクーターのタイヤが回転。

 同時に卑ノ女は宇宙に飛び出した。

「それじゃ、行ってきま~す」

 アメノトリフネに用意されたを自室を出ると、卑ノ女の全身を目に見えない幕が囲む。

 それは球状をしており、まるでバリアのように卑ノ女を宇宙線から外気から守っている。 理屈は分からない。

 バリアは、永久的に続くわけでは無く、徐々に消費され次第に薄くなってゆくと言うことを経験で知っていた。

「死んでしまいます!」

「大丈夫、大丈夫~。ちゃんとあたしの祝詞をドワーフたちの軍艦に響かせてね~。くれぐれも向こうの言葉に翻訳しちゃ駄目よ~」

 まるで、近所のコンビニにでも出かけるような軽いノリで卑ノ女は宇宙を奔る。

 初めて宇宙を奔ったときと同じ世界。

 あの場所から、遙か遠くにいるというのに、宇宙はあの日と同じように見えた。

 父親に理不尽なことを告げられた、あの日と……。

 あれから、どれだけの時間が流れたのか、まるで分からない。

 日本を離れ……。ひとりぼっちの宇宙。

 ぐるりと周囲を見る。

 アマテラスの姿は見えない。

 地球がどこにあるのかすら分からない。

 もしかしたら、この銀河の中に、太陽系は存在しないのかもしれない。

 あたしは、今、どこにいて、どこに行くのだろう?

 奔りながら考える。

 なんで、自分がここに喚ばれたのか?

 自分に特殊な力が無いことは、自分が一番分かってる。

 だからこそ、言える、はっきり分かる。

 あの船の中で、自分が一番無能。

 改めて、自分に出来ることを考える。

 あたしにしか出来ないこと。

 たぶん、そんなものは無い。

 分かってる。分かってるよ。

 この世界は、地球の文明よりも遙かに進んでいて、自分の知識なんて役に立たない。

 自分に特別な力があるわけでも無い。

 だから、もう一度だけ自分を見つめ直してみる。

 彼らに出来ないこと。

 自分に出来ること。

 そう、自分に出来ることなんて……ただ、一つ。

 そして、これはあたしにしか出来ないこと。

 巫女である。あたしにしか出来ないこと。

 迷わない。

 もう、決めたんだ。

 暗闇の中を奔る。

「ところで、このラビット……一体何キロで走ってるんだろうね」

 当然、スピードメーターは役に立たないだろう。

 とにかく、遠くに。

 少しでも、遠くに。

「これぐらいでいいかな……」

 ラビットS402を止め、振り返る。

 アメノトリフネは、もう見えない。

 卑ノ女の視界に届かない位置にある。

 シルフの声も聞こえない。

 最初に乗っていたラビットS402が傍らにあるだけ。

 この暗く冷たい宇宙の中で、改めて一人なんだと、思い知らされる。

「シルフに……うそ、ついちゃったね……」

 帰ると言った言葉。

 多分、彼女につく最初で、最後の嘘だ……。

 足が震えた。

 ラビットから降りて、両の足で立つ。

 腰に差してある祓い串を握った。

 深呼吸をして落ち着こうとする。

 だけど、動悸は止まらなかった。

 激しくなる。

 怖い。

 下手したら、死ぬ。

 下手をしなくても、死ぬかもしれない。

 あの残り時間で、誰かを選ぶなんて出来なかった。

 だったら……自分がやれば良い。

「死ぬ……か……」

 これから自分がすることを思う。

 足の震えが、はっきりと強くなる。

 全身が波を打っているのは、宇宙が寒いせいじゃない。

 自分の一言で、何十億と死ぬ。

 死なせてしまう。

 それだけは、止めなければ……。

 それじゃあ、あいつらと同じだ。

 大嫌いなあいつらと同じだ。

 地球での出来事を忘れるため、大きく息を吐き出す。

 今の自分を考える。

「なに、ばかなこと、しようとしてるんだろう」 

 自己犠牲?

