いいわけ(いい訳)

あそうぎ零(阿僧祇 零)

いいわけ(いい訳)

 父が娘に尋ねた。

「あの男の、どこがいいんだ?」

「あの人がはねー……、教えない」

「え? なぜ教えないんだ」

「それも秘密」

 

 今や、血のつながった親族は、この二人しかいないのだ。

 だったら、何でも教え合うべきだろう。父はそう思っているが、娘の考えは違うらしい。


「言っちゃ悪いが、アラフォーで独身。メタボ体形。顔は不細工ぶさいくで、だいぶ禿げ上がってるぞ。何で、よりによってそんな男と……」

「やめてよ! いくら父親でも、娘の彼氏に対してそんな言い方をするなんて、ひどいよ」

「ごめん。ちょっと言い過ぎた。まあ、これでも飲んで、機嫌きげんを直してくれ」

 カウンターの中に立っている父は、対面するように椅子に腰掛けている娘の前に、細長いグラスを置いた。ワインだろうか、赤い液体で満たされている。

 ここは、彼らの家にあるホーム・バーらしい。


「ずいぶん辛口ね。あまり好きじゃない。それに、ちょっと劣化してない?」

 一口飲んだ娘は、もういらないという風に、グラスを父の方に押しやった。

「劣化? おかしいな。真空パックされていたものを、今封を切ったんだがな」

「いくら真空パックされていても、直飲じかのみには絶対かなわないのよ」

「そりゃあ、そうだ。しかし、直飲みなんて、昔とは違って、今はまず不可能だ」

「フフフ」

 娘は、悪戯いたずらっぽい笑いを浮かべた。この笑いを見せる時は決まって、何か良からぬことを考えている。


「もしかして、お前……」

「その、もしかよ」

「あの男か!」

「ええ、そうよ」

うまいか?」

「何しろ、直飲みですからね。不味まずいはずないでしょ。それに彼、糖尿病なの」

「そうか!」

「私、甘口が大好きでしょ。彼の血は貴腐きふワインのように甘いの」

「そうなのか!」

「彼が、分かったでしょ?」

「分かったから、今度彼に会わせろよ」

「だめ。彼は私だけのものよ」


 二人は、ひつぎのある地下室に向かった。もうすぐ夜が明けるようだ。


《完》

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いいわけ(いい訳) あそうぎ零(阿僧祇 零) @asougi_0

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