 そんなかっこいいもんじゃ無い。

 百億の命。自分が背負い込める程、軽くない。

 もし死なせてしまったら、自分が潰されてしまう。

 ただ、それだけ……。

 そう、それだけ……。

 きっと、それだけ……。

 たぶん……。

 もう一度、息を吐き出してから呟く。

「1メートル、1メートルだけで良い」

 シルフの言葉を思い出す。

 1メートル狙いをずらすことが出来れば、アメノトリフネをはじめとした船団に攻撃は当たらない。

 神様……どうか、あたしに1メートルの距離をくださ……。

 そう祈りかけて、止めた。

「ちがう……」

 自分の為に祈るのでは、神様に想いは届かない。

 自分は、あくまで代理。

 祈る人の変わりに、願いを神様に伝える。

 誰かのために祈る。

 自分の為に祈るのではない。

「そう……」

 祓い串を強く強く、強く握りしめる。

 掲げる。

「彼らの、エルフ達の無事を……航海の無事を、祈る……」

 巫女に出来ることは、祈り。

「あたしに出来ることは、祈ることだけ……」

 そう!

 祈ることだけ!

 祓い串を大きく、ゆるやかに、しなやかにふる。

 もう、全身の震えは止まっていた。

「一世一代の祓詞、きかせてやろうじゃない! あなた達の罪汚れ、あたしが祓ってあげるわ!」


     * * *


 アメノトリフネを狙う戦艦ボーリンの艦橋がざわついた。

 厳つい顔をしたドワーフが9名。それぞれコンソールにしがみつくように座っている。

 艦長のヘーデルだけ、後部の大きな椅子に、どっかりと座り込み。前面のモニタを睨み付けていた。

「艦長!」

 電測員のドワーフ。フンバルトが声を上げる。

「遮蔽中の船団から、小物体が遮蔽を解いて離脱。方位1-4-0に向かって高速移動中です」

「船団の動きに変化は?」艦長ヘーデルは、慎重に問い返した。

「遮蔽しているため不明。おそらくですが、進路に変化はありません」

「エルフどもめ、なにを考えておる」

 腕を組み、一瞬考え込むとすぐに結論を出す。

「亜空間アクティブソナー用意!」

「しかし、艦長。ソナーを打てば、エルフどもに我々の位置が知られます」と副長のホッヘが声を上げた。

「既に気付かれておる。奴らと我々との間に、どれだけテクノロジーの差をつけられてると思っている」

 艦橋の中が強くざわめいた。

 誰もが知っていて、黙っていることをヘーデルは堂々と言ってのけたのだ。

 忌々しく思う。

 自分達が乗っている軍艦は、エルフがそれこそ何世代も前に使っていた老朽艦なのだ。

 エルフとドワーフの敵対関係は、もう時間をさかのぼることが出来ない遙か、遙か昔から続いている。星を破壊し、それぞれが別の星に移住し交流が絶え、もう二度と会うことは無いと思われた。

 エルフと袂を分かち何万年と経ったのに、またこうして宇宙の果てで鉢合わせ、いがみ合っている。

 なにが腹が立つかと言えば、ドワーフが今使っている科学技術の大半はエルフ伝来のモノであるという事実だ。

 しかも科学技術はエルフの方が何十世代も先に進んでしまっているというていたらく。

「あんな悪趣味なゲームに我々を招いておいて、今更ルールを変更するとは思えん」

「では、なぜソナーを?」とホッヘ。

「万が一に備えてだ。敵の正体と位置を確認したい。電測員、打て」

 フンバルトは、亜空間アクティブソナーを打った。

 光速で飛ぶ。

 それは数秒かかって卑ノ女に当たり、また同じ時間をかけてボーリンに還って行く。

「一隻……いや、生命体? ちょっとまて……な、なんなんだ……あれは……あれは、なんなんだ……」

 解析されたデータを見るやいなやフンバルトの頭の中がパニックになった。

「電測員どうした? 状況を説明しろ!」

 ヘーデルがフンバルトを叱咤すると同時に、軍艦ボーリンのスピーカーに強制割り込みが入る。

 謎の言葉が流れ出した。

『カケマクモカシコキ

 イザナギノオホカミ

 ツクシノヒムカノタチバナノヲドノアハギハラニ

 ミソギハラヘタマヒシトキニ

 ナリマセルハラヘドノオホカミタチ

 モロモロノマガゴトツミケガレ

 アラムヲバ

 ハラヘタマヒキヨメタマヘト

 マヲスコトヲキコシメセト

 カシコミカシコミマヲス~』

 卑ノ女の祓詞。

 凛と澄み切った声が強く、大きく、ドワーフ達の耳を打った。

 聞き慣れない発音。

 初めて耳にする言葉。

 背筋を氷で撫でられたようなゾクリとする音。

「どこから? なんだ! この……」

 ヘーデルは、冷静になろうと努めるが、動揺を隠せない。

 混乱寸前の状態だった。軍人で無ければきっとパニックに陥っていただろう。

「おそらく……あっ、あそこからです……」

 ホッヘは、震える声でヘーデルに告げる。

「副長! モニタに出せ!」

 ホッヘは、混乱しながらもヘーデルの意志に従った。

 電波が飛んできた方角にセンサ、カメラを向け最大望遠で謎の言葉を放った存在を捉える。


 そこには、白衣緋袴に身を包んだ巫女。

 卑ノ女がいた。

 漆黒の闇の中、まばゆいばかりの白い白衣と燃えるような緋袴を身につけ。

 祓い串を両の腕で握り、ゆるやかに左右に振る。

 ぬばたまの髪は、祓い串が動くその度にしなやかにふわりと揺れる。

 見るものの心を捉えるような柔らかい笑みを浮かべ、卑ノ女は優しく祈っていた。

 誰よりも、心から、無事を祈っていた。


     * * *


「まさか、自らが囮となって我が船団を守ろうとするか……」

 アメノトリフネの船橋(ブリッジ)でノームは卑ノ女を複雑な面持ちで眺める。

「こんな巫女は……初めてです」

 シルフは、ノームの隣で左手の薬指を立て、クルクルと回している。

 袖にあるブレスレットがそのたびにチカチカと明滅している。

 それに応えるようにブリッジのコンソール群が光を放つ。

「で、おみゃあさんは彼女を守りもせず、なにをしとるんだがね?」

「巫女様に言われたとおり、彼女の言葉をそのままドワーフに送っています」

「そのまま?」

「はい、エンコードせず、彼女の世界の言葉を、本来の音にして、そのまま……」

「しゃ~! しゃっしゃっしゃっしゃっ!」

 ノームは、思わず笑い出してしまう。

「そりゃぁ……そりゃあ……さぞかし、さぞかし、穴蔵共も困惑しとりゃあすがね!」

 笑いすぎて涙が漏れた。

「完全に、船団から注意がそれています。ソナーが巫女様を捉えて、全てのセンサが集中している状態です」

「じゃろうなぁ……しゃっしゃっしゃっしゃ……最高じゃ! 最高じゃで……このままじゃと射撃ポイントを通り過ぎる! 我々は誰も犠牲を出さずワープできる。しゃっしゃっしゃっしゃっしゃ! 全員無事! 全員無事じゃ! オベリコムのシナリオに、こんな展開はありゃあせんがね!」

 端から見ると、狂っているのでは無いかと思えるぐらいに、ノームは強い感情を表に顕していた。

「もう、ここからクラックする必要は無いでしょう……」

 シルフは、指を動かすのを止める。

 卑ノ女を見上げる眼差しは、どこか悲しげだった。

 ブリッジに立体映像で映し出されている卑ノ女は玉串をゆるやかに振りながら、落ち着いた面持ちで祝詞を唱え続けていた。


     * * *


『カケマクモカシコキ

 アメノトリフネカミヤシロノオホマエニ

 カシコミカシコミマヲサク

 ヒノメ、ツネモオホカミノヒロキアツキミタマノフユヲカガフレルニヨリテ』

 さらなる卑ノ女の声が、ボーリンの艦橋に満ちた。

 彼女は、ただ粛々と祝詞を唱え続ける。

 アメノトリフネの無事を祈り続ける。

「なっ! なにを言っているんだ!」

「これは……なんだ……」

「おちつけ! 落ち着くんだ!」

 銘々に広がる声が、さらなる混乱を招く。


     * * *


 ノームが声も無く卑ノ女を見つめ続けているシルフの腕を軽くつついた。

「ノーム博士?」

「ウツボブネの使用を許可するでな。今すぐ巫女様を迎えにゆくとええ」

「ウツボブネの?」

「あれならアメノトリフネと同期しとりゃあす、多少ジャンプが遅れても追って飛べるじゃろ? 急げ。彼女を死なせるには、余りに惜しいでな」

 そう言ったノームの言葉は、限りなく優しかった。

「はい!」

 シルフの力強い返事。

 同時に彼女の姿は消えた。

「巫女は初めから、帰ってくる気は無かったんじゃろうなぁ……片手落ちも良いとこだがや……」

 ノームは遠い目をしながら続ける。

「じゃが、彼女なら、もしかしたら……」

 ノームは、そこまで言うと首を左右に振った。

「いや、止そう。期待するのは……」


     * * *


『アメノトリフネヲイヤマスマスニタチサカエムコトヲコイノミマツラムト

 イヤジロノミテグラヲササゲ

 フトタマグシノトリドリニヲガロガミマツルサマヲ』

「なにを言っているんだ!」ホッヘは、卑ノ女から目を離せないでいた。

「翻訳は出来るか?」とヘーデル。

「できません、意味不明です。エルフの言葉でもありません」

「いつまで続くんだ……これは……」

 戦闘艦橋は、混乱を迎えたまま、ただ、卑ノ女を見つめるしか無い。

『タヒラケクヤスラケクキコシメシテ

 イマユユクサキ、エルフノフネイヘヌチニハ

 ヤソマガツチノマガゴトナク

 オノガムキムキアラシメズ』

 ヘーデルは、はぁはぁと息を荒くさせながら、ホッヘに向き直る。

「これがいつまで続くか分からんが、最後まで唱えさせるな! 砲手!」

「はい」

「砲撃用意。あいつに照準を合わせろ」

「艦長! エルフの船団を撃たなくて良いのですか?」

「攻撃時刻は、とうに過ぎておる!」

 そう、その事実に気がついていたのは、ヘーデルだけだった。

 艦橋が大きくザワついた。

 艦長の言葉に、艦橋のドワーフは軍人の顔を取り戻す。

「あれは紛れもない敵対行動だ。最後まで唱えたら何が起きるか分からん、なんとしても止めろ」

 冷酷な一言。

 事実、祝詞がなにを意味するのか分からない。

 エルフ達のカウントダウンかもしれない。

 唱え終わると同時に強大な砲撃が飛んでくる可能性は否定できないのだ。

 軍人として命令を果たせなかった事実。

 挟持が傷つけられた。

 だが、同時に矜恃を保つため、迅速に動き出す。

「方位1-4-0に向けます」

 軍艦ボーリンがゆっくりとその艦首を卑ノ女の方角に向ける。

 全てのセンサが彼女を捕捉していることが幸いし、すぐさま照準は卑ノ女を捉えた。

「砲手、行けるか!」

 テキパキと作業をこなす。

「問題ありません」

 まるで一つの生命体にでもなったかのような迅速な動き。

「外すなよ!」

 コンソールを滑るように操作し、明確に卑ノ女の命を、たった一人の命を奪うため、軍艦の主砲が捉える。

「主砲発射状態に入りました」

 ドワーフ達は、今日一つに纏まった瞬間である。

「放てぇ!」

 艦長の一吼えに、砲手はスイッチを押した。

「エネルギィ、チャンバー解放! 主砲、発射!」

 軍艦ボーリンの艦主砲から、本来なら百億もの命を奪う予定だった破滅的な力が、卑ノ女ただ一人の命を奪うため放たれる。

『ヒニケニイソシミハゲムナリハヒヲイヤススメニススメシメタマヒ

 ミスコヤカニ

 イヘカドイヤタカニイヤヒロニタチサカエシメタマヘト

 カシコミカシコミマヲス~』

 最後に大きく祓い串を左右に振るうと深呼吸。

 強く息を吐き出す。

 それから卑ノ女はしめやかに両目を開ける。

 遠くで、遙か遠くで何かが光ったような気がした。

 明確な敵意。大きな力。

 それが迫ってくるのが、なんとなく分かった。

 口元を歪めるとジト眼をさらに細めた。

「まぁ、そうなるよね……」

 やることはやった。

 あたしを撃つと言うことは、アメノトリフネを撃たなかったと言うこと。

 助かったんだ。

 誰も死なせなかった。

「うん、良かった……」

 卑ノ女は一度だけ、アメノトリフネを探すように振り返り虚空に向かって呟く。

「さよなら」

 そして、ゆっくりと目を閉じ、流れるように両腕を広げ大の字になって大宇宙(おおうなばら)に倒れ込む。

 卑ノ女は、満足げな笑みを浮かべ、最後の時を待った……。


 どんっ!


 がちゃーん!


 ばたーんっ!


 衝撃。

 ラビットスクーターが重力に引かれ倒れた音と共に、自分も床に叩きつけられる。

 振動が脳裏に響いた。

「いったぁ~!」

 後頭部をしこたま打った卑ノ女は片膝を立て、身体を起こす。

 周囲を見渡すと月のような、ほの明るい白さに包まれた船内。初めて見る景色。

 ラピッドのシートの上に載せていたヘルメットがカラカラと音を立て転がってゆく。

 その先にシルフがいた。

「えっ……迎えに来て、くれたの……」

 シルフは、スカートを揺らしながら卑ノ女の元に駆け寄ると同時に右耳に手を当て叫んでいた。

「ウンディーネ、巫女様の回収成功しました! エネルギィ来ます! 緊急ジャンプ!」

「りょ~かいされたし! ウツボブネ飛っぶよ~!」

 シルフの指示で、ぐにゃりと世界が歪んだ。

 一瞬、胸焼けがしたが、それもただの一瞬で、すぐに落ち着く。

 シルフは、膝を落とすと、卑ノ女に目線を合わせる。

 その顔は珍しく安堵の笑みを浮かべていた。

 卑ノ女も釣られて笑みを浮かべる。

 笑みが重なった瞬間――

「巫女様! もしかして帰る手段を、なにも考えやがらなかったんですか! 中途半端も良いところじゃないですか!」

「ん~、スクーターで帰れると思ったんだけどねぇ~。無理だったみたい」

 あっけらかんと告げる卑ノ女を見て、シルフは珍しいほど感情を爆発させる。

「何度も、バカバカバカバカ土星バカって、わたしのことを言いましたけど、本当のおバカはあなたの方です! なに考えてんですか!」

「だ~か~らぁ~、何度も言ってるでしょ?」

 卑ノ女は、シルフに怒鳴られながら、ウインク一つするとこう答えた。

「あたしに期待すんな! って」



 異世界転生した巫女ですが、祈ることしか出来ません

「期待すんな!」

            おわり



       第二話 予告


 アメノトリフネの船団、チチブノクニミヤツコに迫る危機。

「バカじゃないの?」

 毎度毎度、卑ノ女のあきれ果てた声。

「正直、今回は、たいした問題ではないと思うのですが」

「十分、大問題じゃ!」


 そして、襲い来るテロリスト集団。

「巫女様!」

 シルフの声が響く。


『おみゃあさん、それでもやるのきゃ? はぐれ者どもはアメノトリフネの中だぎゃ。常若の国からチチブノクニミヤツコを破壊しても生き残る。しかも反応炉のプログラムは、はぐれ者が洗っとるだで、そのまま証拠が残るがや』

「ノーム!」

『なんだぎゃ?』

「貴様、どっちの味方だ!」


 陰謀渦巻く中、反物質反応炉の暴発を卑ノ女は止められるのか?


「チチブノクニミヤツコを救うのに、あなた達エンジニアの力が必要なのよ! お願い! 力を貸して!」


 卑ノ女の叫びはエルフを救えるのか?



    次回

 異世界転生した巫女ですが、祈ることしか出来ません

「アテにすんな!」

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